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●『俺たちはどう生きるか』(大竹まこと著)読了…《みんなが協力し、かばいあい、ヨタヨタと時間が過ぎた》

2020年01月02日 00時00分44秒 | Weblog

[『俺たちはどう生きるか』(大竹まこと著) 《みんなが協力し、かばいあい、ヨタヨタと時間が過ぎた》(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/special/otake/)↑]



俺たちはどう生きるか』(大竹まこと著、集英社新書0984B)読了(2019年12月29日)。株式会社集英社、2019年7月22日第一刷。税別¥820。

 『大竹まこと ゴールデンラジオ!』を聞き始めて4、5年か。毎日毎日の楽しみ。ラジオで聴いた、本の中に中に語られるいろいろなことが、つい先日のことのように思い出された。

 「何を叫ぶ ここに一冊の写真集がある。『トランクの中の日本――米従軍カメラマンの非公式記録』。/若き米従軍カメラマンが一九四五~一九四六年、焦土となったヒロシマ・ナガサキを非公式に私用カメラで撮った写真である。/その中に、焼き場らしき場所(みんなが死者を焼いている)で一〇歳くらいの少年が、背中に幼児をおんぶヒモでしっかりくくりつけ、直立不動で立っている写真がある。…彼は弟見を送ったのだ。/…何を叫ぶのか。私が叫ぶのか、あなたが叫ぶのか。テレビは、新聞やネットは、なんと伝えるのか。/ある作家が、/「ジャーナリズムとは、報じられたくないことを報じることだそれ以外のものは広報に過ぎない。」/という言葉を残している。/メディアには、その責任がある。そして、私たち市民も同じである。」(pp.67-69

 「月曜から金曜で続けているラジオがこの春、三〇〇〇回を迎えた。一二年間続けた計算になるが、私の力ではない。みんなが協力し、かばいあい、ヨタヨタと時間が過ぎた。聴いてくださる方々は実に辛抱強く、そして私を許した。まるで父のようでもある。」(p.188

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https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/special/otake/

もういい大人なのに、
まだ試練がやってくる。
ああ、せつない。

2019年7月17日刊行予定
俺たちはどう生きるか
大竹まこと 著
定価:本体820円+税


歯に衣着せぬ語りで人気の芸人も、もう古希・70歳。「需要がなくなれば芸人なんて終わり」とわかっちゃいるのに、「あのジジイ、やるな」とまだ世間から言われたい……。「若者に教訓めいたことを何か言ってやりたい」と思うけれど、「そんな立派な人生を送ってきたか?!」と躊躇する……。

歳をとれば、悩みなんてなくなると思っていたのに」とボヤきつつも、自分の仕事、老い、人間関係、そして社会について、真摯に赤裸々に綴った一冊です。


正真正銘、
全部自分で書きました。
直筆の生原稿、収録!

いまだに毎日迷いながら生きている……。「需要がなくなれば芸人なんて終わり」とわかっちゃいるのに、「あのジジイ、やるな」とまだ世間から言われたい。「若者に教訓めいたことを何か言ってやりたい」と思うが、「そんな立派な人生を送ってきたか?!」と躊躇する。古希・70歳。世間ではもういい大人。歳をとればもっと楽な人生になると思っていたのに……。そんな自問自答の日々を赤裸々に綴った「人生のこれまでとこれから」。本人自筆原稿収録。


本文から一部抜粋

 私は、マネージャーのⅠ君に言われて、ツイッターなるものを始めてみたが、どうもしっくりこない。ほかのタレントや作家は、公演のお知らせなどに利用しているらしいが、なぜか、私はダメなのだ。
 ある日、突然、炎上する。私には、その意味さえわからない。
 ただ、ツイッターの文言にあることは、一面、真実だとも思う。
 「老害は死ネ」とわざわざ言われなくても、もう仕事もさほど多くないし、コメディアンとは、その時代と添い寝した男(女)たちのことだ。持論である。
 時代から少しでもずれたら勝手に死んでいくだけである。そろそろ、そんな局面が来た。いつまでもウジウジとテレビなどに出ていたくはない。
 しかし、「また、あのジジィがやりやがったな、ちくしょう!」とも言われてみたい。心底、庶民の側に立っていたいとの気持ちでやってきたが、全世界を敵にまわしたい欲望にもかられる今日この頃である


目次

第一章 昔みたいに
第二章 私たちがそれを選んだ
第三章 傍観者でいるのか
第四章 弱者は弱者のまま終わらない
第五章 ダメな大人の言葉などに耳を貸さぬが良い


著者略歴
大竹まこと(おおたけ まこと): 一九四九年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。一九七九年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まこと ゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。
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●《家族への脅迫状…「苦しみ抜いて一人で罪をかぶろうとしているのに許せない。もともと無実なのだから」》

2019年08月18日 00時00分59秒 | Weblog


蜘手美鶴記者による、東京新聞の記事【三鷹事件、再審認めず 元死刑囚側 異議申し立てへ】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080102000133.html)と、
社説【三鷹事件 司法は闇に目をつぶる】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019080102000155.html)。

 《東京の旧国鉄三鷹駅で一九四九年七月、無人電車が暴走し六人が死亡した「三鷹事件」で、死刑確定後に四十五歳で病死した竹内景助元死刑囚の遺族が申し立てた第二次再審請求審で、東京高裁は三十一日、再審開始を認めない決定をした。弁護団は高裁に異議を申し立てる方針》。
 《七十年前の「三鷹事件」の再審を東京高裁は認めなかった。無人電車が暴走し、大勢の死傷者が出た事件。獄死した元死刑囚の長男が求めた再審だ。あまりに多い謎に司法が応えぬ姿勢は疑問だ》。

   『●大崎事件…再審するかどうかを延々と議論し、
      三度にわたる再審開始決定を最「低」裁がちゃぶ台返し
    「再審するかどうかを延々と議論し、《三度にわたり再審開始決定
     出ながら》、最後に、ちゃぶ台返し。最「低」裁は何を怖れているのか? 
     誤りを潔く認めるべきだ」

 裁判所の面子か何か知らないが、酷いな…裁判官のプライドはないのか? 《再審公判で疑問の一つ一つに白黒つける方法もあろう司法の役目は闇に光を当てることでもある》。再審を開始して、新証拠をきちんと検証し、警察・検察、そして、裁判所は自信があるのならば、過去の証拠をもう一度洗い直せばいい。なぜに、再審を開始しないのか?

 大崎事件について、《元裁判官の木谷明弁護士…「無実の人を救済するために裁判所はあるのではないのか」》と。【報道特集】(http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20190803_2_1.html)によると、《”伝説”の元裁判官~冤罪救済に挑む (2019/8/3 放送) 無罪判決を30も出し、全てを確定させた元裁判官。退官後、81歳となった今、冤罪救済を目指す弁護士として裁判所に挑んでいる。そこで直面した裁判所の現状とは》。『イチケイのカラス』(http://morning.moae.jp/lineup/994)のモデルの一部になっているらしい。

   『●三鷹事件: 再審請求
    「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
     されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
     したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
     今回は長男の方が請求を出されたようです」

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(…)。」
     「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
      日本の局面を大きく変えた」」(…)」

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
    「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~ 
     …千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一約束…』監督】。
     三鷹事件(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3)、
     『約束』http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739)」

   『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき
    「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
     《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
     ましてや冤罪ではたまったものではありません》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
     一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」
   『●1949年《公安事件が続発…下山事件(七月五日)、
       三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》
    《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、
     六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した
     無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を
     負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに
     国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求
     したが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》

   『●国鉄三大謀略事件…1949年《下山事件(七月五日)、
        三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080102000133.html

三鷹事件、再審認めず 元死刑囚側 異議申し立てへ
2019年8月1日 朝刊

     (記者会見する高見沢昭治弁護団長(中央)。左は野嶋真人弁護士
       =31日、東京・霞が関の司法記者クラブで)

 東京の旧国鉄三鷹駅で一九四九年七月、無人電車が暴走し六人が死亡した「三鷹事件」で、死刑確定後に四十五歳で病死した竹内景助元死刑囚の遺族が申し立てた第二次再審請求審で、東京高裁は三十一日、再審開始を認めない決定をした。弁護団は高裁に異議を申し立てる方針。

 弁護団は、暴走した電車(七両編成)の写真を分析した鉄道工学者の鑑定書などを新証拠として提出し、元死刑囚以外の複数犯と強く推認されると主張したが、後藤真理子裁判長は「単独犯とする自白の根幹部分の信用性を否定するものではない。無罪を言い渡すべき明らかな証拠ではない」と判断した。

 電車転覆致死罪などで起訴された元運転士の竹内元死刑囚は、捜査や公判で「単独犯行」「共同犯行」「無実」と供述を七回変遷させた末、単独犯行として死刑を言い渡された。

 長男の健一郎さん(76)=埼玉県=が二〇一一年十一月に申し立てた第二次再審請求審では「先頭車両に入りパンタグラフを上げて暴走させた」などとする竹内元死刑囚の自白の信用性が争点になった。弁護団は、先頭車両だけでなく、二両目もパンタグラフが上がり、車両最後尾の前照灯がついていたなどとして、単独犯では不可能と主張した。

 高裁決定は、二両目のパンタグラフの状態について、別の専門家の意見などから「事故の衝撃で上がった可能性がある」と指摘。前照灯は「もともとスイッチが入ったままだった可能性がある」とした。さらに、現場近くで元死刑囚を見たとする証言を否定する弁護団の再現実験についても「独自の前提で実施され、採用しがたい」と指摘。新旧証拠を総合評価しても「確定判決に合理的な疑いを抱かせるものではない」と結論づけた。

 決定を受け、東京・霞が関の司法クラブで記者会見した弁護団長の高見沢昭治弁護士は「細かい判断を避けた曖昧な決定だ。たとえ本人が亡くなっていても、冤罪(えんざい)は晴らさないといけない」と話した。

 健一郎さんに決定内容を伝えると、表情を変えることなく「納得できない。無実を勝ち取ってほしい」と言われたという。 (蜘手美鶴

三鷹事件> 占領期の1949年夏に起きた下山松川両事件と並ぶ旧国鉄三大事件の一つ。49年7月15日夜、車庫にあった無人電車が暴走し三鷹駅のホームに激突、6人が死亡し約20人が重軽傷を負った。捜査当局は旧国鉄の人員整理に反対する共産党の組織的犯行とみて、運転士の党員ら10人を起訴。一審東京地裁は党員9人を無罪とし、唯一党員でなかった竹内景助元死刑囚の単独犯行として無期懲役を言い渡した。竹内元死刑囚は二審東京高裁で死刑判決を受け、55年に最高裁で確定。第1次再審請求中の67年に病死した。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019080102000155.html

三鷹事件 司法は闇に目をつぶる
2019年8月1日

 七十年前の「三鷹事件」の再審を東京高裁は認めなかった。無人電車が暴走し、大勢の死傷者が出た事件。獄死した元死刑囚の長男が求めた再審だ。あまりに多い謎に司法が応えぬ姿勢は疑問だ

 事件は一九四九年七月の夜。国鉄(現JR)中央線三鷹駅(東京)で無人電車が暴走し、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負った。竹内景助元死刑囚は電車転覆致死罪で、同じ旧国鉄職員だった共産党員らとともに起訴された。

 約十万人もの人員整理に抗議し、事故を起こしてストのきっかけにする目的だったとされた。党員九人の共同謀議は「空中楼閣」と判断され無罪だったが、竹内元死刑囚には無期懲役。二審で死刑判決を受けた。再審請求中の六七年に四十五歳で獄死している。

 当時は謎めいた事件が相次いだ。三鷹事件の九日前には国鉄総裁が死体で発見される「下山事件」。約一カ月後には東北線の松川駅(福島県)で列車が転覆される「松川事件」があり、一、二審で複数人の死刑判決が出たが、最終的に全員が無罪確定した。

 これらの背後には、米占領下でもあったことから、共産党の弱体化を狙った連合国軍総司令部(GHQ)が関与した説もあったほどだ。そんな時代だった。

 三鷹事件で疑わしいのは、竹内元死刑囚の供述の変遷である。逮捕時は「否認」。勾留質問でも取り調べでも「否認」。起訴直前に単独犯行を「自白」。公判では「他人との共同犯行を自白」「単独犯行を自白」。やがて「否認」…。無罪を主張した。捜査段階と公判段階で激しく否認と自白を繰り返した信用性に疑義が生じるのは当然である

 無実の主張を始めたきっかけは家族への脅迫状だった。「苦しみ抜いて一人で罪をかぶろうとしているのに許せないもともと無実なのだから」-、そう接見した人に語ったという。

 電車を起動、発車させたのは人為的だとしても、それは「自白」に寄り掛かっている。単独犯では難しいとも弁護団は主張した。事件時に竹内元死刑囚を見たという目撃証言も怪しいと…。電車区は停電の最中だった。

 東京高裁は「総合評価しても確定判決の事実認定に合理的な疑いを抱かせるものとはいえない」と新証拠の価値を退けた。だが、再審公判で疑問の一つ一つに白黒つける方法もあろう司法の役目は闇に光を当てることでもある
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●国鉄三大謀略事件…1949年《下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》

2019年08月17日 00時00分40秒 | Weblog


琉球新報のコラム【<金口木舌>三鷹事件と喜屋武由放】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-953805.html)。

 《▼無実を訴えた由放は公判で名を聞かれ「自由解放の由放だ」と答えた。50年の一審判決で由放を含む党員9人は無罪だった。唯一、党員でない竹内景助は一審で無期懲役、二審の死刑が確定後、獄死した…権力は身体と思想の自由を奪う。竹内の遺族は今も再審請求中だ》。

 1949年、《公安事件が続発…三鷹事件(七月一五日)…》。
 国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。東京高裁では、御長男による再審請求が続いているとのこと。国鉄労働組合国労)つぶしという背景もあったのではないでしょうか。竹内景助元死刑囚は無実を訴えつつ獄中死されています。冤罪が晴れるれる日はいつになるのでしょう。

 2019年7月参院選が終わり…。
 アベ様による善政は何一つ無し。悪辣な独裁状態。そんなアベ様の「政」で唯一〝上手く行っている〟のが、メディアコントロール《日本のメディアの閉塞状況》《閉塞するメディア、政権批判に対して圧力がかかる不健全な言論状況》…。《権力は身体と思想の自由を奪う》…恐ろしい世の中が再びやってきた。

   『●三鷹事件: 再審請求
    「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
     されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
     したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
     今回は長男の方が請求を出されたようです」

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(…)。」
     「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
      日本の局面を大きく変えた」」(…)」

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
    「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~ 
     …千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一約束…』監督】。
     三鷹事件http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3
     『約束』http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739

   『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき
    「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
     《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
     ましてや冤罪ではたまったものではありません》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
     一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」
   『●1949年《公安事件が続発…下山事件(七月五日)、
         三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》
    《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、
     六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した
     無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を
     負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに
     国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求
     したが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-953805.html

<金口木舌>三鷹事件と喜屋武由放
2019年7月15日 06:00
名護 三鷹事件 金口木舌

 名護市のヒンプンガジュマルの近くに、1998年建立の徳田球一記念碑がある。1894年に名護で生まれた徳田は日本共産党設立に関わり戦後は衆院議員になった。1950年のレッドパージで追放後、53年に北京で客死した

▼70年前のきょう、東京の三鷹駅で無人列車が暴走し6人が死亡、20人が重軽傷を負った。捜査当局は旧国鉄の人員整理に反対する共産党の組織的犯行として、10人を起訴した。戦後の国鉄三大事件の一つ、三鷹事件

▼名護の記念碑建立に尽力し95年に亡くなった喜屋武由放も被告の一人。父・保昌は豊見城出身で東京帝国大学に進学し社会主義運動に加わった。東京生まれの由放も徳田らと接し入党した

▼無実を訴えた由放は公判で名を聞かれ「自由解放の由放だ」と答えた。50年の一審判決で由放を含む党員9人は無罪だった。唯一、党員でない竹内景助は一審で無期懲役、二審の死刑が確定後、獄死した

▼片島紀男氏の著書「三鷹事件」(NHK出版)は当局の見込み捜査と、疑問を抱かない当時の報道の危うさを指摘した。起訴の背景に連合国軍総司令部(GHQ)の反共の思惑があったという裁判官の述懐もある

▼竹内は獄中から由放宛ての手紙に「無罪真実を明かすため」「人の心に記されることを祈って」とつづった。権力は身体と思想の自由を奪う。竹内の遺族は今も再審請求中だ。
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●1949年《公安事件が続発…下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》

2019年07月05日 00時00分31秒 | Weblog


2018年11月の記事。東京新聞の花井勝規記者の記事【来年70年、三鷹事件に迫る あす武蔵野で語り継ぐ集会】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201811/CK2018112302000124.html)。

 《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求をしたが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》。

 国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。東京高裁では、御長男による再審請求が続いているとのこと。国鉄労働組合国労)つぶしという背景もあったのではないでしょうか。竹内景助元死刑囚は無実を訴えつつ獄中死されています。冤罪が晴れるれる日はいつになるのでしょう。

   『●三鷹事件: 再審請求
    「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
     されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
     したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
     今回は長男の方が請求を出されたようです」

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(…)。」
     「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
      日本の局面を大きく変えた」」(…)」

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
    「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~ 
     …千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一約束…』監督】。
     三鷹事件http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3
     『約束』http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739

   『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき
    「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
     《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
     ましてや冤罪ではたまったものではありません》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
     一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201811/CK2018112302000124.html

来年70年、三鷹事件に迫る あす武蔵野で語り継ぐ集会
2018年11月23日

     (車庫から無人電車が暴走、駅舎と駅前派出所を壊し
      民家に突入して6人が死亡した「三鷹事件」の事故現場
      =1949年7月15日)

 一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、六人が亡くなった「三鷹事件」。来年で七十年を迎えるのを前に、市民グループ「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」が二十四日、武蔵野市内で集会を開く。事件の単独犯と認定された元運転士の竹内景助元死刑囚は、無罪を訴えて再審請求している最中に、亡くなった。遺族が遺志を継ぎ再審請求中で、節目の年を前に、関係者は「再審の実現を」と願っている。 (花井勝規)

 三鷹事件では、暴走、脱線した無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに国鉄三大事件と呼ばれる。

 五〇年八月の一審判決は、起訴された国鉄労働組合国労)の組合員ら九人を無罪としたが、竹内元死刑囚には無期懲役を言い渡した。翌年の控訴審でさらに重い死刑判決が言い渡され、上告審で死刑が確定。竹内死刑囚は無実を訴えて再審請求をしたが、六七年に脳腫瘍で亡くなった。

 集会では、三鷹事件を取り上げた民放の特集番組を上映し、事件を振り返るほか、竹内元死刑囚の長男が二〇一一年に東京高裁に再審請求を申し立て、高裁や弁護団の間で続いている三者協議について、弁護団の弁護士が解説する。

 会の代表世話人の一人で、三鷹市在住の元教員古川啓さん(65)は「三者協議の状況を聞く限り、そろそろ高裁が再審を決定するか、請求を棄却するかを判断する時期に来ている」と指摘。「再審の実現で闇の中にある真実を明らかにする第一歩を踏み出したい」と話す。

 集会は午後二時、武蔵野市境の武蔵野スイングホール十階の会議室で。参加費は資料代として五百円。問い合わせは日本国民救援会三多摩総支部内の事務局=…へ。
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●「市民が自由に発言できるよう改憲をくい止め共謀罪法、秘密保護法を廃止することが戦争への道を止める」

2018年06月23日 00時00分02秒 | Weblog

青木理さん『情報隠蔽国家』…「客観的な事実すら隠蔽し…ねじ曲げて恥じない為政者たちの姿」を報じも… ↑】



1年以上前の記事を二つ。東京新聞の伊東浩一記者による記事【27年前の「横浜事件」映画が続々再上映 「共謀罪」審議の中「歴史の教訓に」】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017051590135422.html)と、
桐山桂一さんのコラム【【私説・論説室から】松川事件を記憶遺産に】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017061902000139.html)。
今日の東京新聞』(http://a-tabikarasu.hatenadiary.com/)から、再びすいません、コピペ・マゴビキさせて頂きました。【言わねばならないこと/「戦える国」に変質 斎藤貴男さん】(http://a-tabikarasu.hatenadiary.com/entry/2018/06/15/125008)。

 《戦時下の治安維持法による言論弾圧を題材に、27年前に富山県朝日町などで撮影された映画「横浜事件を生きて」が今、各地で上映されている。生き証人として事件を語り続けた元雑誌編集者、木村亨さん(1998年に82歳で死去)を追ったドキュメンタリー。戦争に批判的な言論人らを取り締まるため警察が拷問で事件をつくり上げていく過程が当事者の証言で生々しく再現され、反響を呼んでいる》。
 《奪われた自由 戦前想像して…思想信条の自由が奪われた戦前を思い起こしてほしい。無理にでも想像する力を働かせないと、歴史は必ず繰り返される》。

 アノ無茶苦茶から、もう1年。
 「平成の治安維持法」が、与党自公・癒党お維のオカゲで衆院、そして、参院を突破して1年。森達也さんの《4年間でこの国がどう変わるのか、とてもとても楽しみだ》が思い出される…《ならばこの4年で憲法を変えることが充分に可能に…つまり法案はさくさくとすべて通る》…その通りの酷き状況。




   『●「平成の治安維持法」=「テロ対策には 
     全く役に立たない共謀罪を、誰が何のために作ろうとしている」?
   『●「官憲が内心に踏み込んで処罰して、
     人権を著しく侵害した戦前、戦中の治安維持法」が亡霊のように…
   『●「戦前の治安維持法」の亡霊…「共産党幹部の
     夫のために家事をしただけで処罰の対象に」という悍ましさ
   『●ソレは既に彼らの手中…「大量監視の始まり。
      日本にこれまで存在していなかった監視文化が日常のものに」
   『●「国連とは別の個人の資格」な訳のない
     国連特別報告者のアピールを無視?…沖縄でのプレ「治安維持法」

   『●『キネマ旬報』…「戦前・戦中の言論弾圧につながる
        治安維持法が成立した大正末期と…現在が似ている」
   『●Leaderでなく、狂気なDictator…
      しかも、壊憲に向け、使う話法はドアホウワホウ
   『●森達也さん、「僕はもうあきらめた」
      「これから4年間でこの国がどう変わるのか、とてもとても楽しみだ」
   『●「本当の権力の恣意的運用というルビコン川を渡った」自公お維
                         …「平成の治安維持法」参議院突破


 主犯「A」の好き嫌いで、「こんな人たち」と指差される社会…それでいいの?
 東京新聞の記事【「共謀罪」成立1年 「監視社会強化招く」】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018061602000139.html)によると、《自由人権協会代表理事の芹沢斉(ひとし)・青山学院大名誉教授は、一年前に与党が参院法務委員会で採決を省略する異例の手続きで議論を打ち切り、参院本会議で採決を強行したことを振り返り「こんな暴挙をしたのは、近代刑法の原則に違反する悪法だからだ」と指摘。「『犯罪』をかぎつけ、立証するには通信の秘密やプライバシーを侵害する捜査手法が伴う。人権からも大いに問題がある」とも述べ、「皆さんと一緒に廃止に向かっていきたい」と呼び掛けた。…弁護士有志らでつくる「共謀罪対策弁護団」の海渡雄一弁護士は、市民のプライバシー情報が集まるIT企業の警察への情報提供について複数の市民団体でアンケートをとったところ、国内大手八社から回答がなかったことを報告し、情報収集に対する監督機関の必要性を指摘。「市民が自由に発言できるよう改憲をくい止め、共謀罪法秘密保護法廃止することが戦争への道を止める」と訴えた》。

   『●「平成の治安維持法」…「いつの間にか「こんな人たち」に
                くくられる危険性が、この法には色濃く潜む」
    「沖縄タイムスの磯野直記者のコラム【[大弦小弦]具体的な犯罪行為が
     なくても…】…《合意という「心の中」を処罰できる「共謀罪」法が11日、
     施行された…軍国主義が拡大し、同法は一般人の権力批判と
     少数意見も徹底的に弾圧した。何かが劇的に変化したわけではない。
     昨日より今日と、なし崩し的に社会の空気を変え、言論の自由を
     消滅させた》。…よっぽど後ろめたいのだろう、こんな短期間で
     「平成の治安維持法」を施行。じわじわとボディーブロ-のように…
     今は何も感じなくても。気づいた時には茹でガエル。いま踏んばらねば」


 《毛利正道弁護士…治安維持法の制定時にも、政府や警察は『乱用はしない』と再三説明していた。実際には拡大解釈され、戦争に反対した人たちが摘発された。歴史的教訓としなければならない》。
 《戦後最大の冤罪…一審で死刑判決を受けた男性(93)は十年近く拘置所に入れられ男盛りの時代を奪われた。本紙に「『共謀罪』に反対だ実行行為すらいらず、何にでも適用できる。権力の横暴に歯止めがかからなくなる」と答えていた。冤罪。人間の愚かしさも記憶として後世に伝えねばならない》。

 平成の治安維持法と監視・密告社会。冤罪・謀略と国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」…。

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
       一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」

 斎藤貴男さん曰く、《奪われた自由 戦前想像して》と。さらに、《権力が市民を監視し、民主主義の絶対条件である「思想信条の自由」を奪う内容に危機を感じ、廃止を訴え続けてきた。その自由を安倍政権に奪われてしまったことに、改めて怒りと屈辱を感じている…思想信条の自由が奪われた戦前を思い起こしてほしい。無理にでも想像する力を働かせないと、歴史は必ず繰り返される》とも。
 是非、斎藤さんの警鐘に耳を傾けてほしい。

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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017051590135422.html

27年前の「横浜事件」映画が続々再上映 「共謀罪」審議の中「歴史の教訓に」
2017年5月15日 13時54分

 戦時下の治安維持法による言論弾圧を題材に、27年前に富山県朝日町などで撮影された映画「横浜事件を生きて」が今、各地で上映されている。生き証人として事件を語り続けた元雑誌編集者、木村亨さん(1998年に82歳で死去)を追ったドキュメンタリー。戦争に批判的な言論人らを取り締まるため警察が拷問で事件をつくり上げていく過程が当事者の証言で生々しく再現され、反響を呼んでいる。 (伊東浩一)

 三月下旬、長野県岡谷市で開かれた上映会。スクリーンの中で、生前の木村さんが問い掛ける。「『おまえたち、ここで殺していいんだぞ。天皇陛下の命令だ』と(警察官が)堂々と言う。まさに殺されそうだった。こんなむちゃくちゃな時代を想像できますか

 雑誌「中央公論」の編集者だった木村さんは四二年、朝日町出身の国際政治学者、細川嘉六らと新潟県境の親不知(おやしらず)海岸を観光し、同町の旅館「紋左(もんざ)」に宿泊。だが、警察はこの集まりを共産党再建を準備する目的だったと決め付けた。治安維持法違反容疑で木村さんら編集者、研究者ら六十人以上を芋づる式に逮捕し、拷問で四人が獄死。木村さんは丸太の上で正座させられ、さらに警察官が膝の上に乗るといった拷問を受け、うその自白をした

 映画製作では、朝日町で木村さんらを接待した芸者、横浜拘置所の看守らにも取材。証拠がない中、事件がつくり上げられた実態を浮き彫りにする。「情けないことに、あの侵略戦争に屈し、拷問に屈したが、もうこれ以上は許せない」。木村さんが再審請求で冤罪(えんざい)を勝ち取ることを誓い、涙ぐむ場面で映画は終わる。

 上映会を企画した毛利正道弁護士は「大きな衝撃を受けた。今、政府は共謀罪(組織犯罪処罰法改正案)の成立を目指しているが、治安維持法の制定時にも、政府や警察は『乱用はしない』と再三説明していた。実際には拡大解釈され、戦争に反対した人たちが摘発された歴史的教訓としなければならない」と語る。

 <横浜事件> 1942年、細川嘉六(1888~1962)が雑誌「改造」の掲載論文を「共産党の宣伝」と批判され、警視庁に治安維持法違反容疑で逮捕された。その後、神奈川県警特別高等課(特高)が押収した紋左の写真をもとに、細川らが共産党再建準備会を開いたとして、同容疑などで言論、出版関係者ら60人以上を投獄。拷問で4人獄死、30人余りが起訴される戦時下最大の言論弾圧事件となった。2010年2月、元被告5人の刑事補償を巡る横浜地裁決定は「共産党再建準備会の事実を認定する証拠はない」とし、「実質無罪」と認められた。

(東京新聞)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017061902000139.html

【私説・論説室から】
松川事件を記憶遺産に
2017年6月19日

 戦後最大の冤罪(えんざい)は松川事件であろう。一九四九年に福島県内で起きた列車転覆事故である。線路継ぎ目のボルトが緩められレール一本も外され、転覆するように仕組まれていた。機関士ら三人が死亡した。

 警察は当時の国鉄の大量人員整理に反対していた労働組合員による犯行だと決め付けていた芋づる式に組合員らが逮捕された。

 一審では被告二十人が全員有罪、うち死刑が五人、五人が無期懲役だった。二審も有罪だったが、最高裁が二審を破棄。差し戻し審で全員が無罪となり、これが確定した。

 冤罪であったことが明白となったが、その背景には弁護団の活躍ばかりでなく、作家の広津和郎が「中央公論」で無罪論を書くなど、作家らの支援運動があったことがある。

 福島大学には松川事件の資料がある。八八年に開設した松川資料室には十万点にのぼる関係資料を収集・公開している。同大ではこれをユネスコの「世界記憶遺産」への登録を目指している。既に国内委員会に対して登録申請の手続きを済ませた。

 一審で死刑判決を受けた男性(93)は十年近く拘置所に入れられ男盛りの時代を奪われた。本紙に「『共謀罪』に反対だ。実行行為すらいらず、何にでも適用できる。権力の横暴に歯止めがかからなくなる」と答えていた。

 冤罪。人間の愚かしさも記憶として後世に伝えねばならない。 (桐山桂一
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http://a-tabikarasu.hatenadiary.com/entry/2018/06/15/125008

今日の東京新聞
購読している東京新聞の記事を紹介します。読者の応援ブログです。

                       2018-06-15
       言わねばならないこと110 斎藤貴男さん

言わねばならないこと/「戦える国」に変質 斎藤貴男さん/2面


奪われた自由 戦前想像して

 「共課罪」法(改正組織犯罪処罰法)の成立から1年。権力が市民を監視し、民主主義の絶対条件である「思想信条の自由」を奪う内容に危機を感じ、廃止を訴え続けてきた。その自由を安倍政権に奪われてしまったことに、改めて怒りと屈辱を感じている。

 共謀罪は、テロの未然防止の名目で一般市民がテロリストか否かを見分けるところから捜査を始める。性悪説に立ち、市民を見張るべき対象に位置づけている。本来、見張るべき対象は権力側ではないのか

 この1年間に財務省の文書改ざんや自衛隊の日報隠蔽(いんぺい)などの問題が次々と明らかになった。権力こそ暴走したら恐ろしい。「権力は判断を誤らない」という考えはもはや信用できない

 こういう話をすると「被害者意識ばかり膨らませている」と批判を受ける。確かに共謀罪の疑いで逮捕された人はまだいない。でもそれは、単に権力が逮捕しなかったということにすぎない恣意(しい)的な判断で逮捕できるという現状は変わらず、むしろ社会は監視の度合いを強める方向に向かっている

 共謀罪法が成立した前年には通信傍受法が改正され、警察が会話を盗聴できる対象犯罪が広がった。今月から他人の罪を密告すれば自分の罪を軽くできる司法取引制度も始まっている。

 全ての動きは連動している。この国の「自由度」は極端に狭まっている

 気掛かりなのは、社会が現状に無関心であるように感じられること。戦争がない状態が当たり前の時代に育った人が大半を占めているから仕方ないかもしれない。だが、思想信条の自由が奪われた戦前を思い起こしてほしい。無理にでも想像する力を働かせないと、歴史は必ず繰り返される


 さいとう・たかお/フリージャーナリスト 1958年、東京生まれ。早稲田大卒。日本工業新聞、週刊文春などの記者を経てフリーに。2013年から放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員。主な著書に「戦争経済大国」など
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●素人に《人を裁くという経験を通じ、死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしいという『朝日』と大違い?

2016年11月13日 00時00分57秒 | Weblog


東京新聞の社説【死刑廃止宣言 日弁連はどう説得する】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016100802000182.html

 《死刑廃止を求める宣言を日弁連がした。冤罪(えんざい)なら取り返しがつかない刑罰だ。厳罰を望む犯罪被害者の声や80%を超す死刑存置の世論も無視はできない。日弁連はどう説得するか試される。…英政府は過ちを認め、六五年から死刑執行をやめ、六九年に制度そのものを廃止した。注目すべきは、当時の英国の世論の80%超が死刑を支持していたのだ》。

 『朝日新聞』では、素人に《人を裁くという経験を通じ、死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい…それと比較すると、『東京新聞』のこの社説は趣が随分と違う。冤罪という大問題に加えて、素人裁判官に「死刑のスイッチ」を押させる残酷さ。訓練を受けたであろうプロの裁判官でさえが、どう感じておられるのだろう? 例えば、熊本典道さん…。

   『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
               死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい
   『●シロウト裁判官の地獄…: 「裁判員の経験を
      話した親しい友人にこう問われた。「人を殺したのか?」」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016100802000182.html

【社説】
死刑廃止宣言 日弁連はどう説得する
2016年10月8日

 死刑廃止を求める宣言を日弁連がした。冤罪(えんざい)なら取り返しがつかない刑罰だ。厳罰を望む犯罪被害者の声や80%を超す死刑存置の世論無視はできない。日弁連はどう説得するか試される。

 英国で無実の人を絞首刑にしたことがある。一九四九年のエバンス事件だ。運転手のエバンスが妻と娘を殺したとされたが、死刑執行後に真犯人はアパートの階下の住人だったことが判明した。

 英政府は過ちを認め、六五年から死刑執行をやめ、六九年に制度そのものを廃止した。注目すべきは、当時の英国の世論の80%超が死刑を支持していたのだ

 英国ばかりでなく、どの国も世論は「死刑支持」が多数派だったが次々と政治が廃止へと導いていった

 二〇一五年末時点で、死刑を廃止・停止している国は百四十カ国にのぼる。世界の三分の二以上を占める。制度があっても、執行した国は二十五カ国しかない。アムネスティ・インターナショナルによれば、米国の五十州のうち十八州は廃止、存置州でも三州は停止している。執行されたのは一五年では六州だけだ。韓国は制度はあるが、十八年以上停止している。OECD(経済協力開発機構)加盟国で国家として統一して死刑執行するのは日本だけなのだ。

 その日本で八〇年代に四件の再審無罪があった。「死刑台からの帰還」である。一四年には袴田事件で再審決定があり、死刑確定者が四十八年ぶりに釈放された。もし彼らが絞首刑になっていたら…。裁判も人間が行う限り、誤りが起こる。それでも取り返しのつかない刑罰を持つべきだろうか

 死刑は犯罪を抑止するという考え方があるが、国内外の研究ではその効果を実証できてはいない。むしろ抑止効果を疑問視している。しかも、日本の刑事司法冤罪を生みやすい構造を持つ長期の身柄拘束自白偏重の取り調べが続いているし、証拠の全面開示もない欠陥だらけなのだ。

 米国では死刑確定後も、手続きが公正であったか、州と連邦レベルでそれぞれチェックされる。日本では決定的な新証拠がなければ、再審がほとんど認められない無実か、量刑を誤った死刑囚が存在することはないのか。再審の新たな仕組みが必要でないか。

 犯罪被害者が厳罰感情を持つのは当然であるし、理解できる。その一方で、誤判を心配する。死刑廃止という世界的な潮流に逆らえるか、悩ましさが募る。
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●壊憲…「緊急事態という口実で、憲法が破壊される恐れが…ヒトラーは非常事態を乱用して独裁を築いた」

2016年09月11日 00時00分55秒 | Weblog


東京新聞の桐山桂一豊田洋一熊倉逸男の三氏による壊憲批判の10本の社説シリーズ。そのうちの後半5つ。
【今、憲法を考える(6) ドイツ「派兵」の痛み】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090502000140.html)、
【今、憲法を考える(7) 変えられぬ原則がある】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090602000128.html)、
【今、憲法を考える(8) 立憲・非立憲の戦いだ】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090702000131.html)、
【今、憲法を考える(9) ルソーの定義に学べば】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090802000138.html)、
【今、憲法を考える(10) 戦後の「公共」守らねば】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090902000145.html)。

 《退役後も心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ若者の手記はベストセラーになった。独週刊誌シュピーゲルは、いやおうなく激戦に巻き込まれていった検証記事を掲載し、派兵を批判した。戦場では見境もなくエスカレートし、命を奪い合う。政治の論理や机上の作戦では、修羅場は見えない派兵への歯止めを外したドイツは今も苦しむ》。
 《戦勝国の米英仏は、基本法に盛り込むべき人権、自由の保障などの基本原則を示した。しかし、議会評議会議長アデナウアー(のちの首相)が主導権を握り、「押し付けられた」との意識はない。…改正が許されない基本原則もある。基本法七九条は、人間の尊厳の不可侵、民主的な法治国家、国民主権、州による連邦主義などに触れることは許されていないと規定している。いずれもヒトラー政権下で踏みにじられてきたものだ》。
 《もし「人権を奪う法案」が国会で可決されたらどうなるか…。たとえ多数決でも人権は奪えないと考えるのが立憲主義である。憲法に明記すれば、人権は守られる。どんな政治権力も暴走する危険があるから憲法の力で制御しているのだ》。
 《自民党は憲法を全面改定する草案を掲げ、安倍晋三首相が「それをベースに」と改憲を呼び掛けている。本丸は国防軍の創設だといわれる。だが、日本国憲法は軍事力を持つようにできていないので、九条を変えれば、書き換えねばならない箇所がいくつも出てくる。例えば首相の職務には軍事の規定が入るであろう。そもそも現行憲法とは思想が相いれない》。
 《だから、戦後のスタートは天皇が人間宣言で神格化を捨てた。政教分離で国家神道を切り捨てた。そして、軍事価値を最高位に置く社会を変えた。憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は「第九条の存在は、そういう社会の価値体系を逆転させたということに、大きな意味があった」と書いている。軍国主義につながる要素を徹底的に排除した。そうして平和な社会の実現に向かったのは必然である。自由な「公共」をつくった》。

 壊憲批判シリーズの前半はこちら。

   『●「ト」な自民党改憲草案の押し付け…
     押し付けられた「押し付け憲法論は、賢明なる先人に対する冒涜」
    「東京新聞の壊憲批判の社説シリーズ5つ」

 壊憲し、9条を捨て去ればその先に待っているのは…? 《緊急事態という口実で、憲法が破壊される恐れがあると指摘したのだ。戦前の旧憲法には戒厳令などがあったヒトラーは非常事態を乱用して独裁を築いた》…トンデモの「ト」な自民党改憲草案がやろうとしていること。
 「ト」な自民党改憲草案は「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限」をやるそうです。凄いな~。2016年7月参院選では、そんな自公や「癒(着)」党の議員に鹿や馬のごとくバカバカと投票したわけです。オメデタイ。投票してしまって後悔していないのでしょうね。確信的? もし、投票してしまって後悔しているのであれば…「あとの祭り」。

   『●争点は「壊憲」: 「ト」な自民党改憲草案は
       「国民主権の縮小、戦争放棄の放棄、基本的人権の制限」
   『●「憲法九条…戦争放棄はGHQの指示ではなく、
       当時の幣原喜重郎首相の発意だったとの説が有力」
    《憲法九条です。戦争放棄はGHQの指示ではなく、
     当時の幣原喜重郎首相の発意だったとの説が有力》。
    《日本国憲法は、連合国軍総司令部(GHQ)に強いられたものであり、
     自らの手で作り替えたい》。
    「…押し付け? これまた、古い呪文、昔の名前をひたすら唱える
     アベ様の自公政権。「積極的平和主義」を愛する公明党も壊憲を
     あと押し。自公お維大地こそが壊憲を市民に強いているし、押し付けている

   『●花森安治さんの「「武器を捨てよう」は
      憲法押し付け論を批判し、9条の意義を説く一編」
   『●壊憲派の沈黙、押しつけ憲法論という思考停止: 
       「二項も含めて幣原提案とみるのが正しいのではないか」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090502000140.html

【社説】
今、憲法を考える(6) ドイツ「派兵」の痛み
2016年9月5日

 日本と同じく敗戦国でありながらドイツは一九五〇年代、基本法(憲法)を改正し、再軍備を明記した。基本法を起草した西ドイツの議会評議会は、軍国ドイツ復活を警戒する米英仏を刺激することを避け、自国防衛の規定を入れなかった。
 ところが、冷戦の激化で情勢は一転。米国など西側陣営は、朝鮮戦争に危機感を強め、ソ連に対抗する北大西洋条約機構(NATO)を設立、再軍備を認める。
 基本法改正で軍を創設徴兵制(最長時兵役十八カ月、今は凍結)を導入した。
 ただし、派兵はNATO域内に限った。
 さらなる転機は一九九一年一月の湾岸戦争だった。ドイツは日本と同様、派兵を見送り、巨額の支援をしながらも国際的批判にさらされた。
 保守中道のコール政権は基本法は変えないまま、NATO域外のソマリア内戦国連平和維持活動(PKO)に参加し、旧ユーゴスラビア紛争では艦隊を派遣する。国内で激化する違憲・合憲論争を決着させたのが、連邦憲法裁判所だった。
 九四年、議会の同意を条件に域外派兵は可能、と判断した。指針が示され、軍事力行使拡大への道が開かれた。
 よりリベラルなはずの社会民主党・緑の党連立のシュレーダー政権は、ユーゴからの独立を宣言したコソボ問題でNATO軍のユーゴ空爆に加わった。「アウシュビッツを繰り返さない」-少数民族の虐殺を許さないという人道上の名目だった。
 同盟国と軍事行動に参加し、国際協調を貫く-そんなきれいごとだけでは終わらなかった。さらに戦争の真実を知らしめたのは、アフガニスタンへの派兵だった。
 ドイツが任されたのは安全とされた地域だったが、十三年間にわたる派兵で、五十五人の兵士が亡くなった市民百人以上を犠牲にした誤爆もあった
 退役後も心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむ若者の手記はベストセラーになった。独週刊誌シュピーゲルは、いやおうなく激戦に巻き込まれていった検証記事を掲載し、派兵を批判した。
 戦場では見境もなくエスカレートし、命を奪い合う政治の論理や机上の作戦では、修羅場は見えない派兵への歯止めを外したドイツは今も苦しむ。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090602000128.html

【社説】
今、憲法を考える(7) 変えられぬ原則がある
2016年9月6日

 基本法(憲法)を六十回改正したドイツを例に挙げ、日本国憲法改正を促す声もある。国の分断時に制定された基本法の暫定的性格が改正を容易にした面もある。
 ドイツは、人間の尊厳不可侵など、基本法の基本原則は曲げてはいない。
 芸術を愛したバイエルン国王ルートウィヒ二世が築いた城があるヘレンキームゼー島。敗戦後、湖水にうかぶ景勝地に州首相らが集まって、草案をまとめた。
 草案をもとに、各州代表六十五人による議会評議会は、西ドイツの首都ボンで、八カ月かけて基本法を制定した。日本国憲法施行二年後の一九四九年だった。
 戦勝国の米英仏は、基本法に盛り込むべき人権、自由の保障などの基本原則を示した。
 しかし、議会評議会議長アデナウアー(のちの首相)が主導権を握り、「押し付けられた」との意識はない
 占領下だった。将来の東西統一後、選挙で選ばれた代表によって「国民が自由な意思で」憲法を制定するとし、基本法と名付けた。分断を固定させまいとの思いを込めた。
 しかし九〇年、新たな憲法制定より統一を急ぐことを優先し、基本法を旧東ドイツ地域にも適用する手法を採った。
 基本法の呼称のまま、国民に定着している。
 改正には上下両院の三分の二以上の賛成が必要だが、日本と違って国民投票の必要はない。
 国の根幹に関わったのは、軍創設と徴兵制導入に伴う五〇年代の改正、防衛や秩序維持など「非常事態」に対処するための六八年の改正だった。
 冷戦の最前線にあった分断国家が必要に迫られてのものだった。
 改正が許されない基本原則もある。基本法七九条は、人間の尊厳の不可侵、民主的な法治国家、国民主権、州による連邦主義などに触れることは許されていない、と規定している。
 いずれも、ヒトラー政権下で踏みにじられてきたものだ。ナチスのような暴政を繰り返すまいとの決意表明である。国是と言ってもいいだろう。
 日本にもむろん、守るべき憲法の精神がある。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090702000131.html

【社説】
今、憲法を考える(8) 立憲・非立憲の戦いだ
2016年9月7日

 もし「人権を奪う法案」が国会で可決されたらどうなるか…。
 たとえ多数決でも人権は奪えないと考えるのが立憲主義である。憲法に明記すれば、人権は守られる。どんな政治権力も暴走する危険があるから、憲法の力で制御しているのだ。
 ちょうど百年前、一九一六年に京都帝大の憲法学者佐々木惣一が「立憲非立憲」という論文を発表した。「違憲ではないけれども、非立憲だとすべき場合がある」という問題提起をしたのだ。
 人権を奪う法案のたとえは、非立憲そのものだ。国民主権も多数決で奪えない平和主義もまたそのような価値である
 民意を背景にした政治権力でも間違うことがあるから憲法で縛りをかける。過半数の賛成も間違うことがある。だから多数決は万能ではないと考えるわけだ。
 対極が専制主義である。佐々木は「第十八世紀から第十九世紀にかけての世界の政治舞台には、専制軍に打勝(うちかっ)た立憲軍の一大行列を観(み)た」と記した。専制軍とはフランス王制、立憲軍とは人権宣言などを示すのだろう。佐々木が心配した「非立憲」の勢力が、何と現代日本に蘇(よみがえ)
 集団的自衛権行使を認める閣議決定はクーデターとも批判され、安全保障法制は憲法学者の大半から違憲とされた。憲法を無視し、敵視する。そして改憲へと進む民意で選ばれた政治権力であっても専制的になりうることを示しているのではないだろうか。
 緊急事態条項を憲法に新設する案が聞こえてくる。戦争や自然災害など非常事態のとき、国家の存立を維持するために憲法秩序を停止する条項だ。奪われないはずの人権も自由も制限される
 他国にはしばしば見られるのに、なぜ日本国憲法にこの規定がないか。七十年前に議論された。一九四六年七月の帝国議会で「事変の際には(権利を)停止する」必要性をいう意見が出た。新憲法制定の担当大臣である金森徳次郎はこう答弁した。

   <精緻なる憲法を定めましても口実を其処(そこ)に入れて
     又(また)破壊せられる虞(おそれ)絶無とは断言し難い

 緊急事態という口実で、憲法が破壊される恐れがあると指摘したのだ。戦前の旧憲法には戒厳令などがあったヒトラーは非常事態を乱用して独裁を築いた「立憲」を堅持しないと、権力はいろんな口実でかけがえのない人権を踏みにじりかねない
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090802000138.html

【社説】
今、憲法を考える(9) ルソーの定義に学べば
2016年9月8日

 国家とは法人である。国民との間で、社会契約が結ばれている。そして戦争は国家と国家の間で生じる。つまり、戦争とは他国の社会契約を攻撃することだ-。
 ルソーは戦争をそう定義した。十八世紀に活躍した思想家で、「社会契約論」などで有名だ。フランス革命時の人権宣言に影響を与えた。「戦争状態は社会状態から生まれるということ」(ルソー全集四巻)にこう記す。

   <ある主権者に戦争を挑むとはどういうことだろうか。それは国家の協約と
     その結果生じるあらゆる現象とを攻撃することだ。(中略)社会契約が
     ただの一撃で断ち切られるようなことがあれば、たちまち戦争は
     もう起きなくなるに違いない>

 社会契約を暴力で断ち切るのだから、憲法原理が変われば戦争は終わる。憲法学者の長谷部恭男早大教授は「ルソーの想定は、単なる空理空論ではない」と著書「憲法とは何か」に書いている。そして、東欧諸国が共産主義の憲法を捨て、議会制民主主義を採用した事例を挙げる。確かに「冷戦」という戦争は終結した。
 自民党は憲法を全面改定する草案を掲げ、安倍晋三首相が「それをベースに」と改憲を呼び掛けている。本丸は国防軍の創設だといわれる。だが、日本国憲法は軍事力を持つようにできていないので、九条を変えれば、書き換えねばならない箇所がいくつも出てくる。例えば首相の職務には軍事の規定が入るであろう。
 そもそも現行憲法とは思想が相いれない立憲主義では憲法は「名宛て人」を国家にして権力に憲法を順守させる草案は国民に順守させる書きぶりだ。しかも、「公益」や「公の秩序」の方を人権より上に位置付ける権力ではなく国民を縛ろうとするのは立憲主義の放棄であろう。
 憲法改正の限界説も無視している。日本国憲法のアイデンティティーを損なう改正は限界を超えて、不可能と考える学説である。人権や国民主権、平和主義は三大原則と呼ばれるから本来、手を付けられないはずだ草案は世界でも先進的な平和的生存権もばっさり削る国民に国防義務を負わせることと関連していよう。
 自民党草案が仮にそのまま成立するなら憲法破壊となる。憲法典の転覆だから、法学的意味で革命と指摘する声もある。ルソーに学べば社会契約に対する戦争と同じ事態だともいえる。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016090902000145.html

【社説】
今、憲法を考える(10) 戦後の「公共」守らねば
2016年9月9日

 歴史の読み方として、一九三五年を分岐点と考えてみる。天皇機関説事件があった年である。天皇を統治機関の一つで、最高機関とする憲法学者美濃部達吉の学説が突如として猛攻撃された。
 なぜか。合理的すぎる、無機質すぎる-。現人神である天皇こそが統治の主としないと、お国のために命を捧(ささ)げられない。「天皇陛下万歳」と死んでいけない。機関説の排除とは、戦争を乗り切るためだったのだろう。
 それまで「公」の場では神道と天皇の崇拝を求められたものの、「私」の世界では何を考えても自由なはずだった。だが、事件を契機に「公」が「私」の領域にまでなだれ込んでいった。それから終戦までわずか十年である。
 だから、戦後のスタートは天皇が人間宣言で神格化を捨てた。政教分離で国家神道を切り捨てた。そして、軍事価値を最高位に置く社会を変えた。憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は「第九条の存在は、そういう社会の価値体系を逆転させたということに、大きな意味があった」と書いている。
 軍国主義につながる要素を徹底的に排除した。そうして平和な社会の実現に向かったのは必然である。自由な「公共」をつくった。とりわけ「表現の自由」の力で多彩な文化や芸術、言論などを牽引(けんいん)し、豊かで生き生きとした社会を築いた。平和主義が自由を下支えしたのだ。九条の存在が軍拡路線を阻んだのも事実である。
 ところが、戦後の「公共」を否定する動きが出てきた。戦後体制に心情的反発を持ち、昔の日本に戻りたいと考える勢力である。強い国にするには、「公」のために「私」が尽くさねばならない。だから愛国心を絶対的なものとして注入しようとする。国旗や国歌で演出する-。そんな「公共」の再改造が進んでいまいか。
 憲法改正の真の目的も、そこに潜んでいないか。憲法は国の背骨だから、よほどの動機がない限り改変したりはしないものだ。動機もはっきりしないまま論議を進めるのはおかしい。戦後の自由社会を暗転させる危険はないか、改憲論の行方には皆で注意を払わねばならない。 =おわり


(この企画は桐山桂一豊田洋一熊倉逸男が担当しました)

    ◇

 ご意見、ご感想をお寄せください。〒100 8505(住所不要)東京新聞・中日新聞論説室 ファクス03(3595)6905へ
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●「日本を売る秘密交渉 TPP」 『週刊金曜日』(10月18日、964号)についてのつぶやき

2013年10月21日 00時00分33秒 | Weblog


週刊金曜日』(2013年10月18日、964号)について、最近のつぶやきから、AS@ActSludge。

 今週のブログ主のお薦めは、片岡健氏【和歌山カレー事件に冤罪の可能性 「ヒ素は別物」か!? 中井鑑定に疑義唱える論文の波紋】と明石昇二郎さん【特捜チーム編成で、本腰操作となるか 福島県警、告発状を正式受理】。

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■①『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 「日本を売る秘密交渉 TPP」。明石昇二郎さん【特捜チーム編成で、本腰操作となるか 福島県警、告発状を正式受理】、「強制捜査も視野」「検察審査会での審査に〝追い風〟」。もはや犯罪(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/b708c5d7e03c776fc0cff5e1012bff09) 

■②『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 渡部睦美氏【帰還迫られる福島・田村市で放射線調査 除染道路の4割が効果なし】、「・・きれいな部分だけ縫って歩くように生活しろということになる」。不可能・・?(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/70ea694eaba6c83b3973a0be001acbca

■③『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 【さらん日記 by さらん】、安倍首相・・「状況はコントロールされています」「作業員のいる所が非汚染地域です」。笑えない・・。その小泉純一郎氏がいまや反原発派・・複雑な心境(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/091a616455465e404a8e248e93708b77

■④『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 藍原寛子氏【福島で松川事件無罪確定50周年集会】。国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/e848ac49e72ce1f445810e32d40bb9b0

■⑤『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 宇都宮健児さん【風速計/国を亡ぼすカジノ解禁】、「二〇二〇年東京五輪・パラリンピックに向け、カジノ解禁を目指す動きは活発になっている」そうだ。他にやることあるでしょうに(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/07968cccb4abad0a01affdd3c37e0b4e

■⑥『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 【西川伸一の政治時評/消費税の逆進性は「顕微鏡的」格差で実は公平な税なのか 「望遠鏡的熟議」が必要では?】。いろんな考え方の学者がいるものである・・

■⑦『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 植草一秀氏【かんぽ生命に見る米国の日本支配の策動 安倍首相の公約違反を許してはならない】、「国民皆保険が危ない」「「六つの公約」も破棄か」。「ウソはつく。TPP交渉参加。ブレる。」「日本を壊す!? 自民党」(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/4095fb5e2bf2816951de8c47e28d227b

■⑧『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 内田聖子氏【「結論ありき」で中身はボロボロ TPP「年内妥結」声明も綻びはじめた米政府と財界】。横田一さん【公約違反の〝西川発言〟に党内対立は確実 自民、突然の方針〝転換〟 やはり裏切られた「聖域五項目」】 

■⑨『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 岩月浩二氏【国民主権から外国投資家主権へ ISD条項は憲法を破壊する】、「基本的人権を蹂躙し多国籍企業の利益優先」「憲法の基本原則の侵害は許されない」。「「高度なレベルでの協定締結」が何をもたらすのか?」(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/ffeb37f2332f233ad4b25e13236e914d

■⑩『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 猪熊弘子氏【待機児童問題、保坂展人世田谷区長バッシングに異議あり 認可保育所の「質」の確保こそ大切】。そんな問題が起こっているとは知らなかった・・(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/191c9a1189110383040769a382fc976d

■⑪『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 石川文洋(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/6825289b60b19442e4ab8d25aab34a58)さん【オスプレイ強行配備から一年 米軍機が飛ばない沖縄の日へ】、「米軍機のない光景」「軍隊は住民を守らない」「若い世代への期待」

■⑫『週刊金曜日』(2013年10月18日、964号) / 片岡健氏【和歌山カレー事件に冤罪の可能性 「ヒ素は別物」か!? 中井鑑定に疑義唱える論文の波紋】、「この鑑定論争は、人一人の命を左右しかねない。誇大表現や事実の歪曲がないフェアな議論が望まれる」。ようやく週金でも記事化(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/2d453d51ac165ff784049f039ae886b4
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●国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」

2013年10月18日 00時00分07秒 | Weblog


西日本新聞の記事【「松川事件は終わらない」 無罪確定50年で集会】(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/45903)。

 「戦後最大の冤罪事件と呼ばれる「松川事件」」、「元被告らが「真犯人が見つかるまで、松川事件は終わらない」と訴えた」そうだ。松川事件を含む国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。大事なことは、「結果的にはこの事件が当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は・・・、日本の局面を大きく変えた」ということ。

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
     「GHQの策略・謀略。「一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
      年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
      (八月一七日)・・・・・・。いずれをとっても謀略の色が濃く、
      ・・・「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
      謎に包まれている事件ばかりだ」(p.52)」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(p.13、63、135、139)。」
     「家永三郎さんは「・・・松川事件について、・・・「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は・・・、
      日本の局面を大きく変えた」」(p.64)」

   『●『新聞記者 ~疋田桂一郎とその仕事~』読了(1/2)
     「元毎日新聞の西山記者 (p.156)、「妹たちのかがり火」
      仁木悦子さん (p.160)、松川事件の広津和郎さん (p.205) などの名も」

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http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/45903

「松川事件は終わらない」 無罪確定50年で集会
2013年10月12日(最終更新 2013年10月12日 20時34分)

   (無罪確定から50年を記念する集会を前に記者会見する元被告の
    (左から)阿部市次さん、岡田十良松さん、赤間勝美さん、
    本田昇さん=12日、福島市の福島大)

 戦後最大の冤罪事件と呼ばれる「松川事件」で、被告全員の無罪が確定して50年を記念する集会が12日、現場に近い福島大(福島市)で開かれ、元被告らが「真犯人が見つかるまで、松川事件は終わらない」と訴えた。

 集会には約800人が参加し、4人の元被告が紹介されると、大きな拍手が起きた。登壇した元被告の阿部市次さん(90)は「無罪を勝ち取った後も、冤罪事件はたくさんあった。これを防ぐには司法の改革と、国民の大きな世論が必要だ」とあいさつ。赤間勝美さん(83)は「真犯人を捜し出すまで、元気でいたい」と力強く述べた。
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●『日本の公安警察』読了(1/2)

2010年04月24日 07時07分05秒 | Weblog

日本の公安警察』、4月に読了。青木理著。講談社現代新書。2000年1月刊(2004年10月、八版)。

 「1章 厚いベールの内側」、「2章 特高から公安へ」、「3章 監視・尾行から工作まで」、「4章 公安秘密部隊」、「5章 戦後の公安事件簿」、「6章 オウム・革マル派との〝戦い〟」、「7章 警察の外にある公安」、「8章 監視社会と公安警察」。

 
オウム真理教事件でも使われた手口。「公安警察内で「転び公妨」と呼ばれる手法がある。・・・/日本国内に潜入していた日本赤軍メンバー、丸岡修が・・・逮捕されたのは・・・、典型的な「転び公妨」だった」(p.34)。

 GHQの策略・謀略。「一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)・・・・・・。いずれをとっても謀略の色が濃く、・・・「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが謎に包まれている事件ばかりだ」(p.52)。
 「A級戦犯として公職追放されていた岸信介らが追放解除されたのは、一九五一年八月六日のことだった」(p.56)。

 「一方、安保闘争の高揚に〝呼応〟する形で右翼によるテロ事件も続発する。/一九六〇年一〇月一二日、・・・浅沼社会党委員長が聴衆の面前で一七歳の右翼少年に刺殺された。・・・さらには六一年二月一日、雑誌「中央公論」に掲載された深沢七郎の小説「風流夢譚」が、皇室を侮辱した内容であるとして中央公論社長の家に押し入り、お手伝いを殺害し嶋中夫人にも重傷を負わせた、いわゆる「風流夢譚」事件が起きる」(p.68)。

 奇々怪々な「菅生(すごう)事件」という謀略とその後の無茶苦茶な経緯、〝爆弾犯の異常な出世(pp.108-116)。「・・・当時国家地方警察大分県本部に所属する公安警察官だった。・・・事件は一転して、公安警察による謀略事件だった疑いが浮上した。/・・・〝オトリ捜査〟・・・。/・・・共産党員らに有罪を言い渡した原判決を破棄し、全員無罪の判決を下した。/寒村で突如として起きた「共産党員による駐在所爆破事件」は、地元の共産党周辺へと投入された公安警察官らによる謀略事件だったのである。/・・・大分地裁は戸高を爆発物取締罰則違反で起訴し、その後福岡高裁も戸高の有罪を認定したが、結局は「爆発物に関する情報を警察の上司に報告したことが自首にあたる」として刑を免除される。驚くべきはこの後の戸高に対する処遇だった。警察庁は有罪判決からわずか三カ月後、警部補として復職を認めたのである。/・・・/復職後の戸高は警察大学校教授、警察庁装備・人事課長補佐などを歴任して警視の地位まで昇任。八五年、警察大学校術科教養部長を最後に退官したノンキャリアの公安警察官としては異例の出世だった。/・・・「パチンコ疑惑」・・・参院予算委員会で、再び「戸高・・・」の名前が物議を醸す。・・・警察OBが占める「たいよう共済」の常務に問題人物が就任・・・。戸高・・・のことだった。・・・こんなところにも顔を出している。・・・菅生事件の〝亡霊〟は事件から四〇年以上を経ても警察組織の中枢でひっそりと息づいていた。そしてプリベイドカードは、今も巨大な警察利権の一つとして指摘されている」。斎藤茂男(p.112)。

 盗聴。「中野の警察大学校に本拠を置く「サクラ」部隊は、そんな秘密工作活動を発足以来三〇年以上にわたって延々と、そして水面下で続けてきた。だが一九八六年、組織に大きな転機が訪れる。共産党の緒方国際部長宅盗聴事件の発覚である。/・・・/緒方側の申し出を受け、NTT職員は現場を所轄する警視庁町田署に事実関係を通報した。しかし、到着した町田署員は緒方側から事情を聴くと近所で長時間の電話をし、緒方らに対して「警察は静観する」と言ったきり捜査に乗り出すことを拒否。NTT側が一一月二八日、同署に告発したにもかかわらず、これを受け取らず、翌二九日になってようやく受理した。/ところが一二月一日になると突如として実況見分を実施し、大量の〝証拠品〟を持ち帰ってしまう。極めて不透明な形で行われた見分は証拠隠滅すらうかがわせるものだった」(pp.126-133)。当時の検察総長伊藤榮樹氏のたとえ話・おとぎ話。損害賠償請求訴訟では賠償が命じられ、高裁でも勝訴、国側の上告断念で判決は確定。

 「過去の「サクラ」あるいは「チヨダ」のキャップ=裏理事官・・・。裏理事官に就任するのはすべてがキャリアの警察官僚である。・・・/最近で最も著名な裏理事官経験者は衆院議員の亀井静香だろう」(p.143)。
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●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)

2010年02月07日 16時57分48秒 | Weblog

下山事件〈シモヤマ・ケース〉』、2月に読了。森達也著。新潮文庫。2006年12月刊。単行本に続いて、購入。

 昭和最大のミステリーに対する、ワクチンなき「下山病」(p.68、325、376)。

 井筒和幸監督と『彼』こと柴田哲孝氏(p.400)。『彼』の正体は今回初めて「文庫版のための付記」で知る。

 国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件、車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」(p.13、63、135、139)。
 「・・・初代国鉄総裁が就任早々に轢死体で発見されるというこの衝撃的な事件・・・。/・・・今も決定的な証拠はない。しかしこの事件がきっかけとなって、戦後日本の進路が、大きく軋みながらドラスティックに変わったことは間違いない。労働運動は大きな転機を迎え左派勢力は急激に衰退し、日本とアメリカの関係はより強固なものとなった。翌年に勃発した朝鮮戦争では、米軍からの特需がその後の高度経済成長の大きなきっかけとなり、その帰結が日米安保と五五年体制に結びついた」(p.31)。
 家永三郎さんは「・・・松川事件について、・・・「結果的にはこの事件が当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は・・・、日本の局面を大きく変えた」」(p.64)。

 児玉誉士夫、笹川、岸信介(p.44、162)。

 元共同通信の斎藤茂男さん(p.59)。新右翼「一水会」顧問の鈴木邦男さん(p.162)。安岡卓治さんと丹羽順子(にわ)さん(p.228、324)。
 斎藤茂男さんの訃報とやり残したこと。「こうして「週刊朝日」と自主制作ドキュメンタリー映画という二段構えの取材が始まった直後、斎藤茂男の訃報が届いた。一九九九年五月二十八日。享年七一歳。胃癌だった。・・・/・・・記事中には家族の談話として、斎藤が「ひとつだけやり残したことがある」と語っていたことが紹介されていた。/「その、やり残したことって何だと思う」/・・・「・・・・・・下山事件?」/「僕はそう思っている」」(pp.234-235)。
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