(画像は公式ツィッターより)
ウスターシュ・ル・シュルール
《キリストの十字架降下》
1651年頃
油彩/カンヴァス
絵画部門
わりと大きな絵だったと思います。一見残酷にみえる情景に吸い寄せられるような心持ちでした。何を訴えているのか問わないではいられませんでした。30年来積読だった岩波文庫の『福音書』をようやく読みました。
「マタイ福音書第27章
一夜が明けると、大司祭連、国の長老たちは満場一致でイエスを死刑にする決議をした。それから彼を縛り、引いていって総督ピラトに渡した。
ユダくびれる 27・3-10(使徒1・16-20)
(略)
さて、イエスが総督の前に立たれると、総督はイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。お前はその廉(かど)で訴えられているが。」イエスは言われた、「そういわれるならご意見にまかせる。」大司祭連、長老たちからいろいろと訴えられたが、何もお答えにならなかった。するとピラトが言った、「あんなにお前に不利益な証言をしているのが聞えないのか。」イエスはただの一言もお答えにならなかったので、総督は不思議でならなかった。
さて総督は過の際の都度、民衆の望む囚人を一人だけ特赦によって赦すことにしていた。ところがその時、バラバ・イエスという評判の囚人がいたので、ピラトは人々が集まってきたとき言った、「どちらを赦してもらいたいか、バラバ・イエスか、救世主と言われるイエスか。」
ピラトは人々が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。ピラトが裁判席に着いているとき、その妻が彼の所に人をやって、「その正しい人に関係しないでください。その人のおかげで、昨夜夢で散々な目にあいましたから」と言わせた。しかし大司祭連、長老たちは、バラバの命乞いをして、イエスを殺してもらえと群衆を説きつけた。総督は彼らに言った、「二人のうち、どちらを赦してもらいたいのか。」「バラバを!」と彼らが言った。ピラトが言う、「では、救世主(キリスト)と言われるイエスをどうしようか。」みんなが、「十字架につけるのだ」と言う。ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。ピラトは自分のすることがなんの甲斐もないばかりか、かえって騒動がおこりそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血を流すことに責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」そこでピラトはバラバを赦してやり、イエスの方は鞭打ったのち、十字架につけるため兵卒に引きわたした。
それから総督の兵卒らはイエスを総督官舎に連れてゆき、王の茶番狂言をみせるために全部隊を彼のまわりに集めた。そしてイエスの着物をはいで自分たちの緋の外套をきせ、茨で冠を編んで頭にかぶらせ、右手に葦の棒をもたせて王に仕立てたのち、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳!」と言ってなぶった。それから唾をはきかけ、葦の棒を取りあげて頭をたたいた。
こうしてなぶった後、外套を脱がせてもとの着物を着せ、十字架につけるためにひいていった。
都を出ると、シモンというクレネ人に出くわしたので兵卒らはこの人に有無を言わせずイエスの十字架を負わせた。イエスにはもう負う力がなかったのである。ゴルゴダという所-すなわち「しゃれこうべの所」ーに着くと、人々は苦痛をやわらげるために”ニガヨモギ”を混ぜた葡萄酒を”飲ませようとした”が、なめただけで、飲もうとされなかった。兵卒らはイエスを十字架につけると、”くじをひいて”その”着物を自分たちで分けた”のち、そこに坐って見張りをしていた。
イエスの頭の上には、これはユダヤ人の王イエスである、と書いた罪状が掲げられた。
その時イエスと共に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に十字架につけられた。通りかかった人々が”頭をふりながら”イエスを冒涜して、こう言った、「お宮をこわして三日で建てるという人、自分を救ってみろ。神の子なら、十字架から下りてこい。」同じように大祭司連も、聖書学者、長老といっしょに、こう言ってなぶった、「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!”彼は神に頼っている。神が可愛がっておられるのなら”今すぐ”救ってくださろう”だ。『わたしは神の子だ』と言ったから。」いっしょに十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。
昼の12時から地の上が全部暗闇になってきて、3時までつづいた。3時ごろ、イエスは大声を出して”エリ ユリ レマ サバクタニ!と叫ばれた。これは”わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!”である。そこに立っていた人たちのうちにはこれを聞いて、「あの人はエリヤを呼んでいるのだ」と言った者が何人かあった。エリをエリヤと聞きちがえたらしい。そのうちの一人がすぐ駆けていって、海綿をとり、”酸っぱい葡萄酒を”ふくませ、葦の棒の先につけて、イエスに”飲ませようとした”しかしお受けにならなかった。「もう少し生かしておて、エリヤが救いに来るかどうか、見ていよう」とほかの人々が言った。しかしイエスはふたたび何か大声で叫ばれると共に、息が切れた。その途端に、宮の聖女の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして地が震い、岩が裂け、墓が開いて、眠っていた多くの聖者たちの体が生きかえり、墓から出てきて、イエスの復活の後、聖なる都エルサレムに入って多くの人に現われた。百卒長およびいっしょにイエスの見張りをしていた兵卒らは、地震とこれらの出来事とを見てすっかり恐ろしくなり、「この人は、確かに神の子であった」と言った。またそこには、遠くの方から眺めていた女たちが沢山いた。これはガリラヤからイエスについて来て、仕えていた人たちである。そのうちにはマグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、およびベダイの子らの母がいた。
夕方になると、アリマタヤ生まれの金持ちでヨセフという人が来た。彼らイエスの弟子であった。この人がピラトの所に行って、イエスの体の下げ渡しを乞うた。そこでピラトはそれを渡すように命じた。ヨセフは体を受け取り、清らかな亜麻布で包み、岩に掘らせた自分の新しい墓にそれを納め、墓の入口に大きな石をころがしておいて、立ち去った。マグダラのマリヤともう一人のマリヤとはそこにのこって、墓の方を向いて坐っていた。
あくる日、すなわち支度日(金曜日)の次の日(安息日)に、大司祭連とパリサイ人とはピラトの所に集まって言った、「閣下」、あの噓つきがまだ生きている時『自分は死んで3日の後に復活する』と言ったことを思い出しました。だから3日目まで墓を警備するように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て盗んでいって、人々に『イエスは死人の中から復活した』と言いふらさないとはかぎりません。そうなると、このあとの方の嘘は、自分は救世主(キリスト)だと言った前の嘘よりも始末が悪いでしょう。」ピラトが言った、「番兵をかしてやる。行って、せいぜい墓を警備するがよかろう。」そこで彼らは行って入口の石に封印し、番兵を置いて墓を警備した。」
(岩波文庫『福音書』161~165頁より)