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●(小谷内毅珠洲市議)「珠洲に原発があれば、隆起で配管が破断し、大惨事になっていたのでは。…もし事故…、とても逃げられる状況ではなかった」

2024年03月27日 00時00分29秒 | Weblog

[↑ ※「地震列島の原発安全性に警告」(週刊金曜日 1457号、2024年01月26日号)]


(20240314[])
3.11の教訓は? 能登半島地震の「警告」を無視…《原発回帰》《原発復権》へと暴走する狂気なキシダメ政権。
 《東京電力福島第1原発事故の影響で、今も全国で約29千人が避難生活を送る》理由は何ですか? その多くが核発電人災による影響なのではないのですか。さっさと東電と政府が《原状回復》し、周辺に飛び散った全ての放射性物質を3.11以前のように福島第一核発電所の原子炉内に戻して見せてくれればよいだけなのに、キシダメ政権や自公お維コミは全くやる気なし。

 《圓龍寺塚本真如(まこと)住職(78)…「能登半島地震が起きてからは(原発計画を止めて)『西日本を救ってくれてありがとう』という電話がかかってくる。日本に原発を動かせる場所はない。本当にそう思います」》(東洋経済オンライン)。
 沖縄タイムスの【[社説]東日本大震災13年 命守る教訓をつなごう】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1322491)。《原発事故と地震の複合災害への備えは不十分だ。東京電力福島第1原発の事故を受け、原子力規制委員会は災害対策指針を策定。原発からの距離ごとに住民の避難計画を示した。だが、能登半島地震では道路が寸断され、唯一の避難経路が失われた。北陸電力志賀原発でもし事故が発生しても避難できない事態に陥ったのである。今年1~3月に共同通信が実施した原発に関する全国世論調査では、原発事故に備えて自治体が定める避難計画を「見直す必要がある」とした人は94%に達している。原発事故により福島県では今も7市町村で帰還困難区域が残る。第1原発の廃炉の道筋は見えず、除染で出た土などの廃棄物搬出も不透明だ。それにもかかわらず岸田文雄首相は原発回帰に転換した事故の教訓に背を向けているのではないか。…福島の原発事故を受け、各地で避難生活を送る人はいまだに約2万9千人に上る》。

 東洋経済オンラインの記事【能登地震、現地で見た「原発事故で避難不能」の怖さ 志賀原発とかつての原発予定地の現状が問うもの/青木 美希】(https://toyokeizai.net/articles/-/736154)。《日本では大きな地震の都度、「原発は大丈夫か」と懸念されるようになっている。新年早々に起きた能登半島地震からおよそ50日。最大震度7を観測した現地ではまだ大勢の住民が避難生活を続けているが、志賀原発周辺や原発予定地だった珠洲市はどうなっているのだろうか。原発事故の際、避難は可能なのかそもそも原発は地震に耐えられるのか。現地を訪れた》。

 琉球新報の【<社説>東日本大震災13年 教訓を確認し引き継ごう】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2887782.html)。《東京電力福島第1原発事故の影響で、今も全国で約29千人が避難生活を送る福島県では7市町村で原則立ち入り禁止のエリアが残っているかつての日常を取り戻す復興の歩みは道半ばだ。…日本世論調査会による世論調査によると、今後の原発利用について「今すぐゼロ」が4%、「将来的にゼロ」は55%で約6割が「ゼロ」を望んだ。理由を尋ねると「福島第1原発事故のような事態を再び招く恐れがある」が最多で80%だった。政府はこの結果を重く受け止めるべきだ》。
 東京新聞のシリーズ記事【雨風が吹き込み、横にもなれない家に「屋内退避」しろと? 原発事故対策の絵空事を能登で見た】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/314516)。《<連載・能登から見る 3.11後の原発防災>㊥ …能登半島地震では、2011年の福島原発事故後に見直された避難と事故対策のあり方に致命的な問題が露呈した。原発と共存できるのか、能登の被災地で考える》《◆「危険」を示す赤い紙が貼られた家屋… ◆破れた屋根「外にいるのと何も変わらん」… ◆放射性物質を防ぐはずの施設が機能喪失… ◆肝心の放射線量もデータが取れない… ◆「無計画な避難を避けるため」屋内退避を設定》。

   『●能登半島地震と珠洲核発電所建設計画凍結と断層の上に建つ志賀核発電所
      …「悪夢のような民主党政権」と比較して、今のキシダメ政権の無残さ
   『●能登半島地震と珠洲核発電所建設計画凍結と断層の上に建つ志賀核発電所
      …それでも再稼働・新規建設したいという核発電〝麻薬〟中毒患者ら
   『●【能登を襲った巨大地震/狙撃兵】《役立たずかと思うほど鈍くさい動き
     に、思わずこの連中に「人の心」は宿っているのだろうかと思うほどである》
   『●「想定外」!? 【震度5強の志賀原発で「想定外」続々…なのに規制委は
     動かない 「安全上影響ない」「一定の時間かかる」とは?】(東京新聞)
   『●斎藤貴男さん《日本列島は地震の巣なのに、原子力の利用を「国の責務」と
     うたうGX(グリーントランスフォーメーション)法案にかまけて》いた…
   『●これまでの教訓は何処に? 決して「想定外」と言う勿れ…能登半島地震
      と珠洲核発電所建設計画凍結と断層の上に建つ北陸電力志賀核発電所
   『●本当に賢明な判断だった…珠洲核発電所《建設を阻止したのは、住民らの長
     年にわたる根強い反対運動だった…無言電話や不買運動に耐えた阻止活動》
   『●石川県志賀町・稲岡健太郎町長「北陸電力は再稼働を目指すとのこと
     だが、首長として以前のように安全性をアピールすることは難しい」と…
   『●3.11東京電力核発電人災の教訓はどこに? 能登半島地震の警告は?
     正気だろうか? 東電に核発電所を運転する資格や能力は在るのかね?
   『●小出裕章さん《今回一番学ばなければいけないことは、志賀原発が止まって
      いてよかったということ。…原発が1年間稼働すれば、広島原爆が…》
   『●《志賀原発…すぐ近くで地盤が4m隆起…取水口が海面から離れることに
     より冷却水が取れなくなる恐れ…原発の建屋が損傷する恐れもあった》
   『●「閉じない環」破綻した核燃サイクル…《1993年から26回の延期…核
     燃料サイクル政策は要の再処理工場の稼働が見通せず、「破綻」》が露わ

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https://toyokeizai.net/articles/-/736154

能登地震、現地で見た「原発事故で避難不能」の怖さ
志賀原発とかつての原発予定地の現状が問うもの
青木美希
: ジャーナリスト
2024/02/23 9:00


     (倒壊した圓龍寺(珠洲市)の庫裡(くり)(以下、被災地の
      写真はいずれも1月20~22日、筆者撮影))

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日本では大きな地震の都度、「原発は大丈夫か」と懸念されるようになっている。新年早々に起きた能登半島地震からおよそ50日。最大震度7を観測した現地ではまだ大勢の住民が避難生活を続けているが、志賀原発周辺や原発予定地だった珠洲市はどうなっているのだろうか。原発事故の際、避難は可能なのかそもそも原発は地震に耐えられるのか。現地を訪れた。
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■原発建設予定地だった寺では住職の妻が下敷きに

能登半島の先端に位置する石川県珠洲市では1975年に原発立地構想が浮上した。関西電力は135万キロワット級の原発を高屋地区に、中部電力も寺家(じけ)地区に造る、と具体化させていったが、30年近くに及ぶ住民らの強い反対運動で計画は停滞。コスト増もあって2003年に両原発は計画断念に追い込まれた。

     (原発計画を断念した際に中部電力などの発表した
      資料から=2003年12月)

能登半島地震が起きた際、その高屋地区には住民や帰省してきた家族100人ほどがいた。震源地の近くだったこともあり被害は甚大で、山道は複数個所で崩落地区は孤立した。実際、原発立地予定地内だった圓龍寺を筆者が訪れたところ、住職らの住居になっていた庫裡(くり)は大きく崩れていた。

住職の妻は地震で下敷きになった。住職が引っ張りだしたが、妻の足は翌日から紫色に腫れ、「痛い痛い」と訴え続けていたという。

高屋地区の海岸では海底が2メートル近く隆起し、船が近づけない。1月3日になって自衛隊がゴムボートで上陸し、ヘリがけがをした住職の妻や体調の悪い高齢女性、出産間近の女性を金沢市の病院に搬送した。

集落はその後も孤立状態が続く。1月4日になると、起伏が激しい場所でも前進できる自衛隊車両のみが通行できる状態となった。5日には地元の有志が道路への倒木や地割れなどの補修を実施。10日ごろに自衛隊による道路補修用の砂利搬入が始まり、12日になってようやく集落の出口まで道路は開通した。


■現地で目の当たりにした地震の爪痕

筆者が高屋地区に向かったのは、発災から3週間後の1月21日である。

現地に行くまで、「高屋まで行ける」「行けない」と情報は錯綜。高屋とバイクで行き来していた男性の案内で車を走らせたものの、行く手には崩落箇所に鉄板を敷いた仮設道路しかない。道幅も車のすれ違いは困難なほど狭い。

     (高屋地区に続く道)
     (高屋地区の入り江。海辺が隆起し、岩礁が露出した)

細い砂利道を進み、山を越えると、眼下に高屋地区の入り江が広がっていた。しかし、青い海が広がっているはずの場所に海はない。海岸から数メートル先まで土地が隆起し、白い岩礁が露出しているのだ。

高屋漁港には数十センチ程度の段差が何カ所も生じていた。漁船が10数隻係留されていたが、船は岸壁より2メートルほども低い位置にある。はしごを掛けて降りなければ、乗り込めない。地震の前は普通の港と同様、岸壁からひょいと漁船に乗りこめる状況だったという。岸壁側が2メートルほど隆起したのだろう。

     (高屋漁港で並ぶ漁船)

地区を歩くと、屋根の瓦が崩れ落ちた家が多く、土砂崩れにのまれた家もある。住民の多くは避難し、約100人のうち残っているのは9人だった。

集会所に行くと、黄色いジャンパーを着た長靴姿の男性がきびきびと動いている。谷口直生(なおき)さん(38)。「この集落で一番若いので(働いています)」。電気も水道も復旧しておらず、1月1日から3週間も風呂に入っていないという。

けが人がいるのに救助の手がどこからも来ないという状態が発災直後に続き、車中泊を続けた人もいる。仮に珠洲原発の計画が頓挫せずに完成し、そして万が一の事故が起きたら住民らの避難路になっていたはずの道。そこが寸断し、当初は救助も支援もまともに来ない、かといって脱出もできなかった

そして筆者が訪れた3週間後でも水道、電気は回復していなかった。谷口さんも「珠洲原発があったら目も当てられない状態だったと思う」と言葉少なだった。

現地を案内してくれた珠洲市議の小谷内毅さん(63)はこう言った。

珠洲に原発があれば、隆起で配管が破断し、大惨事になっていたのでは。この国で原発を使うのであれば、隆起時の実験を行ってからにすべきだ。もし事故を起こしていたとしたら、とても逃げられる状況ではなかった


■圓龍寺の住職が語ったこと

珠洲市で原発立地計画が進んでいた当時、反対の声を上げた住民のリーダーの1人は、圓龍寺塚本真如(まこと)住職(78)だった。建物が壊れ、妻が下敷きになったあの寺だ。塚本さんは避難先だった加賀市内のホテルで取材に応じてくれた。

     (塚本真如住職。30代のときに原発の計画を聞いて
      勉強し、反対のリーダーを担った)

原発計画を聞いたとき、塚本さんは30代だったという。原発について知識がなかったため、原発建設の是非を自分で判断しようと、「推進派と反対派の本をそれぞれ100冊ずつ読んだ」そうだ。

福井県の敦賀原発など他の現場にも足を運んだ。敦賀原発は1981年に放射性廃液の大量流出事故もあり、女性たちが健康影響を心配していた。

うそを固めてできたのが原発と思った。どうしても『原発がいい』という結論が自分の中で出なかった

塚本さんらは原発建設予定地に土地を持つ人たちを説得し、そのうち数人の土地を共有化して容易に買収できないようにした。

「能登半島地震が起きてからは(原発計画を止めて)『西日本を救ってくれてありがとう』という電話がかかってくる。日本に原発を動かせる場所はない。本当にそう思います」

筆者は、志賀原発の状況も取材した。原発の入り口には他の原発と同様に検問所のようなゲートがあり、黒っぽい上下の警備員が歩いている。行きかう車の台数は他の原発よりも少ない。時折車両が行き来する程度で、警察官を輸送するバスの行き来のほうが目立つほどだ。

     (志賀原発1号機(右)と、再稼働を申請中の2号機)

北陸電力には内部取材について問い合わせているが、返事はなかった。原発そばにある原発PR館「アリス館志賀」を訪れると、職員2人が中から出てきて「入れません」「休館中です」と繰り返す。


■「北陸電力から情報が出てこない」

能登半島の住民や取材者の間では「北陸電力から情報が出てこない」とよく言われる。ホームページで資料を出してはいるが、東京電力のように記者会見のYouTube公開もない。志賀原発の海水の取水口が耐えられる隆起は20センチ+αとされているが、これも記者会見で質問を浴びた北陸電力が答えたことだ。広く一般には公開していない情報であり、会見に参加した記者たちが報道しない限り、住民も国民も知らされない

志賀原発の周辺も回った。

志賀町富来地区は震度7を記録し、甚大な被害が出た。瓦屋根が地面に接地している家、ブルーシートで入り口が覆われている家……壊滅的な風景が続く。乗用車が屋根に押しつぶされている家もあった。

原発事故が発生したら原発からおおむね5~30キロ圏内の住民は屋内退避するように、との方針を政府は示しているが、志賀町の状況を見ると、「屋内退避の非現実性が実感できる。

     (志賀原発から北に9キロの富来地区。
      屋根が崩れた家が目立った)

志賀町の避難所にいた高齢夫婦に話を聞くと、夫(86)は1988年着工の志賀原発で建設作業に従事していたという。能登半島地震の後でも原発は安全だと言い切る夫。その隣で妻(77)は「地震で揺れるたびに原発が心配です」と首を横に振る。

志賀町議の堂下健一さん(69)は、志賀原発から20キロの地点に自宅がある。地震の後は、周辺の県道51号線が土砂崩れとなり、孤立してしまった。自身を含めた住民は運よく土砂崩れの前に避難できたが、自宅にはその後、近づくことができない。

この県道は、石川県の防災計画で能登半島の北部に避難する「基本的な避難ルート」の1つとされているが、2月18日現在も通れないままだ。

堂下さんは言う。

「これで原発は、地震に対応できないことがはっきりしました。それが一番心配です」


■町人口は1万8000人、防護施設の定員は2500人

放射能を防ぐ防護施設も足りない。志賀町によると、町人口の1万8000人に対し、防護施設の定員は2500人しかない。原子力規制庁や政府、県の原子力災害時の現地対応拠点となる「オフサイトセンター」には今回の地震で1月1~2日の2日間に町民130人が避難に駆け込み、職員が対応する事態になった。避難施設ではないが、放射線防護機能があるためだ。県によると、2日夕方に避難所に移ってもらったという。

志賀町長の稲岡健太郎氏は「万が一の場合、全町民を受け入れる容量はない。施設を何倍も増設する必要がある」とし、志賀原発については「以前のように安全性をアピールすることは難しい」と語っている(東京新聞・2月4日朝刊)。

もっとも、被災地から遠く離れてしまうと、原発への懸念は消えたのか、再稼働による「原発回帰」の声が強くなる。

1月30日には関西経済連合会と、原子力発電所が立地する福井県の4市町(敦賀市、美浜町、高浜町、おおい町)の意見交換会が大阪市内で開かれ、エネルギー安全保障や経済を支える観点から国に原子力政策の推進を求めていくことで見解が一致した。

関経連の金花芳則副会長(川崎重工業会長)は「原発稼働を継続する重要性を再確認した」と発言し、美浜町の金花芳則町長は「今年策定される国の次期エネルギー基本計画に原発推進を明確に位置付けてほしい」と求めている。

翌31日には北陸電力の松田光司社長が「(能登半島地震でトラブルが相次いだ志賀原発は)安全上問題はなかった」「原子力は電力の安定供給や二酸化炭素排出の面から素晴らしい電源には間違いない。重要性は変わらない」と記者会見で語っている。

珠洲市や原発立地自治体の人たちは2月2日、原子力規制委員会に「能登半島地震の知見がまとまるまで、(各地の原発再稼働に関する)審査を凍結してほしい」と要望書を出したが、規制委の山中伸介委員長は2月7日の記者会見でそのような考えはないと拒んだ

     (原子力規制委の山中委員長=2月14日)

先述したように、国の原子力災害対策指針は、原発から5~30キロ圏内は「住民等が比較的容易に採ることができる対策」として屋内退避を掲げている。家屋や公共施設などの建物内にとどまれ、という意味だ。

しかし、今回の能登半島地震では屋内退避ができない場合が存在することが明らかになった。実際、規制委の山中委員長も地震後の会見で、「屋内退避ができないような状況が発生したのは事実だ。その点の知見をきちんと整理したうえで、もし、災害対策指針を見直す必要があれば、見直していきたい」と述べていた。


■発言から1カ月後に態度を一変

ところが、その発言からおよそ1カ月後の2月14日になると、山中委員長は「避難もできない、屋内退避もできないということは今回の検討の中では考えない」と発言。態度を一変させた。

家屋の倒壊が相次ぎ屋内退避もできない、道路が至るところで壊れて避難もできない。そんな状況が現実に起きたのに、規制委のトップが対応を考えない」というのだ。規制委が考えずして、いったい誰が被曝防護を考えるのか

東日本大震災に伴う福島第一原発の事故では、避難区域から餓死状態で見つかった人たちがいた。その教訓から学ばず、能登半島地震の教訓からも学ばないのであれば、また同じことが起きるかもしれない

国内では現在、12基の原発が再稼働しているが、さらに中国電力の島根原発2号機、東北電力の女川原発2号機が今年、8〜9月の再稼働に向けて手続きが進行中だ住民の命に直結する課題を棚上げにしたままで、日本は「原発を最大限活用する」(岸田政権)道を走り続けている


あおき みき / Miki Aoki
札幌市出身。北海タイムス(休刊)、北海道新聞を経て全国紙に勤務。東日本大震災の発生当初から被災地で現場取材を続けている。「警察裏金問題」、原発事故を検証する企画「プロメテウスの罠」、「手抜き除染」報道でそれぞれ取材班で新聞協会賞を受賞した。著書「地図から消される街」(講談社現代新書)で貧困ジャーナリズム大賞、日本医学ジャーナリスト協会賞特別賞など受賞。近著に「いないことにされる私たち」(朝日新聞出版)
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2887782.html

<社説>東日本大震災13年 教訓を確認し引き継ごう
公開日時 2024年03月11日 05:00

 東日本大震災から今日で13年となった。地震の規模を示すマグニチュードは日本の観測史上最大の9.0を記録し、死者1万5900人、行方不明者2520人、震災関連死は3802人に上った。


 東京電力福島第1原発事故の影響で、今も全国で約2万9千人が避難生活を送る。福島県では7市町村で原則立ち入り禁止のエリアが残っているかつての日常を取り戻す復興の歩みは道半ばだ

 今年元日には能登半島地震が起き、防災や減災に関する課題が多く浮き彫りになった。原発事故や津波などによって甚大な被害をもたらした東日本大震災の教訓を風化させてはならない。再確認し、将来に引き継いでいきたい。

 東日本大震災が残した大きな教訓の一つが原発に頼らないエネルギー政策、すなわち脱原発である。政府は震災後、「原発に依存しない社会」を掲げ、30年代に原発ゼロを目指すと宣言した。しかし現在、政府は原発利用を推進している震災の教訓を忘れたのだろうか。当初目標に立ち返るべきだ。

 日本世論調査会による世論調査によると、今後の原発利用について「今すぐゼロ」が4%、「将来的にゼロ」は55%で約6割が「ゼロ」を望んだ。理由を尋ねると「福島第1原発事故のような事態を再び招く恐れがある」が最多で80%だった。政府はこの結果を重く受け止めるべきだ。

 今も課題は山積している。使用済み核燃料、いわゆる「核のごみ」の最終処分地再処理工場の完成は不透明だ。建設中を含む国内19原発の30キロ圏にある自治体のうち18道府県計109市町村で、地震など災害時の緊急輸送道路が土砂崩れなどにより寸断される恐れがあることが共同通信社の分析で判明した。避難に不可欠な道路整備への十分な財政措置が求められる。東日本大震災の教訓を伝える語り部が、担い手の高齢化や資金難で継続が難しくなっている。

 能登半島地震では、電気や水道といったライフラインの耐震性の強化や、マンパワーや宿泊場所の確保などの課題が顕著だ。東日本大震災の課題と合わせ、行政と民間が一体となって課題の解決に取り組まねばならない。

 一方、沖縄では、最大クラスの津波発生時に被害が想定される「津波災害警戒区域」に、高齢者や障がい者ら「要配慮者」が使用する施設が少なくても628カ所ある一方、避難確保計画の作成は83カ所にとどまることが琉球新報の調べで分かっている。避難所に女性専用避難室などを設けている自治体は3市町村しかないことも判明した。要配慮者や女性の立場に立った避難計画が必要だ。

 私たち一人一人は、沖縄が強い地震や大きな津波に襲われた場合を想定し、普段から備えたい。避難方法の確認をはじめ、水や食料、燃料の備蓄、通信手段の確保などを実行することが肝要だ。
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●《史上最大の公害事件》…最「低」裁は《仮定に仮定を重ねて…国の責任を否定した。被害者が何を裁判に求めていたかに…向き合わず…》

2022年06月30日 00時00分29秒 | Weblog

[※ ↑【連載「6・17最高裁判決/原発被災者4訴訟】 (東京新聞 2022年06月11日)]


(20220626[])
添田孝史記者による、AERAの記事【原発避難者訴訟で最高裁が初判断「国の責任認めず」 争点は「津波の予見」できたのか】(https://dot.asahi.com/aera/2022062100013.html)。

 《「肩透かし判決だ」 判決言い渡し後、「『生業を返せ、地域を返せ!』福島原発訴訟(生業訴訟)」の弁護団事務局長の馬奈木厳太郎弁護士は、最高裁の正門前に姿を見せ、判決文を振りかざして怒った。高裁判決では判断が割れていた津波の予見可能性や、それに国が適切に対応していたかについて、最高裁が判断を示すと期待していた。ところが津波のリスクを国の規制権限でどう扱うべきだったか、十分検討せずに、国の責任を認めない結論を導いていたからだ。「もし対策を取っていたら防潮堤を造ったことだろう、それでは事故は防げなかっただろうと、仮定に仮定を重ねて、最高裁は国の責任を否定した被害者が何を裁判に求めていたかに最高裁は向き合わず、考え方を示すことを回避した。大変悔しい」》

 馬奈木厳太郎弁護士の言葉に尽きる。






[※ ↑ 朝日新聞 (2022年06月18日[土])]

 苦しむ市民を救わない司法、最「低」である。最大の戦犯・アベ様に気を遣う最「低」裁。

   『●馬奈木厳太郎弁護士《現在、賠償金は東電しか払っていない。
       国が『加害者』となれば賠償の在り方が根元から変わり
                      …政策に大きな影響》(1/2)
   『●馬奈木厳太郎弁護士《現在、賠償金は東電しか払っていない。
       国が『加害者』となれば賠償の在り方が根元から変わり
                      …政策に大きな影響》(2/2)
   『●やはり最「低」裁(第2小法廷・菅野博之裁判長)でした、というオチ
     …《原発事故で国の責任認めない判決 避難者訴訟で最高裁が初判断》
   『●「津波対策が講じられていても事故が発生した可能性が相当ある」
     ので国に責任なし ―――これはあまりに酷すぎないか、最「低」裁?


 最大の戦犯は未だにのうのうと政治家で居続けている。最大の戦犯・アベ様が、核発電所を新規に作りたいそうです…正気じゃない。その核発電所に「アベシンゾウ」とでも名付けては如何か?

   『●新高速炉「アベシンゾウ」…愚かな核発電「麻薬」中毒患者・
             核燃サイクル教信者の罪を後世に残すために
   『●(リテラ)「あの未曾有の福島第一原発事故を招いた
      “最大の戦犯”が、他ならぬ現内閣総理大臣・安倍晋三」
   『●東電核発電人災での国の責任も放棄…《あの未曾有の福島第一原発
       事故を招いた“最大の戦犯”》アベ様の責任は追及され続けるべき

   『●高松高裁原発避難者訴訟…《「長期評価」を真摯に受け止めていたら、
       遅くとも東日本大震災の前までに、さまざまな津波対策は取れた》

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https://dot.asahi.com/aera/2022062100013.html

原発避難者訴訟で最高裁が初判断「国の責任認めず」 争点は「津波の予見」できたのか
2022/06/22 18:00
添田孝史

     (東京電力福島第一原子力発電所の様子。左から4号機、
      3号機、2号機、1号機/2012年9月、朝日新聞社ヘリから)

 2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故から11年。各地に避難した人らが国と東電に損害賠償を求めた4件の集団訴訟で最高裁第二小法廷が17日、判決を言い渡した。AERA 2022年6月27日号の記事から紹介する。

原発事故、訴訟をめぐる主な出来事はこちら

*  *  *

「肩透かし判決だ」

 判決言い渡し後、「『生業を返せ、地域を返せ!』福島原発訴訟(生業訴訟)」の弁護団事務局長の馬奈木厳太郎弁護士は、最高裁の正門前に姿を見せ、判決文を振りかざして怒った。

 高裁判決では判断が割れていた津波の予見可能性や、それに国が適切に対応していたかについて、最高裁が判断を示すと期待していた。ところが津波のリスクを国の規制権限でどう扱うべきだったか、十分検討せずに、国の責任を認めない結論を導いていたからだ。「もし対策を取っていたら防潮堤を造ったことだろう、それでは事故は防げなかっただろうと、仮定に仮定を重ねて、最高裁は国の責任を否定した被害者が何を裁判に求めていたかに最高裁は向き合わず、考え方を示すことを回避した。大変悔しい」

 群馬訴訟の原告の一人、丹治杉江さんは「最高裁がきっと、原因と責任を明らかにしてくれる。一歩だけでも前進すると信じていました。こんな判決が出るとは思っていませんでした。どうしたらいいんだろうと呆然としています」と話した。


■史上最大の公害事件

 現在でも、福島第一原発の周辺には放射線量が高くて人が住めない「帰還困難区域」が335平方キロ(東京23区の約半分)もある。廃炉、除染、賠償など事故の後始末には約22兆円かかると推計されている。これは原発事故関連を除いた東日本大震災の被害約17兆円を超えており、今後さらに増えそうだ。最大16万人以上が避難を強いられ、今も多くの人が元の生活に戻れない。遠方へ複数回、長期間の避難を強いられた心労が、福島県だけで2300人を超える震災関連死の主因となった。

 この史上最大ともいえる公害事件を、誰が引き起こしたのか防げなかったのか

 それを追及するため、大きくわけて3種類の訴訟が起こされている。当時の東電幹部を業務上過失致死傷罪で強制起訴した刑事裁判(1審無罪)。東電の旧経営陣に対し、東電に賠償するよう株主が求めた株主代表訴訟。そして17日に最高裁で判決があったのは、住民らが国や東電に損害賠償や原状回復を求めた訴訟(集団訴訟)だ。

 集団訴訟は、住民らの避難先などに分かれ全国で約30件あり、そのうち4件(生業<福島>、千葉、群馬、愛媛)について、この日最高裁で判決があった。提訴から9年以上かかっている。

 高裁段階での争点は、福島第一に大津波が襲来することを予見できたかどうかだった。

 国の地震調査研究推進本部が2002年7月に発表した「長期評価」は、古文書には記録は無いが、福島沖でもマグニチュード8.2程度の大津波を起こす地震(津波地震)が発生しうると、地震学研究の成果をもとに予測していた。これにもとづくと福島第一の津波高さは15.7メートルになり、敷地高さ(10メートル)を越える


■津波の予見が争点

 一方、東電など電力業界は、事故が起きるまで土木学会の「津波評価技術」と呼ばれる津波予測の方法を使っていた。これは、東北地方太平洋側では、古文書に確実に残っている地震しか想定していない。「津波評価技術」にもとづいて、福島第一原発地点の津波高さは5.7メートルになる東電は想定していた。

 「長期評価」は、法律にもとづいた、国による公式な地震の予測だ。一方「津波評価技術」は、電力会社が費用を全額負担して土木学会に委託し、電力社員が中心になって取りまとめた何の法的裏付けもない予測である。しかし国は、自らが予測した「長期評価」より、「津波評価技術」の方が信頼できるとし、「だから高い津波は予見できなかった」と主張しつづけてきた

 「長期評価」と「津波評価技術」、どちらが信頼できるか、4高裁で評価はわかれた。仙台高裁(生業訴訟)は、「長期評価」を「津波評価技術」より重んじた。東京高裁(千葉控訴審)や高松高裁(愛媛控訴審)は、両者を同等に扱った。この3高裁は、津波は予見できたとして、国の責任を認めていた


■求められた厳密な立証

 東京高裁(群馬控訴審)は「長期評価の知見には、種々の異論や信頼性に疑義を生じさせる事情が存在していた」、一方で津波評価技術」について「確立しており実用として使用するのに疑点のないもの」と判断し、国の責任を認めなかった

 最高裁判決は、おそらく東京高裁(千葉控訴審)と同じように、「長期評価」と「津波評価技術」を同等に扱い、国の責任を認めるのではないか、と予想されていた。ところが、最高裁判決は、長期評価の信頼性については詳細な判断を示さず、それに備えた対策をしていたとしても事故は防げなかったとした。

 事故が回避できたかどうかについて、国は「3.11の津波は、長期評価が予測する津波より大きかった。だから長期評価の津波に備えていたとしても、事故は防げなかった」と主張していた。これを認めた形だ

 東京高裁(千葉控訴審)は、想定にある程度の余裕を持たせた対策をするのが一般的なので、「長期評価」に備えて防潮堤の建設や建屋の水密化などをしておけば、3.11の津波でも影響は相当程度軽減され、「本件事故のような全電源喪失の事態に至るまでのことはなかった蓋然性が高い」とし、国の責任を認めていた

 また事故が防げたか厳密に検討するためには、原発の詳細な資料が必要で、それは東電や国が持っているから、原告住民側が細部まで厳密に主張、立証することは難しい。そのため原告側が、一定程度の結果回避措置を立証すれば、それを東電や国が相当の根拠、資料で否定できない限り、事故は防げたと類推されるという考え方を仙台高裁は採用していた。

 しかし最高裁は、東京高裁や仙台高裁の考え方を退け、現実の津波は長期評価を基に予測した津波よりはるかに大きかったので、大量の海水が主要建屋に浸入し、実際に起きた事故と同じような事故に至っていた「可能性が相当にある」と判断し、国の責任はないとした。


■残る未解明な点

 最高裁で国の責任は認められなかったが、集団訴訟は2002年7月に発表された「長期評価」に国がどう対応したか、を主に争っており、それ以外の時期の国の動きや、東電とのやりとりについては、細かく調べているわけではない。

 来月13日には、株主代表訴訟の判決がある。株代訴訟では、もっと遅い時期に焦点があてられている。2008年7月に東電幹部が津波対策を先送りした経緯や、同じころに約1100年前に起きた貞観津波にどう対処したかなど、集団訴訟では大きな争点とならなかった問題も調べられている。

 裁判長らは昨年10月、裁判官として初めて福島第一原発の敷地内を視察するなどして結果回避の方法についても精査しており、東電元幹部ら個人の責任がどう判断されるか、判決が注目されている。

 また来年1月18日には、刑事裁判の控訴審判決も東京高裁であるが、ここも2008年以降の動きが中心になっている。

 国の意思決定過程でも、未解明なことは多い。たとえば2009年から10年にかけて、原子力安全・保安院長まで1100年前の津波が福島第一の敷地の高さを越えていたという最新の研究成果が知らされていた。ところがそれは事故まで放置されていた。検討すれば「(経産省の)資源エネルギー庁等から非難される可能性がありました」と当時の保安院審議官は東京地検に供述している。経産省は、実際に保安院に何か圧力をかけたのか、保安院が忖度しただけなのか、わかっていない。

 地震の揺れで損傷は無かったのか、津波後の対処をうまくやれば被害を少なくできたのではないか、などの点も徹底した解明が必要だろう。最高裁判決で終わり、にしてはいけない。(ジャーナリスト・添田孝史)

※AERA 2022年6月27日号
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●やはり最「低」裁(第2小法廷・菅野博之裁判長)でした、というオチ…《原発事故で国の責任認めない判決 避難者訴訟で最高裁が初判断》

2022年06月18日 00時00分03秒 | Weblog

[※ ↑【連載「6・17最高裁判決/原発被災者4訴訟】 (東京新聞 2022年06月11日)]


(20220617[])
片山夏子記者による、東京新聞の記事【原発避難者4訴訟 最高裁、国の賠償17日判断 「事故がなければおやじは死ななかった」福島・須賀川の農家、樽川和也さん】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/183817)。

 《トウモロコシの収穫で忙しくする福島県須賀川市の農家樽川和也さん(46)にとって、17日は特別な日となる。1人の原告として加わった東京電力福島第一原発事故を巡る被災者の集団訴訟で、最高裁が国の責任の有無を判断する。11年前の父の死がなければ、起こすことはなかった裁判。「東電とともに国の責任が認められ、双方のトップが事故の被害者にきちんと謝罪してほしい」。当日は収穫作業をしながら、判決を待つ。(片山夏子)》


   『●言葉が見つかりません…
    《須賀川市の野菜農家の男性(64)は、福島産野菜の一部に国の
     出荷停止指示が出された翌日の二〇一一年三月二十四日に自殺した。
     遺族によると、男性は原発事故後福島の百姓は終わりだ
     と話していたという》

   『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」
   『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
      「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」
   『●「原発さえなければ」「福島の百姓は終わりだ」:
          東京電力原発人災と自殺には因果関係あり

   『●「原発事故で奪われた生業と地域を返せ」…人災を
      起こした東京電力や政府は「原状回復」してみせたのか?
    《福島県須賀川市で八代続く農家の樽川和也さん…▼だが、
     福島第一原発の事故は、久志さんと先祖代々の
     情熱が染み込んだ土を汚した。地元産のキャベツが出荷停止に
     なったとの知らせが入った翌朝、久志さんは自ら命を絶った》

   『●原状回復できない現実: 「12万円で、あとはもう黙ってろ、
                 自然に放射能さがんの待ってろっつうこと」
    《とても、そんなんで済む損害じゃねえべ
     「《もう取り戻せない、償うことなどできない現実》…「原状回復」なんて
     決してできない「現実」だ。一体誰が「こういうふうにした者たち」なのか、
     こんなとんでもない「現実」を生み出した者たちなのか?
     誰一人、責任をとろうともしない」
    《土と生きる豊かな暮らしは、あの日、一変した。福島県須賀川市で
     農業を営む樽川和也さんは、東京電力福島第一原発の
     事故後まもなく父親を自死により失った。田畑も放射能で汚染された。
     東京で20日公開のドキュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」で
     苦悩を訴えている。もう取り戻せない、償うことなどできない現実を聞いた》

   『●「あれだけの事故を起こして被害を出して、
      だれか1人でも責任とってやめたか。申し訳ないと謝罪したか」
    《福島第一原発事故から5年。あの時、父親を自死により失った樽川和也さん
     が語るドキュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」…。制作者らが映画に
     込めた思いとは――。井上淳一監督、企画した馬奈木厳太郎弁護士、
     出演した白井聡・京都精華大専任講師(政治学)…》

   『●3.11東京電力原発人災から4年: 虚しき
     「地球にやさしいエネルギー原子力 人にやさしい大熊町」
   『●東電旧経営陣に無罪判決…《誰も事故の責任を取らなければ
         企業に無責任体質がはびこり、また同じことが起きる》
    《事故の影響で生活が一変した被災者からは怒りや失望の声が上がった
     …無罪判決を聞いた福島県須賀川市の樽川和也さん(44)は
     「全く納得できない」と憤る。樽川さんの父、久志さん
     (当時64)は、事故直後に自慢のキャベツが出荷停止になり、
     もう福島で農業はできないと悲観して自ら命を絶った》

   『●《今なお続く福島の「不条理」》: 東電の初期の主張は
     「無主物」…裁判所は《放射性物質…農家が所有》と言い放った
   『●《失われた古里》、失われた《本来は恵みをもたらす田畑の土》
                …原状回復して見せたのか? 誰か責任は?
   『●東電核発電人災での国の責任も放棄…《あの未曾有の福島第一原発
        事故を招いた“最大の戦犯”》アベ様の責任は追及され続けるべき


 「あれだけの事故を起こして被害を出して、だれか1人でも責任とってやめたか申し訳ないと謝罪したか」!
 誰も責任をとらない…。《誰も事故の責任を取らなければ企業に無責任体質がはびこり、また同じことが起きる》。いまの政治状況と全く同じ。アベ様らの《無責任体質》、腐敗が連鎖。最大の戦犯は未だにのうのうと政治家で居続けている。《火事場ドロボー》として戦争を煽っている。最大の戦犯・アベ様が、核発電所を新規に作りたいそうです…正気じゃない。「アベシンゾウ」とでも名付けては如何か?
 核発電「麻薬」中毒患者の皆さんのやることはデタラメばかり。最「低」裁を頂点とした裁判所も「司法判断」を放棄し、アベ様らに忖度した「政治判断」を繰り返してきた。
 「原発さえなければと思います」―――《原状回復》なき《原発回帰》は許されない。

   『●馬奈木厳太郎弁護士《現在、賠償金は東電しか払っていない。
       国が『加害者』となれば賠償の在り方が根元から変わり
                            …政策に大きな影響》(1/2)
   『●馬奈木厳太郎弁護士《現在、賠償金は東電しか払っていない。
       国が『加害者』となれば賠償の在り方が根元から変わり
                            …政策に大きな影響》(2/2)



 ……………………………………………………… でっ、やはり最「低」裁(第2小法廷・菅野博之裁判長)でした、というオチ…《原発事故で国の責任認めない判決 避難者訴訟で最高裁が初判断》。
 アベ様の息のかかった最「低」裁、本領発揮。期待した私がバカでした。あぁ~あ、《東電核発電人災での国の責任も放棄…《あの未曾有の福島第一原発事故を招いた“最大の戦犯”》アベ様の責任は追及され続けるべき》。
 東京新聞の記事【原発事故で国の責任認めない判決 避難者訴訟で最高裁が初判断】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/183789)によると、《東京電力福島第一原発事故によって被害を受けた住民や福島県内から避難した人たちが、国に損害賠償を求めた4件の訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は17日、原発事故について国の賠償責任を認めない統一判断を示した。全国で約30件ある同種訴訟への影響は必至だ》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/183817

原発避難者4訴訟 最高裁、国の賠償17日判断 「事故がなければおやじは死ななかった」福島・須賀川の農家、樽川和也さん
2022年6月17日 06時00分

     (トウモロコシを収穫する樽川和也さんは「国と東電の責任が
      認められるのは当たり前」と話す=福島県須賀川市で)

 トトウモロコシの収穫で忙しくする福島県須賀川市の農家樽川和也さん(46)にとって、17日は特別な日となる。1人の原告として加わった東京電力福島第一原発事故を巡る被災者の集団訴訟で、最高裁が国の責任の有無を判断する。11年前の父の死がなければ、起こすことはなかった裁判。「東電とともに国の責任が認められ、双方のトップが事故の被害者にきちんと謝罪してほしい」。当日は収穫作業をしながら、判決を待つ。(片山夏子


◆人間の造ったものは必ずぼっこれる。福島の百姓はもう終わりだ…

 「おめえに間違った道を継がせたな」。2011年3月23日夜、和也さんは父久志さんが漏らした一言を忘れられない。父との会話はそれが最後だった。

 その日夕方、久志さんが力を入れていたキャベツの出荷停止を告げる県の文書がファクスで届いていた。夕食後、久志さんは珍しく茶わんを洗った。翌朝、暗いうちに寝床を抜け出し、自ら命を絶った。64歳だった。

 11年3月12日に福島第一原発1号機が水素爆発した様子を、久志さんはテレビで食い入るように見ていた。「人間の造ったものは必ずぼっこれる(壊れる)。福島の百姓はもう終わりだ」。よく冗談を言っていた久志さんの口数は減り、朝起きると吐き気を訴えるようになったという。

 ホウレンソウ、カキナ…。放射能汚染で県産野菜の出荷停止は増え、出荷直前だったキャベツ7500個も廃棄を余儀なくされた。久志さんは亡くなる直前に畑を見て回ったのか、携帯の歩数計は680歩を示していた。

 出荷できなくなった畑は黄色の花で埋まり、育ちすぎたキャベツが「バリッバリッ」と音を立てて割れた。和也さんは母美津代さん(72)と、久志さんの日誌を頼りに作業を続けた。「汚染した表土をすき込んでいいのか。出荷できるのか」と、作物の汚染を疑うのは切なかった


◆11年もたつのに誰も責任を取ってねぇべ

 久志さんが作っていた寒キャベツは地元で評判が良く、直売所ですぐ売り切れ、学校給食にも使われていた。「1センチ作るのに100年かかる」は久志さんの口癖。「子どもたちに安全でうまい野菜を食べさせるのが、おやじの誇りだった」と和也さんは目を細める。

 久志さんの死は震災関連死と認められ、東電とも和解したが謝罪はなかった。和也さんは「原発事故がなければおやじは死ななかった11年もたつのに誰も責任を取ってねぇべなのになんで国は再稼働しか考えてねぇのか」と憤る。

 美津代さんは、久志さんが亡くなった時の姿を忘れられないと声を震わせる。「黙っていられないと思った原発事故で放射性物質がまき散らされ、国も東電も責任あるべ

 和也さんが久志さんの死後に栽培を始めたトウモロコシは甘く、直売所で飛ぶように売れるほど評判になった。裁判が終わったら、父に伝えたいという。「農業を継いだこと、俺に後悔なんてあるはずがねぇよ


原発被災者訴訟 東京電力福島第一原発事故後、被災住民らが東電と国に賠償を求めて起こした集団訴訟は約30ある。うち福島、群馬、千葉、愛媛の4訴訟(原告計約3700人)について、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は17日、「国が巨大津波を予見し、東電に対策を講じさせれば事故は防げたかを判断し、国の賠償責任の有無を判決で示す。この統一判断は他の訴訟に大きな影響を与える。東電の賠償責任は最高裁第2小法廷(同)が3月に東電の上告を退けて確定し、4訴訟の賠償金は計約14億円。


【連載】「6・17最高裁判決/原発被災者4訴訟」
<福島>「歩く風評被害」と言われても、私は逃げない 覚悟決めた 原発事故被災者福島訴訟の中島孝原告団長
<群馬>「悔しいから、くじけなかった」 原発事故被災者群馬訴訟の原告・丹治杉江さん
<千葉>「ふるさと奪われ、なんでこんな仕打ちを…」 原発事故被災者千葉訴訟の原告・南原聖寿さん
<愛媛>「若者が希望持てる判決を」 原発事故被災者愛媛訴訟の原告・渡部寛志さん
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/183789

原発事故で国の責任認めない判決 避難者訴訟で最高裁が初判断
2022年6月17日 14時38分

     (判決前に最高裁正門前で集会を開いた原告たち
      =17日午後、東京都千代田区で)

 東京電力福島第一原発事故によって被害を受けた住民や福島県内から避難した人たちが、国に損害賠償を求めた4件の訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は17日、原発事故について国の賠償責任を認めない統一判断を示した。全国で約30件ある同種訴訟への影響は必至だ。

 4訴訟は国と東電を相手に福島、群馬、千葉、愛媛で起こされ、高裁段階では群馬以外の3件で国の責任が認められていた。東電の賠償責任については今年3月に最高裁で確定し、賠償総額は4件で計約14億円となっている。

 主な争点は、巨大地震による津波を予見できたかと、対策を講じていれば事故を回避できていたか

 原告側は、福島沖を含む範囲で津波地震発生の可能性を予測した政府の地震調査研究推進本部による「長期評価」などに基づき、防潮堤の建設や重要機器室への浸水を防ぐ「水密化」を行っていれば事故は防げたとし、国は東電に対策を指示する義務があったと主張していた。

 一方、国側は、長期評価は信頼性が低く、津波は予見できなかったと反論。長期評価に基づいて想定された津波と実際の津波とは規模や方向が異なり、対策を講じても敷地への浸水は防げなかったと主張していた。

【関連記事】原発避難者訴訟 争点は
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●朝鮮人虐殺…黒澤明監督「何をかくそう、その変な記号というのは、私が書いた落書きだったからである」

2017年09月04日 00時00分41秒 | Weblog


リテラの記事【黒澤明も証言、関東大震災時の朝鮮人虐殺は紛れもない事実だ!小池百合子、ネトウヨの歴史修正に騙されるな!】(http://lite-ra.com/2017/09/post-3425.html)。

 《〈人の手で虐殺された犠牲者も自然災害によって命を落とした犠牲者と同じ、よって虐殺された朝鮮人らへの別途追悼の辞は手間だ不要だと言っているのに等しい。〉〈大震災など非常事態時に流言飛語が飛び交うことがあるという歴史の教訓、朝鮮人や中国人に対する差別・偏見が無辜の人々の命を奪う行動にもつながったという過去の歴史的事実目をそむけるものである。〉…そのなかの「証言者」の一人に、世界的映画監督・黒澤明がいる…〈関東大震災は、私にとって、恐ろしい体験であったが、また、貴重な経験でもあった。それは、私に、自然の力と同時に、異様な人間の心について教えてくれた。〉…〈しかし、恐怖すべきは、恐怖にかられた人間の、常軌を逸した行動である。〉…虐殺を引き起こした朝鮮人暴動デマは、警察が拡散! 正力松太郎も加担》。


 《小池百合子、ネトウヨの歴史修正に騙されるな!》…いや~もう手遅れでしょう。騙されるというよりも、ヘイト体質、石原慎太郎氏や橋下徹氏、松井一郎氏に続き、トンデモの「ト」知事に認定です。

   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
     基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
    《■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇
    《登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた
     地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の
     関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』
     などのデマが瞬く間に広がった市井の善人がうのみにし、軍や警察と
     一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』
     『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。
     琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない

   『●自民党亜種トファの小池都知事が「震災時に
      朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」を…
   『●瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし…
     上原正三さん「琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない」
    「瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし、警察や軍人らと共に狂気の暴走…
     「怪獣使いと少年」の脚本を書いた上原正三さんは「琉球人の俺も、
     いたらやられていた。人ごとではない」と。「関東大震災朝鮮人虐殺事件」は、
     とんでもない史実であり、反省の意味を込めて、長く記憶され、
     語り継がれなければならない。歴史を抹消し、修正することは許されない。
     「数」の議論に落とし込んでよいような事件ではない。「震災死」と
     同一視して良いものではなく、「人災」と呼ぶ人も居る。悍ましい虐殺だ」

 歴史否定につながる判断…トファ小池百合子東京「ト」知事。「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断った理由がどうやら、古賀俊昭議員(自民)による「ト」な都議会一般質問に共鳴したためのようです」。《こうした過去の悲劇と加害の事実を曖昧にし、行政がヘイトクライムに加担したことへの反省を無に帰すものというほかない。それどころか“虐殺否定論”に立つ歴史修正主義勢力を勢いづかせ、朝鮮人や韓国人に対する憎悪を掻き立てさえするものだ》…小池「ト」知事の愚行。《こうしたヘイトデマ・ヘイトクライムの流れに同調する人間に、知事たる資格など断じてない》!
 そして、【報道特集】(2017年9月2日)を見て驚きました。墨田区議会議員大瀬康介氏は「虐殺はないです…作り話です…ありませんね、無いです」…。タマゲタネ、「数へのイチャモン」でも酷いのに、歴史・史実の全否定とは…トファ小池都知事もそれを肯定しているの? いよいよ「ト」知事化する…。史実否定、そして、「怪獣使いと少年」に学ばない本質的愚者。

 同番組では、さらに、神奈川県での朝鮮人らに対する迫害・虐殺についても報道。鶴見警察署大川常吉署長は、「朝鮮人約300人と中国人約70人を鶴見警察署内に保護」した人物」。暴徒から匿ったことに対する非難に、「鮮人の反乱事件は何かの理由により発生した全く根もなき流言蜚語と断定します…たいした謀等起こすべき事絶対無い者と確信します…署は飽く迄も之を保護します」。大川さんのお墓のある東漸寺には、在日朝鮮人の団体による顕彰碑「故大川常吉氏之碑」が建てられた。

   『●『抵抗人名録 私が選んだ77人』読了(2/2)
    「朴慶南さん、「石原慎太郎の「三国人発言」などに
     怒りを露わにする彼女」。兄貴分は梁石日。
     「暴徒と化した日本人から朝鮮人のいのちを守った横浜の
     鶴見警察署長、川常吉のことを知り、ペンで顕彰した」」

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http://lite-ra.com/2017/09/post-3425.html

黒澤明も証言、関東大震災時の朝鮮人虐殺は紛れもない事実だ! 小池百合子やネトウヨの歴史修正に騙されるな!
2017.09.01

     (黒澤明『蝦蟇の油』(岩波書店))

 1923年9月1日の関東大震災発生から、94年が経過した。大地震の混乱のなか、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」等のデマが広がり、日本人らが多くの朝鮮人を惨殺した。いわゆる“朝鮮人虐殺”である。
 しかし、本サイトでも既報のとおり、小池百合子都知事は、本日、東京都墨田区の都立横網町公園で行われる朝鮮人犠牲者の追悼式典をめぐり、都知事が例年送っていた追悼文を拒否。先月の会見でも「様々な被害で亡くなられた」「様々な歴史的認識がある」などと述べ、朝鮮人虐殺という歴史事実への言及を、あからさまに避けていた
 これを受けて、追悼式典を主催する「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」も先月に抗議声明を出している。

   〈人の手で虐殺された犠牲者も自然災害によって命を落とした
    犠牲者と同じ、よって虐殺された朝鮮人らへの別途追悼の辞は
    手間だ不要だと言っているのに等しい。〉
   〈大震災など非常事態時に流言飛語が飛び交うことがあるという
    歴史の教訓、朝鮮人や中国人に対する差別・偏見が無辜の人々の
    命を奪う行動にもつながったという過去の歴史的事実に目をそむける
    ものである。〉(抗議声明より)

 あまりにも当然の抗議だろう。実際、小池都知事の決定の背景には、近年、ネット右翼や右派市民団体を中心に拡散されている「朝鮮人虐殺はなかった」なる“虐殺否定論”がある。
 たとえば、都議会で都知事の朝鮮人犠牲者追悼文とりやめの端緒となる質問をした自民党・古賀俊昭都議は、トンデモ虐殺否定本である『関東大震災 朝鮮人虐殺の真実』(工藤美代子/産経新聞出版)を引用しており、また“虐殺否定論”をもとに各地の朝鮮人追悼碑の撤去運動などを行っている在特会系右派市民団体「そよ風」から、事前にレクチャーを受けていたことも本サイトの記事で指摘したとおりだ。
 だが、関東大震災の際、デマによって大規模な朝鮮人のジェノサイドが起き、警察や軍がこれに加担したのは、保守系の歴史学者も認めている歴史的事実であり、なにより、当時を生きた人々による膨大な証言が残されている
 そのなかの「証言者」の一人に、世界的映画監督・黒澤明がいるのをご存知だろうか。1910年に現在の東京都品川区で生まれた黒澤は、中学2年生時に被災。自伝『蝦蟇の油』(岩波書店)のなかで、当時を振り返ってこう書いている。

   〈関東大震災は、私にとって、恐ろしい体験であったが、また、
    貴重な経験でもあった。
     それは、私に、自然の力と同時に、異様な人間の心について教えてくれた。〉


少年だった黒澤明監督の目の前で、父親が「朝鮮人だろう」と棒を持った人々に取り囲まれ……

 被災時に黒澤少年が教わったという「異様な人間の心」とはなにか。繰り返し襲う揺れ、裂けた道路、舞い上がる土埃、空の半分を隠すほど高くそびえる大火災の黒煙。右往左往する人々を見ながら震えていた黒澤少年は「ああ、これがこの世の終わりか」と思ったというが、黒澤はこう特筆している。

   〈しかし、恐怖すべきは、恐怖にかられた人間の、
    常軌を逸した行動である。〉

 これまでの研究で、9月1日の少なくとも午後3時頃以降には「社会主義者及ビ鮮人ノ放火多シ」「朝鮮暴行」「鮮人二百名襲来シ放火強姦井水ニ投毒」などの流言飛語が広まり、警察もこうした「浮説」を把握していたことがわかっている。その異常な状況のなかで迎えた夜のことを、黒澤はこう述懐するのだ。

   〈下町の火事の火が消え、どの家にも手持ちの蠟燭がなくなり、
    夜が文字通りの闇の世界になると、その闇に脅えた人達は、
    恐ろしいデマゴーグの俘虜になり、まさに暗闇の鉄砲、
    向こう見ずな行動に出る。
     経験の無い人には、人間にとって真の闇というものが、
     どれほど恐ろしいか、想像もつくまいが、その恐怖は人間の正気を
    奪う。
     どっちを見ても何も見えない頼りなさは、人間を心の底から
    うろたえさせるのだ。
     文字通り、疑心暗鬼を生ずる状態にさせるのだ。
     関東大震災の時に起った、朝鮮人虐殺事件は、この闇に脅えた
     人間を巧みに利用したデマゴーグの仕業である。〉

 実際、黒澤少年は〈髭を生やした男が、あっちだ、いやこっちだと指差して走る後を、大人の集団が血相を変えて、雪崩のように右往左往するのをこの目で見た〉という。そして、朝鮮人を追いかけ、殺して回ろうとする人々が、日本人も「朝鮮人」として暴行を加えようとした現場にも、立ち会っていた。

   〈焼け出された親類を捜しに上野へ行った時、父が、ただ長い髭を
    生やしているからというだけで、朝鮮人だろうと棒を持った人達に取り囲まれた。
     私はドキドキして一緒だった兄を見た。
     兄はニヤニヤしている。
     その時、
        「馬鹿者ッ!!」
    と、父が大喝一声した。
     そして、取り巻いた連中は、コソコソ散っていった。〉

 実は、黒澤のように「朝鮮人か」と言われて、殺害されそうになったという証言は数多くあり、官庁の記録にも殺害された人数などが記されている。
 たとえば、当時、19歳で千駄ヶ谷に住む早稲田大学聴講生だった演出家・千田是也は、こんな談話を残している(毎日新聞社・編『決定版昭和史 昭和前史・関東大震災』所収)。


「あいうえおを言え!」「教育勅語を言え!」「歴代天皇の名前を言え!」と迫られ、答えに詰まると…

 千田の周囲では、震災発生から翌日には「朝鮮人が日ごろの恨みをはらしに来る」などの朝鮮人襲来の噂が広まっていたという。若い者は自警団に出ろといわれた千田は、登山杖を持って別の大学生と警備にあたることになった。しかし、夜になっても誰も来ないので、偵察のために千駄ヶ谷駅の線路の上の土手を登っていったところ、こんなことがあったという。

   〈すると内苑と外苑をつないだ道路(当時は原っぱだったが)の方から、
    提灯が並んでこっちにやって来るのが見えた。あっ、“不逞朝鮮人”だ
    と思い、その方向へ走っていった。不意に私は、腰のあたりを
    一発殴られてしまった。驚いてふりむくと、雲をつくような大男がいて
    「イタァ! チョウセンジンダァ!」と叫んでいる。〉

 「朝鮮人」と間違えられ、殴られた千田は、提灯を持った人々に取りまかれ、「畜生、白状しろ!」と小突きまわされたという。千田は弁明するが、聞いてもらえない。

   〈私はしきりに、日本人であることを訴え、早稲田の学生証を見せたが
    信じてくれない。興奮した彼らは、薪割りや木剣を振りかざし
    「あいうえおを言え!」「教育勅語を言え!」と矢継ぎ早に要求してくる。
    この二つはどうにか切り抜けたが「歴代天皇の名前を言え!」
    と言われたときはさすがに困った。こちらは中学を出たばかりだから
    半分くらいしか覚えていない。〉

 このとき千田は、殺されることを覚悟したというが、たまたま知り合いが声をかけて、事なきをえることができた。千田は〈私は殺(や)られずに済んだが、ちょっと怪しいというだけで、日本人も含めた罪のない人々がいったい何人殺されたのだろう〉と語っている。千田が思うのは、〈異常時の群集心理で、あるいは私も加害者になっていたかもしれない〉ということ。彼の本名は伊藤圀夫という。芸名は、そのときの自戒を込めて、千駄(センダ)ヶ谷のKorean(コレヤ)にしたのだという。
 どうだろうか。黒澤や千田の体験談は、朝鮮人虐殺に関する膨大な証言のほんの一部であり、直接的な朝鮮人への暴行・殺人の目撃談などを挙げていけばきりがないのだが、このように、疑心暗鬼にかかった群衆が「怪しい」と思った人間を見つけ次第「朝鮮人」として殺しにかかったことは、紛れもない事実なのである。それはつまり、不審(と勝手にみなした)人物はすべて「朝鮮人」とされ、その属性こそが虐殺の“理由”となったということを意味している。
 また、朝鮮人虐殺に関する研究では、一般の日本人が虐殺の「加害者」となってしまった背景には、当時の日本人の朝鮮人への蔑視と、植民地支配等に対する「報復」を恐れたという心理状態も要因のひとつであったと指摘されている(吉村昭『関東大震災』など)。震災時の異常心理が、朝鮮人への差別意識と結びついて引き起こされたのが、朝鮮人虐殺というヘイトクライムだったのだ。
 ひっきょう、関東大震災での朝鮮人虐殺が、ただの震災時の混乱のせいでもなければ、小池都知事が「様々な被害」というように“震災関連死”として一緒くたにできるものでは決してないのである。


虐殺を引き起こした朝鮮人暴動デマは、警察が拡散!正力松太郎も加担

 さらに、大規模な朝鮮人虐殺が引き起こされたのは、行政・警察や軍が、あろうことかデマを信じ、新聞記者にまことしやかに話し触れ回るように要請するなど、虐殺の動きに加担していたことも大きな原因だった。これは当時、警視庁の官房主事でトップ2の立場にあった元・読売新聞社主の正力松太郎も〈朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました〉と明かし、デマであったことを認め、反省の念を示していることである。

   〈折から警視庁より不逞鮮人の一団が神奈川県川崎方面より
    来襲しつつあるから支給帰庁せよとの伝令が来まして急ぎ帰り
    ますれば警視庁前は物々し警戒線を張っておりましたので、
    私はさては朝鮮人騒ぎは事実であるかと信じるに至りました。(略)
     しかるに鮮人がその後なかなか東京へ来襲しないので不思議に
    思うているうちようやく夜の10時ごろに至ってその来襲は虚報なる
    ことが判明いたしました。(略)警視庁当局として誠に面目なき次第で
    ありますが、私共の失敗に鑑み大空襲に際してはこの点特に
    注意せられんことを切望するものであります。〉(『悪戦苦闘』早川書房)

 翻って、今回、朝鮮人犠牲者に対する追悼メッセージの送付をとりやめにした小池都知事の判断は、こうした過去の悲劇と加害の事実を曖昧にし、行政がヘイトクライムに加担したことへの反省を無に帰すものというほかない。それどころか“虐殺否定論”に立つ歴史修正主義勢力を勢いづかせ、朝鮮人や韓国人に対する憎悪を掻き立てさえするものだ。
 周囲を見渡すと、状況は、94年前とよく似ている。安倍政権は、歴史認識で韓国や中国と反目するのと同時に、軍事の増強へと邁進しながら、「やられるまえに潰せと言わんばかりに“北朝鮮危機”を煽り立てている。書店には、侵略戦争と植民地支配を正当化するトンデモ論と差別主義をごった混ぜにしたこうした過去の悲劇と加害の事実を曖昧にし行政がヘイトクライムに加担したことへの反省無に帰すものというほかない。それどころか“虐殺否定論”に立つ歴史修正主義勢力を勢いづかせ、朝鮮人や韓国人に対する憎悪を掻き立てさえするものだ、ネットでは日々レイシズムが洪水のように垂れ流されている。そうしたなかで、犯罪報道があると無根拠に「朝鮮人の仕業だろう」などとがなりたてるヘイトデマが跋扈する。2014年の広島土砂災害時に起きた空き巣被害が「外国人による犯罪」というヘイトデマがネット上で拡散されたり、昨年の熊本大地震では「熊本の井戸に朝鮮人が毒を入れている」という悪質なヘイトデマツイートが出回ったり、関東大震災時の朝鮮人虐殺を彷彿とさせる災害時のヘイトデマも増えている。
 黒澤明は、前掲の自伝のなかで、被災時のこんなエピソードを「馬鹿らしい話」として記していた。

   〈町内の、ある家の井戸水を、飲んではいけない、と云うのである。
     何故なら、その井戸の外の堀に、白墨で書いた変な記号があるが、
    あれは朝鮮人が井戸へ毒を入れたという目印だと云うのである。
     私は惘れかえった
     何をかくそう、その変な記号というのは、私が書いた落書きだったから
    である。
     私は、こういう大人達を見て、人間というものについて、
    首をひねらないわけにはいかなかった。〉(『蝦蟇の油』より)

 はたして、現在でも、同じような流言が次々と表出している事実を、私たちは無視してはならない。すくなくとも、国際都市である東京で、こうしたヘイトデマ・ヘイトクライムの流れに同調する人間に、知事たる資格など断じてないのは確かだ。

(編集部)
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●吉沢正巳さん「被ばく牛は原発事故の生き証人。処分すれば証拠は消え、事故はなかったことにされる」

2016年03月16日 00時00分33秒 | Weblog


東京新聞の佐藤直子記者の社説【フクシマで考える(中) 起きた事実を見つめよ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016022702000152.html)と、
記事【原発関連死1368人に 本紙集計 1年で136人増】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030602000127.html)。

 《福島原発から北西に十四キロ、避難指示で居住制限区域とされた福島県南相馬市 小高区浪江町にまたがる「希望の牧場ふくしま」。牛が草をはんでいる》。
 《事故から五年近い今も約九万九千人の県民が県内外で避難生活を送り被害は拡大を続けている》。

 アベ様、一体何をしてるのですか? 「アンダーコントロール」? ご冗談を。壊憲なんて、やっている暇とカネ、手間はあるのか? ここに集中せずして、「原状回復」を図ろうともせずに、アベ様は一体これまで何をしてきたのですか? 《原発関連死1368人に 本紙集計 1年で136人増》だそうです。この驚くべき数字に、自公お維議員たちは何も感じないのでしょうか?

   『●原発人災避難者自殺訴訟の福島地裁判決、東電は控訴見送り:
                         「原発関連死」は千人を大きく超える

   『●「原発さえなければ」を福島地裁が認定:
      原発「事故によって死亡者が出ている状況ではない」という寝言

   『●「鼻血問題」: 「原発関連死」と「死の街」発言
   『●「鼻血」「死の街」問題と「金目でしょ」発言に対するマスコミ対応の落差
   『●反省なき自民党を体現:
        「原発事故によって死亡者が出ている状況ではない」

   『●東京電力原発人災という「原発事故で遭遇した
     過酷な経験でうつ状態となり、最終的に自死に至らしめた」

   『●原状回復できない現実: 「12万円で、
     あとはもう黙ってろ、自然に放射能さがんの待ってろっつうこと」
   『●東電核発電人災避難者の《「怒り」と「慟哭」》、
       「理由も知らされず避難し、人格が否定された気がした」
   『●「故郷の川に身を投げたい衝動に駆られた」
      「早く浪江に帰りたい」…「原状回復」することも無く…

 「震災さえ」ではなく、「原発さえなければ…」。

   『●哀しい遺書: 「原子力さえなければ」
   『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
         「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」
   『●「「3.11」から2年② 原発という犯罪」
        『週刊金曜日』(2013年3月8日、934号)
   『●「原発さえなければ」「福島の百姓は終わりだ」:
         東京電力原発人災と自殺には因果関係あり
   『●終わらない原発人災の影響:
       「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」

 吉沢正巳さんは、《被ばく牛は原発事故の生き証人。処分すれば証拠は消え、事故はなかったことにされる》と言います。いま、アベ様らは、東京電力核発電人災を「なかったこと」にしようとしています。腐った「経済性」「経済神話」を喧伝し、核発電「麻薬」患者は次々と核発電を再稼働し、輸出を画策しています。
 《福島原発事故で故郷の町を奪われ、避難生活を強いられる根本昌幸さんの「柱を食う」である》… 《/牛よ/恨め恨め/憎き者を恨め/お前を飼っていた者ではない。/こういうふうにした者たちを》。そして、《福島県いわき市の芳賀稔幸さんの「もう止まらなくなった原発」だ》…《失ったものは永遠に帰っては来ない/元通りに出来ないはずだのに/責任をはたすって?/何の責任をだ/一体責任って何だ?》。


   『●「こういうふうにした者たち」とは誰だ?
      ……東京電力原発人災の自覚無き犯罪者たち

 《子どもたちの間では甲状腺がんが増えているが、県の調査班は放射能の影響を否定するばかりだ。原発のちりは広い範囲に降った。原因の究明は進むのか、将来への不安を声にも出せず苦しんでいる子どもは各地にいる》…慄く。怒りが湧く。

   『●東電原発人災から『X年後』:「自分が壮大なできごとの 
          参加者だということがわかっているのだろうか」?
   『●黙殺される東電原発人災『X年後』: 
     「100万人に2~3人という日本の全国平均を大きく上回ったもの」
   『●「マンハッタン計画」の核開発拠点となった
      ハンフォードと東京電力核発電人災、それぞれの『X年後』…
   『●星北斗座長「甲状腺がんは放射線の影響とは考えにくい」 
            …では、何が原因なのか?、を説明して下さい!
   『●2011年の『X年後』:星北斗座長「現時点で 
     放射線影響は考えにくい」…なんて気安く発言して大丈夫?
   『●『放射線を浴びた『X年後』』: ビキニの海に居た
      元船員「行動しないと永遠に知る機会を失ってしまう」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016022702000152.html

【社説】
フクシマで考える(中) 起きた事実を見つめよ
2016年2月27日

 福島原発から北西に十四キロ、避難指示で居住制限区域とされた福島県南相馬市 小高区浪江町にまたがる「希望の牧場ふくしま」。牛が草をはんでいる。

 五年前の原発事故直後、畜産農家の吉沢正巳さん(61)は、放射線被ばくした三百二十頭の黒毛和牛を殺処分するよう政府から求められた。悩んだ末に、生かすことを選んだ。なぜなのか。

 「被ばく牛は原発事故の生き証人。処分すれば証拠は消え、事故はなかったことにされる

 経済動物としての意味を失っても、放射能汚染の検証に役立てようとした吉沢さんの判断は正しかったようだ。一年後、約二十頭の体に白い斑点が出た。水素爆発の時に放出されたセシウムが体内から検出された。原発に近い大熊町の牧場でも、五十頭の牛のうち十頭に斑点が出ている

 長い畜産生活で初めて見る。この異常が被ばくと関係があると考え、農林水産省に調査を求めたが「原因は不明」。今も国立大の研究チームが牛の血液を採取したり、首輪につけた計器で放射線量を測定したりしているが、吉沢さんには解明に消極的だとも映る

 「いつまで生かしておくんだ」と、同業者の非難めいた声も聞こえてくる。吉沢さんには言いたくなる気持ちが分かるのだという。原発事故は牛を殺処分した者と、しなかった者と、命を扱う仲間をも分断してしまったのだ。

 被災地の内外で原発事故の記憶の風化が進む。被ばく牛は復興の邪魔者ではない。事実を見つめよと、人間たちに問いかける生き物たちの象徴ではないか。

 子どもたちの間では甲状腺がんが増えているが、県の調査班は放射能の影響を否定するばかりだ。原発のちりは広い範囲に降った。原因の究明は進むのか、将来への不安を声にも出せず苦しんでいる子どもは各地にいる

 放射能汚染が生命にもたらす影響はまともに調査されているとはいえない。そんな状況で原発再稼働は進んでいる。逆戻りさせてはならない。起きた事実と向き合うのは将来の世代に対する大人たちの責任である。 (佐藤直子
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030602000127.html

原発関連死1368人に 本紙集計 1年で136人増
2016年3月6日 朝刊

 東京電力福島第一原発事故で避難した後、病状や体調が悪化して死亡した人を、本紙が独自に「原発関連死」として福島県内の市町村に取材したところ、二〇一一年三月十一日の発生後から、総数は少なくとも千三百六十八人になったことが分かった。昨年三月の調査から一年間で百三十六人増えた。事故から五年近い今も約九万九千人の県民が県内外で避難生活を送り被害は拡大を続けている。 (原発関連死取材班) 

 同県内の各市町村は、東日本大震災の直接の犠牲者だけでなく、避難生活の影響による死亡も「震災関連死」と認定し、災害弔慰金(最高五百万円)を支給。各市町村の弔慰金申請資料に「原子力災害の避難中の死亡」などの項目があり、本紙はこれらをもとに原発関連死を集計した。

 県内の市町村が認定した震災関連死は四日現在で二千二十八人。このうち67%が原発関連死にあたった

 福島第一原発が立地する大熊、双葉両町などを含む双葉郡は原発被害が大きく、原発関連死は昨年三月十一日と比べ、浪江町が二十一人増の三百八十人、富岡町が四十五人増の三百三十六人、双葉町が十二人増の百四十人となっている。

 いわき市は震災関連死者が百三十一人いるが、原発を理由とした死者数を把握していない。南相馬市は本紙の取材に、震災関連死した四百八十五人のうち、この一年間に増えた十六人全員が原発事故による避難者と答えたが、昨年三月以前については、原発避難者かどうかの統計はないという。

 ただ、両市の担当者は、これまでの震災関連死者について「多くは原発避難者」と話しており、この分を加えると原発関連死の割合はさらに増える。

 震災から五年近くが経過し、震災関連死の申請が認められない例も増加。認定率は今年一月末で76・7%となった。

 宮城県の震災関連死は九百二十人(一月末現在)、岩手県は四百五十八人(同)。福島県の震災関連死は二千人を超え突出しており、原発事故の影響が大きい

 本紙は一三年三月から定期的に原発関連死を集計している。


 <震災関連死と原発関連死> 避難生活での体調悪化など震災の間接要因による死亡を市町村が「震災関連死」と認めれば、最高500万円の災害弔慰金が遺族に支払われる。審査の統一基準はない。死後いつまでに申請しなければならないという決まりはないため、過去1年間に認定された人でも、亡くなったのは数年前というケースも多い。

 本紙は震災関連死のうち、原発事故での避難の影響で病気が悪化するなどして死亡した人の数を、各自治体に弔慰金申請書類などを調べてもらい、原発関連死として集計している。
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●3.11東電人災の5年、王様・アベ様からして核発電「麻薬」中毒患者という哀しい国ニッポン

2016年03月12日 00時00分56秒 | Weblog


東京新聞の記事【高浜再稼働は変わらず 首相、原発の必要性強調】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201603/CK2016031102000117.html)。

   『●大津地裁山本善彦裁判長、
      高浜原発3、4号機の運転を差し止める仮処分決定!

 《大津地裁が運転を差し止める仮処分決定をした関西電力 高浜原発3、4号機は、原子力規制委員会の新規制基準に適合したとして、再稼働させる考えを示した。「世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合すると判断した原発のみ再稼働を進めるのが政府の一貫した方針であり、変わりはない」と述べた》。

 呆れる記事です、一つ一つが。3.11東電人災の5年目を前にしたその日に、起きているのに、まだ寝言を言っている王様・アベ様からして核発電「麻薬」中毒患者という哀しい国ニッポン。《資源に乏しいわが国が経済性気候変動の問題に配慮をしつつ》…「経済性」=「経済神話」や「気候変動の問題」=「海暖め装置」に未だにすがりつくアベ様。

   『●お見舞い申し上げます・・・
     「東日本の巨大地震、遠い地からお見舞いすることしかできない・・・。
       大地震に加えて、場所によっては7mを越える大津波に言葉を失う。
       さらには、原発でのメルトダウン。最悪である。昨日の新聞では、
      ECCSも機能しなかったとの報告がある。続報でも、実際に
      機能しなかったことは事実のようである。
       スリーマイルの教訓があったはずなのに、なんで・・・。
      原発の関係者の話を聞いていてむなしさと非常な怒りを感じる。
       TVマスコミでは、原子力資料情報室(CNIC;
      Citizens' Nuclear Information Center)の記者会見について
      全く触れていないことはどういうことでしょうか? 
      この期に及んで何をしているのでしょうか!」 

   『●あの3・11原発人災から1年: 松下竜一さん「暗闇の思想」を想う
     「あの3・11から1年。あの時、個人的な事情もあり、こと(原発人災)の
      重大さに全く気付いていなかったし、ブログにも何も書いていない。
      2日後からようやく、それについて書き始めている。刻一刻と人災の
      側面が浮き彫りになり、いまに至っても、解決したと言える側面は
      ほとんど無いといって過言ではない。メルトダウンした原子炉に
      ついても、冷温停止「状態」という言葉遊びで糊塗している。
      原発内部の状況はつかめていないし、知ることもできないのに。
      何が一体事故「収束」宣言なのか。ストレステストという計算ごっこで
      お茶を濁し、その〝計算された〟結果を易々と受け入れる
      原子力ムラお抱えの委員会。マスコミやネット、市民が騒ぎ過ぎる、
      不安を煽りすぎるという大御所〝ジャーナリスト〟子供にとっては
      20倍のリスクでは収まらないであろう年間20ミリシーベルトどころか、
      笑っていれば100でもオッケーと嘯く学者。市民、特に、罪なき子供達の
      側に立とうともしない司法。ジャーナリズムの根本としての批判精神なき
      マスコミ。その結果として、原子力ムラの望む原発再稼働・
      原発建設再開原発輸出に向けて着々と進んでいる。
       小出裕章さんの云う「たかが電気のために・・・」をよく考えるべきである。
      この1年目の節目に再度、松下竜一さんの「暗闇の思想」を想う。」

   『●3.11東京原発人災から2年が過ぎて
     「「何もなかったかのように、原発回帰に向かう安倍政権の姿勢が
      鮮明になってきた。地震列島に五十基を超える原発を造ってきた
      のは自民党政権
だ。その自覚のなさに驚くしかない」・・・・・・全く同感。
      自公に手を貸す人の「自覚のなさ」にも」

   『●「福島原発事故の今」
        『週刊金曜日』(2014年3月7日号、982号)について

     「2011年3月11日から今日で3年が経ち、4年目を迎えた。
      民主党政権は冷温停止「状態」を宣言し、民意を無視して関電
      結託して大飯原発を再稼働。アベ自公政権は、原子力「推進」委員会
      (核推進委員会)とともにあの東京電力柏崎刈羽原発さへも
      再稼働しかねない勢いで、原発輸出という恥さらしなことも強行しそうだ。
      ネズミモグラエレファント等々が走り回る東京電力原発人災の現場を
      「コントロール」「完璧にブロック」と世界に向けて宣言し、
      ウラアリな東京五輪でオモテナシするそうだ・・・・・・。
       この3年間は一体何だったのでしょう?」

   『●3.11東京電力原発人災から4年:
     虚しき「地球にやさしいエネルギー原子力 人にやさしい大熊町」
     「3.11東京電力原発人災から4年が経過しました。
      4号機の核燃料プールからの取出し完了ぐらいが改善の兆しの
      見えるニュースでしょうか? それ以外は酷いモノです。
      「原因不明、責任不在」での原発再稼働、大間原発などの
      建設継続・・・・・・恥ずかしくてしょうがない。「環境倫理」上も、
      大変な失政。それを許す「眠り猫」の皆さんや自公支持者
      ・翼賛野党支持者

   『●東電核発電人災から5年: 「今や世界の笑い者…
       政権批判をいとわないキャスターの首を差し出した」


 さて、大津地裁山本善彦裁判長メッセージを理解できなかった原子力「寄生」委員会。司法をコケにした報いです。この「仮処分」が効果を発揮する期間は、おそらくそれほど長くは無いと、残念ながら、思います。でも、核発電所を止めた、という強烈なメッセージを発揮し続けることは確かです。

 東京新聞の記事【高浜3号機 司法判断で初停止】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016031102000115.html)には、「異議や執行停止の申し立てが認められない限り、関電は二基を再稼働できない」とあります。

 「昨年行われた高浜原発の運転差し止め仮処分申請は、同じ裁判官が却下したそうです」(http://plaza.rakuten.co.jp/intisol/diary/201603090000/)…大津地裁山本善彦裁判長のメッセージは以下のようなものでした。

=============
 東京新聞の記事【大飯、高浜再稼働 「早急な容認考えがたい」】には、「大津地裁(山本善彦裁判長)は二十七日、「現時点で差し止める必要性はない」として、却下する決定・・・決定文では、差し止めの必要性がないとした理由を原発の安全性の観点からではなく「原子力規制委員会が、いたずらに早急に、再稼働を容認するとは到底考えがたい」からとした」」

=============

 当初、失望しました。でも、いま、考え直してみると、原子力「寄生」委員会の田中俊一委員長や、アベ様らへの強力な警告だったのではないかと思えてきます。川内原発や高浜原発、伊方原発の動きを見てみると、その警告を彼らは舐めていたように感じます。
 「仮処分」を出し、「配置換え?」されてしまった元福井地裁・樋口英明裁判官と同様、今後、大津地裁・山本善彦裁判官への強烈な「風当り」が心配です。

 東京新聞の記事【原発再稼働なくても余力 節電定着、夏の需要13%減】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201603/CK2016031102000120.html)によると、《原発の危険性が再認識され、全国の原発は次々と停止。九日には大津地裁が関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分を決定し、十日に稼働中の原発が停止した。…利用者の節電意識の高まりや発電所の増強で、最近二年間は原発の稼働がなくても余力を確保できている》、だそうです。
 3.11東電人災の5年目を前に、王様からして核発電「麻薬」中毒患者という哀しい国ニッポン、全く救いようがありません。

 これも、東京新聞の記事【東日本大震災、発生から5年 犠牲者2万1千人、復興途上】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016031101001001.html)で、《警察庁によると10日現在、震災の死者は全国で1万5894人、行方不明者は2561人。厳しい避難生活やストレスが原因となった震災関連死は3410人にまで増えた》。さらに、同氏の記事【避難いまも17万4471人 死者・不明・関連死2万1865人】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016031102000116.html)では、《東日本大震災と東京電力福島第一原発事故による全国の避難者は、なお十七万四千四百七十一人に上る》とあります。

 いま、思い出すべき東京電力核発電人災の教訓は「原発さえなければ…」です。原発関連死は1368人にも上りますし、まだ増え続けています (東京新聞の記事【原発関連死1368人に 本紙集計 1年で136人増】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016030602000127.html))。
 そして、子どもたちのX年後…。

   『●東京電力原発人災から『X年後』・・・・・・ 
       取り返しのつかないことが現実化してはいまいか?
   『●「私たちは被ばく船員を見捨ててきたと痛感」
              ・・・2011年から「X年後」を怖れる
   『●東電原発人災から『X年後』:「自分が壮大なできごとの 
          参加者だということがわかっているのだろうか」?
   『●黙殺される東電原発人災『X年後』: 
     「100万人に2~3人という日本の全国平均を大きく上回ったもの」
   『●星北斗座長「甲状腺がんは放射線の影響とは考えにくい」 
            …では、何が原因なのか?、を説明して下さい!
   『●2011年の『X年後』:星北斗座長「現時点で 
     放射線影響は考えにくい」…なんて気安く発言して大丈夫?

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201603/CK2016031102000117.html

高浜再稼働は変わらず 首相、原発の必要性強調
2016年3月11日 朝刊

 安倍晋三首相は十日、東日本大震災から五年を迎えるのを前に首相官邸で記者会見した。大津地裁が運転を差し止める仮処分決定をした関西電力高浜原発3、4号機は、原子力規制委員会の新規制基準に適合したとして、再稼働させる考えを示した。「世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合すると判断した原発のみ再稼働を進めるのが政府の一貫した方針であり、変わりはない」と述べた。 =会見詳報<6>面

 仮処分決定を受けた今後の対応について「関電がさらに安全性に関する説明を尽くすことを期待する。政府もそのように指導する」と述べた。

 原発の必要性については「資源に乏しいわが国が経済性気候変動の問題に配慮をしつつ、エネルギー供給の安定性を確保するには、原子力は欠かすことができない」と説明。再稼働に向けては「安全性の確保が最優先で、国民の信頼回復が何よりも重要だ」と指摘した。

 大津地裁が決定で、地方自治体が作る原発事故時の避難計画を国主導とするよう求めたことについては「国が前面に立って自治体をしっかり支援する体制により、これまで同様万全の対応を行う」と説明。すでに作られた避難計画も検証を重ね、原子力災害対策を強化するとした。
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●自公議員や原子力「推進」「寄生」委員会委員らは「闘うみんな」ではないようだ

2014年03月18日 00時00分20秒 | Weblog


東京新聞の記事【原発事故被害追い記録映画 報道写真家2人が撮影 8日から東中野で上映】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014030602000240.html)、
asahi.comの記事【原発関連死―福島の痛みを直視せよ】(http://www.asahi.com/paper/editorial2.html)。
東京新聞の二つの記事【原発関連死1000人超す 避難長期化、続く被害】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014031002000144.html)と、
【3・11から3年 みんなが闘っている】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014031002000157.html)。
琉球新報の記事【原発事故3年 脱原発後退許されず 福島復興に思い馳せよう】(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-221002-storytopic-11.html)。
最後に再び東京新聞の記事【「原発ゼロ 国民の総意」 事故調トップ3人、再稼働の動き批判】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014031102000134.html)。

 3・11から3年が経ち、何の解決も見ていない。「福島県飯舘村の村民を追ったドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」が、八日から東京都内で上映される」そうだ。「震災さえなければ」ではなく「原発さえなければ」。

   『●終わらない原発人災の影響:「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」
     「「震災さえ」ではなく、 「原発さえなければ・・・」である。
      「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力明るい未来のエネルギー
      「原子力正しい理解で豊かなくらし」を信じ込ませた自民党議員や
      電力会社幹部といった東京電力原発人災の責任者・「罪人・犯罪者」は、
      誰一人として罰せられることもなく、まだのうのうと生活している」

   『●ドキュメンタリー映画『わすれない ふくしま』:
                 「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ・・・」


 以前、「「事故によって死亡者が出ている状況ではない」。福島での原発の事故について、自民党の高市早苗・政調会長が昨年、こんな発言をした。だが、命にかかわるのは放射線だけではない。避難生活で体調を崩して亡くなったり、自殺に追い込まれたりする「震災関連死」が増え続けている」・・・・・・。政調会長が寝言を言っていた訳ですが、原発再稼働・新規建設・原発輸出を目指す自公の議員や翼賛野党の議員は寝ていてこの現実が目に入っていない模様だ。「本紙が独自に「原発関連死」と定義し、福島県内の市町村に該当者数を取材したところ、少なくとも千四十八人に上ることが分かった。昨年三月の調査では七百八十九人で、この一年間で二百五十九人増えた。事故から三年がたっても被害は拡大し続けている」。

   『反省なき自民党を体現:
         「原発事故によって死亡者が出ている状況ではない」


 「◆フクシマを忘れない・・・・・・政府は低線量被ばくの問題から目を背けてきた。年間の被ばく線量について、一ミリシーベルトから二〇ミリシーベルトまで許容できると基準を緩め、原発周辺自治体への早期帰還を促そうとしている。東電も避難指示区域の見直しのたびに賠償を打ち切っている。見せ掛けの事故収束と復興を急いでいるようにしか思えない」・・・・・・東京新聞社説のタイトルはの『3・11から3年 みんなが闘っている』。でも、自公議員や原子力「推進」「寄生」委員会委員長・委員らは「闘うみんなではないようだ。

   『年20ミリシーベルトでOK!?:
      20倍にアップ、そして「自己責任」に逃げた原子力「推進」委員会


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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014030602000240.html

原発事故被害追い記録映画 報道写真家2人が撮影 8日から東中野で上映
2014年3月6日 夕刊

 東京電力福島第一原発の事故から間もなく三年。福島県飯舘村の村民を追ったドキュメンタリー映画「遺言 原発さえなければ」が、八日から東京都内で上映される。一般向けの公開は初めて。ともに報道写真家の豊田直巳さんと野田雅也さんが撮影、監督し、高濃度の放射能汚染で故郷を奪われた人々の絶望や苦悩、そして再起への歩みを記録した。村民の姿は「事故はまだ終わっていない」と訴えかけてくる。 (加藤裕治)

 「原発さえなければ」「残った酪農家は負けないで頑張ってください」-。映画のタイトルは、自殺した酪農家が小屋の壁に書き残した遺書だ。地元での酪農をあきらめることになり声を詰まらせる女性。仲間との焼き肉パーティーの席上、あいさつで感情が高ぶり泣き崩れる初老の男性。三時間四十五分の映像で、ナレーションを交えず次々と現れる光景が事故から三年近く過ぎた村の現状を物語

 二人はアジア、中東の紛争、災害取材を手掛け、インドネシア・スマトラ島の津波被害の取材で知り合った。東日本大震災の発生翌日の二〇一一年三月十二日、二人は福島県へ向かい、途中で福島第一の1号機が爆発した。放射線量の測定器を片手に田村市、双葉町などを回った後、飯舘村に入った。

 雨が降り始めると測定器のメーターがぐんぐん上がり、毎時一〇〇マイクロシーベルトを超えた。年間の被ばく許容限度の一ミリシーベルトを十時間で超える値。地震の後片付けをしている村民に「危険です」と声を掛けて回った。そこから飯舘通いが始まった。

 二人は一三年四月までの間に二百日以上、放射能汚染で「計画的避難区域」となった村や、村民の避難先を訪ねた。「村民の言葉を記録したい。スチルカメラだけでは現状が伝わらない」とビデオを回した映像は約二百五十時間分に及んだ。撮影を続けるうち、その言葉を大勢に伝えようと映画化を意識するようになった。

 「映画は昨年の四月で撮影を終えたが、飯舘村の問題は何も終わっていない」と豊田さん。野田さんは「事故から三年たっても、原発の再稼働をやめてほしいと願う人が多い。その心を一つにするため、事故の原点を見つめてほしい」と語る。

 上映は十四日まで、午後零時二十分からの一回のみ。東京都中野区東中野の「ポレポレ東中野」=電03(3371)0088=で。
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http://www.asahi.com/paper/editorial2.html

原発関連死―福島の痛みを直視せよ
2014年3月8日(土)付

 「事故によって死亡者が出ている状況ではない」。福島での原発の事故について、自民党の高市早苗・政調会長が昨年、こんな発言をした。

 だが、命にかかわるのは放射線だけではない。避難生活で体調を崩して亡くなったり、自殺に追い込まれたりする「震災関連死」が増え続けている。

 長期避難が続く福島では今年1月末までの関連死が1660人で、地震や津波による「直接死」の1607人を上回った。東日本大震災の被災3県全体の関連死のうち、6割近くを福島が占める。

 福島では今なお、毎月30人ほどが新たに関連死と認定されている。「原発事故関連死」とも呼ばれ、避難生活が長期化する原発事故の深刻さを浮き彫りにしている。

 復興庁は関連死をめぐる課題と対策を12年夏にまとめたが、減る傾向のみえない福島については昨春に改めて実情や問題点などを調査した。

 被災から1年以上たってから関連死した35人を対象にしたその調査によると、ほとんどの人が、移動や避難生活による疲労やストレス、医療事情の悪化で徐々に衰弱した。避難区域の相次ぐ変更などで平均して7回も移動を強いられていた。

 岩手や宮城の被災地と大きく異なるのは、放射能で住み慣れた地域を追われ、「生きているうちに今の避難先から出られないかもしれない」という不安だ。復興庁の報告で専門家はそう指摘している。

 調査した福祉施設での12年2月までの3カ月の死亡率は、前年同期の1・2倍に増えた。報告では、全体に健康へのリスクが高まったと考えるべきで、認定された関連死は「氷山の一角」としている。

 福島の避難者は13万人を超える。関連死を防ぐには生活の立て直しが最大の課題だが、帰還の前提となる除染は長引き、生活再建への道のりは長い。

 被災自治体では保健師や生活支援相談員らに仮設住宅などを巡回させている。心身両面の健康を保っていくため、今できることを尽くしてほしい。

 安倍政権は原発の再稼働に積極的だ。だが、再稼働の前に、万一に備えて避難計画を整える必要がある。放射能被害から逃れるために、いち早く避難する計画も大切だが、ただ避難するだけでなく、どのように関連死を防ぐかも重要課題である。

 原発事故で痛めつけられ、関連死のリスクとも向き合わなければならない。その不条理を、政治は直視すべきだ。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014031002000144.html

原発関連死1000人超す 避難長期化、続く被害
2014年3月10日 朝刊

 東京電力福島第一原発事故に伴う避難で体調が悪化し死亡した事例などを、本紙が独自に「原発関連死」と定義し、福島県内の市町村に該当者数を取材したところ、少なくとも千四十八人に上ることが分かった。昨年三月の調査では七百八十九人で、この一年間で二百五十九人増えた。事故から三年がたっても被害は拡大し続けている。 (飯田孝幸

 市町村は、災害の直接の犠牲者だけでなく、その後の避難中の死亡などについても「震災関連死」と認定した場合、災害弔慰金(最高五百万円)を支給している。福島県内では二十四市町村が支給。本紙で震災関連死者のうち、原発事故で避難中だった人数などを聞き取り、集計した。

 南相馬市といわき市は震災関連死者のうち原発事故を理由とした避難者数を把握していない。ただ担当者は「大半が原発避難者」と話しておりこれを加えると原発関連死者は千五百人に迫る。福島県内の震災関連死者数は千六百七十一人(七日現在)で原発関連死者は少なくとも六割を占める。昨年四月一日から今年一月末までの震災関連死の認定数は岩手四十五人、宮城十七人に対して福島は二百七十七人と大幅に上回り、原発事故の特殊性を物語る。

 原発避難者の多い双葉郡八町村の担当者によると、震災直後に亡くなっていても、生活が落ち着いてから申請する人や、自治体の広報や報道で制度を知って申請に来る人がいるという。二百三十二人の原発関連死者を出した富岡町の担当者は「今でも月十件程度の申請がある」と話す。南相馬市では事故から二年半後に死亡しても震災関連死と認められたケースがあった。

 福島県の避難者数は約十三万五千人。このうち、二万八千人が仮設住宅で暮らしている。医療・福祉関係者の多くは、関連死防止に住環境の整備を指摘する。県は原発避難者向けに復興公営住宅四千八百九十戸の整備を進めているが、入居が始まるのは今秋から。一次計画分の三千七百戸への入居が完了するのは二〇一六年春になる見通しだ。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014031002000157.html

【社説】
3・11から3年 みんなが闘っている
2014年3月10日

 原発事故を抱えた町の再起がどれほど困難であるか。震災からの三年はそれを思い知らせる時間だった。闘う人々にずっと寄り添わなくてはならない
 それは静かな時限爆弾のように胸底に沈み込み、あの戦争から七十年を経ても消えていなかった。
 福島県相馬市の診療所「メンタルクリニックなごみ」の精神科医、蟻塚(ありつか)亮二さん(66)は沖縄協同病院心療内科部長を務めていた二〇一〇年暮れ、長い診療経験にはない「奇妙な不眠」を訴える男性に立て続けに会った。


◆戦争の心の傷は70年も

 海外の論文を読みあさってみると、その不眠はアウシュビッツ収容所の生存者に見られた心的外傷後ストレス障害(PTSD)とそっくりだった。男性に聞くと、太平洋戦争末期の沖縄戦を生き延びた人だった。

 住民を巻き込んだ米国との激しい地上戦で、県民の四人に一人が犠牲になった沖縄の戦闘。その記憶は生き延びた者にとって深い心の傷となったのだ。

 二十年前からこの問題に取り組んできた元沖縄県立看護大教授、當山(とうやま)冨士子さん(66)と一緒に一昨年、沖縄戦を体験した高齢者四百人に調査をしたところ、PTSDを引き起こしかねない重度な心の傷を抱える人が四割もいた。

 蟻塚さんは不眠の高齢者を診ると、戦争の影響を疑うようになった。

 砲弾の雨の中を逃げた人、家族を失った人、住民が日本兵に殺されるのを目撃した人…。つらい記憶が長い年月の後に仕事を辞めたり、家族の死に遭うなどふとしたきっかけでよみがえる。

 夜中に何度も目覚め、パニックを起こしたりする。遺体の臭いを思い出すという人もいた。


◆沖縄の苦難に重なる

 戦後二十年たって行われた精神疾患に関する調査で、沖縄は本土に比べて統合失調症などを発症する割合が高かったというデータがある。

 それは戦争で負った心の傷が影響している。本土から切り離された米軍の統治下で、人権を踏みにじられながら貧困に苦しんだことや、今も続く基地と隣り合わせの生活など、つらい経験を重ねてきたことが発症のその引き金になった-。そう蟻塚さんはみている。

 沖縄の心の傷は原発事故で傷ついた福島の痛みに重なる。

 災害後の心のケアの重要性は阪神大震災や新潟県中越地震などの教訓として残された。

 東日本大震災後に有志の手で開かれた診療所に昨春、蟻塚さんが所長として招かれたのも、沖縄での経験を頼られてのことだ。

 毎月五十人の新患を受け入れ、五百~六百人の患者を診る。一割に震災や原発事故による遅発性のPTSDがみられるという。

 震災の日、運転していた車ごと津波に流された男性は転がった消防車と、泥に埋まった人の姿がよみがえるようになった。眠れずイライラし、妻に怒ってばかりいた。

 放射能を浴びてしまったと恐れ、息子と一緒に県外避難している母親は、突然不安に襲われるパニック症状に苦しんでいた。

 PTSDだけでない。仮設住宅の生活が長引いてうつ状態やアルコール依存になる人も急増している。

 知らない人間関係の中で刹那的になり「死んでもいい」とふと思う人が目立っているそうだ。

 東日本大震災によって今も二十七万人が避難生活を送る。そのうちの十四万人を占める福島がとりわけ厳しいのは、放射能汚染からの回復や、将来の生活の見通しが立たないことだ。

 福島はまた、震災関連死が千六百七十一人を数える。地震や津波で亡くなった直接死の千六百三人よりも多く、被災三県の半数を超えている。

 長い避難生活で体調を悪化させたり、各地を転々とするうちに治療が遅れたりしたせいである。

 自殺の多発も際立っている。

 福島から聞こえるのは悲鳴のようなシグナルだ


◆フクシマを忘れない

 政府は低線量被ばくの問題から目を背けてきた。

 年間の被ばく線量について、一ミリシーベルトから二〇ミリシーベルトまで許容できると基準を緩め、原発周辺自治体への早期帰還を促そうとしている。東電も避難指示区域の見直しのたびに賠償を打ち切っている。見せ掛けの事故収束と復興を急いでいるようにしか思えない。

 政府や東電の不条理に遭っても、町の再建がどんなに困難であっても、人々は生き抜こうとしている。

 本土は戦後、基地の負担を押しつけられる沖縄の苦難を忘れてしまっていた。わたしたちは福島からの悲鳴に耳を傾ける。寄り添うことを忘れてはならない。
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http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-221002-storytopic-11.html

社説
原発事故3年 脱原発後退許されず 福島復興に思い馳せよう
2014年3月10日

 東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故の発生から3年がたつ。大津波への備えを欠き、全電源を喪失して炉心溶融に陥り、おびただしい放射能が放出された未曽有の原発事故の爪痕が福島県民を苦しめ続けている。

 福島県の避難者数は13万5906人を数え、7町村で全住民が避難したままである。

 一刻も早い原発ゼロを切望する福島県民の心情に冷や水を浴びせるように、安倍晋三首相は原発再稼働と輸出に走っている

 原子力発電の安全神話に浸り切った中で起きた事故はまさに人災だったが、その教訓は生かされていない。


 公約違反

 安倍政権が決めた新エネルギー基本計画の原案は、原発を活用し続ける方針を打ち出している。

 2012年末の衆院選で自民党が掲げた「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立」という公約に反するのは明白だ。

 将来の原発の規模に関して、「確保していく規模を見極める」としており、将来的な原発ゼロは想定していないとしか読めない。

 さらに、安倍首相は、原発輸出に前のめりになっている。

 最新の世論調査では、原子力規制委員会が安全性を確認した原発を再稼働する方針に対し、反対が54%で賛成の40%を上回った。

 原発の今後については、「即時ゼロ」「段階的に減らし、将来はゼロ」の脱原発派が69%と、容認・推進の29%を圧倒している

 安倍政権の原発政策は明らかに民意と乖離(かいり)している。原発再稼働はあってはならず、脱原発の大きな後退は到底許されない。

 福島第1原発で2月に起きた高濃度汚染水漏れは、タンク内の水位異常の警報が約10時間放置されていた。誤って弁を開けた者がミスを隠すため、戻した可能性がある。事故を過小評価した後、重大な事実を明かす東電の隠蔽(いんぺい)体質は全く改められていない。

 危機管理体制に構造的な欠陥があり、国はその共同責任を負うことをどれだけ自覚しているのか。

 安倍首相は昨年9月、2020年の東京五輪の招致演説で、福島第1原発を「状況はコントロールされている」と強調していたが、相次ぐ汚染水漏れは、首相の的外れな認識と欺瞞(ぎまん)性を証明していよう。世界に恥をさらしているようなものだ。

 東電の経営破綻処理の先送りと同社の無責任体質は明らかに連動している。まず、破綻処理を急ぐことが不可欠だ。


悲痛な訴え

 福島の現状は深刻さの度合いを増している。高い放射線量が残る地域があり、帰還を諦める住民が増えている。除染作業も計画通りに進まず、避難者向けの災害公営住宅の建設も大幅に遅れている。

 福島県が当時18歳以下だった子どもを対象に実施している甲状腺検査で、33人が甲状腺がんと確定している。同県は放射線の影響は「考えにくい」としているが、発症率の高さを指摘する声があり、保護者の不安を高めている。

 国が主導して福島県民の健康調査を実施し、原発事故との因果関係を徹底的に究明すべきだ。

 福島を犠牲にして電力消費の恩恵を受けてきた東京など首都圏のみならず、国民全体が原発事故被災者に思いを馳(は)せねばならない。

 福島第1原発に約40年間携わる企業代表の名嘉幸照さん=伊是名村出身=はフォーラム「被災地と共に」で、被災者と加害者の立場が交錯する苦衷を吐露した。米軍基地にあらがう沖縄と脱原発を願う福島の強固な民意を挙げ、「民主主義のルールに当てはめよ」と、民意尊重を国に求めた。

 エネルギー政策と安全保障を支える負担を限られた地域が負わされ、苦しむ点で福島と沖縄は重なり合う。名嘉さんは「沖縄のちむぐくるを被災地にください」と涙ながらに語った。その悲痛な訴えを胸に刻み、沖縄から福島の復興を後押しする術を模索したい。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014031102000134.html

原発ゼロ 国民の総意」 事故調トップ3人、再稼働の動き批判
2014年3月11日 朝刊

 東京電力福島第一原発事故から三年を迎えるのを前に十日、事故の原因や対応を検証した政府、国会、民間の各事故調査委員会の元委員長らを集めた討論会が東京都内で開かれた。国会事故調の黒川清元委員長は「あれだけの事故が起きても日本の社会が変わる気配がない。誰も責任を取らない」と指摘した。

 民間事故調の北沢宏一元委員長は稼働中の原発がゼロであることに触れ、「国民の総意としか言いようがない」と強調。再稼働後に事故が起きれば「(日本は)世界の笑い者」と述べ、慎重に判断する必要があるとの考えを示した。

 政府事故調の畑村洋太郎元委員長は「一番、学ばないといけないのは、どんなに考えても気が付かない領域があること」と指摘。それを踏まえた上で、国民全体で原発再稼働の是非を判断すべきだと訴えた。

 討論会には米原子力規制委員会のグレゴリー・ヤツコ元委員長も参加し、「原子力は100%安全はあり得ない。社会としてメリットをどう考えるか、リスクがあっても受け入れられるかがポイント」と述べた。
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●「核と人類は共存し得ない」

2013年08月16日 00時00分51秒 | Weblog


東京新聞のコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013080502000107.html)と社説【原発被災者 支援法に魂を入れよ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013080502000132.html)。asahi.comの社説【広島・長崎と福島―凶暴な原子の力、直視を】(http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup、8月6日)。

 「核=原子力」である。「原発=原爆」である。「爆心から八百五十メートル余の旧制広島一中の校舎で被爆した児玉光雄さん(80)は静かに語る・・・・・・体験を次代に継承する育成講座の講師も務める児玉さんは命ある限り訴える。「核と人類は共存し得ない」」、とブログ主も思う。

   『●小出裕章さん、核=原子力は「違憲」という視点
   『●「原子力」と「核」、言葉は違えど「原発=原爆」である
   『●「原子力」は「核」へのポテンシャル
   『●3.11後にヒロシマで原発推進・輸出を語れるその神経・・・・・・

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013080502000107.html

【コラム】
筆洗
2013年8月5日

 「放射線がいかに人間の体を痛めつけるか。それを伝えるために生かされていると思っているんです」。爆心から八百五十メートル余の旧制広島一中の校舎で被爆した児玉光雄さん(80)は静かに語る▼還暦の時からがんの手術を十九回も受けた。直腸、胃、甲状腺、十六回にわたる皮膚がん…。至近距離で被爆した人に見られる「重複がん」と呼ばれる症状だ▼あの日朝、通学した同期生約三百人のうち、生き延びたのは二十人足らず。倒壊した校舎から奇跡的に脱出した児玉さんも四〇度を超える高熱や歯茎からの出血、下痢に苦しみ、頭髪が抜け落ちた。生き残った仲間も多くが若くしてがんで亡くなり、今も健在なのは二人だけになった▼五年前、放射線影響研究所で染色体を調べる機会があった。画像を見ると、切断された一部が修復されずに、別の染色体につながってしまう転座という異常が起きていることが分かった▼数値から推定すると、児玉さんが浴びた放射線量は四・六グレイ。二人に一人が亡くなる半致死量のガンマ線四グレイを超えていた血液をつくる幹細胞が傷つけられたので治らないと専門家に言われ、「腰が抜けそうになるほど落ち込んだ」という▼積極的に被爆体験を語るようになったのはこの後だ。体験を次代に継承する育成講座の講師も務める児玉さんは命ある限り訴える。「核と人類は共存し得ない
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013080502000132.html

【社説】
原発被災者 支援法に魂を入れよ
2013年8月5日

 原発被災者への支援が一向に始まらない。「子ども・被災者支援法」は成立から一年以上がたつのに、方策の前提になる被ばく線量基準の検討は手付かずだ。法を動かす責任体制を整えてほしい。

 原発事故で被害を受けている人々に「避難する権利」を認める支援法は、事故に対する国の責任を明らかにした、日本版の「チェルノブイリ法」とも呼ばれる。

 放射線量が「一定の基準」を上回れば、避難指示区域でない地域の住民や、自ら避難した人も医療や生活支援の対象に含まれる。とくに妊婦や子どもには配慮して、被災者には頼みの綱だ。

 しかし、昨年六月に成立してからも、担当する復興庁は基本方針を決めるための「一定基準」を定められないでいる。

 法制化を求めた市民団体は、線量の目安として、国が定める一般の年間の被ばく限度「一ミリシーベルト」を主張する。対象範囲を広げれば、財源の問題も出てくるだろう。どう線引きしても批判は起きるのかもしれない。

 しかし、忘れてもらいたくないのは、この法律が当時は野党だった自民党も含めて、衆参両院すべての党会派の議員が賛成して作られたことだ。

 長期にわたる低線量被ばくが人の体にどう影響を与えるのか。実証するデータは乏しいが、深刻な影響を及ぼすと警鐘を鳴らしている学者も少なくない。線量の基準を科学が決められないのなら、将来に禍根を残さないよう、より被災者に寄り添う形で政治が決断する局面もあるのではないか。

 被災者のニーズを反映させるという法の趣旨も踏まえ、公聴会も早く開かれるべきだ。

 予算の流用も問題になった復興庁は今春、被災者との窓口になっていた幹部がツイッターに法を骨抜きにするような暴言を書き込んでいたことが発覚した。支援法の取り組みに消極的だった組織の問題が、思いがけず暴露されたようなものだった。支援法を担当する常設の部署がないのはおかしい。長くかかる支援に見合うだけの体制で臨んでほしい。

 福島県は、十五万人を超える人が県内外に避難する。ストレスの多い生活から、病気や子どもへの虐待が増え、震災関連死は千四百人を超えた。過去に例のない震災は刻々と新たな犠牲者を増やしている。

 支援の手を差し伸べなくてはならない全国に離散した被災者の願いに一日も早く応えるために
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http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup、8月6日】

2013年8月6日(火)付
広島・長崎と福島―凶暴な原子の力、直視を

 核兵器と原発は長年、切り離して扱われることが多かった。それは正しかったのだろうか

 68年前の広島、長崎の原爆被害に続き、福島でも核エネルギーによる途方もない被害を生じさせてしまった

 核が抱える想像を絶するリスクに正面から向き合うことが、もはや待ったなしの時代だ。


■「核の飢餓」の恐れ

 核兵器の非人道性に焦点を当てて禁止につなげよう――。今年4月、ジュネーブで開かれた核不拡散条約(NPT)準備委員会に提出された「核兵器の人道的影響に関する共同声明」は、外交交渉での原点回帰の動きを示すものだ。

 非人道性を憎み、化学兵器や生物兵器だけでなく、クラスター爆弾や対人地雷も禁止条約ができているのに、核兵器が禁止されていないのは道理に合わないのではないか。国際NGOの力強い主張が近年、多くの政府に浸透し、外交の表舞台でも共有されるようになってきた。

 80カ国が賛同した「共同声明」は、核兵器が使用された場合の制御不能な破壊力、無差別な惨害の非人道性を指摘する。

 パウエル元米国務長官が朝日新聞の取材に「極めてむごい兵器で、軍事的には無用」と発言するなど、かつて核保有国で安全保障政策を担った重鎮が次々と核廃絶論を公言している。保有国は「共同声明」に賛同していないが、核はますます「使えない兵器」と化している。

 「共同声明」は、核戦争が国境を越えて環境を破壊し、次世代から健康、食料、水などを奪うとも主張する。

 米ロの全面核戦争では、舞い上がったすすや粉じんで「核の冬」が訪れるとされてきた。

 アラン・ロボック米ラトガーズ大教授(環境科学)らの最新研究は、インドとパキスタンがそれぞれの保有量の約半分の広島型原爆50発を使う地域核戦争(世界の核兵器爆発力の0・03%)が起きると、すす・粉じんによる気温低下やオゾン層の破壊による紫外線増加で、世界は「核の飢餓」に直面する恐れがあると指摘する。

 私たちはいまも、核戦争による破滅の縁にいるのである。


■核拡散の60年

 原子力にはそもそも核兵器への悪用、つまり核拡散のリスクがある。

 60年前、アイゼンハワー米大統領が国連総会で「平和のための原子力」演説をしたことが原発利用拡大のきっかけとなった。大統領は核物質と核技術の国際管理を提案し、軍事から民生利用への転換を促した。

 演説のあと、国際原子力機関(IAEA)とNPTが生まれた。しかし、国際管理は実現せず、拡散が進んだ。米ロ英仏中に加え、インドとパキスタン、北朝鮮が核実験。イスラエルも核保有が確実視され、イランの開発疑惑も続いている。

 今後、途上国での原発急増が予想されるが、核兵器用の高濃縮ウランやプルトニウムを入手する隠れみのになりかねない。

 原発経由の核拡散リスクをどう考えるべきか。

 オーストリアはNPT準備委員会で、原発事故や核テロ、核拡散を懸念し、「和利用という権利を使わない選択をした」と表明した。破滅リスクを避ける脱原発政策は傾聴に値する


■原発政策見直せ

 日本政府は米国の「核の傘」への影響を考慮して「共同声明」には賛同しなかった。将来の賛同には含みを残した。

 だが、核の非人道性を確認するだけでなく、核リスク脱却と逆行する原子力政策の転換にもっと力をこめる必要がある。

 安倍政権は原発輸出に前のめりだが、核拡散だけでなく被曝(ひばく)・環境汚染のリスク、放射性廃棄物問題の輸出になりかねない。NPTに背を向けるインドと原子力協定を結べば、NPT空洞化を進めることになる。

 日本の余剰プルトニウム保有への世界の厳しい目に対しても、自覚が足りない。安倍政権は明確な削減計画を示さないまま、使用済み燃料からプルトニウムを取り出す事業の継続を表明している。倒錯した政策は一刻も早く放棄すべきだ。

 むしろ、リスクを増幅するような甘い核拡散防止体制の改革を主導することこそ、世界が日本に期待するところだろう。

 今後、「共同声明」の趣旨を世界の基調にしていくには、発想の切り替えが不可欠である。

 広島原爆がテーマの戯曲「父と暮(くら)せば」を書いた井上ひさしは生前、「遅ればせながら『心の被爆者』になろうと思う」と被爆者の手記を読みあさった。

 より多くの日本人が被爆地の惨禍をもっと思い起こし、福島の被災者の苦境もきちんと知る。ヒバクによる健康被害の不安や恐怖などを共有し、「心のヒバクシャ」となって、人類と核の間に横たわる矛盾を内外に発信していくべきではないか。

 私たちはいま、非核時代へ世界を向けられるかどうかの岐路に立っている。
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●言葉が見つかりません・・・

2013年03月25日 00時00分39秒 | Weblog


東京新聞の二つのコラム「筆洗」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013030502000112.htmlhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013031102000155.htmlと記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013031302000105.html)。

 三つそれぞれの記事、何と言えばいいのか、言葉が見つかりません・・・・・。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013030502000112.html

【コラム】
筆洗
2013年3月5日

永六輔さんに初めての子どもが生まれた時、浅草のお寺の住職だった父の忠順さんはこう諭した。「父親になったんじゃない、父親にさせてもらったんだ。私も君に父親にさせてもらったんだからね」▼お父さんにさせてもらったことが、うれしくて仕方ない人だったのではないか。北海道湧別(ゆうべつ)町の岡田幹男さんは猛烈な地吹雪の中、小学校三年の長女を一晩中、胸の中に抱きかかえ、自らのぬくもりで幼い命を守った▼二年前に妻を亡くし、長女の夏音さんと二人暮らしだった。養殖業を手掛けながら、一緒に朝ご飯を食べるために漁の時間を遅らせることもあったほど子煩悩な人だった▼娘の好きなハンバーグをよく作った。お父さんの料理は豪快になりがちだが、娘のために焼いたハンバーグはどんな味だったのだろう▼<しごとからかえってくると/おとうさんは/わたしの木になってくれます。わたしは/おとうさんの木によじのぼります。…まもなく/イテッ/イテッ/イテッ/まき子はおもいなあ/といって/おとうさんの木は/おれてしまいます。そうすると/わたしのうちはゆうはんです>(山田まき子『おとうさんの木』)。この詩のように、父と娘だけでも温かい団らんの光景が浮かぶ▼北海道を襲った暴風雪で多くの人が亡くなった。春はもうすぐなのに、自然の猛威の前に無力であることが悔しい。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013031102000155.html

【コラム】
筆洗
2013年3月11日

<お母さんがいたら、いろんなことができたね。ケーキとかつくったりできたよね。保育園から帰ると、お母さんが作ったおやつを食べさせてくれたね。3月10日まではいい日だったね>と、岩手の小学三年の女の子は書いた▼『3月10日まではいい日だったね』は、震災遺児らを支援する「あしなが育英会」が出した作文集だ。表紙は、あの一本松の絵。お父さんが行方不明になった九歳の少年が描いた▼彼は天に伸びる勢いの松を描いて、言葉を添えた。<がんばれ一本松 ぼくのお父さん どこにいるか みえないかな。 みえたら おしえて 一本松 おねがいするよ>▼東日本大震災で親を失った子どもは千五百人を超える。あしながの作文集を読めば、この千五百の心が抱えるだろう想(おも)いが、脈を打ち伝わってくる▼宮城の小三の女の子はあの日、母さんとけんかして、謝りもせず学校に行った。「母はもう怒ってないだろうな」と思いながら家へ帰る途中、地震が起きた。学校に戻り夜を明かした。みんなには迎えが来たのに、母さんは来なかった。死んでしまった▼二年前のきょうは金曜日だった。少女は、書く。<私はお母さんが見つかってから金曜日の2時46分に、ベルを鳴らしています。そしてお母さんに「ゴメンネ」を送っています。ちゃんと聞こえていたらいいです>。きっと、聞こえているよ。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013031302000105.html

自殺12人 原発関連死 福島県内
2013年3月13日 朝刊

 東京電力福島第一原発事故に関連して、福島県内で少なくとも十二人が自殺した可能性のあることが、原発事故関連訴訟の弁護団や市町村、地元農業団体への取材で分かった。このうち震災関連死と認定されたと確認できたのは二人で、五人は申請していない。遺族が自治体に相談して断念した事例もあった。原発による死は、行政が定める関連死の枠外にも存在する。 

 本紙の集計では、福島県内で震災関連死と認定された千三百三十七人のうち、少なくとも約六割にあたる七百八十九人は原発事故の避難などに伴う原発関連死」だったことが判明している。本紙で把握した自殺者十二人のうち、少なくとも五人の遺族は関連死の申請をしておらず、この「原発関連死」の人数には含まれていないことになる。

 うち須賀川市の野菜農家の男性(64)は、福島産野菜の一部に国の出荷停止指示が出された翌日の二〇一一年三月二十四日に自殺した。遺族によると、男性は原発事故後福島の百姓は終わりだ」と話していたという。

 川俣町の女性(58)は夫婦で養鶏場に勤めていたが、原発事故で失職。計画的避難区域にある自宅に一時帰宅中の一一年七月一日、焼身自殺した。

 市町村への取材で、南相馬浪江富岡の三市町で自殺を関連死認定したことを確認できたが、人数は明かしていない。須賀川、二本松両市には遺族から、どういう場合に関連死に認定されるのかといった相談があったが、申請には至らなかったという。

 原発事故との因果関係の立証の難しさや、自殺を表沙汰にしたくない心理が申請を躊躇(ちゅうちょ)させる要因と指摘する専門家もいる。

 一方、遺族への取材によると、飯舘村で一一年四月十二日に自殺した百二歳の男性は関連死と認定された。村が全村避難を検討している段階だった。

 厚生労働省が震災後、自治体に例示した関連死認定の基準は、自殺について「発作的なものでなく、震災を契機としたストレスによる精神的疾患に基づくもの」を認定対象にしている。震災関連死に詳しい津久井進弁護士は「福島の場合、インフラや住宅の整備で復興への道筋が見えた過去の震災とは、将来に対する絶望感がまったく違う」と指摘。「医学的な要因だけでなく、社会的背景が原因の場合も認められるべきだ」と指摘する。  (飯田孝幸、大平樹)
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