妄想による愉快な国際時事ネタ解釈
四生の盲者日記
【妄言】チベット―福田首相はもっと語れ【和文/朝日社説】
http://www.asahi.com/paper/editorial20080403.html#syasetu1
ものものしい警戒の中で、北京五輪の聖火リレーが始まった。平和の祭典がいよいよ近い。それを知らせるものなのに、世界の国々が中国に向ける視線は厳しさを増している。
チベット自治区のラサで起きた騒乱は周辺にも広がり、今もデモや衝突が伝えられる。数百人の僧侶が拘束されたとの情報もある。いったい何が起きているのか、肝心の中国当局から信頼できる情報が出てこないことにいら立ちは募るばかりだ。
中国政府は、騒乱はダライ・ラマ側の策動によるものとして強硬姿勢を崩さない。情報統制を続ける一方で、僧侶や住民の抗議行動を力で抑え込もうとしているように見える。
19年前の天安門事件を思い起こした人もいるに違いない。
いまの中国が持つ存在感の大きさは当時とは比較にならない。経済力はいうまでもなく、五輪を開催できるほどに国際的な信頼を得るに至った。そこには、人権を大事にする国へと中国が変わることへの期待も込められていたに違いない。
それを無にするような事態だ。国際社会が非難の声をあげるのは当然のことだろう。
チェコやポーランドなど、五輪開会式に首脳が出席しないという動きが広がっている。ブッシュ米大統領は出席の方針だが、議会には出席を取りやめるべきだとの意見も出ている。
この現実を中国政府はもっと深刻に受け止める必要がある。各国との経済面での相互依存が強まっているから非難はしのげるだろう。もし、そう見ているとすれば誤りだ。
中国はダライ・ラマ側との対話に極めて消極的だが、昨夏まで水面下での接触は続けていた。これ以上状況を悪化させないために、せめてそれを再開できないか。ダライ・ラマ側は「独立は求めない」と明言している。事態収拾に向けて、一歩でも歩み寄ることは不可能ではなかろう。
拘束した僧侶らを釈放する。自治権の拡大について住民と対話する。少しずつでも信頼を取り戻す余地はあるはずだ。
それにしても、福田首相がこの問題をはっきり語ろうとしないのは納得がいかない。「双方が受け入れられる形で、関係者の対話が行われることを歓迎する」。こんな発言では、何も言っていないに等しい。
胡錦濤・国家主席の訪日を5月に控え、できるだけ摩擦は避けたいという気持ちなのだろうか。だが、この問題の大きさを見誤ってはならない。
中国が国際社会から非難され、信頼を失うのは、隣国の日本にとって見過ごすことのできないことである。首相はチベット問題の深刻さを、もっと明確な言葉で中国に語るべきだ。
最後の一文が論旨をあいまいにしているものの、論点はまさに「暴支膺懲」。
今回のチベット独立運動武力弾圧騒動の中で、これは椿事といってよい。
先祖がえりしたのだろうか?
【雑感】爆笑!ダライのデマ写真【中文/新華ネット】
http://news.xinhuanet.com/photo/2008-04/03/content_7909437.htm
ラマ僧の衣装を持って集合する武装警官の写真
・3月なのに夏服を着ているのがおかしい
・肩章がない旧式の制服なのがおかしい
・2005年にはこの画像がでまわっていた(から今回の事件とは関係ない)
とネットユーザーが看破した、という記事になっているが。
そのレトリックだと、「そんなに前(少なくとも2005年夏以前)から、警官をラマ僧に成りすまさせて騒動を自作自演していた」自爆にしかならない。語るに落ちたというか。
【雑感】アムネスティの歪曲と攻撃に反対【中文/新華ネット】
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-04/02/content_7907912.htm
要約:
アムネスティインターナショナルの発表は捏造。
「中国政府は北京五輪で『安定』や『調和』を世界に演出するために、逆に人権弾圧を強めている」とする報告書への、実に直裁な反応。
ちなみに、捏造の根拠として、「中国は基本的自由に努力してきた、経済が発展し、2~3億の百姓が貧困から脱出している」といった、理由を上げている。
いい機会なので、中国の人権について、見直してみる。
まず初めに、世界人権宣言における基本的人権を最定義しておく。
ごく大雑把に分けて、次の3点が基本的人権である、として話を進める。
・自由権
・平等権
・社会権
このうち、自由権は
・人身の自由
・精神の自由(内面的:信仰、思想・良心、学問の自由。外面的:表現、集会・結社、通信の自由)
・経済の自由
に細分化できる。
関係ないが、表現の自由は「精神の外面的自由」に分類される自由権であり、日本国憲法ではこの自由権は国家によって抑圧されてはならないとしている。厳密にいうと「自粛」は表現の自由を侵したことにはならないので性質が悪い。
では、中国における基本的人権の実情はどうか。アムネスティが特集を組んでいるので、詳細はそちらを参照してもらうとして。ここでは、記事に添付された資料を基に見てみたい。
直訳:
中国人権保証事業は、法制化、制度化を続けている。
憲法を根拠に、中国は人権を保証した制度と法制化を進め、人権保障事業は法制化、制度化を続けている。
・生存権の法的保証
・人身の自由、人格尊重の法的保障
・平等権の法的保障
・信仰の自由の法的保証
・労働者の権益の法的保障
・経済、社会、文化その他の権利の法的保障
4つだけの基本的人権に対して、6項目羅列されている。
個別に見ていく
・生存権:社会権の一つであり、そのものではない。
・人身の自由:そのものである
・平等権:そのものである
・信仰の自由:自由権のうち内面的精神の自由の一つ、そのものではない。
・労働者の権益:社会権の一つであり、そのものではない。
・経済、社会、文化その他の権利の法的保障:分類不可能。
リベラルな人達は、日照権だとか、被害者の権利だとか、とかく基本的人権を勝手に拡大したがる傾向があるが、一番最後の項目もその手のノリかと思われる。
まとめてみる
新華社に見る中国における基本的人権の状況(認識)
○:認められている △:一部認められている ×:認められていない
・自由権
├人身の自由: ○
├┬精神の自由
│├内面的: △
│└外面的: ×
└経済の自由: ×
・平等権: ○
・社会権: △
結論:中国では自由権の一部(精神の自由、及び経済の自由)、及び社会権が制限されている。
そもそも、それらの諸権利の概念が、政府はおろか国民に正しく認識されていない。
資料がいい加減なのはともかく、本文を読んでみても書いている人間が「基本的人権」を正しく理解していないのが分かる。
そもそも、基本的人権のなんたるかを人民に教えていないのだから、書けるはずもない。
人民が権利意識に目覚めた日には、チベット蜂起どころの騒ぎではなく、80年代後半の民主化運動が再発するので、現在の体制が続く限り考えられない。
そもそも権利意識に目覚め時点で、人民ではなく国民と呼ぶべき。逆説的に言えば、精神の自由を制限している理由はそれだといえる。
義務を全うせずに権利だけを主張するバカはとにかく。逆に人権を意識せず、ただ体制に飼われている存在は奴隷と呼んだ方が実体に沿う。