たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『マリー・アントワネット』

2018年12月11日 22時34分23秒 | ミュージカル・舞台・映画
 今日はこちらを観劇してきました、といっても帝国劇場ではないです、引っ越し前で余裕がなくパスしてしまった『マリー・アントワネット』。ロイヤル感たっぷりの帝国劇場はあの、ミュージカルの神様が宿っているような劇場の重厚な空間も含めて舞台なんだとしみじみなつかしみながらの観劇。わたし帝国劇場の座席に座っていると本田美奈子さんが見守ってくれているように感じるんですね、いつも。地方の劇場はミュージカル専用ではないし、こじんまりとしていて舞台との距離も近く、長らく帝国劇場で観劇し続けてきた身には不思議な感じでした。

 マリー・アントワネットとマリー・アグノー、王妃と庶民の娘、実は異母姉妹だった?二人のMAがフランス革命の動乱の中で交錯する物語。有名な首飾り事件など、マリー・アグノーという架空の人物をのぞけばほぼ史実通りなのかな。王妃が処刑されたことを知ったフェルセン伯爵が冒頭に登場し、回想するかたちで、アントワネットがオーストリアからフランスへ嫁ぐところから物語は始まりました。もう一人の主人公、マルグリットは登場から貴族社会と王妃への憎悪をたぎらせる人物として登場しました。等身大の王妃に共感できるだけに、王位を狙い国王夫妻を失脚させようともくろみ庶民を味方につけていくオルレアン公や首飾り事件の首謀者ラ・モット夫人にはめられ、庶民の憎悪の的になって革命にのみこまれていく様子が描かれている舞台は、一幕だけでもみていてかなり辛かったです。王妃が処刑されたあとのフェルセン伯爵に戻って物語は終わりました。問いかけの答えを出すのはわたしたちというような内容の歌で幕が下りましたが、効果音もリアルでおもく、この作品が問いかけているものがすぐには消化しきれいない状態。博多座で開幕し、帝国劇場公演もすでに終わっているこの作品、ご覧になった方々はどんな感想をもたれているのかな。

 『エリザベート』『モーツァルト』を手がけたミヒャエル・クンツェ、シルヴェスター・リーヴァイの名コンビによる芝居と楽曲は難易度が高く、名だたる方々がずらりと揃っていてレベルが高いのはさすがだと思いました。フェルセン伯爵と王妃の恋愛が、『ベルサイユのばら』、『1789~』と違って甘々の大恋愛シーンではなく、フェルセンは王妃に自分を取り巻く状況に気づくよう繰り返しさとす人として登場しました。古川雄大さん、ヴォルフガングを経てさらに声量があり骨太の歌唱ではじめてルドルフを演じた時から見違えるほどの成長ぶり、ビジュアルは最強でとっても目福なフェルセンでした。王妃が一途に愛する人としての説得力は十分でした。それだけに物語の流れとしては、もう一歩踏み込んだ場面がほしかったかなあ。

 笹本玲奈さんのアントワネット、長身にドレスが映えてすごく美しかったです。3月に『ジキルとハイド』で拝見しましたが、実生活で結婚・出産を経てさらにきれいになられたような。恐がるテレーズとルイ・シャルルを安心させてベッドに寝かせつける場面は、ベルばらのアントワネットの台詞にあったように、ほんとにごく普通のありきたりの母でした。両親亡き後マリー・テレーズは生き延びて結婚もしますが、王太子ルイ・シャルルは凄惨な運命をたどることになった史実を思うと一幕から痛ましく、ルイ16世処刑後アントワネットから引き離される場面は胸が張り裂けそうになりました。(このあたりのこと、2016年の『1789バスティーユの恋人たち』の観劇日記のなかで書き連ねたような気がします。)彩乃かなみさん演じるランバット侯爵夫人は、王妃の数少ない信頼できる人、最後まで王妃と運命を共にしました。清々しいランバット侯爵夫人でした。夫人が王妃の手を取り、神様を信じましょうと歌う場面は涙が出そうになりました。わたしは囚人ではありませんと囚われ後、教会に行くために外に出た夫人が、王妃の侍女というだけで民衆に殺されて首をさらされたのは史実でそれが描かれていたのも胸が痛くなりました。なかなかにリアル。

 史実の中で虚構として登場したマルグリット、私生児として生まれ母は自殺、父親はだれだか知らない、9歳で援助が突然とまり学費を払えなくなったので学校から追い出されたという背景を背負い、王妃へすさまじい憎悪を抱く人物でしたが、登場シーンからいきなり王妃への憎悪をみせているのは正直違和感がありました。崑夏美さんが難しい歌の連続を、ミュージカル女優らしい美しい歌唱ですべて完璧に歌いこなしていたのはさすがでした。吉原光夫さん演じるオルレアン公、坂元健児さん演じる革命派の詩人ジャック・エベールと組んで革命を煽動していき、嘘の王妃にまつわる醜聞を掲載した新聞をばらまくことに加担していきますが、囚われの身となった王妃を監視するために王妃のそばにいるうちに等身大の王妃の姿に少しずつ心が変化していきます。王妃が父から教わった子守唄を子どもたちに歌っているのを聴きながらいつしか自分も同じ歌を口ずさんでいたマルグリット。王妃の父はマリア・テレジアの夫フランツ1世。マルグリットはフランツ1世の愛人の子どもだった?という設定?マルグリットは王妃から渡してほしいとあずかったフェルセンへの手紙をフェルセンに渡すことはなく、オルレアン公とジャック・エベールにみせてしまい、王妃からルイ16世が処刑されたのはあなたのせいだと責められ、王妃の裁判では手紙をみせたことを否認します。このあたりでようやくマルグリットに共感できたかな。フェルセンが囚われの身となった王妃に会う手助けもしました。王妃が処刑されたあと、オルレアン公とジャック・エベールが国王夫妻を陥れるいための記事を新聞に書かせる契約をしていたことをロベスピエールら革命派に暴露し、最後二人はロベスピエールらにしょっぴかれます。この結末に少し救いがあるのかな。

 『1789~』ではダントンら革命派が庶民に伝えていくための手段として熱く描かれていた新聞が、この作品では王妃の醜聞を流し庶民の怒りと憎悪を王妃に向かわせるものとして描かれていました。なかなかに消化しきれず、思いつくままに書いてみました。美術は松井るみさん、『17898~』『るろうに剣心』もこの方、王妃のプチトリアンの場面、緑とメルヘンチックな舞台装置がきれいでした。王妃の寝室はベッドもベルサイユ宮殿で実際にみたものを想起させました。衣装は生澤美子さん、ウィッグはスタジオAD。東宝が力入れているのがよくわかる布陣。指揮は塩田先生。笹本さんがカーテンコールで、12年前は上演のなかったここで上演できるのを嬉しく思います。外はすごく寒いのでみなさん気をつけて、わたしたちも気をつけますと挨拶されました。二回目のカテコのあと、古川さん、ちゃんと笹本さんの手をとってはけていかれましたね。













 「フランス革命は、1世紀にわたる旧制度の下で徐々に準備された。旧制度末期のフランス社会は、第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(ブルジョアジー、農民など)から構成され、第一・第二身分と第三身分との対立が激化すると同時に各身分の内部にも分裂が生じ、ヨーロッパ諸国のなかでもっとも社会矛盾の激しい社会であった。

  聖職者は免税特権を与えられ、教区の住民から徴収される10分の1税がその主な収入であった。彼等は10分の1税からの収入を独占し、領地を離れてパリの宮廷で暮らす高級僧侶と、労働者と大差ない生活をしている下級僧侶とに分裂し、後者は前者に対して強い反感を抱いていた。

 貴族は免税特権を与えられ、その大部分が領主である関係上、領主権を有していた。第一身分同様、彼等も領地を離れて、パリで宮廷貴族として豪奢な生活を営む大貴族と小領主として農民と大差ない生活を営んでいる小貴族とに分裂していた。彼等の主な収入源は、領民から徴収される領主地代であったが、これはかなり前から一定の貨幣額に固定されていたので、当時のインフレーションのために、彼等の収入は実質的に減少していた。そこで、彼等は自己の特権の一層の強化た目論み、彼等の特権を削減しようとする絶対王政に反抗したのである。

 ブルジョアジーは、没落貴族から土地を購入した地主ブルジョア、官職を購入した官職保有ブルジョア、国家の徴税請負人として人民から租税を徴収する金融ブルジョワからなる上層ブルジョアジー、主として手工業に従事している中流ブルジョアジー、法律家、文筆家、作家、医者、教授などからなる自由業のブルジョアジーなど、幾つかの階層に分かれ、それぞれ異なる利害を有していたが、官職や名誉を独占している貴族に対して反感をもっているという点では一致していた。

 ブルジョアジーの下に都市の民衆と呼ばれる階層がいた。彼らは手工業の親方、職人、小店主、賃労働者などから成り、当時発達してきた大企業に圧倒されて、壊滅しつつある階層で「富める者」に反発し、万人の所有の平等を主張する平等主義の立場をとっていた。

 最後に人口の80%を占める農民がいた。彼等は中世の農奴と違って身分的には自由であったが土地に対しては不完全な所有権しか認められず、彼らの土地の所有権は領主に属していたので、彼らは領主に対して封建地代を支払う義務を負っていた。彼らの大部分は、自分の土地だけでは生活を維持できない零細農であったので地主から土地を借りる借地農をも兼ねていた。このような借地農民中最も多数を占めたのは、 メティエと呼ばれる農民で、彼等は地主に対して収穫物の3分の1 ないし2分の1を支払っていた。

 この他、封建領主や地主の土地を一括して借地し、日傭農を雇って資本主義的農業経営を営む富農や彼等に雇われる一日傭農がいた。革命前の農村で多数を占めたのは、零細農や貧農で、彼等は中世以来の農村共同体的慣行に従って、共有地を利用するなどして生活を支えていたが、18世紀末頃からの農産物取引の発展に伴って、共有地を私有地として囲い込むいわゆる「囲い込み」が彼等から土地を奪った。その結果、囲い込みに反対する農民暴動が革命前に頻発し た。 

 フランス革命は貴族の反抗によって開始された。そのきっかけを与えたのは、当時フランスが陥った財政難である。植民地をめぐるイギリスとの対立に由来する不断の戦争によっ て、フランスの国家財政は破産に瀕した。財政危機を打開するために 、歴代の財務総監は 聖職者・貴族の免税特権を廃止して、彼等にも課税する政策を試みた。貴族は高等法院を拠点としてこれに反抗し、政府が高等法院の権限を縮小させると、地方の高等法院が抵抗し、各地で暴動が起った。」

(通信教育教材『西洋史概説』より)