たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

久しぶりに都心へ

2018年12月14日 21時49分55秒 | 日記
 今日も朝から冷たい北風が吹く中、一時間に一本の巡回バスに乗り遅れたらアウトという緊張感の中、膿が出てきている奥歯が痛むのでトランクをひきずりながら歯医者へ。その後、予定どおり無事にぶらっとこだまでほんの一か月前まで暮らしていた街にやってきました。夕方は、通い慣れた眼科でコンタクトレンズを合わせなすのに時間がかかり、一時間ほど前にようやく毎週末すり減った心身を回復させるべく通っていたスパへ。駅から遠い田舎に引っ込んでしまったので、人生の半分以上をこの街で一人暮らしていたのが嘘のような、すごく遠いことのような気がします。一昨日の疲れがあり、一番近くても徒歩20分弱の店に散歩する気にならず、それでも少しは外に出ねばと奮起しても真っ暗で何にもありません。出会うのは犬の散歩している人だけ、他に歩いている人なんていないし、ざわめきから遠い生活。車を使わない限り、人がざわざわと集っている場所に行くことはできません。こりゃいかん。年を取ったら都会に住んだ方がいいのだとしみじみ。なんでも近くにあるってありがたいことだとしみじみ。

 かつては自転車で遠い駅までの道のりを通っていたような記憶があるのですが、久しぶりの郷里は車の交通量が格段に多くなり、信号もないのでがんがんとばしまくり、いつ車にひかれてしまうかとひやひやで、自転車も危ないとわかりました。一時間に一本の巡回バスだけが頼りでは、駅から遠い問題をクリアできず、結局また家を出て便利な場所に越さないと勤めにでることも無理なのだとわかり、どうしたものかと考えあぐねている毎日。先のことは今のところ全く目途立たず。弟は数年先便利な場所にマンションを買うつもりだと言っているので、不便な場所にあるデカい家に一人で暮らすことはできず、私も考えなければなりません。考えなければなりませんが、ここから先はどこを終の棲家とするかっていうことになってくるのでまだあまり考えたくないという気持ちもあります。24日の宙組千穐楽ライヴビューイングで今年の予定は終わり。年末年始は巡回バスも走らないので全くどこにも行くことができません。行く所もありません。せっせと断捨離の日々。年末年始もせっせと断捨離。

 昨日はようやく洋服を片付けるスペースを確保するために、母が残した何十冊もの日記を書いたノートをようやく廃棄。今さら読むべくもありません。どうして妹は死んでしまったのか知ろうとする必要もありません。全て過去のこと。私が残りの人生を生きていくために必要のないもの。母が記したことは母だけが知っていればいいのだと思い、胸の痛みがないわけではないですが全て廃棄。こういうものを残してはいけないですね。自分の日記も少しずつ廃棄。

 先日3年ほど前に、自死遺族として話をさせてもらうために用意した資料や大会社から使い捨て同然されてからの労働紛争のことを話してほしと言われて、伝えていくことが自分の役割なんだと意気込み用意した資料を見返していて、こんなものを人様に配ったのかと恥ずかしい限りでした。その頃は社会への怒りと悔しさのマグマが噴火していたので、わたしの中に凄まじい勢いがあり、勢いにまかせてやっていたのだと冷静に振り返ってみるとわかりました。ウルトラハードな仕事をしている間に、3年前の自分が何をしようとしていたのかすっかりぶっ飛んでしまい、思い出すのに時間がかかりました。一応電子ファイルは保存しているのでハードコピーは全て廃棄。少しずつ過去から身軽になっていきたいです。過去から解き放たれてまだまだこれからやりたいことをやれるのだと言い聞かせます。大会社で一緒に仕事をしていた方々に挨拶できていないことは引っかかっていましたが、ハードな仕事を経てどうでもいいと思えるようになりました。いい意味で価値観を変えてくれる仕事ではあったと思います。これからどうしていくのか、まずは明日フェルメール展。その前にこれからお風呂に入ったあと眠れるといいな。朝は9時に出ないといけないのでそれほどゆっくりできず。6時間ぐらい眠れるといいな。スリーピングペース、いびきどうでしょうか。一日一日、今は明日を楽しむこと、明後日はシアタークリエのあと、月曜日ハローワークに行かねばならないので荷物をもって移動しながらその足でまた郷里へ。束の間の、久しぶりな都心。明日はデパートで来年の手帳も買いたいし、ゆっくり楽しもう。上野までの経路をこれから確認。自分、この街で長らく一人でよくやってきたなあとしみじみ思う12月の一日でした。