たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

東京宝塚劇場リニューアル20周年パネル展-花組(3)

2021年07月10日 22時43分14秒 | 宝塚
東京宝塚劇場リニューアル20周年パネル展-花組(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f4df37059c8be2e7a876bc8a56db3f72

 東京宝塚劇場リニューアル20周年記念、花組のポスターギャラリー、もう少しだけあったのでブレブレですがアップ。

 春野寿美礼さんのトップスター時代、リアルタイムで観劇したのは『洛陽のパレルモ』だけですが、かっこいいですね。退団後はなんどか拝見。歌声がほんとに美しい。







 本日無事に初日を迎えた月組公演、カーテンコールの挨拶で、たまきち(珠城りょうさん)が「また緊急事態宣言が発令されます」から「そんなもんはどんとこいですよっ」って言ったとか。昨日までどしゃ降りだったのがたまきちパワーで一気に晴天、夏日和。頼もしい限りです。千穐楽を満員の劇場で迎えられますようにと祈ります。





 劇場に変わることなく灯りがともっている、それだけで安心感。


来週また診察を受けることになりました

2021年07月10日 15時19分08秒 | 日記
 6月24日に変形性膝関節症と診断されてから、理学療法士によるリハビリ4回、自分の感覚では順調にいっていると思います。生まれた時すでにそうだったのか、歩き始めた頃だったのか、母はすでにこの世におらず、まだこの世の人であったとしても統合失調症で母子手帳などまだあるのかないのか、通院していた時医師から娘に将来起こりうるリスクについてなにか説明はあったのか、まだそんな症例はなかったですかね、わかりませんが知りたいと思っても最早知る術はありません。わたしが乳幼児から発症していたというエビデンスはどこにもありません。おぼろげな記憶だけです。

 いつ頃からかわかりませんんが右の股関節が正常にはまらないまま生きてきていることにより、すでに骨がすり減って右足の方が左足よりも1.5センチから2センチ短くなってしまっていることがわかりました。厚労省のチラシには三段階の最後とされえいる状態です。気持ちがはりつめていたときには痛みを痛みと感じることもないまま無理をかさねてきたことを自覚。右足からどたっと踏み出して斜めになりながら歩き続けてきました。2月か3月ごろには朝バス停まで急ぎに急ぐ時右足が動かなくなっていました。気力で歩いて時間通りバス停にたどり着いていました。そうとう体は斜めっていたはず。面接会場でも斜めっていたわけで全身みられていたわけだから、そりゃ通るはすないと納得できました。体がこうでなければ通っていたかもしれません。すでに診断を受けていて、なにか配慮することはありますかとたずねられたときに言えればよかったのかもしれません。ここまで自分がガタガタのポンコツになっているという自覚がありませんでした。

 リハビリにより右と左で足腰の感覚が違っていることを自覚、いかに無理をしてきたかを自覚、毎日やってきているストレッチに加えて筋肉をつける体操をいくつか。ここ4年ほどはマッサージや整体に行くことがなく、ヨガやピラティスも全くやっておらす、体幹を正常に戻す機会をつくっていませんでした。それで帰省したとき30年ぶりの自転車でかなり痛みがきてしまいました。それでもどこに治療にいけばいいのかわからずそのままにしてしまいました。おそらく3年前の今頃訪問でものすごい坂を1時間、2時間、3時間と歩き続けたことも相当きつかったはずです。この街に戻ってきてから通勤時間一時間越えの、夜あまり眠れず環境よくなくて心身共にきつかった7か月間もこの足腰に相当こたえたでしょう。

 それでも自分を食わせていくためにこの先も無理をしなければなりません。手術はできない、やりたくないという気持ちはもう固まっています。年齢的にまだ早い、60歳過ぎてから受けた方がいいとなっても病院が担保したい、全身麻酔から覚めなかった時の緊急連絡先がわたしにはありません。年金定期便に記載されている65歳からの見込み額は団塊の世代が後期高齢者になっていくことで、今後介護保険料の天引き見込みがさらに上がっていくでしょうから万円単位で減りづづけていくことは必須、受給開始前になくなってしまいそうです、なくならなくてもわずかなもので、それだけで生活していくことは到底できません。70歳から受給開始したら40パーセントマシマシになるという厚労省の脅しにはのらない。どのみち死ぬまで働き続けていくしかないです。だから手術はできない。

 整形外科とずっとつきあっていかなければならにということになります。気難しいおばあさんで申し訳ない気持ちですが、手術はできない自分の状況を話さなければならないのはすごくミジメでいやだなあと思います。昔父に言われたこと、お前はむずかしいからいやだって。あなたの娘なんだから仕方ないじゃんって心の中でつぶやきました。

 リハビリによって、カフェやバスの椅子から立ち上がるとき痛みが走っていたのは軽くなってきました。右足の動きが少しばかりよくなり、靴に100均で買った中底を入れることで歩くとき左右の高さが違うことは改善。体操を続けるし、筋肉が落ちては困るので外に出て歩きます。診断で今後の方向性の見立てによりまたお仕事さがしもしなければなりません。のんびりまったりスローライフ人生はありえない。リハビリと体操でどこまで日常生活を維持していくことができるのでしょうか、こんなポンコツを使ってくれるところがあるのでしょうか。

 長々と自分語りの弱音ブログでした。

1995年ミュージカル『回転木馬』-ジガー役市村正親さん

2021年07月10日 00時55分45秒 | ミュージカル・舞台・映画
1995年ミュージカル『回転木馬』‐「考えてもはじまらない」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/be00d1bdd2d99a3112e9558b3d1a338b

公演プログラムに掲載された市村正親さんのプロフィール紹介。

「帝劇を1年半わかせた「ミス・サイゴン」のエンジニア役は、まだ記憶に鮮やかだ。その演出家のニコラス・ハイトナー作品に再び出演する。「大好きなニックとまた仕事をしたかった」のが、オーディションを受けた理由でもある。ハイトナーはじめ、マイケル・ベネット、ハロルド・プリンスなど世界的な振付家、演出家と仕事をした経験も多々。さらに、出演作リストは目がくらむほど。49年、埼玉県生まれのこの人の舞台デビューは73年。劇団四季の『シーザス・クライスト=スーパースター』のヘロデ王である。以来、四季では『ウエストサイド物語』『キャッツ』『オペラ座の怪人』といったミュージカル、『エクウス』『かもめ』『Mバタフライ』といったストレート・プレイなど、多くの舞台に出演。

 退団後も、『ラ・カージュ・オ・フォール』『ラヴ』『キャバレー』『スクルージ』『お夏狂乱』『そして誰もいなくなった』と幅広い活動を続けている。「今回は初の悪役。どこまでワルになれるか、今までと違う面を出せたら」と言う。そういえば、これまで演じてきた悪役は、どこか哀しみや愛嬌があった。最新出演作『スクルージ』のタイトル・ロールもそう。今年1月、神戸でこの作品に出演中、あの大震災に遭った。「人生観が変わりましたね。死に直面してからはすべてに対し、もっと全力投球しなくちゃと思うようになった」と真顔になる。『回転木馬』の後は、同じ帝劇の12月公演『シー・ラブズ・ミー』で「今度は、明るく楽しい役」に挑戦する。」

 読み返しながらいろいろな想いがよぎりました。『回転木馬』が上演されたのは1995年7月から9月にかけて。1月に新神戸オリエンタル劇場で上演中だった『スクルージ』は阪神淡路大震災の発生により中止となりました。わたしは『スクルージ』を、前年の12月に池袋の東京芸術劇場で観劇していました。神戸の公演は、東京では中島晶子さんが演じたヘレン役に、宝塚OGの羽根知里ちゃんがキャスティングされていたので、中止にならなければその後さらに舞台への道が開けていったのかもと今でも残念です。

 1992年初演『ミス・サイゴン』も観劇していますが、来年3月に日生劇場での上演が発表された『ラ・カージュ・オ・フォール』にもこの頃すでに出演されているんですね。『ミス・サイゴン』、昨年コロナにより幻となりました。来年7月・8月の帝国劇場公演の市村さんエンジニアはもうないかもしれませんが、ライフワークとなっている作品がいくつもあってこの頃から出演されているとは本当にすごいです。

 はじめて市村さんエンジニアをみたとき、この方が立つ舞台には風が吹いていると感じたことを今もおぼえています。昨年の帝劇コンで『ラ・カージュ~』は続けてほしいと言ってもらっていると。『スクルージ』もおじいちゃんの役なのでひょうひょう動いていればいいから足腰の立つかぎりはやりたいと話されています。『屋根の上のヴァイオリン弾き』 のテヴィエ役もうけついでいらっしゃる日本ミュージカル界の至宝、市村さん。『モーツァルト』のパパも市村さんしか考えられません。『ラ・カージュ~』はまだみたことないので来年はみようかな。

『回転木馬』のジガーはオーディションを受けて選ばれたというのも今となっては驚きです。ビリーを強盗計画に誘い込む悪役、写真の市村さんさすがに若いです。