たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_無条件に愛されることで人は救われる

2018年12月30日 22時29分34秒 | 本あれこれ
「無条件に愛されることで人は救われる

 自分の居場所を見つけることは、幸せに生きるための大事な要素のひとつだと思います。自分の居場所とは、外でどんなにつらいことがあっても安心して帰れるところのことです。そして、そこには自分のことを受け入れ、無償の愛を与えてくれる人がいなければ安心できる場所とは言えないでしょう。

 『赤毛のアン』は、短編集を除けばシリーズで八巻までありますが、マシューは、第一作目で亡くなってしまいます。でも、全編を通していちばん印象に残る人のひとりです。それは、生まれてすぐに両親が亡くなり、その後孤児院を出たり入ったりする生活で肉親の愛情に飢えていたアンにとって、初めて無償の愛を与えてくれた人だからです。マシューがいたからこそ、アンのその後の人生すべてがある、というくらい大きな存在なのです。

 マシューは、内気で無口な六十代の独身男性。知らない人の中や、口をきかなくてはならない場所に出るのを、もっとも苦手としているような人物です。そして、同じく独身で五十代の妹マリラとふたりでグリーン・げーブルズに住んでいます。町では、変わり者として通っており、農業をやっているのですが、その経営感覚もあまりなく、すごく不器用。

 しかし、マシューは、最初から非常にいろいろなことを感じる能力に長けた人として出てきます。だからこそ、いちばん最初に、マシューがアンに感化され、彼女をグリーン・ゲーブルズに置いておきたいと思ったのです。

 また、マシュー、マリラ以前にも、アンに対して無償の愛を与えてくれた人たちがいました。その愛があったからこそ、アンは孤児院にいても、まっすぐな気持ちを持ち続けることができたのだと思います。それは、両親の愛情でした。アンが生まれたとき、「やせっぽちで、ちっちゃくて、目ばかり大きくて、見たこともないほど醜い子だった」と手伝いのおばさんは言っていたという。けれど母親は、「こんな美しい子はない」と思っていた。実は両親については、不思議なくらいあまり書かれていません。アンがその後両親のことを思い出すということもない。ただ、アンにとっては、母親だけは自分のことを美しいと思ってくれていた、という思い出は、厳しい孤児院での生活の心の支えになっていたはずです。

 ブリューエット夫人のように人としての価値を、役に立つか、立たないかで見るという合理的、機能的な捉え方があるとする一方で、両親、マシュー、マリラのように無条件でアンの存在を受け入れてくれる人たちによって、アンは救われていくのです。

 人は、それまでどんなにつらい思いをして生きてきたとしても、無条件に愛されることで救われるということがあるのではないでしょうか。」

(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』、104-106頁)




「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社