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●琉球新報《核兵器禁止条約の第1回締約国会議…オブザーバー参加を見送った日本政府の不在が際立った会議だった…不参加は歴史的過ち》

2022年07月10日 00時00分51秒 | Weblog

[※ 『トランクの中の日本』(聞き書き/ジェニファー・オルドリッチ 写真/ジョー・オダネル 訳/平岡豊子)(https://www.shogakukan.co.jp/books/09563013)↑]


(20220702[])
核兵器禁止条約、どの国がまずは最初に批准すべきですか? 「加害者性」を薄め、さんざん「被害者性」を前面に押し出してきのに…。独自の路線、「橋渡し役」はどうしたのですかね?
 東京新聞の記事【「核共有の肯定は誤ったメッセージ」 被爆者の思いを背負った若者、日本が加盟しない核兵器禁止条約の締約国会議に出席へ】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/180172)によると、《核兵器を違法とする核兵器禁止条約の初の締約国会議(6月21〜23日)まで約3週間。唯一の戦争被爆国でありながら、条約への加盟を否定する日本政府の姿勢に疑問を抱く被爆地出身の若者らが、会期中に開催地のオーストリア・ウィーンを訪れ、会場内外で核廃絶を訴える計画を進めている。被爆者との対話の場を設けるほか、各国の同じ世代との連携も確認する考えだ。(大野暢子我那覇圭)》。

   『●《悲願の「核なき世界」へと…被爆者たちが心血を注いだ核兵器禁止
     条約の発効から一年余》…《火事場ドロボー》どもがウヨウヨなニッポン

 《橋渡し役》どころか…《敵基地攻撃》したい、《核保有》したいと《火事場ドロボー》どもがウヨウヨ湧いてくる哀しい国・ニッポン。違憲に壊憲し、戦争できる国にしたいと喚いている。軍事費倍増だとさ。その5兆円、どこの財源を削るつもりか?

   『●軍事費倍増5兆円のために何を削るつもりか? 《赤字国債の乱発、
     社会保障のさらなる削減、消費税の大増税…》…市民生活は劣化の一途

 人殺しのための武器を輸出…悍ましいことだ。《火事場ドロボー》1号、2号、3号…を支持し、投票する人々に、壊憲して戦争する国になる自覚はあるのかね? 投票した先の未来、予想されるその結果は? 《日本が輸出した武器が紛争当事国で使われれば…》なんて、ぞっとする。
 琉球新報の【<社説>武器輸出「緩和」検討 9条の理念を裏切るな】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1526227.html)によると、《事実上の禁輸政策の転換である。政府は31日に発表した経済財政運営の指針「骨太方針」に、防衛装備品(武器)の輸出ルールを定めた「防衛装備移転三原則」や運用指針の緩和を検討することを盛り込んだ。武器輸出を拡大しようという狙いだが、周辺諸国や不戦を誓った憲法9条へ信頼を寄せる国々に不信感をもたらすだけだ日本が輸出した武器が紛争当事国で使われれば、一方の当事国からは「日本が手を貸した」と見られてもおかしくない。国際紛争を解決する手段として、武力を永久に放棄すると誓った9条の理念を裏切ってはならない》。

   『●《絶望的な内容に打ちのめされました。武器産業がいかに巧みに
     政治をコントロールし、戦争を作り、暴利を貪っているか。歴史は古い》
   『●《火事場ドロボー》1号、2号、3号…を支持し、投票する人々に、
     壊憲して戦争する国になる自覚はあるのか? 予想されるその結果は?

 豪語していたけれど、一体「橋渡し役」はどこにいったですか? それさえできない無能ぶりが哀れで、哀し過ぎる。
 琉球新報の【<社説>核禁止条約会議閉幕 不参加は歴史的過ち】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1538811.html)によると、《ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議が3日間の日程を終え閉幕した。オブザーバー参加を見送った日本政府の不在が際立った会議だった。広島、長崎の両市長や被爆者らが出席したのに、政府は参加を見送り参加国から「唯一の戦争被爆国が参加したがらないとは驚くべきことだ」などと批判された。不参加は歴史的過ちだったと言うしかない》

 《火事場ドロボー》どもがウヨウヨなニッポン、ホントにどうかしてるよ。自公お維コミに投票できる神経が理解できないし、選挙にも行かず間接的に自公お維コミを支持していて平気なのだから、ブログ主は絶対に嫌なので、どうぞ自公お維コミ支持者の皆様方の子や孫を戦場に行かせて、人殺しに行かせればいい。
 長周新聞のコラム【核兵器禁止条約に背を向けるな/コラム 狙撃兵】(https://www.chosyu-journal.jp/column/23930)によると、《しかし、あろうことか政府としては口をつぐみ、原爆投下者であるアメリカの「核の傘」の下にたたずみ、防衛費を年間10兆円まで拡大して米軍産複合体に貢ぐとか、安倍晋三に至っては核の共有や敵中枢への先制攻撃まで叫び始める始末である。核兵器禁止を求め、平和を希求する世界的潮流から距離を置き、戦争狂いが臆面もなく物騒な振る舞いに及んでいる》。
 そうだね、《戦争狂い》だね。

 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維、コミが幅を利かす世の中では…。まず、そこから変えていかないと。《戦争絶滅受合法案》の制定を。


   『●戦争、環境破壊の最たるもの
    《二十世紀の初めごろ、デンマークの陸軍大将が、こんな法律があれば、
     戦争をなくせると考えて起草した法案がある。題して
     「戦争絶滅受合(うけあい)法案」▼戦争の開始から十時間以内に、
     敵の砲火が飛ぶ最前線に一兵卒を送り込む。順序はまず国家元首、
     次にその親族の男性、三番目は総理、国務大臣、各省の次官、
     そして国会議員(戦争に反対した議員を除く)、戦争に反対しなかった
     宗教界の指導者…▼妻や娘は従軍看護師として招集し、最前線
     野戦病院で働く。権力を持つ者から犠牲になるなら、自らは
     安全地帯にいてナショナリズムをあおる政治家は姿を消すだろう


   『●教育破壊: 「「ボンクラ」「嘘つき」」につける薬なし、
              そして、「戦争絶滅受合法案」の制定を!


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https://www.tokyo-np.co.jp/article/180172

「核共有の肯定は誤ったメッセージ」 被爆者の思いを背負った若者、日本が加盟しない核兵器禁止条約の締約国会議に出席へ
2022年5月28日 21時23分

 核兵器を違法とする核兵器禁止条約の初の締約国会議(6月21〜23日)まで約3週間。唯一の戦争被爆国でありながら、条約への加盟を否定する日本政府の姿勢に疑問を抱く被爆地出身の若者らが、会期中に開催地のオーストリア・ウィーンを訪れ、会場内外で核廃絶を訴える計画を進めている。被爆者との対話の場を設けるほか、各国の同じ世代との連携も確認する考えだ。(大野暢子我那覇圭

 渡航するのは核廃絶に賛同する大学生らの任意団体「KNOW NUKES TOKYO(ノー・ニュークス・トーキョー)」のメンバー。共同代表で上智大3年の中村涼香さん(21)、慶応大4年の高橋悠太さん(21)らが各国の非政府組織(NGO)に振り分けられた参加枠を使い、締約国会議にオブザーバーとして出席する。議決権はないが、首脳らの議論を聞いたり、文書で意見を表明したりできる。

     (「KNOW NUKES TOKYO」共同代表の
      (左から)中村涼香さん、高橋悠太さん)

 会場外では、新型コロナウイルス禍や資金不足などを理由に渡航を断念した日本の被爆者とオンラインで結び証言を聞く場を用意。被爆者から託された着物を着て核廃絶を訴える。

 中村さんは長崎県出身の被爆3世で、平和団体などが任命する「高校生平和大使」を務めた経験もあり、「核の禁止が世界的に議論される初めての舞台で、日本の存在感を示したい」と強調。広島県出身で、中学時代から被爆者との交流を重ねてきた高橋さんも「核廃絶や軍縮を冷静に考えるチャンス」と見据える。

 条約を巡り、日本政府は核保有国が入っていないことなどから加盟を否定。岸田文雄首相は「核軍縮はライフワーク」としながら、締約国会議への政府要員のオブザーバー参加にも消極的で、先の日米首脳会談では米国の「核の傘」を含む抑止力の強化で合意した。

 高橋さんは「首相は核廃絶を口にしながら行動が伴っていない」と批判。中村さんは「外交は政治家だけが担うものではない。締約国会議で、日本にも核廃絶を支持する声があると伝えたい」と決意している。

 高橋さんは帰国後、夏の参院選の立候補予定者に条約への見解を尋ねて公表することも検討中。「締約国会議を契機に核禁条約への賛否を選挙戦の争点にしたい」と語った。

 ロシアのウクライナ侵攻を受け自民党などで「核共有」の議論を促す動きが出たことに、高橋さんは「極端な議論を、核廃絶を目指すための議論に引き戻すため、締約国会議での学びを日本に持ち帰り、発信したい」と強調。中村さんも「核兵器の恐ろしさを経験している日本が、核の抑止力や核共有を肯定することは、国際的に誤ったメッセージになる。そうならないためにも被爆国・日本の若者として核軍縮を訴えてきたい」と誓った。

【関連記事】「不都合な事実」に言及しなかった施政方針演説 日米地位協定、辺野古の軟弱地盤、核兵器禁止条約…
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1538811.html

<社説>核禁止条約会議閉幕 不参加は歴史的過ち
2022年6月25日 05:00

 ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議が3日間の日程を終え閉幕した。オブザーバー参加を見送った日本政府の不在が際立った会議だった。広島、長崎の両市長や被爆者らが出席したのに、政府は参加を見送り参加国から「唯一の戦争被爆国が参加したがらないとは驚くべきことだ」などと批判された。不参加は歴史的過ちだったと言うしかない。

 ロシアによるウクライナ侵攻を背景に、採択された宣言は「核兵器の使用や核による脅しは国際法違反」と強調、核保有国に「いかなる状況でも核の使用や核による威嚇をしない」ことを要求した。

 注目されたのはオブザーバー参加した国々だ。日本とともに「クアッド」を構成するオーストラリアや、核同盟の北大西洋条約機構(NATO)に加盟するドイツ、ノルウェー、オランダ、ベルギーである。ドイツ代表は、核の緊張緩和に向けて条約支持国との「自由な対話と誠実な議論」が重要だと強調した。

 共同通信の太田昌克編集委員はこれらのオブザーバー参加を「核に依存する国でも、核兵器の正統性を否定する核禁止条約への道義的支持を示せることを実証した」と評価した。そして、日本の不参加を「後世史家から『歴史的な過ち』と指弾されかねない」と批判した。

 日本政府は「核保有国の関与がなければ核軍縮は進まない」という立場で、核保有国との「橋渡し役」として「現実的な核軍縮の取り組み」を掲げる。しかしこれまで「橋渡し役」で成果はあっただろうか具体的な目標も示さず、米の「核の傘」に頼るが故に米に追随しているだけとしか見られていない

 28年連続で国連総会に提案し採択されている「核廃絶決議」もその一つだ。昨年10月の決議も「核兵器のない世界の実現へ、さまざまなアプローチが存在することと、全加盟国の信頼構築が必須であることに留意する」と、米国に配慮した表現にとどめ、核禁止条約には言及を避けた

 岸田文雄首相は、8月にニューヨークで開催される核拡散禁止条約(NPT)再検討会議に、日本の首相として初めて出席する。しかし成果は期待できない。米、英、仏、中、ロの5カ国にのみ核保有を認めるNPTを無視して核保有国は増えており、ロシアが核の威嚇をする事態も起きている。小型核兵器や核搭載可能な極超音速ミサイルの開発などで、核使用のハードルは下がっていると言われる。「使えない」「使ってはいけない」という「核のタブー」は崩壊の危機にある。

 米統治時代に1300発の核が配備され誤射事故も起きた沖縄にも、核戦争の危機は迫っている。核抑止に頼らず、核兵器による威嚇も禁止する核兵器禁止条約こそが「核廃絶」への道筋だ。歴史的な過ちを一刻も早く正すべきである
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https://www.chosyu-journal.jp/column/23930

核兵器禁止条約に背を向けるな
コラム 狙撃兵 2022年6月28日

 世界の86の国や地域が署名し、65の国や地域が批准している核兵器禁止条約(2021年1月発効)の第1回締約国会議がオーストリアの首都・ウィーンで開かれ、閉幕した。核兵器廃絶を目指すこの世界の動きのなかで、唯一の被爆国である日本は同条約に署名もせず、今回の締約国会議についても政府としてのオブザーバー出席(同条約不参加の33カ国が出席)すら見送るなど、極めて後ろ向きな姿勢をとっている。被爆地である広島選出の岸田文雄が首相でありながら、核廃絶を求める世界的潮流の旗手になるのではなく、逆にアメリカの機嫌を損ねてはならぬとばかりにダンマリを決めて背を向け、世界を落胆させているのである。

 れいわ新選組や一部政党が国会議員を送り込み、世界各国の政治家や関係者と切り結んだものの、政府としては世界で唯一人類の頭上に原爆を投げつけたアメリカに逆らってはならぬと、あろうことか原爆投下者に怯え、戦後77年を経てなお絶対服従している姿を晒しているのである。

 人類の歴史の上で、どのようなむごたらしい行為も、原子爆弾の残虐さにおよぶことはできない。それは広島と長崎に落とされた。そのことによって十数万人もの無辜の老若男女が瞬時に地上から姿をかき消され、その他の人々も、またとないむごたらしい姿に変えられて悶え苦しみ、その果てに命を失っていった。親も子も、男も女も、老人も乳飲み子も、すべての人間が無差別に殺された。それは生き残った被爆者の方々に体験を聞かせてもらうだけでも、いいあらわしようのない地獄絵図である。死者数にして20万人をこえ、生き残った人々は戦後も原爆の後遺症にさいなまれ、いわんや差別にもさらされ、塗炭の苦しみを強いられて今日に至る。77年たった今も、なおその傷痕は消すことができないものだ。

 核兵器は、広島と長崎の経験が示しているように、無辜(こ)の非戦闘員を、圧倒的に大量に殺すための兵器である。このような兵器をつくり、それを使用することは、いかなる名目をつけようと、人類の名において許すことなどできない。いかなる国であろうと、今日、このような兵器を貯え、同じ人間に投げつけるなどという行為を許すことはできない。“核兵器を禁止せよ”という世界各国の動きの高まりは、全世界の平和を求める何十億の人々に支持され、今や動かすことのできない世論になっているのである。

 このようななかで、日本人は、日本人だけが野蛮極まりない大量殺戮兵器の惨害を被った国民であるというその名において、核兵器の禁止と貯蔵の破棄について、誰よりも強く主張しなければならないし、被爆地である広島・長崎は世界に向かって発信し続けてきた。二度とあの惨劇をくり返させぬために、核兵器を地上から葬り去るために被爆者たちは叫び続けてきた。しかし、あろうことか政府としては口をつぐみ、原爆投下者であるアメリカの「核の傘」の下にたたずみ、防衛費を年間10兆円まで拡大して米軍産複合体に貢ぐとか、安倍晋三に至っては核の共有や敵中枢への先制攻撃まで叫び始める始末である。核兵器禁止を求め、平和を希求する世界的潮流から距離を置き、戦争狂いが臆面もなく物騒な振る舞いに及んでいる。平和を求めるたたかいは、平和を侵す者とのたたかいである。原爆投下者の側に身を寄せ、核共有すなわち投げつける側に身を置こうなど言語道断である。      武蔵坊五郎
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   『●「核なき世界」: 「核廃絶に向けた決議の採決で、
       唯一の被爆国の日本が反対票…日本はあまりにも鈍感」
   『●「唯一の被爆国」で原発人災も起こしたニッポンが
        「原発は『プルトニウムをつくる装置』」を理解できず…
   『●肥田舜太郎さん「せめて未来の子どもたちのために、
       放射能の心配のない日本を残していけるよう…努力」を
   『●オバマ氏の広島訪問さえも単なる選挙対策…
       …自民党は「口だけ」、選挙で同じ過ちを繰り返してはいけない
   『●サーロー節子さん「自分の国に裏切られ、
      見捨てられ続けてきたという被爆者としての思いを深くした」
   『●核兵器禁止条約…核発電「麻薬」中毒者への忠告、
       近衞忠煇氏「実際にはそれしか選択肢はないのです」
   『●室井佑月さん「安倍さん率いるこの国に、誇りが持てない」
                       …アベ様の辞書には「倫理」無し
   『●「核廃絶の訴えは政府だけの役割ではない」…
        とは言え、そこに居るべき国が居ない恥ずかしさ
   『●核兵器禁止条約不参加で、「どこの国の総理ですか」な 
          アベ様の「わが国のアプローチ」とやらは一体全体?
   『●「核なき世界」の足を引っ張る、平和を希求しないアベ様は、
                  よくノコノコと「あいさつ」に行けるモノだ…
   『●ささやかな核兵器廃絶の願い…高校生の言論封殺: 
       アベ様のメンツを守るための外務省の横やりという大愚
   『●「核兵器禁止条約」…「核なき世界」への
     その先頭を走るべきアベ様やニッポン政府は一体何をしていたの?
   『●「核の傘」の下のニッポン…オーストリア軍縮大使
         「世界で唯一の被爆国として特別な役割がある」
   『●ICAN・フィン氏、「核の傘」による核抑止は「神話だ。
          …時代遅れの政策を継続していることこそ脅威」
   『●トランプ氏「学校の先生たちを銃で武装させる」…
      アベ様は「戦争できる国」になり、「銃を持った善人」に
   『●《非核三原則や日本の憲法9条がハメネイ師から
      高い評価を受けたとの一部情報もある》…なぜ主張しないの?
   『●(マハティール首相)「日本は核兵器が使われた際の
     悲惨さを知っている」はずなのに、アベ様ときたら核兵器保有論者
   『●適菜収さん【それでもバカとは戦え】…《われわれ日本人が目指すべき
        なのは「核兵器のない世界」の前に「安倍のいない世界」である》
   『●「核兵器なき世界」は未だに………自公お維を直接的に支持している
     方々、選挙にも行かず眠り猫に徹している間接的支持者の皆さんの責任

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●『俺たちはどう生きるか』(大竹まこと著)読了…《みんなが協力し、かばいあい、ヨタヨタと時間が過ぎた》

2020年01月02日 00時00分44秒 | Weblog

[『俺たちはどう生きるか』(大竹まこと著) 《みんなが協力し、かばいあい、ヨタヨタと時間が過ぎた》(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/special/otake/)↑]



俺たちはどう生きるか』(大竹まこと著、集英社新書0984B)読了(2019年12月29日)。株式会社集英社、2019年7月22日第一刷。税別¥820。

 『大竹まこと ゴールデンラジオ!』を聞き始めて4、5年か。毎日毎日の楽しみ。ラジオで聴いた、本の中に中に語られるいろいろなことが、つい先日のことのように思い出された。

 「何を叫ぶ ここに一冊の写真集がある。『トランクの中の日本――米従軍カメラマンの非公式記録』。/若き米従軍カメラマンが一九四五~一九四六年、焦土となったヒロシマ・ナガサキを非公式に私用カメラで撮った写真である。/その中に、焼き場らしき場所(みんなが死者を焼いている)で一〇歳くらいの少年が、背中に幼児をおんぶヒモでしっかりくくりつけ、直立不動で立っている写真がある。…彼は弟見を送ったのだ。/…何を叫ぶのか。私が叫ぶのか、あなたが叫ぶのか。テレビは、新聞やネットは、なんと伝えるのか。/ある作家が、/「ジャーナリズムとは、報じられたくないことを報じることだそれ以外のものは広報に過ぎない。」/という言葉を残している。/メディアには、その責任がある。そして、私たち市民も同じである。」(pp.67-69

 「月曜から金曜で続けているラジオがこの春、三〇〇〇回を迎えた。一二年間続けた計算になるが、私の力ではない。みんなが協力し、かばいあい、ヨタヨタと時間が過ぎた。聴いてくださる方々は実に辛抱強く、そして私を許した。まるで父のようでもある。」(p.188

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https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/special/otake/

もういい大人なのに、
まだ試練がやってくる。
ああ、せつない。

2019年7月17日刊行予定
俺たちはどう生きるか
大竹まこと 著
定価:本体820円+税


歯に衣着せぬ語りで人気の芸人も、もう古希・70歳。「需要がなくなれば芸人なんて終わり」とわかっちゃいるのに、「あのジジイ、やるな」とまだ世間から言われたい……。「若者に教訓めいたことを何か言ってやりたい」と思うけれど、「そんな立派な人生を送ってきたか?!」と躊躇する……。

歳をとれば、悩みなんてなくなると思っていたのに」とボヤきつつも、自分の仕事、老い、人間関係、そして社会について、真摯に赤裸々に綴った一冊です。


正真正銘、
全部自分で書きました。
直筆の生原稿、収録!

いまだに毎日迷いながら生きている……。「需要がなくなれば芸人なんて終わり」とわかっちゃいるのに、「あのジジイ、やるな」とまだ世間から言われたい。「若者に教訓めいたことを何か言ってやりたい」と思うが、「そんな立派な人生を送ってきたか?!」と躊躇する。古希・70歳。世間ではもういい大人。歳をとればもっと楽な人生になると思っていたのに……。そんな自問自答の日々を赤裸々に綴った「人生のこれまでとこれから」。本人自筆原稿収録。


本文から一部抜粋

 私は、マネージャーのⅠ君に言われて、ツイッターなるものを始めてみたが、どうもしっくりこない。ほかのタレントや作家は、公演のお知らせなどに利用しているらしいが、なぜか、私はダメなのだ。
 ある日、突然、炎上する。私には、その意味さえわからない。
 ただ、ツイッターの文言にあることは、一面、真実だとも思う。
 「老害は死ネ」とわざわざ言われなくても、もう仕事もさほど多くないし、コメディアンとは、その時代と添い寝した男(女)たちのことだ。持論である。
 時代から少しでもずれたら勝手に死んでいくだけである。そろそろ、そんな局面が来た。いつまでもウジウジとテレビなどに出ていたくはない。
 しかし、「また、あのジジィがやりやがったな、ちくしょう!」とも言われてみたい。心底、庶民の側に立っていたいとの気持ちでやってきたが、全世界を敵にまわしたい欲望にもかられる今日この頃である


目次

第一章 昔みたいに
第二章 私たちがそれを選んだ
第三章 傍観者でいるのか
第四章 弱者は弱者のまま終わらない
第五章 ダメな大人の言葉などに耳を貸さぬが良い


著者略歴
大竹まこと(おおたけ まこと): 一九四九年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。一九七九年、友人だった斉木しげる、きたろうとともに『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まこと ゴールデンラジオ!』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。
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●ジョー・オダネルさんは《米国で非難に耐えながら反戦を訴えた》…一方、ニッポンは《被爆国の責務から目を背け…》

2019年11月30日 00時00分58秒 | Weblog

[※ 『トランクの中の日本』(聞き書き/ジェニファー・オルドリッチ 写真/ジョー・オダネル 訳/平岡豊子)(https://www.shogakukan.co.jp/books/09563013)↑]



大門雅子さんによる、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]米軍のカメラマンだった故ジョー・オダネル氏は…】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/502550)。

 《▼「ネガにも心にも焼き付いた悪夢を、生きていくために忘れてしまいたかった」。写真集「トランクの中の日本」で明かしている。きのこ雲の下で何が起きたのか。過去を直視し史実を伝えるのが使命だと開封を決意したのは44年後》。

   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
         アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
   『●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、
                 「ただ『忘れない』ということが大切」
   『●《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
           誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》
    《写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の
     従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。…写真に
     写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を
     待つ姿…「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
     誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ
    「「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本
     (小学館)は手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても
     印象に残るものの一つ」。その《「焼き場に立つ少年」の写真が
     物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》、
    《このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた
     相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンに
     なっているトランプ大統領と安倍首相だろう》。…《原爆投下後の
     長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを
     作り、「これが戦争の結末」》…アベ様や与党自公、癒党キトお維の
     支持者の皆さんにそれが伝わるのかどうか…。」

   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は《鼻には
     詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
    「《写真を詳しく見てみると、鼻には詰め物をしています。
     このことからも、出血しやすい状態にあったとうかがえます。
     少年は、一定量の放射線を浴びたことで、骨髄が傷つき、体中が
     出血しやすくなっていた可能性があるといいます。少年がなんらかの
     形で被爆した可能性が浮かび上がってきました》。
     少年も《被爆》…考えもしませんでした」

   『●「焼き場に立つ少年」と「戦争がもたらすもの」…「核兵器の
       ない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信」

 《きのこ雲の下で何が起きたのか。…非道な戦争は至る所で何人もの「少年」を生みだした》。「焼き場に立つ少年」は《なんらかの形で被爆した可能性》。
 「トランクの中の日本」のジョー・オダネルさんは《原爆正当化論が根強い米国で非難に耐えながら反戦を訴えた》…かたや、ニッポンは《被爆国の責務から目を背け…》。核兵器禁止条約に署名しないどころか、《橋渡し》さへ一切しない。ローマ教皇に対して《核廃絶》など口にできる訳もない。おまけに、アベ様は核兵器保有論者だ。アベ様ときたら、《憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね》…こんな人がニッポン国の首相。この国はあまりに恥ずかし過ぎる。《被爆国の責務》を全く認識できていない。

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/502550

[大弦小弦]米軍のカメラマンだった故ジョー・オダネル氏は…
2019年11月26日 09:30

 米軍のカメラマンだった故ジョー・オダネル氏は1945年9月から7カ月間、被爆地の長崎や広島をはじめ終戦直後の日本各地を回った。だが帰国後、300枚の写真のネガをトランクに納めて封印した

▼「ネガにも心にも焼き付いた悪夢を、生きていくために忘れてしまいたかった」。写真集「トランクの中の日本」で明かしている。きのこ雲の下で何が起きたのか過去を直視し史実を伝えるのが使命だと開封を決意したのは44年後

▼原爆や戦争の惨状を伝える写真展を米国内外で開いた。その中の1枚が「焼き場に立つ少年」。眠っているかのような死に顔の弟をおぶって直立不動で火葬の順番を待つ。泣くこともできない。非道な戦争は至る所で何人もの「少年」を生みだした

▼ローマ教皇は長崎での演説で写真のパネルを置き、核廃絶を訴えた。自国第一主義がもたらす相互不信の潮流を危惧し、核の脅威に対して団結を呼び掛ける率直な言葉に共感を覚えた

翻って唯一の戦争被爆国日本。米国の「核の傘」に依存し、国連で採択された核兵器禁止条約参加しない被爆国の責務から目を背けている

▼オダネル氏は原爆正当化論が根強い米国で非難に耐えながら反戦を訴えた。「写真を見る方がいる限り、平和のメッセージを送り続ける」。少年の姿をいま一度心に刻む。(大門雅子
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●「焼き場に立つ少年」と「戦争がもたらすもの」…「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信」

2019年11月29日 00時00分33秒 | Weblog

[※ 『トランクの中の日本』(聞き書き/ジェニファー・オルドリッチ 写真/ジョー・オダネル 訳/平岡豊子)(https://www.shogakukan.co.jp/books/09563013)↑]



東京新聞の二つの記事【教皇傍らに「焼き場の少年」 写真家遺族も参列「平和へ思い伝わる」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112502000228.html)と、
【ローマ教皇 長崎・広島で訴え 核なき世界の実現、可能であり不可欠】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112502000129.html)。

 《長崎市の爆心地で核廃絶を訴えた教皇フランシスコの傍らに、亡くなった幼子を背負い、口を固く結ぶ少年の写真パネルが置かれた。原爆投下後、米軍従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影した「焼き場に立つ少年」。オダネル氏の息子タイグ氏(50)は「平和への思いが伝わり、天国の父も喜んだ」とこみ上げる思いを打ち明けた》。
 《ローマ・カトリック教会の頂点に立つ教皇(法王)フランシスコ(82)は二十四日、被爆地の長崎と広島を相次いで訪問し演説、核廃絶を訴えた。長崎では「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信している」と強調。広島では「真の平和は非武装の平和以外にあり得ない」として、核兵器を含む大量破壊兵器の保有や核抑止も否定、被爆地訪問は自らの義務だと感じていたと述べた》。

 アベ首相らには響かない…「焼き場に立つ少年」と「戦争がもたらすもの」。
 東京新聞の記事【教皇 若者に託す平和 被爆地から世界へ警鐘】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112502000127.html)によると、《傍らに原爆投下後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の大きなパネル写真が置かれた。若き日に宣教師として日本に赴くことを熱望したものの健康上の理由で果たせず、被爆地訪問は「(二〇一三年の)就任以来温めてきた夢」(周辺)だった。その教皇に訪問を最終決断させたのがこの一枚の写真だ。教皇は昨年一月、南米チリに外遊へ向かう機中、同行記者団全員に写真を印刷したカードを一枚一枚渡し「戦争がもたらすもの」との言葉を添えて世界に広めるよう呼び掛けた。この写真を教皇に送ったイエズス会修道士のアントニオ・ガルシアさん(90)は二十四日、教皇と抱き合い、頬にキスを受けて再会を喜んだ。「核兵器の悲惨さについて世界の人々に考えてもらう大きなチャンス」。十三億人超の信者を抱えるカトリック教会トップの訪問の意義をこう強調した》。

 《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》。アベ様こそ、世界にアピールすべきこと…「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信している」「真の平和は非武装の平和以外にあり得ない」と。

   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
         アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
   『●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、
                 「ただ『忘れない』ということが大切」
   『●《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
        誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》
    《写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の
     従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。…写真に
     写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を
     待つ姿…「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
     誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ
    「「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本
     (小学館)は手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても
     印象に残るものの一つ」。その《「焼き場に立つ少年」の写真が
     物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》、
    《このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた
     相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンに
     なっているトランプ大統領と安倍首相だろう。…《原爆投下後の
     長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを
     作り、「これが戦争の結末」》…アベ様や与党自公、癒党キトお維の
     支持者の皆さんにそれが伝わるのかどうか…。」

   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は《鼻には
     詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
    「《写真を詳しく見てみると、鼻には詰め物をしています。
     このことからも、出血しやすい状態にあったとうかがえます。
     少年は、一定量の放射線を浴びたことで、骨髄が傷つき、体中が
     出血しやすくなっていた可能性があるといいます。少年がなんらかの
     形で被爆した可能性が浮かび上がってきました》。
     少年も《被爆》…考えもしませんでした」

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112502000228.html

教皇傍らに「焼き場の少年」 写真家遺族も参列「平和へ思い伝わる」
2019年11月25日 夕刊

     (ローマ教皇フランシスコ(右)と言葉を交わした
      タイグ・オダネル氏(左)。奥は「焼き場に立つ少年」の
      写真パネル=24日、長崎市の爆心地公園で)

 長崎市の爆心地で核廃絶を訴えた教皇フランシスコの傍らに、亡くなった幼子を背負い、口を固く結ぶ少年の写真パネルが置かれた。原爆投下後、米軍従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影した「焼き場に立つ少年」。オダネル氏の息子タイグ氏(50)は「平和への思いが伝わり、天国の父も喜んだ」とこみ上げる思いを打ち明けた。

 「千の言葉よりも多くを語る」。教皇はこの写真を印刷したカードに「戦争がもたらすもの」という言葉を添え、世界に広めてきた。はだしで火葬の順番を待つ少年の姿は多くの人々の心を打ち、世界的に注目を集めるようになった

 タイグ氏は二十四日の爆心地での行事に参列。「父の写真を使っていただき、ありがとうございます」。核廃絶を訴える演説を終えた教皇に歩み寄り、練習した教皇の母国語スペイン語で伝えた。教皇も「こちらこそ、ありがとうございます」とにこやかに応じた。

 タイグ氏は、二十四年前に初めてこの写真を見た時のことが忘れられないという。「赤ちゃんは寝ているの?」と父親に尋ねると、「もう亡くなっているんだ」と教えられたと振り返った。

 教皇と間近で接した後、タイグ氏は「温かい気持ちだ。さまざまな人の活動のおかげで歴史的瞬間が実現した」と語った。若い世代に、「父は人生を原爆被害にささげた写真とともに平和がないと将来はないとの父の思いを受け取ってほしい」と願いを託した。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112502000129.html

ローマ教皇 長崎・広島で訴え 核なき世界の実現、可能であり不可欠
2019年11月25日 朝刊

 ローマ・カトリック教会の頂点に立つ教皇(法王)フランシスコ(82)は二十四日、被爆地の長崎と広島を相次いで訪問し演説、核廃絶を訴えた。長崎では「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信している」と強調。広島では「真の平和は非武装の平和以外にあり得ない」として、核兵器を含む大量破壊兵器の保有や核抑止も否定、被爆地訪問は自らの義務だと感じていたと述べた。

 教皇として故ヨハネ・パウロ二世以来、三十八年ぶり史上二度目の被爆地訪問となった。

 二十四日午前、原爆落下中心地碑がある長崎の爆心地公園に到着した教皇は、長崎について「ここは核攻撃が人道上も環境上も破滅的な結末をもたらすことの証人である町だ」と指摘した。平和実現のため「核兵器禁止条約を含む国際法の原則にのっとり飽くことなく迅速に行動していく」と強調。米国の「核の傘」に依存し、同条約に参加していない日本に対応を促す発言とみられる。

 軍拡競争は無駄遣いとして、武器の製造や維持、改良は「とてつもないテロ行為だ」と批判。来春の核拡散防止条約(NPT)再検討会議を前に核保有国と非保有国側との間にある溝が浮き彫りになっている現状を念頭に「相互不信によって兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険がある」と警鐘を鳴らした。

 午後には広島に移動。平和記念公園での集いでは、戦争のための原子力利用は「犯罪以外の何ものでもなく倫理に反する」と強調。最新鋭の兵器を製造したり、核の脅威を使って他国を威嚇したりしながら「どうして平和について話すことができるのか」と述べ、世界各国の指導者に核廃絶に向けた具体的な行動を迫った

 さらに、原爆と核実験、あらゆる紛争の犠牲者の名により「戦争はもういらないと叫ぶよう呼び掛けた

 教皇は二十三日に来日。二十六日までの滞在中、東京都内で東日本大震災被災者との交流を行い、天皇陛下との会見や安倍晋三首相との会談も予定されている。


<ローマ教皇フランシスコ> 本名ホルヘ・ベルゴリオ。1936年12月17日、アルゼンチンのブエノスアイレスでイタリア系移民の家庭に生まれる。チリやアルゼンチンで哲学などを学び、アルゼンチンの大学で文学などを教えた後、69年に司祭叙階。98年にブエノスアイレス大司教、2001年に枢機卿。13年3月13日、中南米から初の教皇に選出され、第266代教皇に19日就任、ローマ・カトリック教会の頂点に立った。イエズス会出身。 (共同)
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●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》

2019年11月27日 00時00分56秒 | Weblog

[※ 『トランクの中の日本』(聞き書き/ジェニファー・オルドリッチ 写真/ジョー・オダネル 訳/平岡豊子)(https://www.shogakukan.co.jp/books/09563013)↑]



NHK『おはよう日本』の「けさのクローズアップ」でのニュース【“焼き場に立つ少年”をさがして】(https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/08/0809.html)。
同じく、富田良記者によるWEB特集の記事【お母さんに会えたのかい 原爆の地に立つ少年】(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190814/k10012033921000.html)。

 《原爆が投下されてから74年となる長崎で、改めて注目されている写真があります。被爆後の長崎で、アメリカの従軍カメラマンが撮影したモノクロ写真「焼き場に立つ少年」です。少年が背負っているのは亡くなった弟。その火葬の順番を待つ姿を捉えたものです。ことし11月に来日予定のローマ法王が「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、おととし、世界中に発信。改めて注目されているのです》。
 《ある日「焼き場に立つ少年」の写真を目撃したとき、被爆当時の記憶が一気によみがえったといいます》。

   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
          アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
   『●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、
               「ただ『忘れない』ということが大切」
   『●《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
         誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》
    《写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の
     従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。…写真に
     写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を
     待つ姿…「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
     誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身
    「「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本
     (小学館)は手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても
     印象に残るものの一つ」。その《「焼き場に立つ少年」の写真が
     物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》、
     《このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた
     相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンに
     なっているトランプ大統領と安倍首相だろう》。…《原爆投下後の
     長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを
     作り、「これが戦争の結末」》…アベ様や与党自公、癒党キトお維の
     支持者の皆さんにそれが伝わるのかどうか…。」

 ローマ法王の来日に際して、再び注目された一枚の写真。
 ツイッターで、この写真の少年のことがNHKのニュースで8月に取り上げられていたことを知りました。《写真を詳しく見てみると、鼻には詰め物をしています。このことからも、出血しやすい状態にあったとうかがえます。少年は、一定量の放射線を浴びたことで、骨髄が傷つき、体中が出血しやすくなっていた可能性があるといいます。少年がなんらかの形で被爆した可能性が浮かび上がってきました》。少年も《被爆》…考えもしませんでした。

 関連して…青木理さん。ローマ法王来日に関して、もう一つの注目点は「死刑制度」。明日のミサに袴田巌さんを呼ばれているらしい。事実上の廃止も含めて国連加盟国の7割…死刑廃止が世界の潮流。存置派は、先進国でアメリカの一部の州とニッポンのみ。昨年も13人のオウム幹部を死刑…。死刑制度を考えるきっかけに(サンデーモーニング 2019年11月24日)。

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…政権や検察に
           忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…

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https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/08/0809.html

けさのクローズアップ
2019年8月9日(金)
“焼き場に立つ少年”をさがして

原爆が投下されてから74年となる長崎で、改めて注目されている写真があります。

被爆後の長崎で、アメリカの従軍カメラマンが撮影したモノクロ写真「焼き場に立つ少年」です。少年が背負っているのは亡くなった弟。その火葬の順番を待つ姿を捉えたものです。

ことし11月に来日予定のローマ法王が「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、おととし、世界中に発信。改めて注目されているのです。


長崎投下から74年 “焼き場に立つ少年”をさがして

少年は誰なのか、74年たった今もわかっていません。その後、少年はどんな人生を歩んだのか。あの少年に会ったことがあると、今もさがし続ける男性がいます。

長崎市に住む、村岡正則さん(85歳)です。この1年半あまり、写真の少年につながる手がかりをさがし続けています。ローマ法王の発言をきっかけに、被爆当時の記憶が呼び覚まされたからです。

74年前のきょう。当時、小学6年生だった村岡さんは、爆心地から1.5キロ離れた自宅で母親とともに被爆しました。やけどを負った母親を支え、命からがら逃げ惑いました。ようやくたどり着いた避難先で出会ったのが、赤子を背負った、あの写真の少年だったといいます。

少年はその後、母親を見つけることができたのか。自分と同じ年ごろだったあの少年が、忘れられません。

村岡さんは「母親と一緒に私も逃げて、難民生活をしていったけれど、そんな苦労を(少年も)しただろうなと思うんですね。自分もそうだから、ひしひしと感じるんです。そういうことで、どうしても捜したい」と言います。

自らの記憶を頼りに、少年をさがす村岡さん。有力な手がかりがない中、ようやく少年の同級生だったという男性に会うことが出来ました。

男性によると、少年の名前は「あきひろ」くん。戦後、母親の実家がある諌早市に移住した可能性があるといいます。

新たな手がかりを得て、諌早市内で調査を始めた村岡さん。市内の小学校を探し回る中、ある学校にたどり着きました。

村岡さんと同い年にあたる、昭和21年の卒業生の中に、「あきひろ」という名前の子どもが見つかったのです。

学校には、昔の卒業写真も残されていることがわかりました。写真の少年と見比べることができれば、大きな手がかりとなります。

期待をいだき、写真集をめくる村岡さん。しかし、被爆直後の混乱からか、昭和21年の卒業写真はありませんでした。

被爆から74年。当時を知る人が少なくなる中、写真そのものから、少年に近づく情報を得ることはできないか。私たちが取り組んだのが、写真のカラー化です。

これまでNHKでは、最新のデジタル技術を使い、数多くのモノクロ映像のカラー化を行ってきました。カラー化するために画像を分析していくと、少年の体に、ある異変が起きていたことがわかりました。

黒い瞳の部分の横に、さらにグレーのかかった部分があることが分かったのです。これが何を意味しているのか。

48年にわたり広島などで被爆者医療に携わってきた、医師の齋藤紀さんは、目のグレーの部分は、出血したあとだと考えられると言います。

写真を詳しく見てみると、鼻には詰め物をしています。このことからも、出血しやすい状態にあったとうかがえます

少年は、一定量の放射線を浴びたことで、骨髄が傷つき、体中が出血しやすくなっていた可能性があるといいます。少年がなんらかの形で被爆した可能性が浮かび上がってきました。

74年たった今もなお、私たちに戦争の悲劇を訴えかけている焼き場に立つ少年。当時の体験を語れる被爆者が少なくなっているからこそ、村岡さんは、この写真への思いを強くしています。「(少年は)写真で平和を訴えてくれている。立派だ。あっぱれだ。と呼びかけたい」といいます。

残念ながら、村岡さんが出会った少年が「焼き場に立つ少年」だという確かな証拠は、まだありません。写真の少年は誰なのか、謎は残されたままです。

しかし、74年前、長崎市民の多くが、写真の少年と同じように悲惨な経験をしたことは確かです。

だからこそ、多くの人たちが、この写真の少年に思いを寄せ、平和への祈りを新たにしているのだと思います。
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190814/k10012033921000.html

WEB特集
お母さんに会えたのかい 原爆の地に立つ少年
2019年8月14日 12時37分

原爆が投下された日、避難先で出会ったその少年は幼い子どもを背中にしょって、必死に母親を捜していました。少年はその後、お母さんに会えたのか。戦後をどう生きたのか。

ある事をきっかけに、その少年を捜し始めた一人の被爆者が長崎にいます。なぜ、つらい被爆の記憶をたどってまで少年を捜すのか。知りたくて取材を始めました。

(長崎放送局記者 富田良)


「地獄」の中の出会い

長崎市に住む村岡正則さん(85)は、74年前、爆心地から1.5キロ離れた自宅で被爆し、やけどを負いました。同じくやけどを負って歩くのが困難だった母親を支えながら、戦禍の中を避難しました。

     (当時の村岡さんと母親)



村岡正則さん:

「とにかくけがをした人、人を探す人、ほんとパニック状態です。ほんとにこれは地獄だなと思いましたね」



その少年に会ったのは、まさにその最中でした。


村岡正則さん:


「一歳くらいの子どもをおぶった少年がやってきたんですね。『何ばしよっとね』と聞いたら、『かあちゃんば、さがしよると。かあちゃんばおらんとさ』というので『かあちゃんもあんたをさがしよるかもしれんよ。早く、もう一回家ばさがしてみらんね?』と私が聞くと、『うん』と言いましたね」


「あの少年だ!」

村岡さんは戦後、小学校の先生となり、校長まで務めました。ある日「焼き場に立つ少年」の写真を目撃したとき、被爆当時の記憶が一気によみがえったといいます。



村岡正則さん:

「あの少年だと直感しましたね。あのときのままですよね。私は年取っとるけれども、私の見たこの少年はそのときのまま、写真は年を取らないから、そのままなんですよ。それで瞬間的に思ったんですね」

「少年の顔そのもの。それから、おぶっていた子ども。後ろに頭をだらりとした姿、これもそのまま。子どもを少しのぞき込んでみたんですよ、少年と話をするとき。その顔と、このおぶってる子どもの顔は全く同じです。それから、帯もよく似ている」


「焼き場に立つ少年」の写真は、アメリカの従軍カメラマンのジョー・オダネル氏が、原爆が投下された後の長崎で撮影し、その後、世界中で公開されました。

オダネル氏自身も生前、来日して少年の行方を捜しましたが見つけることができず、原爆から70年以上たつ現在も、この少年が誰なのか、撮影された詳しい場所はどこか、分かっていません。

少年はその後、母親と無事に会うことができたのだろうか。村岡さんは、原爆投下直後の混乱の中、母親と命がけで避難した自らの記憶の中に、たびたびあの日の少年の姿が浮かび上がり、気にかけてきたと話しました。


村岡正則さん:

「お母さんをさがしていたからね。お母さんに会ったかなあということを思いましたね。苦労しているんですよ。母親に対する気持ちは、この焼き場に立つ少年と同じ感じなんですね。そういうことで、どうしてもさがしたい」


ローマ法王が世界に発信

2017年、この「焼き場に立つ少年」が再び世界の注目を集める出来事がありました。

核兵器廃絶に強い関心を示すローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が、写真に「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて世界に発信したのです。

注目が集まる一方で、村岡さんは危機感を募らせました。写真の背景が被爆地としては不自然だという指摘から、「爆心地で撮影されたものではないのではないか」、さらには「長崎とは別の場所で撮影されたものなのではないか」と指摘する声もあがりはじめていたのです


村岡正則さん:

「ローマ法王も長崎の少年だとして添え書きをして世界に発信しようという、そのときに、長崎の少年じゃないんじゃなかろうかというような、そういう疑いさえ持ってるという人がたくさん出てるという。
私は小学校で一緒に遊んだことあるよ、会って会話もしたよと。長崎の少年じゃないということはないはずだ、ということを強く訴えたいんです。これは黙っちゃおられんばい、そういう気持ちになりました」


わずかな手がかり

自分の記憶は確かだが、その記憶と写真の少年とを結びつける証拠がない。村岡さんは実家や小学校、当時の国民学校があった地域を中心に、少年を捜し始めました。

その過程は、自分のつらい過去を再び思い出すことにもなりました。それでも記憶をたどり、少年について書かれた本や資料などにもあたりました。少年と出会った場所に足を運び、地域の人に会って話を聞いて回りました。

70年あまりの時間の経過で当時のことを証言できる人は少なく、歯がゆい気持ちになることもありましたが、捜し始めて1年ほどたったころ、ようやく少年の同級生だったという男性にたどり着きます。

男性によると、少年の名前は「あきひろ」くん。戦後、母親の実家がある長崎県諌早市に移り住んだ可能性があるとのことでした。

その証言をもとに、村岡さんが諌早市内にある小学校をひとつひとつ聞いて回ったところ、ある小学校に、村岡さんと同じ昭和21年の卒業生で「あきひろ」という名前の子どもが在籍していたことが分かりました。

当時の卒業写真があれば、少年と見比べることができるかもしれないという思いを胸に、村岡さんは過去の卒業写真を見せてもらいました。

はやる心を抑えながら村岡さんは1年ずつさかのぼってページをめくり、自分と同じ卒業の年にあたる昭和21年の写真を探しました。

しかし戦時中の混乱もあって、探していた卒業写真は残されていなかったのです。


■原点の写真を見つめ直す

村岡さんとは別に、写真そのものから少年に結びつく情報を得ようと検証を重ねてきた人がいます。

長崎市の被爆継承課で長年資料の研究にあたってきた、松尾隆さんです。世界的に知られたこの写真に注目し、独自に調査を続けてきました。

 

その中で松尾さんは、「焼き場に立つ少年」の写真が左右反転している可能性に気付きました。

松尾さんが指摘する根拠は2つ。まず、上着の前合わせが男性用に見えないこと。さらに戦時中は左胸に縫い付けるよう指導されていた名札が、少年の右胸についていることでした。

これにより写真が「裏焼き」されて左右反転している可能性が高いと結論づけました。

被爆2世でもある松尾さんは、被爆者と次の世代をつなぐ役割が自分にはあると感じていると話します。松尾さんは「裏焼き」の可能性を否定的に捉えるのではなく、少年にたどりつく助けになるという思いで、独自の調査結果にたどりついたのです。


松尾隆さん:

「オリジナルの原点がやっぱり違うということなので、原点をちょっと修正する必要があるんじゃないかと。修正してそこから改めて調査をスタートさせる必要があるんじゃないかなって考えました」


■独自のカラー化でわかった「異変」

一方NHKでは、この「焼き場に立つ少年」の写真のカラー化に取り組みました。当時の時代背景をもとに、最新のデジタル技術を使って当時の色彩に近づけました。

その中で、少年の体にある異変が起こっていた可能性があることが分かりました。黒目だと思われる瞳の横に、グレーがかった部分があったのです。

これは何を意味しているのか。48年にわたり広島などで被爆者医療に携わってきた、医師の齋藤紀さんを訪ねました。

齋藤医師は、目のグレーの部分は出血したあとだと考えられるといいます。

さらに写真を詳しく見ていくと、少年の鼻に詰め物のようなものがあることがわかり、鼻の出血を抑えるために入れられていた可能性があると指摘しました。

これらは、一定量の放射線を浴びたことで骨髄が傷つき、体中が出血しやすくなっていたことを示すことになりうるといいます。少年がなんらかの形で被爆した可能性が浮かび上がってきました。


■「君」が訴えかけること

原爆投下から74年がたち、写真の少年に関する新たな発見や可能性が見えたものの、少年に結びつく確かな情報は得られませんでした。

今回の取材の過程で、村岡さんを含む多くの被爆者や専門家の方々に話を聞き、改めてこの写真が持つ訴える力の強さがわかりました。

「少年がその後、どんな人生を歩んだのか」。多くの被爆者が、戦後を生きてきた自分と少年を重ね、思いを寄せてきたのだと感じました。

約1年半、少年を捜し続けてきた村岡さんに「もし少年に会えたら、どんなことばをかけたいか」聞きました。


村岡正則さん:

「『君は写真で平和を訴えてくれている』『立派だ、あっぱれだ』と呼びかけたいですね」
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●《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》

2018年01月14日 00時00分04秒 | Weblog

[※ 自公選挙公約「子育て…」小躍りするアベ様日刊ゲンダイ(2017年12月19日)↑]



日刊ゲンダイの記事【ローマ法王 長崎原爆後の写真に込めた日米へのメッセージ】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/220553)。

 《写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。…写真に写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を待つ姿…「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ

   『●ささやかな核兵器廃絶の願い…高校生の言論封殺: 
        アベ様のメンツを守るための外務省の横やりという大愚
   『●「核兵器禁止条約」…「核なき世界」への 
     その先頭を走るべきアベ様やニッポン政府は一体何をしていたの?
   『●「核保有国とみられる一部の加盟国が、
      高校生にスピーチをさせないよう日本政府に圧力をかけていた…」
   『●「核の傘」の下のニッポン…オーストリア軍縮大使
        「世界で唯一の被爆国として特別な役割がある」
   『●ニッポンの様に核の傘に頼る国々は「共犯者」…
        「核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ」(サーロー節子さん)
    《「核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ」と強調。「世界の全ての国の
     大統領と首相に懇願する。条約に参加し、核による滅亡の脅威を
     永久に絶ってほしい」と訴えた…核の傘に頼る国々を「共犯者」と呼び、
     条約に署名しない日本政府を暗に批判した》

 「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本』(小学館)は手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても印象に残るものの一つ」。その《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身》、《このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンになっているトランプ大統領と安倍首相だろう》。
 「核なき世界」へのその先頭を走るべきアベ様やニッポン政府は一体何をしていたの?…その責任の一旦は、この国のマスコミの情けなさにもある…《日本メディアは「核兵器廃絶を訴える法王が改めて平和を訴えた」などとステレオタイプで報じているが、果たしてそうなのか》。
 《原爆投下後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを作り、「これが戦争の結末」》…アベ様や与党自公、癒党キトお維の支持者の皆さんにそれが伝わるのかどうか…。

   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
           アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本』(小学館)は
     手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても印象に
     残るものの一つ。
       《▼「希望」も「未来志向」も抱くには程遠い状況だ。これが
     沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年が望んだ
     であろう日本の未来の姿であるはずがない》…内政・外交の全てが
     「ろくでもないアベ様の「政」。」

   『●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、
                       「ただ『忘れない』ということが大切」
    「アサヒコムの記事【「焼き場に立つ少年」血にじむ唇 米写真家の被爆地記録】
     …には、《原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う
     「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、
     故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に
     著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた
     足跡を写真と共に追っている…原爆正当化論が根強い米国で批判に耐え、
     2007年、8月9日に85歳で亡くなるまで各地で写真展を開き、
     戦争反対を訴えた。…妻で米在住の坂井貴美子さん…そして核廃絶への
     メッセージとして、こう語った。「ただ忘れないということが大切と思う》…と。
       《ただ『忘れない』ということが大切》。忘れない、そして、問題にし、
     言い続けよう。」

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/220553

ローマ法王 長崎原爆後の写真に込めた日米へのメッセージ
2018年1月4日

     (フランシスコ・ローマ法王(左)がメッセージを込めた
      「焼き場に立つ少年」/(C)バチカン提供・共同)

 「オレの机の上にも核ミサイルのボタンがあるゾ」「いやいや、オレが持っている核ミサイルの方が強いゾ」――。いい加減、こんなガキのケンカを見ているのも限界だったのだろう。フランシスコ・ローマ法王が、原爆投下後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを作り、「これが戦争の結末」として配布、広めるよう指示していた、と報じられた。

 写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。ローマ法王庁(バチカン)は、写真に写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を待つ姿、と解説。日本メディアは「核兵器廃絶を訴える法王が改めて平和を訴えた」などとステレオタイプで報じているが、果たしてそうなのか。 

 このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンになっているトランプ大統領と安倍首相だろう

   「ローマ法王はトランプ大統領が選挙戦で打ち出していたメキシコとの
    国境に壁を建設するとの発言を問題視し、『キリスト教徒ではない』と批判。
    これに対し、トランプ大統領が『宗教指導者が人の信仰を批判するなど
    みっともない』と反論するなど、両者の関係はギクシャクしています。
    加えて、そんなトランプ政権に追従する日本は核兵器禁止条約に
    反対している。さすがに政教分離の原則が根付いている欧州では、
    たとえローマ法王であろうとも真正面からトランプ大統領、安倍首相の
    外交姿勢を批判することはできない。だから、遠回しに両者に自省を
    促すためにカードを作成したのではないか」(外務省担当記者) 

 ローマ法王に対しては、河井克行首相補佐官が昨年3月に訪日を要請。今夏にも実現するのではないか、とみられている。

   「ローマ法王が長崎の少年の被爆写真を用いたのは、おそらく対北朝鮮などで
    カギを握っているのは日本だ、というメッセージが込められているのではないか。
    しかし、今の安倍政権は真逆の方向に進んでいる。仮にローマ法王が
    来日した時、安倍首相は『日本はなぜ、核兵器禁止条約に反対しているのか
    『米国と一緒に再び戦争の惨禍に飛び込もうとしているのはなぜか
    と問われることになる。どう答えるのか注目です」
    (元外交官の天木直人氏)

 「焼き場に立つ少年の写真が物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身
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●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、「ただ『忘れない』ということが大切」

2017年08月25日 00時00分33秒 | Weblog

[報道特集 (2017年7月8日)↑]



アサヒコム(週刊朝日)のコラム【室井佑月「すっきりしないが…」】(https://dot.asahi.com/wa/2017080800059.html)。

 《安倍首相が、「加計学園の獣医学部新設計画を初めて知ったのは今年1月20日」って答えたよ。いくらなんでもその嘘は無理大胆な嘘つきだな。…だいたい、利害関係者である加計学園理事長に奢(おご)られていたって事実が出てきただけで、アウトな話ではないか?…なので、マジで本気で、民進党にお願い。もっと、しっかりしてくださいよ仙台市長選は野党陣営が勝ったが、横浜市長選は野党陣営がバラバラになって負けた今、この状況で、それはないやろ》。

   『●国家戦略特区諮問会議議長・アベ様は、 
      2017年1月20日まで、オトモダチの関与を知らなかった?
    《決定権者である安倍首相が加計理事長とゴルフや会食をともに
     しているだけでも常識的に考えて大問題だ。しかも、安倍首相は…
     食事代については「加計氏にごちそうになることもある」と
     饗応を受けたことを、平然と認める発言までした》

   『●国家戦略特区諮問会議議長・アベ様、そりゃぁ~ないでしょ!
                        質問主意書による「急な質問」?
   『●「日本におけるゴルフのイメージ向上に 

       今年最も貢献した」アベ様、「GIGI(ギギ)」から感謝される?
   『●「周到な罠」を仕掛けていたのかな、アベ様の「腹心の友」…
                 「学校教育の事業主体にふさわしい」人物?

   『●「“ぼくたちの友情は潔白”などとよくもまあ言えたものだ」…
                    ズブズブでダークなオトモダチとの友情

 《新しい嘘が発覚すれば、マスコミが取り上げると信じて。そうならなきゃ、忘れっぽいあたしたちは、選挙の前に忘れてしまう》から、問題にし続けること、忘れないこと…それが重要。
 アベ様の大見得・啖呵「議員辞職」を決して忘れない。

 沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]「壁はなくなったけど、米軍基地はなくならない」…】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/125591)には、《「事故があったことは県外では知らなかった」-。2004年8月13日に起きた沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事故。黒焦げた校舎の「壁」の記憶をつなぐ写真展「私の見た壁」が那覇市民ギャラリーで開かれている…オスプレイが墜落した。日本政府の自粛要請もおかまいなしで沖縄の上空を飛ぶ。写真展を訪れた人は墜落に触れ「恐ろしい現状は変わっていない」と感想を寄せた ▼実行委員会の新川美千代さんは、事故を知らない世代に知ってもらうために、親子で見てほしいと訴える。理不尽な状況を伝え続けるには、多くの記憶が力となる》…と。
 これも、記憶し、言い続けることの重要性…《米軍機は沖国大墜落など「なかったこと」のように、今も県民の頭上をかすめ飛んでいる》。

   『●消された放射能汚染: 米軍ヘリ墜落ストロンチウム消失事件
   『●普天間「番犬様」基地: 「毎日頭上を飛ぶヘリの機体に
            ストロンチウム」…墜落により放射性物質が飛散
   『●「沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件」でも
        「沖縄は放ったらかし」……アベ様らは、今も、沖縄差別継続中
   『●12年経っても「米軍機は沖国大墜落など
     「なかったこと」のように、今も県民の頭上をかすめ飛んでいる」

 アサヒコムの記事【「焼き場に立つ少年」血にじむ唇 米写真家の被爆地記録】(http://www.asahi.com/articles/ASK877VJMK87PITB00V.html?iref=comtop_photo)には、《原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている…原爆正当化論が根強い米国で批判に耐え、2007年、8月9日に85歳で亡くなるまで各地で写真展を開き、戦争反対を訴えた。…妻で米在住の坂井貴美子さん…そして核廃絶へのメッセージとして、こう語った。「ただ忘れないということが大切と思う》…と。
 《ただ忘れないということが大切》。忘れない、そして、問題にし、言い続けよう。

   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
           アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本』(小学館)は
     手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても印象に
     残るものの一つ。
       《▼「希望」も「未来志向」も抱くには程遠い状況だ。これが
     沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年が望んだ
     であろう日本の未来の姿であるはずがない》…内政・外交の全てが
     「ろくでもないアベ様の「政」。」

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https://dot.asahi.com/wa/2017080800059.html

室井佑月「すっきりしないが…」
2017.8.9 07:00 週刊朝日 #加計学園 #室井佑月

     ’もっと、しっかりしてくださいよ(※写真はイメージ))

 いまだ続く加計学園問題。作家の室井佑月氏は「むしろ、この問題を追及しつづけるべき」だと主張する。

*  *  *

 7月24、25日の衆参両院の閉会中審査を見て思った。加計学園の問題は、黒に近いグレーのまま、すっきりしない感じでズルズルいきそう。

 だって、丁寧に説明するといいながら、記録を破棄し、「記憶にございません」、そうのうのうといってのける安倍さんとそのお仲間たち

 しかも、過去の国会での発言をなんとか取り繕おうとするものの、細かい嘘がポロポロ出てくる

 安倍首相が、「加計学園の獣医学部新設計画を初めて知ったのは今年1月20日」って答えたよ。

 いくらなんでもその嘘は無理大胆な嘘つきだな

 その前から、腹心の友である加計学園理事長と、何度もご飯食べにいったり、ゴルフにいったりしてるじゃないさ。てか、安倍首相は過去に野党からおなじ質問をされ、「特区申請時に承知していた」と答えておった。

 野党に過去の答弁との矛盾について指摘されると、

 「知ったのではなく、知りうる立場にあった」だって。

 はあ? この期に及んで言葉遊び? 知りうる立場にあったのは自分なんだから、1月20日以前から知ってたってこと? だったら「嘘ついた。ごめん」じゃないの?

 だいたい、利害関係者である加計学園理事長に奢(おご)られていたって事実が出てきただけで、アウトな話ではないか?

 安倍辞典には、真摯に」「丁寧にというのは、「いつものカライバリや勇ましさを引っ込めちょっぴり元気なく、落ち込んでいるふうに装うこと」と載っているのかもしれん。

 野党側は、加計学園理事長と、前川前文部科学事務次官と、和泉首相補佐官の証人喚問を求めている。加計さんにはダイレクトに総理との関係を聞きたい。前川さんと和泉さんには、二人の証言がまったく食い違うから(「総理の口からいえないから、私がいう」と和泉さんが前川さんにいったとすることなど)、そこの部分をはっきりさせたいのだろう。

 だが、嘘をつけば罰せられる証人喚問であろうが、現在の国会には重みも威厳もなく、嘘つきは平気で嘘をつくと思われる。「記憶にございません」という便利な言葉もあるしさぁ。

 もうこっから先は、国会中継を見ている人の判断でいいかもしれない。もちろん、野党は加計学園に対する追及を止めろ、という話ではない。むしろ、この問題を追及しつづけるべき

 新しい嘘が発覚すれば、マスコミが取り上げると信じて。そうならなきゃ、忘れっぽいあたしたちは、選挙の前に忘れてしまう。微力であるが、あたしもしつこく新たな嘘が発覚した場合、それについて拡散することを止めない

 なので、マジで本気で、民進党にお願い。もっと、しっかりしてくださいよ

 仙台市長選は野党陣営が勝ったが、横浜市長選は野党陣営がバラバラになって負けた今、この状況で、それはないやろ

※週刊朝日  2017年8月18-25号
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●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」やアジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…

2016年12月29日 00時00分36秒 | Weblog


東京新聞の村上一樹記者による記事【沖縄の苦しみは真珠湾が原点 「首相は歴史顧みて」】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016122690070041.html)。
沖縄タイムスの磯野直氏によるコラム【[大弦小弦]長崎原爆資料館の出口に展示された写真「焼き場に立つ少年」が忘れられない…】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/77544)。

 《真珠湾には、沖縄の人たちにつらい過去を思い出させる場所がある。児童ら約千五百人が犠牲となった一九四四年の「対馬丸事件」を起こした米潜水艦ボーフィン号が、旧日本軍による奇襲攻撃にまつわるアリゾナ記念館のそばに係留・展示されているのだ。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、そこまで思いを至らせてほしい」と願っている》。
 《はだしの少年がおんぶする幼児は寝ているかのようだが、実は遺体。口を真一文字に結び、火葬の順番を待つ少年の目に胸を突かれた …▼「希望」も「未来志向」も抱くには程遠い状況だ。これが沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年が望んだであろう日本の未来の姿であるはずがない》。




 《「対馬丸事件」…。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、そこまで思いを至らせてほしい」と願っている》…でも、残念ながらアベ様には、《そこまで思いを至らせ》る、なんて無理というもの…。

   『●「通貨が社会を変える?」
       『週刊金曜日』(2014年7月4日、998号)についてのつぶやき

      【黒島美奈子の政治時評/対馬丸事件の教訓を唾する「武力放棄」
       憲法下での異常 日本は再び戦争のできる国に】、「この悲劇は、
       いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象と
       なる危険性を後世に伝えている

   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」

 ニッポン「国内」でさえ、このあり様ですから、歴史修正主義者・アベ様の今後の「慰霊」に期待できる?、訳がないです。
 東京新聞の記事【日米学者から首相への質問状全文 アジアで慰霊の予定は?】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201612/CK2016122702000131.html)によると、《実際のところ、その日に日本が攻撃した場所は真珠湾だけではありませんでした。その約一時間前には日本陸軍はマレー半島の北東沿岸を攻撃、同日にはアジア太平洋地域の他の幾つかの英米の植民地や基地を攻撃しています。日本は、中国に対する侵略戦争を続行するために不可欠な石油や他の資源を東南アジアに求めてこれらの攻撃を開始したのです》。

   『●・・・であるのならば、壊憲派を勝たせてはいけない
        ~「“悪魔”を阻むハードル」を下げてはならない~
    《▼その時代に戻ることはないと信じているが、「嫌中・嫌韓」が
     声高に語られる風潮には危うさを感じる。それを政治家が
     あおっているのだから尋常ではない▼閣僚の靖国参拝に対する
     中韓両国の抗議を安倍晋三首相は
     「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と突っぱね、
     「侵略の定義は国際的にも定まっていない」と過去の侵略戦争や
     植民地支配を正当化するような発言を重ねた。経済優先の
     「安全運転」に徹してきた首相の「地金がむき出しになってきた》

   『●勝てば非侵略国で、負ければ侵略国?
    《日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は…。
     一方で、安倍晋三首相が「侵略の定義は定まっていない」
     と主張している点について「学術上、定義がないのは
     安倍首相が言われているとおり」と述べ、理解を示した》

   『●「証拠が出てくれば反省しなければならない」のだから、
                     反省してください
    《橋下徹大阪市長の言動は何だか危なっかしいとは思っていたが、
     「慰安婦制度は必要だった」に始まる一連の発言は、
     おぞましい限りだった大阪市民も肩身が狭かろう
      橋下氏の人間観への疑問符は後述するとして、
     そもそもの発端は安倍晋三首相の「侵略の定義は学界的にも
     国際的にも定まっていない」という国会答弁だった
      橋下氏は、安倍答弁を「その通り」と認めつつ、「日本は敗戦国。
     敗戦の結果として侵略だということはしっかりと
     受け止めないといけない」と述べた。
     戦争に負けたから「侵略」を認めるというのも妙な議論だが、
     そこから「ただ、事実と違うことで日本国が不当に侮辱を
     受けていることにはしっかりと主張しなければいけない」
     と従軍慰安婦問題を持ち出したのだった》

   『●それでも自公政権が支持されるのはいったいなぜ? 信じ難い現実・・・
    《安倍晋三首相の侵略の定義河野談話村山談話
     そのまま継承するわけではないという発言や、麻生副総理らの
     靖国参拝、日本維新の会の橋下徹共同代表の従軍慰安婦についての
     発言などで、(日本は)いわゆる右傾化が進んでいると思われだしている

   『●麻生太郎氏「ナチス発言」、やはり有耶無耶に
    《だが麻生氏が何の責任も問われずにいることを、かつてナチスに
     蹂躙された欧州諸国やユダヤ人が認めたと考えるのは
     甘すぎるだろう。安倍首相が今年4月、「侵略の定義は学界的にも
     国際的にも定まっていない」と日本の過去の侵略・植民地支配を
     否定するとも受け取れる発言をしたことと相俟って、
     国際社会の日本に対する視線は一層厳しくなっているのは間違いない

   『●まだ「積極的平和主義」を言うか!? ダメだこりゃ・・・・・・
              「薔薇の花束」を理解できないアベ様!
    《しかし、首相はかつて「侵略の定義は定まっていないと国会答弁
     
しました。これでは侵略を正当化する意図があるのでは、
     との疑いを招きかねません》

   『●「「ああ、安倍談話さえなかったら!」を心配する」:
          「ケンカを売り」「火に油を注ぎ」そうな雰囲気
    《首相はかつて「侵略の定義は定まっていない」と国会答弁した。
     侵略を正当化する意図を疑われ、国際社会の一部から
     歴史修正主義的」と厳しい視線が注がれていることを
     忘れてはならない》


 ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本』(小学館)は手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても印象に残るものの一つ。
 《▼「希望」も「未来志向」も抱くには程遠い状況だ。これが沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年が望んだであろう日本の未来の姿であるはずがない》…内政・外交の全てが「ろくでもないアベ様の「政」

   『●「外交音痴、政治音痴、もう政治家とは呼べない領域」な
            失言王・萩生田光一氏…成果無しなアベ様外交
   『●斎藤貴男さん「人権を否定することに喜びを感じている
          変質者集団」…「人権の砦」のはずが最「低」裁…
   『●《全国民を勝負師に》…「国民にギャンブルを
      奨励するギャンブル国家の道…憲政史上、由々しき法案」
   『●室井佑月さん「安倍政権の掲げる成長戦略は…
     他人の不幸や不運を踏み台にしたものばかり。ろくでもない」

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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016122690070041.html

沖縄の苦しみは真珠湾が原点 「首相は歴史顧みて」
2016年12月26日 07時00分

 安倍晋三首相が二十八日(現地時間二十七日)に訪問する米ハワイの真珠湾には、沖縄の人たちにつらい過去を思い出させる場所がある。児童ら約千五百人が犠牲となった一九四四年の「対馬丸事件」を起こした米潜水艦ボーフィン号が、旧日本軍による奇襲攻撃にまつわるアリゾナ記念館のそばに係留・展示されているのだ。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、そこまで思いを至らせてほしい」と願っている。 (村上一樹)

 ボーフィン号が撃沈した対馬丸に乗船していた高良(たから)政勝さん(76)=那覇市=は、事件で両親ときょうだい計九人を失った。当時は四歳。沈没時の記憶はなく、気がつくと洋上を漂流していて、三日後に漁船に救助された。首相の今回の訪問には「単に真珠湾の犠牲者の追悼だけにとどまらないでほしい」と求めた。

 高良さんは現在、那覇市で対馬丸記念館を運営する対馬丸記念会の理事長を務める。「もし真珠湾攻撃がなければ、沖縄の子どもたちも対馬丸で疎開することはなかった。戦後七十年余り続く沖縄の米軍基地化もなかったのではないか」と訴える。

 戦後の沖縄は、一九七二年に米国から日本に返還された後も、東アジアにおける米軍の拠点として多くの基地が残った。今月二十二日には北部訓練場(東村(ひがしそん)、国頭村(くにがみそん))の約四千ヘクタールが返還されたが、それでも日本国内の在日米軍専用施設・区域の70%が、今も沖縄に集中している。

 名護市辺野古(へのこ)での米軍新基地建設を再開しようとしている政府に対し「沖縄に問答無用の姿勢で進めようとしている。先の大戦の教訓を生かし切れていない。真珠湾が発火点となり、そこから燃え広がってどうなったか。首相には今回の訪問で歴史を顧みて、それを今後に生かしてほしい」と話している。

 事件当時十歳だった元教員の上原清さん(82)=沖縄県うるま市=は、いかだで六日間かけて奄美大島(鹿児島県)に流れ着いた。首相の訪問は「行かないよりは、一歩でも二歩でも平和に近づくのであればいい」と評価する。

 一方で、事件の生存者や遺族の複雑な心境として「今でも真珠湾に行きたくない、ボーフィン号を見たくないという人もいる」と明かした。

 沈没から六十年が過ぎた二〇〇四年、沖縄戦研究者らの紹介で対面したボーフィン号の元乗員から「多くの子どもたちが乗っていたことは当時知らなかった。戦争は地獄だ」と聞かされた。「日米双方とも、心の傷を負って、まだ癒えていない人もいる」と訴えた。

 首相は二十六日夜、羽田空港発の政府専用機でハワイに向け出発する。


疎開児童ら1482人犠牲

 <対馬丸事件> 1944(昭和19)年8月22日午後10時12分ごろ、沖縄県内の児童や引率者らを乗せ那覇から長崎県に向かっていた学童疎開船「対馬丸」が、鹿児島県トカラ列島の悪石(あくせき)島沖で米海軍潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け10分ほどで沈没した。2016年8月までに名前が判明している乗船者1788人のうち約8割に当たる1482人が犠牲になった。生存者は280人程度。
 日本政府は97年12月、悪石島周辺海域を捜索し、同島の北西約10キロ、水深870メートルの海底で船体を発見した。引き揚げは断念し、遺品や遺影などを展示する対馬丸記念館を那覇市に建設し、事件から丸60年となる04年8月に開館した。天皇、皇后両陛下は14年6月に記念館を視察、事件の生存者や遺族と懇談された。
 対馬丸を撃沈したボーフィン号は真珠湾攻撃から1年後に進水した「真珠湾の復讐(ふくしゅう)者」の異名を持つ潜水艦で、太平洋戦争では対馬丸のほかに日本の商船や旧日本軍の船など計44隻を沈めたとされる。
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http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/77544

[大弦小弦]長崎原爆資料館の出口に展示された写真「焼き場に立つ少年」が忘れられない…
2016年12月27日 07:36 磯野直 原爆 核なき世界 日米同盟

 長崎原爆資料館の出口に展示された写真「焼き場に立つ少年」が忘れられない。はだしの少年がおんぶする幼児は寝ているかのようだが、実は遺体。口を真一文字に結び、火葬の順番を待つ少年の目に胸を突かれた

▼5月、オバマ大統領と安倍晋三首相が広島の原爆ドーム前で誓った「核なき世界」とは何だったのか。国連総会は23日、「核兵器禁止条約」の制定交渉を来春から始めると決議したが、米英仏ロの核大国や日本などは反対に回った

自分の生きる場から歴史を直視し、そこから教訓を引き出す姿勢こそが未来を変えうる。唯一の戦争被爆国として核廃絶を訴えることが、安倍首相の掲げる「積極的平和主義」の本来の意味だろう

▼75年前の12月、日本は真珠湾を攻撃した。日中戦争が泥沼化する中での対米開戦はまともな判断ではなく沖縄、広島、長崎などでおびただしい犠牲を出し、破滅した

▼首相はあす、真珠湾で戦没者を追悼する。同時に日米安保を「希望の同盟」とアピールするが、関係強化の中で沖縄ではヘリパッドが造られ、オスプレイが集落近くに墜落し、辺野古の海が埋められようとしている

「希望」も「未来志向」も抱くには程遠い状況だこれが沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年が望んだであろう日本の未来の姿であるはずがない。(磯野直
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