goo blog サービス終了のお知らせ 

たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

星組台北公演千穐楽ライヴビューイング_思い出し日記(2)

2018年12月28日 22時55分01秒 | 宝塚
2018年10月28日(日)記事、星組台北公演千穐楽ライブビューイングhttps://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f5582fc3b81810d0b24b3d4b095fd5e5

2018年11月5日(月)記事、星組台湾公演大千穐楽おめでとうございます
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e2fabc3ea9e73e4f3c4b3c93c39f8b5f

 極寒の夜に思い出す、熱い熱い台湾公演、ライブビューイング。昨日ハロワに出かけたとき、郷里近郊の駅前の旅行会社に、1月の星組公演大劇場日帰りバスツアー出発決定、申し込みはお早めにのポスターが貼ってあるのが思わず目に留まりました。平日だけど最少人数はうまったんだ、わたしは早々に出発が確定したところで申し込んだのでこれより早くに観劇予定。先日参加証が届きました。雪に阻まれることなく無事に往復できますように・・・。

 こちらの記事の続きで、今日はショー『キラー・ルージュ/星秀☆煌紅』のことを。

 『Another World』との二本立てから、台湾公演を意識して作られたショー作品。東京宝塚劇場公演からいくつか変更点がありました。ノリノリの楽曲ばかり、台湾の客席が熱く、終始まるでコンサート会場のようでした。とにかく歓声がすごくって、ラインダンスでもすごい盛り上がりでした。日本だとNGな掛け声もあったかな。私なんかがいうのもヘンですが、とにもかくにも台湾のみなさんが楽しでくれてほんとによかったと思いました。

 7月の東京宝塚劇場で観劇したときも、東京宝塚劇場の千穐楽ライブビューイングの時も気がついたら終わっていた体感5分のスピーディーなショーでしたが、この時は「紅子、海を渡る」の全編アドリブコーナーが長かったこともあってか、たっぷり楽しめた感でした。

 盛りだくさんでしたが、真っ先に思い出すのはフィナーレで燕尾服の紅ゆずるさんが「望春風」を歌った場面かな。客席で赤いペンライトが揺れていたのは台湾ファンの有志によるはからいとのことですが、ライブビューイングのカメラが客席と最後の力を振り絞って歌う紅さんの表情アップを交互に映してくれていたので映画館にいながら自分も参加しているような感覚で胸あつでした。最後の挨拶で、「わたしの歌はガタガタでしたが、大きな拍手をありがとうございます」みたいなことを話されたと思いますが、怒涛の9日間連続公演の千穐楽、芝居では誰よりも台詞の量が多く、ショーでは誰よりも出番が多く、さらにアドリブで組全体と客席を見回しながら仕切っていく力はすごいと思いました。すさまじい体力と精神力、綺咲愛里さんとのデュエットダンスでは最後にキスシーンがくるという振付で、それでも息があがらないのはまるでアスリート。すごいですね。


(舞台写真は宝塚ジャーナルよりお借りしています。)

キラー・ルージュと怪盗ルージュの対決場面。七海ひろきさんの髪型が千穐楽でも黒のロングだったと思います。台湾でも公演毎に髪型とアクセサリーを変えていたみたいで心意気がすごい。色っぽくてかっこよいい女役でした。足が長くてパンツスタイルがはえます。



ロックサウンドにのって、天華えまさん、礼真琴さん、綺咲愛里さんが歌う場面。台湾語だったかな、中国語だったかな。



「紅子、海を渡る」のコーナー、プログラムではホール案内嬢達の楽しいセッションとだけあります。まずは紅子さんがスーツケースを引きながら登場、本名がほしの小路紅子であることが明かされ、42歳独身、紅ゆずるさんを追っかけて台湾まできました、と自己紹介だったかな。紅子さんがひとしきり客席をわかせたところで愛子に扮したパンツスタイルの綺咲愛里さんが立て札をもって登場。中国語だと思いますが自己紹介。紅子さんに「なんていったの?」ってツッコまれて、「愛子と申します。可愛いでしょ、って言いました」と。その後タピオカミルクティーを中国語で披露、さらには「わたしはタピオカミルクティーを飲みたいです」を中国語で披露。客席の拍手に嬉しそうな笑顔の可愛いこと、可愛いこと。何言ってるかわからないとツッコミをいれ、客席が受けるとがんつける紅子さんにタジタジなってだんだん舞台袖へとずれていく姿もひたすら可愛い愛子さんでした。愛子さんがひっこむと今度はスカート姿の礼子さんが走りながら登場。足が細くてびっくりでした。紅子さんが素で汗をいっぱいかいていて、「すごい汗、拭くわよ」ってハンカチを出して拭いたのはどのタイミングだったかな。ジェンヌさんが珍しい、よほど暑かったんでしょうね。長かったこのコーナー、アドリブに字幕が追いつかず、紅子さんが「字幕が全然出てないけど続けます」みたいな。愛子さんとのやりとりでは、中国語に無理に英語をまじえようとしたり、サービス精神満載のごった煮状態でした。礼子さんとのやりとりでは、二人で見事に揃った「excellet」を披露したり、前日の公演でもすごくウケたっていう話だったかな。礼子さんは礼真琴さんの名前と写真がはいった立て札をがっしりともっているところが頼もしい感じでした。この日の紅子さんからのクイズは、この中で宝塚歌劇団星組が演じた作品はどれでしょうか、という内容でした。「一、ドラゴンボール」って言ったときの紅子さんのツッコミを思い出せませんが客席は笑いにあふれていました。二番目はなんだったかな。三番目の「メイちゃんの執事」は紅さんのバウ主演作品なんですね。正解はもちろん三番目でした。礼子さんがドスのきいた声をまじえながら盛り上げようとしていて、全く言葉が追いつきませんが二人のやりとりが楽しくって仕方ありませんでした。(礼子さん、紅子さんにアドリブ力鍛えられ中ですね。)完全に時間オーバーでようやく終わりました。



紅ゆずるさん、最後の挨拶で美しい涙を流されました。



礼真琴さん、ダンスをすればキレッキレ。フィナーレの男役を従えての群舞で「情熱の嵐」がなくなっていたのが残念。その分ダンスの見せ場が増えたかな。



 赤ずきんちゃんの場面、「紅子、海を渡る」の直後、星空のもとでペガサスを待って少女の綺咲さんが歌うとペガサスが降臨してくる場面も素敵でした。紅パパが、ママに朝ごみ袋を持たされる場面も台湾語でした。紅パパの、「何言っているかぜんぜんわからなーい」「うちの奥さん台湾人なんです」も絶妙でした。

 ラインダンスの場面、客席が拍手喝采といった感じですごい盛り上がり。日本では手拍子だけなのでびっくりでした。ライブビューイングのカメラが真ん中で踊る有沙瞳さんの可愛い笑顔をアップでなんども映してくれたの、目福でした。男役さんがアップで映るとお化粧が違うのでちょっとこわかったかな。お化粧の地の色が娘役さんよりもかなり濃いんだなあと・・・。

 盛りだくさんな3時間余り、いや4時間ぐらいあったかな。ライブビューイング会場でもスクリーンを通して熱気が伝わってくる、とってもいい公演でした。紅さん率いる星組だからこその空気感かな。きりがないのでこれぐらいでおしまいにします。

 長文の連続、失礼しました。



苦しかった、長い道のりだった

2018年12月28日 16時14分19秒 | 祈り
 極寒の年の暮れ、冷たい風が沁みます。働いている方々は仕事納めの日。わたしは二足ぐらい早く1カ月半ほど前に仕事納め。よくがんばったよ、自分。がんばったらがんばっただけ、疲れてしまって歯の治療にいくのも億劫だったツケがまわてきていて、下の一番奥もかなり膿がひどいとわかり、今日からあらたに治療が始まりました。また働く自分になっていく道のりは遠いです。昨日家に帰って、どこで働くにしてもここから通勤するのは無理だろうなあと思うと気持ちが沈みました。一時間に一本の巡回バスを逃したらもうあとがありません。お正月の間に自転車を買うしかないと心に決めましたが、ハロワで言われた雨や雪の日はどうするのかときかれたら、やはりなす術がありません。かつてより交通量が半端ない信号のない道路を端っこを走り、車がビュンビュンとばしているところを必ず渡らないと駅に辿りつくことはできない場所に家はあるので不便すぎます。わかってはいましたが、駅近で暮らし続けた身には慣れていくのきびしいです。地元でいちばん大きな銀行は県外に出たらほとんど役に立ちませんが、ここではいちばん大きくって都市銀行が近くにないのもほんとに不便でこれは大変。ちっそくしそうな部屋を引き上げるのに20万円近くかかったし、生活用品はほとんど捨ててきたし、遺品整理も自分の荷物整理もまだまだあるので今すぐまた家を離れることは考えられませんが、遠からずまた飛び立つ日は訪れると思います。過去から解き放たれて飛び立ちたい。本当に自分のために生きていきたい。

 (巡回バスが走っているだけありがたい、おじいちゃん、おばあちゃん、通勤の足にしているおじさんや、通学の足にしている高校生を見かけるし、子どもちゃんはバスに乗るとほんとに嬉しそう。隣町は利用者が少なくって、消滅してしまったそうなのでまだありがたいですけどね、これだけが頼りという人たちがいるのは事実でありがたいですけどね、車社会は大変なり・・・)。

 13年前の精神保健福祉士の資格取得に向けて勉強を始めた頃の自分。大会社で二人分労働して疲れ果てた体に鞭を打ちながら歯をくいしばっていた私がいます。食いしばりすぎて歯ボロボロ。ここまでしないと自分で自分を納得させることができませんでした。長い間自分を許すことができませんでした。日記を読み返していると自分でも苦しくなりますが、過去から飛び立っていくためにここにしたためます。

「2005年1月14日(金)

 ねばらならない、ばっかり抱え込んでいる私がいる。12月の仕事の疲れ、そしてお正月の精神的な疲れが今でてきているようだ。神経過敏になって人の視線が気になる。本当は仕事に行くのがつらい。ボロボロになった神経はまだ癒されていない。
部屋に引きこもっている方がずっと楽だと思う。
でも、部屋に住むためには、自分で働いて稼がなければならない。
この事実はずっしりと重い。

この10年間、母に、妹に、とらわれ続けているわたしがいることをあらためて感じる。
抜け出せない、受け入れられない。
私には私だけの人生があって、
母には母の、妹には妹の人生があって運命があるのだと受け取められない。
今ももがき続けている私がいる。
ここが自分の中で落ち着かないかぎり新しい道は、見えてこないだろう。

毎朝起きると胃が痛い。
ぐっすり眠れている感じが全くないし、気分はうつうつとしがちだ。
それでも私は生きていかなければならないのだろう。

今日は金曜日。疲れちゃった。もう何も考えられない。

      PURE CAFEにて。」

「2005年1がつ15日(土)雨

とても寒くてつらいが、今日は元気だ。
7時間ぐらいは眠ったし、起きた時胃の痛みもなかった。
ゴスペルも楽しくて、もっとはじけたい。
昨夜はあんなにうつ気分だったのがウソのようだ。
本当に今の環境はつらいんだなあと思う。
強いストレスを受け続けて、神経はズタズタだ。
今どこの会社でもみんな疲れているのだろうか。
事務職で他へいこうという気はおきない。
結局、ただの雑用係だもの。
例えば、ケースワーカーという仕事。
今から勉強してなれるものなのだろうか。
若さがないし、福祉の勉強をしたことがない。
精神保健センターという所では、どんな人を必要としているのだろうか。
自分がきちんと食べていける社会的仕事をしたいと思う。」


 まわりまわって、運とタイミングで社会的仕事の入口に立つことができたのだから、この流れでいくか、仕事内容の前に郷里の生活に慣れずそもそも通勤できるのかで躓いています。どうしてもやりたいという仕事はありませんが、現場にいたいという気持ちはあり事務には戻れないかなあという感じはしています。流れをとめることなくいけるのか、道はまた自ずと開けてくるのか、今は全くわかりません。まずは明日以降またカフェで応募書面を見直さないとね・・・。


 昨日に引き続き、お見苦しいものを失礼しました。家に帰ったら息抜きに宝塚の記事を投稿しようと思います。