たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

タカラヅカスペシャル2018_ライブビューイング(3)

2018年12月26日 20時29分00秒 | 宝塚
 

今朝目がさめてから、今年ライブビューイング何本みたかなあって数えてみたら10本以上、生の舞台も6回観劇することができました。それだけチケット代その他かかったわけだし、プログラムもまた溜まってきたので少しずつ整理していかねばと言い聞かせました。心身を削られるハードな仕事の合間、心の潤いを求めて劇場に、映画館に足を運びました。夢々しい世界に現実逃避させていただきました。こういう非日常的な時間がなかったら自分つぶれていたと思います。ほんとにありがたい一年でした。締めくくりのタカラヅカスペシャル、ライブビューイング。娘役さんたちの大きなリボンがついたピンク色の可愛らしいお衣装も夢々しくて、こんなおばさんが今さらですが憧れ。誰が誰だかわからないままみた『金色の砂漠』が衝撃的で花組が特に気になるようになったので、桜咲彩花さんや舞空瞳ちゃんが、トップスターさんの後ろで笑顔で踊る姿が時折ライブビューイングのカメラに映し出されると嬉しかったです。ああ今年もよくがんばったなあ自分って、余韻に浸りながら宙組『白鷺の城』『異人たちのルネサンス』のライブビューイングで今年はおしまい、と思っていたら安心できないのが、いつか退団という終わりが訪れる宝塚。昨日の花組退団者発表は衝撃でした。かつて紫ともちゃんの退団を知った時は今のようにネットがなかったので時差があったと思いますが、リアルタイムでわかる時代になり、リアルタイムでともちゃんの退団を知った時のようにさみしさと儚さを感じました。副組長の花野じゅりあさん、美人オーラとスタイルの良さが半端なく『ハンナのお花屋さん』のフィナーレでは誰よりもはじける笑顔で踊っていました。桜咲彩花さん、『金色の砂漠』のビルマーヤ姫で素敵な娘役さんだなあと思いました。『ポーの一族』のジェインも『あかねさす紫の花』の鏡女王も静かに輝いていて素敵でした。どの男役さんと並んでもお似合いで相手をたてつつお互いさらに輝けるという、いるようでいない稀有な存在、一作でもいいからトップ娘役になってほしいと思っていました。茉玲さや那さん、『ハンナのお花屋さん』の少年クリスが印象的でした。『メサイア』の少年姿も可愛らしかった娘役さん、まだまだこれからなのにと思うと残念です。このお三方の退団は衝撃。終わりがあるから美しいのが宝塚ですが、もう少しこうだったら、っていう気持ちが観客に残ってしまうのも宝塚。すべての出会いが一期一会。

 前置きが長くなってしまいましたが、『タカラヅカスペシャル』ライブビューイング。オープニングで花組が歌ったのは「ファンシー・タッチ」でしたね。オープニングでは最後に、東京宝塚劇場公演で不在だった宙組の「シトラスの風」の歌唱もありました。嬉しかったですけど、宙組さんがいないのでちょっとさみしい感も・・・。

 珠城りょうさんの体格の話になっていったのは、二幕のMCの時だったかな。かなり曖昧な記憶ですが、「いつからそんなふうに・・・」みたいな紅ゆずさんの質問から、珠城さん「3歳から水泳をやっていました、ヘルパーをつけて。中学生の時には陸上をかじったりして気がついたらこうなっていました」と自分の体型を示しながら。紅さん「気がついたら雨の中で歌って踊ることになっていたのね」とツッコミ。「いやあれは舞台の上で・・・」と珠城さん、「いやいやわからんよ、道でも踊ってるかもよ」みたいなツッコミをいれる紅さん。紅さんにいじられる珠城さんの下級生感と、隣で双子みたいに並んで時折うなづきながらきいている明日海りおさんと望海風斗さんが可愛かったです。

 リクエストを募集して望海さんが歌うことになったのが、『華麗なるギャツビー』から「朝陽の昇る前に」。「男役なら誰もが憧れる背中でみせる男役、スーツではありませんががんばります」と望海さん。準備があるのでと一足さきにはけていってしまうと、いってしまうの?みたいな表情のみりおさんがまた可愛かったです。(望海さんの)「準備の時間があるのでもうしばらくアンケートを続けましょう」で客席へのアンケートが続きました。杜けあきさんのギャツビー、白いスーツの後姿をみているわたしとしては雪組の歌うま望海さんが「朝陽の昇る前に」を歌うの、胸あつでした。スーツ姿ということでは紅さんにも歌ってほしかったかなとちょっと欲張りな心持ちになりました。続いてみりおさんの『ル・ポアゾン』のテーマソング。この歌生できいたことはないと思うのですが繰り返し歌い継がれてきているからしっかり知っているつもりの曲。みりおさんは何を歌っても安定しているし、すぐにその曲の世界感へとスィッチが入ります。男役の色気もにじませて天上知らずのすごい方だとあらためて思いました。紅さんの「LUCKY STAR」は黄色いお衣装で素敵でした。珠城さんの『太王四神記』は作品知らないのですが、「タムドクになり切って歌います」だったかな、の言葉どおり、たぶん世界感がうまく表現できているんだろうなと思いました。

 断片的に素敵だったなあと思う場面、思い出し。暗転からスポットライトがあたると七海ひろきさんが階段に坐って歌い始めた場面、曲名が残念ながらわからなかったのですがかっこよかったです。退団発表後で特にファンでなくても記憶に残っていくカッコよさでした。鳳月杏さんと海乃美月さんのコンビが似合っているなあと思ったのも曲名はわからずですが素敵でした。あと望海さんとみりおさんが二人で歌う場面もありましたね。これまたわたしは曲名わからずですが、最後に手をつないだりしていたかな。もうこんな場面もみることは二度とできないかもしれないと思うとほんとに一期一会。

 台湾公演のフィナーレで紅さんが、客席の赤いペンライトが揺れる中で歌ったのは「望春風」という台湾語の歌だそうで、調べてみると1933年に発表された台湾の民謡なんですね。懐かしさを感じるメロディライン。珠城さんの「台湾公演どうでしたか」から「すごく楽しい」で紅さんとみりおさんが打ち合わせなし?なのかな、即効で「望春風」をハモリ。「台湾公演の最後はこの歌」みたいな。素で羨ましそうな珠城さんに「あとで楽屋で歌ってあげるから」と紅さん。紅さんがわちゃわちゃしているみなさんの話にツッコミをいれながら仕切ってまとめあげてくれていたのはさすがの腕前。来年もみることができますように・・・。

 専科からは轟悠さん、華形ひかるさん、風凪瑠海さんが出演。轟さんの高音が苦しそうなのがちょっと心配、存在感はさすがでした。『蘭陵王』、帰郷しなければ間違いなく観劇していましたが、帰郷しなければ『ファントム』を大劇場で観劇することはできませんでした。全部をかなえることは無理ですが、後悔のないよう、この世にいる間にできる限り観劇していきたいと思います。

 断片的な『タカラヅカスペシャル』思い出し日記、まだまだあるような気がしますがひとまずこれでおしまいです。またまた長文、失礼しました。




 

 

日韓自殺対策シンポジウムの後で

2018年12月26日 16時15分46秒 | 祈り
「2014年11月30日(日)手帳から

神経が高ぶっていてとがっていて毎日9-10時間働いていた時にはどうでもよかったことが気になってしまう。状況が普通ではないので仕方ない。かなり病的だが理由は明確なので病気ではない。引っ越しもしたいが今はやはり無理だ。示談の目途と次の方向性がみえてからだ。いくら示談金が出るかに人生の仕切り直しがかかっている。弁護士はあくまでも会社はシロだと主張し続けている。普通の人が普通に見たら真っ黒なことなのに、一般人にはとうてい理解できない世界に入り込んでいる。答弁書を読んでから気分が悪くてフラフラになっている。たぶんもう勝っているのに今は全く実感できない。断捨離を続けている。Y先生に助けられている。慶応義塾大学の通信教育の資料、几帳面な字で書いた大量の参考文献の写し、レポートにびっしり。これを全部手書きでやっていたのか。我ながらびっくり。一生懸命がんばってきたんだ、わたし。Mちゃんとのお別れの前も後もがんばってきた。でもその前後では旧約聖書と新約聖書ぐらい違う。教えられたことははかり知れない。だから今の闘いもやることができている。社会の仕組みとしてはあっているので、ハケンはおかしいことをおかしいでしょと言うことが本当に困難。消えることのない苦しみ、答えのないものを探し求めながら生きている人間は弱いけれど強いことを伝えられたらいいと思う、終わった時には。日韓の自殺対策シンポジウムに行ってきた。Mちゃんを思いながら涙が出る。

 2012年9月、三人一緒にお墓に入れて、母の遺品を整理していたら出会ったMちゃんの日記。その年の5月から始まっていて、死にたい気持ちが書かれている。姉に相談した、という記述もあってまともに読むことはできない。自分を責める気持ちがぶり返してくる。私は本当に自分を責めた。その日々を思い出すと自分のことなのに苦しい。事故、事件、災害で家族を失った人も自分を責める。あの時こうしていれば・・・と。でも自殺は責める対象がまっすぐ自分に向ってくる、という点でやはり特殊なのかもしれない。現場を見ているか、見ていないかでも大きく違う。比べるものではない。

 Mちゃんは心の闇夜に迷い込んでどんな思いでさまよい続けていたのだろう。自分なんかこの世にいない方がいいんだ、必要とされない人間なんだって自分を追いつめて、本当に自らを殺してしまった。私はなにもしなかった。電話をしてきた時はかなり弱っていた。私が何を言っても変わらなかったのかもしれない。でも、なんであの時冷たい言葉を放ったのか、この十字架をおろすことはできない。終わることはない。

 ようやく思う。Mちゃんの死の背景には、大きく考えれば弱い者を排除し、問題を解決していこうとする社会があったのではないか。ウチの家族固有のことにとどまらず、苦しみ、怒り、悲しみ、迷い・・・といったネガティブな感情を表現することが許されない利潤追求の社会。死にたがっている人を特別扱いして精神科や専門家に任せて社会から排除するのが医療モデル。悲しみや苦しみを抱えている人もいたっていいんだよ、身近な所で支え合い助け合っていくのが社会モデル。特別扱いして専門家任せにしない。Mちゃんに必要なのは社会モデルだったんだ。薬はちょっと助けてもらうだけ。家族でもなくネガティヴな感情を語れる場。指示されるのでもなく、ただ思いを語れる場。そういう場は残念ながら21年前なかったし、今もあまりない。大きく広く考えれば弱者が見捨てられていくのは高度経済成長期のツケなんだろうな。弱者を踏みつけて強い者が生き残っていく。そんな社会の流れは残念ながら止まらないことを雇い止めで痛感させられている。行政の限界を感じる。前例から大きく外れることはどんなに実態としてはそうであっても、そうだと強く言うことはできないのだろう。官僚制機構、なんともやり切れない。民間の当事者が声をあげてがんばっていくしかないんだ。私がMちゃんの思いを知ることはできないけれど私が伝えられることを、理不尽な目にあいながら何も言えなかった人の分を私が伝えて行こうと思う。発信していこうと思う。終わったら本当にもう少しきちんと体裁を整えて、高度経済成長期のツケ払いという観点から、弱い立場の者が見捨てられていく社会への警告とまではいわないが声を発信したい。それは一人ではやれない。

 自死遺族である私にこれから何ができるのか。どうやって自分にごはんを食べさせながら生きていくのか、答えは簡単ではない。どんどん持ち出し。人生の仕切り直しができるだけのものが引き出せるのか、今は不安先走り。私個人の力ではどうすることもできないので祈るしかない。落ち着かなくて苦しいが、がんばれワタシ・・・。高度経済成長期のツケ払い。個人固有の問題ではなく、苦しむ人、弱い立場の人を利潤追求の果てに切り捨てて行く社会の仕組みが背景にあるのではないか。雇い止めもMちゃんの亡くなったことも・・・。ようやくそこでビーズがつながってきた。」


ささやかなブログへの訪問ありがとうございます。ずっと部屋にいるのはよくないので巡回バスに乗り、ド〇ールへやってきました。落ち着いて少し本を読んだり、できればブログは外でお茶を飲みながら気持ちを切り替えて書きたいです。部屋には持ち込みたくないことは特に・・・。

 都心のちっそくしそうな部屋を引き払い実家に戻って一か月余りが過ぎました。車社会に適応できず、生まれ育った場所とはいえ、気がつけば人生の半分以上を駅から徒歩圏内で暮らした身には、半分は知らない場所に引っ越したきたようなもの。まだ美容にいくことができていません。どこにいけばいいかわからないのです。歯医者さんとかかりつけ医はようやくクリア。JR東日本のエリアから外れてしまったことも大きく、色々な変化にひとつずつ対応。ひとつずつ慣れていくしかありません。こんな不祥な姉を家に住まわせてくれるだけありがたい、わたしの名義も入れてもらったから権利といえば権利ですけど、とりあえずライフライン甘えています。これから先どうしていこうかと考えると、駅から徒歩30分、車の交通量半端なく危ないので遠からずまた部屋を借りなければならないかなと思います。徒歩圏内にはコンビニもないので、先ほどようやくド〇ールの近くのコンビニで履歴書と職務経歴書のPDFファイルをプリントアウトしました。極寒の中、年内にハロワにいくエネルギーあるかな・・・。飛び立っていくには荷物が多すぎるで部屋にいるときはひたすら断捨離と荷物整理。まだまだ捨て去るべきものがあって終わりはみえません。少しでも身軽になってまた飛び立ちたい。

 久しぶりに妹とのお別れのあとのノート日記数冊を読み返しました。そして、振り返ってみると直後からの日記はこのブログに綴っているし、一応デジタル化もしているので思い切ってお別れしました。まだお別れし切れていないものもありますが、人生の時間には限りがあるので、これからは本当に自分のために生きていきたい。そのためには捨て去り、忘れていくことも必要なのかなって、どうにかこうにか生き延びていけばそれで十分でなのかなって、ハードな業務経験を経て思うようになりました。

 先日中学時代のミニ同窓会があり、すっかりおじさん、おばさんになった仲間たちが10人ほど集まりました。30年以上前の集合写真をみても誰だかわからなかったり、老眼加速中で眼鏡をかけないと写真の顔を判別できないのはみな同じ。かつてはお互い小さなことに一喜一憂していたことがうそのようです。ここまでくるとほんとにそれぞれ。根本はみんな変わっていないのかな。いや歳月を生き延びてきただけ、積み重ねられたものはあると思います。すでに3人がこの世の人ではないことをあらためて知りました。昨年秋に交通事故で亡くなった男の子は、のちに振り返れば夏にあった同窓会の時様子が変わっていて、その時んはすでにあの世から呼ばれていたかのような動きをしていたとのこと。中学生時代のスナップをみながら、この時からすでに運命は決まっていたのだろうかと考えてしまいました。わたしに与えられた時間はわかりませんが生きるのみだと思います。

 2014年11月30日の手帳日記は、労働紛争でズタズタになりながら社会への怒りと悔しさのマグマがまだおさまらず沸々と噴火し続けていた頃に書いたもの。日韓自殺対策シンポジウムに出席した直後、熱い思いがわきあがっていました。使い捨て同然の契約終了となった元派遣労働者としてほんの少しだけ社会に顔を出し、また自死遺族として少しばかり動いたりしていた頃でした。この10カ月にわたる完全無収入の日々が結果的に大きいのですが、わたしには必要な時間でした。今冷静に振り返ると、弁護士たちが生活の保障をしてくれるわけではないのに乗せれてしまったと同時に、働いているときにはできなかった、自死遺族としてなにかできないかという思いを少しばかり実現できた期間でもありました。書いていることの内容はともなく、わたしなりに必死でした。怒りと悔しさのマグマから完全に抜け出すためにはハードな仕事と3年以上の月日が必要でした。わたしが元派遣労働者としても自死遺族としても外に顔を出すことはもうありません。大会社への怒りと悔しさ、その中でがんばりにがんばった自分の気持ちをしたためた手帳日記ともそろそろお別れてしていこうと思います。生きて延びていくこと、こうしてささやかなブログを続けていくことがわたしにできることかな・・・。

 昨日は花組の大量退団者発表に衝撃を受けました。紫ともちゃんの退団を知った時と同じレベルのさみしさを感じています。男前の仙名さんが娘役さんたちをしたがえて花の園を去っていこうとしているの図。お嫁さんたちにさられた男役さんたちはどうなってしまうのか。ヅカ日記は部屋に帰ってから書こうと思います。

 長文におつきあいくださり、ありがとうございました。