http://www.asahi.com/paper/editorial20080111.html#syasetu1
越年国会という異例の事態をもたらした給油新法がきょう、決着する。
法案は参院本会議で野党の反対多数で否決されたあと、衆院に戻され、自民、公明の与党が3分の2以上の多数で再可決し、成立する見通しだ。実に半世紀ぶりのことである。こんな事態に立ち至ったのは極めて遺憾だ。
憲法59条は、両院で議決が異なった法案についてこう定めている。「衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、法律となる」。法的に問題はないというのは与党の言う通りだ。
だが、何でもかんでも3分の2で参院の意思をなぎ倒していいはずがない。そうなれば参院はいらないも同然だ。
再可決とは、政治の対立がどうにもならなくなった場合に憲法が用意した非常手段である。これを使うには、合意づくりへの立法府の最大限の努力と有権者の理解が欠かせない。参院の意思を覆すには、政治的な妥当性がなければならないのだ。
政府・与党が再可決の腹を固めたのは、昨年11月に福田首相と民主党の小沢代表との会談で浮上した「大連立」が決裂してからのことだ。
2人だけの会談では、自衛隊の海外派遣のための恒久法制定まで含めて妥協ができそうだった。それが大連立話が頓挫したとたん、与党は「もはや再可決しかない」、民主党は「対決路線」と突き進んでしまった。
アフガニスタンの現状を見据えて、日本としてどんな協力をすべきなのか。骨太の議論を戦わせ、民意を踏まえつつ与野党が修正案を練り上げていく。「衆参ねじれ」の時代に求められるのはそんな知恵と工夫だったはずだ。
そうした努力が尽くされたとは到底言えないのに、再可決という手法が使われることに私たちは賛成できない。
「ねじれ」の現実にうまく対応できないのは不慣れもあるだろう。だが、大連立、さもなくば再可決、というふうに政治が極端な方向にぶれるのは国民にとって不幸なことだ。肝心の政策論議が置いてけぼりにされてしまった。
与党が使う衆院の3分の2という勢力は、小泉元首相による05年の「郵政解散」で得られたものだ。それから首相はすでに2度も代わった。まったく違うテーマでその多数の力を振るうことに疑問を抱く有権者も多いのではないか。
民主党の責任も重い。
党内には、条件つきで給油容認の声もあった。なのに小沢代表が「違憲」と決めつけたため、現実的な修正の余地を狭めてしまった。そのあげく、対案が国会に出てきたのは年末ぎりぎりになってからだった。これではまともな論議にならなかったのも無理はない。
政府・与党にしてみれば、再可決でようやく懸案を打開できるということだろう。だが、無理押ししたことのツケはいずれ払わねばならない。
野党が自己崩壊するかたちで、新テロ対策特措法は衆院で再可決された。
OFE-MIO関連について、ここの社説を【妄言】として何度も取り上げてきたが、朝日新聞は「対テロ戦争、国際貢献、国際協調、安全保障」をどうしたらいいと考えているのか、さっぱりわからない。
支那事変の時同様、日本を孤立させたいのだろうか?
ちなみに、「給油=アフガン支援」といつものようにすり替えているが、日本政府はアフガン支援はアフガン支援で別に予算を組んで実行中である。