2017年11月2日記事、いわさきちひろ美術館に行ってきました
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f2e068fc144b023f7995a5ac28693b71
帰郷して二週間ほどになろうとしていますがまだまだ落ち着かず、まだまだ弱ったままで、まだまだ先のことは考えられず、なんとか生き延びている毎日。駅から遠く、車がないと動けないのがわかってはいてもきびしく、ド〇ール、行きたい、徒歩50分ぐらいか、はあっ、とため息。生かされていることに感謝ですけどね、浦島太郎は慣れないことばかりであたふた。昨年の11月2日に訪れたいわさきちひろ美術館の写真をようやく整理。まだ全部ではないので中途半端、ちょっとごちゃごちゃになっています。明日には全部整理できるかな。この時の展示もわたしの中でテーマはいまひとつでしたが、秋の陽射しが降り注ぐ中、ちひろさんに再会できた喜びに、幸せな時間を過ごしました。
『ちひろのひきだし』より、若かりし頃のわたしが繰り返し読んだ一文。この本、いまも売れ続けているんですね。ちひろさんのメッセージは受け継がれているのかと思うとむねあつ。
「ガキ大将のお弁当
私の行っていた幼稚園は、全部で4、50人という家庭的な小さいところだったが、その中で私は、何事も率先して走り回り、チャンバラをし、木に登り、穴を掘り、ガラスを割り、生傷の数もどの子どもにも負けなかった。しかし、そこにも私に張り合う乱暴者のガキ大将が一人いた。彼は、みんなに恐れられていたのだが、私は正義の味方として、ただ一人毅然と彼に立ち向かう男であった。
朝から遊びまわって腹ペコになった私にとって、お弁当の時間は何よりも楽しい一時だった。食事の前のお祈りの時、私はうす目をあけて、先生がお祈りの終わりを告げる言葉を今か今かと待ち続けていた。そして誰よりも早くカチャっという音をたてて弁当箱をあけるのが楽しみだった。
私のお弁当はいつも色とりどりであり、時にはおかずに図形が描かれていることさえあった。そしていつも、そのおかずのどこかに(猛さんが大好きな)例の蕪の葉の漬け物が入っていた。母の絵を楽しむことなどほとんどなかった私だが、このお弁当は毎日楽しみだった。
ところがある日、例のガキ大将が私のお弁当箱をのぞき込み、「なんでぇ、女の子の弁当みたいにちゃらちゃらしてさ」といって笑った。彼の弁当箱の中をのぞくと、それは黒一色だった。しょうゆをつけたノリが、ごはんの上に一面に敷きつめられていたのだ。彼は追い討ちをかけるように、「これが男の食べ物だ」と胸を張った。私は反論するどころか、全くそれこそ男の食べものだと感心してしまったのである。
その日、私は母にあしたからのお弁当は蕪の葉以外のものは入れないでくれと主張した。翌日、一面緑のお弁当を期待してあけたお弁当箱には、いつもよりいくらか緑のスペースは広かったものの、やはり楽しげにいろいろなおかずが並んでいた。私は再び母に、こういうものでは男として困るのだといい、翌朝のお弁当箱詰めを監視することにした。
その日、私はお弁当の中身を確認して、意気揚々と小さなバッグを肩からさげて小走りに幼稚園に向かった。バッグの中では弁当箱がカタカタと快い音をたてていた。
いよいよ待ちに待ったお弁当の時間がきた。私はガキ大将をそばへ呼び、おもむろに緑一面の弁当を見せた。彼は何も言わずに黒一色の弁当を食べ始めた。私も緑一色の弁当を食べ始めた。
ところが、一口食べたとたん、蕪の葉以外の味が口の中に広がった。私の弁当は二段重ねの構造になっていたのだ。下にごはんが詰められ、その上に、いつものようにいろいろなおかずが敷かれ、再びごはんの層があり、その上に蕪の葉がのせられていたわけだ。私はいささか不服ではあったが、その味はなかなかのものだった。
こうしたお弁当を何回食べたかはもう忘れてしまったけれど、母のことだから、蕪の下のおかずもいつものように楽しく飾られていたにちがいない。
うちも、決して裕福な家ではなかったが、少しでも栄養をつけさせようという母の気持ちは、今考えてもうれしいものである。そして、あのガキ大将がどんな気持ちで私のお弁当をながめていたのかと思うと、少し胸が熱くなる。」
(いわさきちひろ・絵、松本猛・文、『ちひろのひきだし-母の絵を語る』より)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f2e068fc144b023f7995a5ac28693b71
帰郷して二週間ほどになろうとしていますがまだまだ落ち着かず、まだまだ弱ったままで、まだまだ先のことは考えられず、なんとか生き延びている毎日。駅から遠く、車がないと動けないのがわかってはいてもきびしく、ド〇ール、行きたい、徒歩50分ぐらいか、はあっ、とため息。生かされていることに感謝ですけどね、浦島太郎は慣れないことばかりであたふた。昨年の11月2日に訪れたいわさきちひろ美術館の写真をようやく整理。まだ全部ではないので中途半端、ちょっとごちゃごちゃになっています。明日には全部整理できるかな。この時の展示もわたしの中でテーマはいまひとつでしたが、秋の陽射しが降り注ぐ中、ちひろさんに再会できた喜びに、幸せな時間を過ごしました。
『ちひろのひきだし』より、若かりし頃のわたしが繰り返し読んだ一文。この本、いまも売れ続けているんですね。ちひろさんのメッセージは受け継がれているのかと思うとむねあつ。
「ガキ大将のお弁当
私の行っていた幼稚園は、全部で4、50人という家庭的な小さいところだったが、その中で私は、何事も率先して走り回り、チャンバラをし、木に登り、穴を掘り、ガラスを割り、生傷の数もどの子どもにも負けなかった。しかし、そこにも私に張り合う乱暴者のガキ大将が一人いた。彼は、みんなに恐れられていたのだが、私は正義の味方として、ただ一人毅然と彼に立ち向かう男であった。
朝から遊びまわって腹ペコになった私にとって、お弁当の時間は何よりも楽しい一時だった。食事の前のお祈りの時、私はうす目をあけて、先生がお祈りの終わりを告げる言葉を今か今かと待ち続けていた。そして誰よりも早くカチャっという音をたてて弁当箱をあけるのが楽しみだった。
私のお弁当はいつも色とりどりであり、時にはおかずに図形が描かれていることさえあった。そしていつも、そのおかずのどこかに(猛さんが大好きな)例の蕪の葉の漬け物が入っていた。母の絵を楽しむことなどほとんどなかった私だが、このお弁当は毎日楽しみだった。
ところがある日、例のガキ大将が私のお弁当箱をのぞき込み、「なんでぇ、女の子の弁当みたいにちゃらちゃらしてさ」といって笑った。彼の弁当箱の中をのぞくと、それは黒一色だった。しょうゆをつけたノリが、ごはんの上に一面に敷きつめられていたのだ。彼は追い討ちをかけるように、「これが男の食べ物だ」と胸を張った。私は反論するどころか、全くそれこそ男の食べものだと感心してしまったのである。
その日、私は母にあしたからのお弁当は蕪の葉以外のものは入れないでくれと主張した。翌日、一面緑のお弁当を期待してあけたお弁当箱には、いつもよりいくらか緑のスペースは広かったものの、やはり楽しげにいろいろなおかずが並んでいた。私は再び母に、こういうものでは男として困るのだといい、翌朝のお弁当箱詰めを監視することにした。
その日、私はお弁当の中身を確認して、意気揚々と小さなバッグを肩からさげて小走りに幼稚園に向かった。バッグの中では弁当箱がカタカタと快い音をたてていた。
いよいよ待ちに待ったお弁当の時間がきた。私はガキ大将をそばへ呼び、おもむろに緑一面の弁当を見せた。彼は何も言わずに黒一色の弁当を食べ始めた。私も緑一色の弁当を食べ始めた。
ところが、一口食べたとたん、蕪の葉以外の味が口の中に広がった。私の弁当は二段重ねの構造になっていたのだ。下にごはんが詰められ、その上に、いつものようにいろいろなおかずが敷かれ、再びごはんの層があり、その上に蕪の葉がのせられていたわけだ。私はいささか不服ではあったが、その味はなかなかのものだった。
こうしたお弁当を何回食べたかはもう忘れてしまったけれど、母のことだから、蕪の下のおかずもいつものように楽しく飾られていたにちがいない。
うちも、決して裕福な家ではなかったが、少しでも栄養をつけさせようという母の気持ちは、今考えてもうれしいものである。そして、あのガキ大将がどんな気持ちで私のお弁当をながめていたのかと思うと、少し胸が熱くなる。」
(いわさきちひろ・絵、松本猛・文、『ちひろのひきだし-母の絵を語る』より)
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