たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2018年8月『フェルメール光の王国展2018』(2)

2018年12月01日 22時28分57秒 | 美術館めぐり
2018年8月『フェルメール光の王国展2018』



2018年8月12日(日)の『フェルメール光の王国展』、ようやく写真を全部整理しました。スマホで撮った順に整理しました。自分が撮ったのは必ずしも展示順ではなかったことに気づいた次第ですが、よろしかったらご覧ください。

 16日にシアタークリエで観劇した翌日ゆっくりと上野のフェルメール展に行こうとしていましたが、昨日ハローワークに出向いたところ、17日が初回認定日と告げられたので当日中に帰ってこざるを得えないことがわかりました。フェルメール展は前日でチケットを入手。離職票がおそいので仕方ないですが、都心ほど設定日数が多くないので仕方ないですがやや久しぶりの日比谷でゆっくりしたいという願いが叶わないこととなりました。まあそんな超特急でなくてもいいか。でもそんなにゆっくりもできないです。通っていた眼科にも行きたいので今回は二日間がやっとかな。ペーパードライバーなので身動きとれない田舎暮らしは喧騒から遠ざかってしまっているので、都心が恋しくさえあります。訪問で足腰を痛めたので帰郷前は断念したフェルメール展、帰郷したら、出かけるならこれまた思いっきり歩かざるを得ないので足腰痛いまま。車社会なので遠くがみえない私は轢かれそうになりながら歩いています。それでも見逃すわけにはいきません。入場指定制とはいえ土曜日だし、混むでしょうね。無事に上京して、無事にフェルメール展も観劇も楽しめますように・・・。

「フェルメールが、現代において最も高く評価されている作家の一人であることについては議論の余地がないだろう。なぜフェルメールはこれほどまでの人気を誇っているのか。そこには、幾つかの秘密があるように思われる。

 静謐な空気をたたえるその写実的な画風は、フェルメールの人気の大きな理由の一つである。フェルメールの代表作の一つ、《真珠の耳飾りの少女》。インスピレーションを受けて映画まで制作されたほどに、人々の心を惹きつける名画。2000年に大阪で開かれた「フェルメールとその時代展」で公開された時には、多数の観客が詰めかけた。少女の少し恥じらうような、それでいて何かを訴えかけるような表情は、一度見たら忘れることができないものである。

 数年前、オランダのハーグにあるマウリッツハイス美術館で、《真珠の耳飾りの少女》を鑑賞する機会があった。大阪の展覧会の喧騒とはうって変わって、行きかう人も少ないギャラリーの中。振り返れば《デルフトの眺望》があり、前を見れば《真珠の耳飾りの少女》が佇むという贅沢な空間の中で、至福の時間を過ごした。

 少女の瞳をじっと見つめているうちに、気付いたことがある。現代の写真に通じる鮮明なイメージの絵。しかし、詳細を見ると時に大胆な筆遣いがなされている。高度な技法で丹念に描かれていることは確かだが、同時に、一種の荒々しささえ感じさせるのである。

 とりわけ印象的だったのが、少女の目。斜め後ろを振り返りながら微笑むその表情には深い光があり忘れがたいが、よく見ると白目のところは筆の跡がわかるくらいの表現である。決して繊細なタッチを積み重ねただけの作品ではない。時に、フェルメールは思い切った飛躍をするのだ。

 生気に満ちて跳びはねるにもかかわらず、静謐な美しさがそこに現出するのはなぜなのか。希代の画家の秘密をそのコントラストの中に見いだしたような気がして、しばらく立ち去ることができなかった。

 フェルメールの絵においては表面に見えるものが全てではないというのは、技法だけのことではない。《真珠の耳飾りの少女》はもちろんのこと、《絵画鑑賞の称賛》、《窓辺で手紙を読む女性》、《地理学者》などの代表作に共通した何ものか。空気が凛とする音が聞こえるくらいに静かな美しさをたたえつつも、同時に胸を妖しくかきたてる秘密を隠しているように感じられるのである。

 描かれているのは、血が通い、胸を鼓動させ、宇宙の万物と息通う生身の人間たち。秘められた愛。あこがれ。絶望。裏切り。たくらみ。揺らぎ。不安。畏れ。私たちの生を彩るさまざまな隠された事情が、フェルメールの絵には封印されている。

 劇的な状況をそれと判るかたちで描く芸術はある。静かな美しさをそのまま定着させた表現もある。しかし、冷たさと温かさを奇跡的に同居させることに成功した芸術家は古来少ない。

 永遠に変わらないかと思われるような美しい配慮の中に、一瞬たりとも同じところに留まることのない私たちの命の切なさを託す。この頼りない地上の生の浮き沈みの中に留まりつつ、彼岸の香しい気配に触れる。

 泣いていい。疑っていい。嫉妬しても良い。猛り狂ってもかまわない。人間らしくありながら、なおも天上の美しさに至る秘儀を示しているからこそ、フェルメールの絵画は私たちにとってかけがえのないものであり続けるのだろう。茂木健一郎」

(小学館ウィークリーブック『西洋絵画の巨匠4フェルメール』より)