◆産経新聞 2005.12.10 18:01JST
http://www.sankei.co.jp/news/051210/kok071.htm
6日午後7時ごろ、広東省汕尾市東洲村で発電所建設に抗議していた住民が当局と衝突した。武装警察による銃撃などで20人が死亡、50人が行方不明。
10日付ニューヨーク・タイムズ一面
広東省汕尾市東洲村で起きた住民と当局の衝突事件で、地元当局が銃撃で死亡した住民の遺族に対し、金と引き換えに遺体の引き渡しを申し出ているとする住民の証言を伝えた。
発砲で多数の死者が出たことへの批判を避けるため、地元当局が事件を隠ぺいしようとしているとの見方が広がっており、遺体を隠す住民も出ているという。
10日付サウスチャイナ・モーニング・ポスト
筆者が天安門事件時に北京にいたという話は書いた事がないと思った。筆者は当時学生だった、どうもあれ以来PTSDを患ったらしく、いくらか冷静に考えられるようになったのはここ数年の事である。いまでも、細部は明確に覚えているのにも関わらず他の惑星の出来事のような気がしている。
最近、天安門事件を小説のネタにしたので仕方なく再検討したところ、どうやらあの事件の評価が自分なりにまとまり掛けて来た気がする。
筆者はどうやら基本的に、体制は構成員の基本的人権(ただの人権ではない)を保証すべきであり、法秩序の維持、公共の福祉の目的もそこにしかない、と考えているらしい。いや、こう書いてしまうとあたりまえなのだが、自分でこの結論に達するのに10年以上かかっている。
したがって、構成員の基本的人権を保障できない体制は、存在している価値がない。今回の事件についても、この考え方をあてはめるしかない。つまり、住民の生存権を侵害した時点で当局に酌量の余地はない。まあ、実際はもっと複雑で、住民がどの程度敵対行為をおこなったのか、おそらく詳報はこないであろうがそれを待つしかないのだが。
基本的に国民に銃をむけたら終りですよ。さて、どこにいくのだろう?
◆Yahoo headline(共同) 2005.12.09 13:22JST
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051209-00000128-kyodo-int
中国衛生省次官が、中国国内の臓器移植の大半が死刑囚から提供された臓器を使っていることを国際会議で確認。次官は「死刑囚本人と家族から同意を得ており、倫理的な問題はない」と強調。
筆者の個人的には本人と遺族が同意していれば、移植には問題ないと思いますが。その同意に至ったプロセスと、判決にいたったプロセスに基本的人権に関わる重大な問題があるのではなかろうかと。
次官の発言はずれてる気がするのですが、解ってて言ってますか、詭弁ですかそうですか。
東亜サミットは、宣言が出るまで保留。