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●《家族への脅迫状…「苦しみ抜いて一人で罪をかぶろうとしているのに許せない。もともと無実なのだから」》

2019年08月18日 00時00分59秒 | Weblog


蜘手美鶴記者による、東京新聞の記事【三鷹事件、再審認めず 元死刑囚側 異議申し立てへ】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080102000133.html)と、
社説【三鷹事件 司法は闇に目をつぶる】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019080102000155.html)。

 《東京の旧国鉄三鷹駅で一九四九年七月、無人電車が暴走し六人が死亡した「三鷹事件」で、死刑確定後に四十五歳で病死した竹内景助元死刑囚の遺族が申し立てた第二次再審請求審で、東京高裁は三十一日、再審開始を認めない決定をした。弁護団は高裁に異議を申し立てる方針》。
 《七十年前の「三鷹事件」の再審を東京高裁は認めなかった。無人電車が暴走し、大勢の死傷者が出た事件。獄死した元死刑囚の長男が求めた再審だ。あまりに多い謎に司法が応えぬ姿勢は疑問だ》。

   『●大崎事件…再審するかどうかを延々と議論し、
      三度にわたる再審開始決定を最「低」裁がちゃぶ台返し
    「再審するかどうかを延々と議論し、《三度にわたり再審開始決定
     出ながら》、最後に、ちゃぶ台返し。最「低」裁は何を怖れているのか? 
     誤りを潔く認めるべきだ」

 裁判所の面子か何か知らないが、酷いな…裁判官のプライドはないのか? 《再審公判で疑問の一つ一つに白黒つける方法もあろう司法の役目は闇に光を当てることでもある》。再審を開始して、新証拠をきちんと検証し、警察・検察、そして、裁判所は自信があるのならば、過去の証拠をもう一度洗い直せばいい。なぜに、再審を開始しないのか?

 大崎事件について、《元裁判官の木谷明弁護士…「無実の人を救済するために裁判所はあるのではないのか」》と。【報道特集】(http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20190803_2_1.html)によると、《”伝説”の元裁判官~冤罪救済に挑む (2019/8/3 放送) 無罪判決を30も出し、全てを確定させた元裁判官。退官後、81歳となった今、冤罪救済を目指す弁護士として裁判所に挑んでいる。そこで直面した裁判所の現状とは》。『イチケイのカラス』(http://morning.moae.jp/lineup/994)のモデルの一部になっているらしい。

   『●三鷹事件: 再審請求
    「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
     されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
     したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
     今回は長男の方が請求を出されたようです」

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(…)。」
     「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
      日本の局面を大きく変えた」」(…)」

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
    「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~ 
     …千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一約束…』監督】。
     三鷹事件(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3)、
     『約束』http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739)」

   『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき
    「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
     《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
     ましてや冤罪ではたまったものではありません》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
     一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」
   『●1949年《公安事件が続発…下山事件(七月五日)、
       三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》
    《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、
     六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した
     無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を
     負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに
     国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求
     したが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》

   『●国鉄三大謀略事件…1949年《下山事件(七月五日)、
        三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080102000133.html

三鷹事件、再審認めず 元死刑囚側 異議申し立てへ
2019年8月1日 朝刊

     (記者会見する高見沢昭治弁護団長(中央)。左は野嶋真人弁護士
       =31日、東京・霞が関の司法記者クラブで)

 東京の旧国鉄三鷹駅で一九四九年七月、無人電車が暴走し六人が死亡した「三鷹事件」で、死刑確定後に四十五歳で病死した竹内景助元死刑囚の遺族が申し立てた第二次再審請求審で、東京高裁は三十一日、再審開始を認めない決定をした。弁護団は高裁に異議を申し立てる方針。

 弁護団は、暴走した電車(七両編成)の写真を分析した鉄道工学者の鑑定書などを新証拠として提出し、元死刑囚以外の複数犯と強く推認されると主張したが、後藤真理子裁判長は「単独犯とする自白の根幹部分の信用性を否定するものではない。無罪を言い渡すべき明らかな証拠ではない」と判断した。

 電車転覆致死罪などで起訴された元運転士の竹内元死刑囚は、捜査や公判で「単独犯行」「共同犯行」「無実」と供述を七回変遷させた末、単独犯行として死刑を言い渡された。

 長男の健一郎さん(76)=埼玉県=が二〇一一年十一月に申し立てた第二次再審請求審では「先頭車両に入りパンタグラフを上げて暴走させた」などとする竹内元死刑囚の自白の信用性が争点になった。弁護団は、先頭車両だけでなく、二両目もパンタグラフが上がり、車両最後尾の前照灯がついていたなどとして、単独犯では不可能と主張した。

 高裁決定は、二両目のパンタグラフの状態について、別の専門家の意見などから「事故の衝撃で上がった可能性がある」と指摘。前照灯は「もともとスイッチが入ったままだった可能性がある」とした。さらに、現場近くで元死刑囚を見たとする証言を否定する弁護団の再現実験についても「独自の前提で実施され、採用しがたい」と指摘。新旧証拠を総合評価しても「確定判決に合理的な疑いを抱かせるものではない」と結論づけた。

 決定を受け、東京・霞が関の司法クラブで記者会見した弁護団長の高見沢昭治弁護士は「細かい判断を避けた曖昧な決定だ。たとえ本人が亡くなっていても、冤罪(えんざい)は晴らさないといけない」と話した。

 健一郎さんに決定内容を伝えると、表情を変えることなく「納得できない。無実を勝ち取ってほしい」と言われたという。 (蜘手美鶴

三鷹事件> 占領期の1949年夏に起きた下山松川両事件と並ぶ旧国鉄三大事件の一つ。49年7月15日夜、車庫にあった無人電車が暴走し三鷹駅のホームに激突、6人が死亡し約20人が重軽傷を負った。捜査当局は旧国鉄の人員整理に反対する共産党の組織的犯行とみて、運転士の党員ら10人を起訴。一審東京地裁は党員9人を無罪とし、唯一党員でなかった竹内景助元死刑囚の単独犯行として無期懲役を言い渡した。竹内元死刑囚は二審東京高裁で死刑判決を受け、55年に最高裁で確定。第1次再審請求中の67年に病死した。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019080102000155.html

三鷹事件 司法は闇に目をつぶる
2019年8月1日

 七十年前の「三鷹事件」の再審を東京高裁は認めなかった。無人電車が暴走し、大勢の死傷者が出た事件。獄死した元死刑囚の長男が求めた再審だ。あまりに多い謎に司法が応えぬ姿勢は疑問だ

 事件は一九四九年七月の夜。国鉄(現JR)中央線三鷹駅(東京)で無人電車が暴走し、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負った。竹内景助元死刑囚は電車転覆致死罪で、同じ旧国鉄職員だった共産党員らとともに起訴された。

 約十万人もの人員整理に抗議し、事故を起こしてストのきっかけにする目的だったとされた。党員九人の共同謀議は「空中楼閣」と判断され無罪だったが、竹内元死刑囚には無期懲役。二審で死刑判決を受けた。再審請求中の六七年に四十五歳で獄死している。

 当時は謎めいた事件が相次いだ。三鷹事件の九日前には国鉄総裁が死体で発見される「下山事件」。約一カ月後には東北線の松川駅(福島県)で列車が転覆される「松川事件」があり、一、二審で複数人の死刑判決が出たが、最終的に全員が無罪確定した。

 これらの背後には、米占領下でもあったことから、共産党の弱体化を狙った連合国軍総司令部(GHQ)が関与した説もあったほどだ。そんな時代だった。

 三鷹事件で疑わしいのは、竹内元死刑囚の供述の変遷である。逮捕時は「否認」。勾留質問でも取り調べでも「否認」。起訴直前に単独犯行を「自白」。公判では「他人との共同犯行を自白」「単独犯行を自白」。やがて「否認」…。無罪を主張した。捜査段階と公判段階で激しく否認と自白を繰り返した信用性に疑義が生じるのは当然である

 無実の主張を始めたきっかけは家族への脅迫状だった。「苦しみ抜いて一人で罪をかぶろうとしているのに許せないもともと無実なのだから」-、そう接見した人に語ったという。

 電車を起動、発車させたのは人為的だとしても、それは「自白」に寄り掛かっている。単独犯では難しいとも弁護団は主張した。事件時に竹内元死刑囚を見たという目撃証言も怪しいと…。電車区は停電の最中だった。

 東京高裁は「総合評価しても確定判決の事実認定に合理的な疑いを抱かせるものとはいえない」と新証拠の価値を退けた。だが、再審公判で疑問の一つ一つに白黒つける方法もあろう司法の役目は闇に光を当てることでもある
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●国鉄三大謀略事件…1949年《下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》

2019年08月17日 00時00分40秒 | Weblog


琉球新報のコラム【<金口木舌>三鷹事件と喜屋武由放】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-953805.html)。

 《▼無実を訴えた由放は公判で名を聞かれ「自由解放の由放だ」と答えた。50年の一審判決で由放を含む党員9人は無罪だった。唯一、党員でない竹内景助は一審で無期懲役、二審の死刑が確定後、獄死した…権力は身体と思想の自由を奪う。竹内の遺族は今も再審請求中だ》。

 1949年、《公安事件が続発…三鷹事件(七月一五日)…》。
 国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。東京高裁では、御長男による再審請求が続いているとのこと。国鉄労働組合国労)つぶしという背景もあったのではないでしょうか。竹内景助元死刑囚は無実を訴えつつ獄中死されています。冤罪が晴れるれる日はいつになるのでしょう。

 2019年7月参院選が終わり…。
 アベ様による善政は何一つ無し。悪辣な独裁状態。そんなアベ様の「政」で唯一〝上手く行っている〟のが、メディアコントロール《日本のメディアの閉塞状況》《閉塞するメディア、政権批判に対して圧力がかかる不健全な言論状況》…。《権力は身体と思想の自由を奪う》…恐ろしい世の中が再びやってきた。

   『●三鷹事件: 再審請求
    「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
     されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
     したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
     今回は長男の方が請求を出されたようです」

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(…)。」
     「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
      日本の局面を大きく変えた」」(…)」

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
    「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~ 
     …千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一約束…』監督】。
     三鷹事件http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3
     『約束』http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739

   『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき
    「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
     《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
     ましてや冤罪ではたまったものではありません》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
     一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」
   『●1949年《公安事件が続発…下山事件(七月五日)、
         三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》
    《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、
     六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した
     無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を
     負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに
     国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求
     したが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-953805.html

<金口木舌>三鷹事件と喜屋武由放
2019年7月15日 06:00
名護 三鷹事件 金口木舌

 名護市のヒンプンガジュマルの近くに、1998年建立の徳田球一記念碑がある。1894年に名護で生まれた徳田は日本共産党設立に関わり戦後は衆院議員になった。1950年のレッドパージで追放後、53年に北京で客死した

▼70年前のきょう、東京の三鷹駅で無人列車が暴走し6人が死亡、20人が重軽傷を負った。捜査当局は旧国鉄の人員整理に反対する共産党の組織的犯行として、10人を起訴した。戦後の国鉄三大事件の一つ、三鷹事件

▼名護の記念碑建立に尽力し95年に亡くなった喜屋武由放も被告の一人。父・保昌は豊見城出身で東京帝国大学に進学し社会主義運動に加わった。東京生まれの由放も徳田らと接し入党した

▼無実を訴えた由放は公判で名を聞かれ「自由解放の由放だ」と答えた。50年の一審判決で由放を含む党員9人は無罪だった。唯一、党員でない竹内景助は一審で無期懲役、二審の死刑が確定後、獄死した

▼片島紀男氏の著書「三鷹事件」(NHK出版)は当局の見込み捜査と、疑問を抱かない当時の報道の危うさを指摘した。起訴の背景に連合国軍総司令部(GHQ)の反共の思惑があったという裁判官の述懐もある

▼竹内は獄中から由放宛ての手紙に「無罪真実を明かすため」「人の心に記されることを祈って」とつづった。権力は身体と思想の自由を奪う。竹内の遺族は今も再審請求中だ。
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●1949年《公安事件が続発…下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》

2019年07月05日 00時00分31秒 | Weblog


2018年11月の記事。東京新聞の花井勝規記者の記事【来年70年、三鷹事件に迫る あす武蔵野で語り継ぐ集会】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201811/CK2018112302000124.html)。

 《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求をしたが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》。

 国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。東京高裁では、御長男による再審請求が続いているとのこと。国鉄労働組合国労)つぶしという背景もあったのではないでしょうか。竹内景助元死刑囚は無実を訴えつつ獄中死されています。冤罪が晴れるれる日はいつになるのでしょう。

   『●三鷹事件: 再審請求
    「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
     されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
     したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
     今回は長男の方が請求を出されたようです」

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(…)。」
     「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
      日本の局面を大きく変えた」」(…)」

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
    「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~ 
     …千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一約束…』監督】。
     三鷹事件http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3
     『約束』http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739

   『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき
    「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
     《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
     ましてや冤罪ではたまったものではありません》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
     一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201811/CK2018112302000124.html

来年70年、三鷹事件に迫る あす武蔵野で語り継ぐ集会
2018年11月23日

     (車庫から無人電車が暴走、駅舎と駅前派出所を壊し
      民家に突入して6人が死亡した「三鷹事件」の事故現場
      =1949年7月15日)

 一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、六人が亡くなった「三鷹事件」。来年で七十年を迎えるのを前に、市民グループ「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」が二十四日、武蔵野市内で集会を開く。事件の単独犯と認定された元運転士の竹内景助元死刑囚は、無罪を訴えて再審請求している最中に、亡くなった。遺族が遺志を継ぎ再審請求中で、節目の年を前に、関係者は「再審の実現を」と願っている。 (花井勝規)

 三鷹事件では、暴走、脱線した無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに国鉄三大事件と呼ばれる。

 五〇年八月の一審判決は、起訴された国鉄労働組合国労)の組合員ら九人を無罪としたが、竹内元死刑囚には無期懲役を言い渡した。翌年の控訴審でさらに重い死刑判決が言い渡され、上告審で死刑が確定。竹内死刑囚は無実を訴えて再審請求をしたが、六七年に脳腫瘍で亡くなった。

 集会では、三鷹事件を取り上げた民放の特集番組を上映し、事件を振り返るほか、竹内元死刑囚の長男が二〇一一年に東京高裁に再審請求を申し立て、高裁や弁護団の間で続いている三者協議について、弁護団の弁護士が解説する。

 会の代表世話人の一人で、三鷹市在住の元教員古川啓さん(65)は「三者協議の状況を聞く限り、そろそろ高裁が再審を決定するか、請求を棄却するかを判断する時期に来ている」と指摘。「再審の実現で闇の中にある真実を明らかにする第一歩を踏み出したい」と話す。

 集会は午後二時、武蔵野市境の武蔵野スイングホール十階の会議室で。参加費は資料代として五百円。問い合わせは日本国民救援会三多摩総支部内の事務局=…へ。
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●国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」

2013年10月18日 00時00分07秒 | Weblog


西日本新聞の記事【「松川事件は終わらない」 無罪確定50年で集会】(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/45903)。

 「戦後最大の冤罪事件と呼ばれる「松川事件」」、「元被告らが「真犯人が見つかるまで、松川事件は終わらない」と訴えた」そうだ。松川事件を含む国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。大事なことは、「結果的にはこの事件が当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は・・・、日本の局面を大きく変えた」ということ。

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
     「GHQの策略・謀略。「一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
      年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
      (八月一七日)・・・・・・。いずれをとっても謀略の色が濃く、
      ・・・「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
      謎に包まれている事件ばかりだ」(p.52)」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(p.13、63、135、139)。」
     「家永三郎さんは「・・・松川事件について、・・・「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は・・・、
      日本の局面を大きく変えた」」(p.64)」

   『●『新聞記者 ~疋田桂一郎とその仕事~』読了(1/2)
     「元毎日新聞の西山記者 (p.156)、「妹たちのかがり火」
      仁木悦子さん (p.160)、松川事件の広津和郎さん (p.205) などの名も」

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http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/45903

「松川事件は終わらない」 無罪確定50年で集会
2013年10月12日(最終更新 2013年10月12日 20時34分)

   (無罪確定から50年を記念する集会を前に記者会見する元被告の
    (左から)阿部市次さん、岡田十良松さん、赤間勝美さん、
    本田昇さん=12日、福島市の福島大)

 戦後最大の冤罪事件と呼ばれる「松川事件」で、被告全員の無罪が確定して50年を記念する集会が12日、現場に近い福島大(福島市)で開かれ、元被告らが「真犯人が見つかるまで、松川事件は終わらない」と訴えた。

 集会には約800人が参加し、4人の元被告が紹介されると、大きな拍手が起きた。登壇した元被告の阿部市次さん(90)は「無罪を勝ち取った後も、冤罪事件はたくさんあった。これを防ぐには司法の改革と、国民の大きな世論が必要だ」とあいさつ。赤間勝美さん(83)は「真犯人を捜し出すまで、元気でいたい」と力強く述べた。
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●『美談の男』読了

2010年09月28日 05時07分22秒 | Weblog

『美談の男/冤罪 袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』、7月に読了。尾形誠規著。鉄人社。2010年6月刊、第1刷。

 本の帯、「私は無罪を確信しながら死刑判決を言い渡した―――。39年前の過ちを自ら告白した元エリート判事の転落と再生/酒……家族崩壊……自殺未遂……放浪……そして―――。逃れたくとも逃れられない袴田事件の呪縛」。
 「裁判員制度が始まろうとしているいま、いつ誰が熊本と同じ立場になってもおかしくない」(p.10)。「・・・最終的な合議の場で死刑に一票を投じる・・・。己が死刑判決を下した一員になること、その事実が生涯付きまとうだろうことに恐怖を覚えるに違いないのだ」(p.23)。

 「熊本は・・・。/・・・九州大学の法学部に進んだこと。在学中に司法試験を受けトップで合格したこと。・・・死刑判決に4回関わり、そのすべての死刑囚と東京拘置所で面会したエピソードだ」(p.23、89、92、125、138「正門」・「多々良川」、p.236「和白」)。

 罵声、棍棒での殴打、蹴ったり、殴ったりの取り調べ(p.60)。「冤罪王国、静岡」(p.61)の静岡県警の悪しき体質、4つの冤罪: 「幸浦[さちうら]事件」、「二股事件」、「小島[おじま]事件」、「島田事件」(pp.62-63)。免田財田川松山事件に続く、確定死刑囚再審で無罪になった初の事例が、島田事件。4事件全ての主任取調官は〝拷問王〟と評されることになる稀代の悪徳刑事。

 冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件、松川事件、八海[やかい]事件。下山事件、帝銀事件(p.90)。
 免田栄さんと足利事件菅家利和さん(p.219)。
 名張毒ぶどう酒事件(p.254)。

 「・・・熊本は・・・。検察から届く拘留請求の、なんと3割を却下したのだ。いま現在の却下率が1%にも満たないことを考えたら、驚異的な数字である。司法研修を終えたばかりのペーペーに、なぜそんな芸当ができたのか」(p.96)。
 「泣きながら書いた偽りの死刑判決文」(p.115)。「・・・熊本は断腸の思いで、死刑判決文を書き上げる。しかも、全くの〝作文〟である。自分がとんでもない過ちを犯していることに、震えながら怒りながら泣きながら、矛盾に満ち満ちた350枚を創作した。職を辞する決意は、既に固まっていた」。

 袴田巌さん。「産まれてまもない我が子と別れ、長年の拘留生活により精神にも異常をきたしている袴田死刑囚。なぜ、彼はこんな地獄を味わい続けなければならないのか。疑わしきは被告人の利益にの原則に従うなら、審理はやり直され、無罪確定の上、袴田は釈放されなければならない」(p.253)。
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●『月刊誌3冊』読了(3/3)

2009年04月18日 07時16分02秒 | Weblog


『冤罪ファイル No.05(20093月号)
 巻頭インタビューは落合恵子さん「冤罪は最大の人権侵害の一つです」(pp.2-9)
 「最高裁、判決迫る/「創」篠田編集長 特別寄稿/和歌山毒カレー事件の重大局面」(pp.10-30)安田好弘弁護士の発言「カレー鍋に入っていたヒ素は135グラム、・・・濃度も大変なことになります。/・・・ヒ素に関する知識のない人だと考えるのが合理的なんです」。林夫妻の自宅への悪罵の落書き、「毒婦」などのマスコミによる烙印、理解に苦しむ・・・。
 今井恭平さん「3度の死刑判決からの生還/八海 (やかい) 事件」 ―死と隣り合わせで、無罪を勝ち取った18年―」(pp.86-116)

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