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『関ヶ原合戦までの90日 勝敗はすでに決まっていた!』小和田哲男(PHP新書)

2014-11-30 21:29:53 | 歴史
関ヶ原には今年の6月に行った。
地元の歴史家が史料館を作っていて、等身大に近い変な武士の人形を並べていた。
とてもさびれた街という印象だった。

1600年の天下分け目の関ヶ原。
上杉征伐の名目で、石田三成に挙兵させた徳川家康の知略。
その後、西と東で勢力を集めた決戦。
九州では黒田如水の戦もあった。
各地での戦が関ヶ原に兵力を結集するのを妨げたとも言えるようだ。西軍のほうがその影響が大きかったんだろう。
態度の煮え切らない小早川秀秋に業を煮やした徳川家康が威嚇射撃をした。
それで小早川は東に味方し、勝敗が決した。
そのことが有名で僅差での東軍の勝利という印象があったが、関ヶ原だけでなく日本のあちこちが戦場だったのだ。

その中心地が関ヶ原。それを思うとあの奇妙な史料館にまた行きたくなる。

『石田三成 「知の参謀」の実像』小和田哲夫(PHP新書)

2014-11-30 00:06:51 | 歴史
NHKの大河ドラマ『軍師 官兵衛』で描かれる石田三成は悪役である。
豊臣家のことしか考えない官僚で、戦は下手だが、謀略や計算には長けている人物として描かれている。
そんな人物がどうして徳川家康と互角の兵力を集めることができたのだろうか。
それが最大の疑問だった。
この本を読むと、あのドラマの描かれ方の通りだと思うところと、ドラマの三成像は関ヶ原の勝者である徳川史観なのだと思うところもあった。

千利休切腹事件などは、明らかに光成が権力を獲得するために利休を嵌めたようだ。このあたりから策謀ばかりを考えているというイメージができたようだ。
しかし計数の才があったので、同じような計数の才がある者が集まったこととか、博多の街作りの基礎を作り、町を繁栄させていった手腕などプランナーとしての手腕もあったのだと思う。

秀吉との出会いである三献茶のエピソードがある。初めは秀吉がの鷹狩の疲れを癒すためにぬるいお茶を入れ、だんだん熱いお茶を出したという逸話。この話などは秀吉が信長のわらじを温めたのと同じように、細かな心遣いができる人間であることを示している。
また、皮膚病を患っていた大谷吉継との友情などは泣かせる。情の熱い一面のある人間だったのではないかとも思わせる。
歴史上、謎が多い不思議な武将である。