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●《家族への脅迫状…「苦しみ抜いて一人で罪をかぶろうとしているのに許せない。もともと無実なのだから」》

2019年08月18日 00時00分59秒 | Weblog


蜘手美鶴記者による、東京新聞の記事【三鷹事件、再審認めず 元死刑囚側 異議申し立てへ】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080102000133.html)と、
社説【三鷹事件 司法は闇に目をつぶる】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019080102000155.html)。

 《東京の旧国鉄三鷹駅で一九四九年七月、無人電車が暴走し六人が死亡した「三鷹事件」で、死刑確定後に四十五歳で病死した竹内景助元死刑囚の遺族が申し立てた第二次再審請求審で、東京高裁は三十一日、再審開始を認めない決定をした。弁護団は高裁に異議を申し立てる方針》。
 《七十年前の「三鷹事件」の再審を東京高裁は認めなかった。無人電車が暴走し、大勢の死傷者が出た事件。獄死した元死刑囚の長男が求めた再審だ。あまりに多い謎に司法が応えぬ姿勢は疑問だ》。

   『●大崎事件…再審するかどうかを延々と議論し、
      三度にわたる再審開始決定を最「低」裁がちゃぶ台返し
    「再審するかどうかを延々と議論し、《三度にわたり再審開始決定
     出ながら》、最後に、ちゃぶ台返し。最「低」裁は何を怖れているのか? 
     誤りを潔く認めるべきだ」

 裁判所の面子か何か知らないが、酷いな…裁判官のプライドはないのか? 《再審公判で疑問の一つ一つに白黒つける方法もあろう司法の役目は闇に光を当てることでもある》。再審を開始して、新証拠をきちんと検証し、警察・検察、そして、裁判所は自信があるのならば、過去の証拠をもう一度洗い直せばいい。なぜに、再審を開始しないのか?

 大崎事件について、《元裁判官の木谷明弁護士…「無実の人を救済するために裁判所はあるのではないのか」》と。【報道特集】(http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20190803_2_1.html)によると、《”伝説”の元裁判官~冤罪救済に挑む (2019/8/3 放送) 無罪判決を30も出し、全てを確定させた元裁判官。退官後、81歳となった今、冤罪救済を目指す弁護士として裁判所に挑んでいる。そこで直面した裁判所の現状とは》。『イチケイのカラス』(http://morning.moae.jp/lineup/994)のモデルの一部になっているらしい。

   『●三鷹事件: 再審請求
    「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
     されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
     したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
     今回は長男の方が請求を出されたようです」

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(…)。」
     「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
      日本の局面を大きく変えた」」(…)」

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
    「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~ 
     …千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一約束…』監督】。
     三鷹事件(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3)、
     『約束』http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739)」

   『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき
    「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
     《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
     ましてや冤罪ではたまったものではありません》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
     一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」
   『●1949年《公安事件が続発…下山事件(七月五日)、
       三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》
    《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、
     六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した
     無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を
     負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに
     国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求
     したが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》

   『●国鉄三大謀略事件…1949年《下山事件(七月五日)、
        三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080102000133.html

三鷹事件、再審認めず 元死刑囚側 異議申し立てへ
2019年8月1日 朝刊

     (記者会見する高見沢昭治弁護団長(中央)。左は野嶋真人弁護士
       =31日、東京・霞が関の司法記者クラブで)

 東京の旧国鉄三鷹駅で一九四九年七月、無人電車が暴走し六人が死亡した「三鷹事件」で、死刑確定後に四十五歳で病死した竹内景助元死刑囚の遺族が申し立てた第二次再審請求審で、東京高裁は三十一日、再審開始を認めない決定をした。弁護団は高裁に異議を申し立てる方針。

 弁護団は、暴走した電車(七両編成)の写真を分析した鉄道工学者の鑑定書などを新証拠として提出し、元死刑囚以外の複数犯と強く推認されると主張したが、後藤真理子裁判長は「単独犯とする自白の根幹部分の信用性を否定するものではない。無罪を言い渡すべき明らかな証拠ではない」と判断した。

 電車転覆致死罪などで起訴された元運転士の竹内元死刑囚は、捜査や公判で「単独犯行」「共同犯行」「無実」と供述を七回変遷させた末、単独犯行として死刑を言い渡された。

 長男の健一郎さん(76)=埼玉県=が二〇一一年十一月に申し立てた第二次再審請求審では「先頭車両に入りパンタグラフを上げて暴走させた」などとする竹内元死刑囚の自白の信用性が争点になった。弁護団は、先頭車両だけでなく、二両目もパンタグラフが上がり、車両最後尾の前照灯がついていたなどとして、単独犯では不可能と主張した。

 高裁決定は、二両目のパンタグラフの状態について、別の専門家の意見などから「事故の衝撃で上がった可能性がある」と指摘。前照灯は「もともとスイッチが入ったままだった可能性がある」とした。さらに、現場近くで元死刑囚を見たとする証言を否定する弁護団の再現実験についても「独自の前提で実施され、採用しがたい」と指摘。新旧証拠を総合評価しても「確定判決に合理的な疑いを抱かせるものではない」と結論づけた。

 決定を受け、東京・霞が関の司法クラブで記者会見した弁護団長の高見沢昭治弁護士は「細かい判断を避けた曖昧な決定だ。たとえ本人が亡くなっていても、冤罪(えんざい)は晴らさないといけない」と話した。

 健一郎さんに決定内容を伝えると、表情を変えることなく「納得できない。無実を勝ち取ってほしい」と言われたという。 (蜘手美鶴

三鷹事件> 占領期の1949年夏に起きた下山松川両事件と並ぶ旧国鉄三大事件の一つ。49年7月15日夜、車庫にあった無人電車が暴走し三鷹駅のホームに激突、6人が死亡し約20人が重軽傷を負った。捜査当局は旧国鉄の人員整理に反対する共産党の組織的犯行とみて、運転士の党員ら10人を起訴。一審東京地裁は党員9人を無罪とし、唯一党員でなかった竹内景助元死刑囚の単独犯行として無期懲役を言い渡した。竹内元死刑囚は二審東京高裁で死刑判決を受け、55年に最高裁で確定。第1次再審請求中の67年に病死した。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019080102000155.html

三鷹事件 司法は闇に目をつぶる
2019年8月1日

 七十年前の「三鷹事件」の再審を東京高裁は認めなかった。無人電車が暴走し、大勢の死傷者が出た事件。獄死した元死刑囚の長男が求めた再審だ。あまりに多い謎に司法が応えぬ姿勢は疑問だ

 事件は一九四九年七月の夜。国鉄(現JR)中央線三鷹駅(東京)で無人電車が暴走し、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負った。竹内景助元死刑囚は電車転覆致死罪で、同じ旧国鉄職員だった共産党員らとともに起訴された。

 約十万人もの人員整理に抗議し、事故を起こしてストのきっかけにする目的だったとされた。党員九人の共同謀議は「空中楼閣」と判断され無罪だったが、竹内元死刑囚には無期懲役。二審で死刑判決を受けた。再審請求中の六七年に四十五歳で獄死している。

 当時は謎めいた事件が相次いだ。三鷹事件の九日前には国鉄総裁が死体で発見される「下山事件」。約一カ月後には東北線の松川駅(福島県)で列車が転覆される「松川事件」があり、一、二審で複数人の死刑判決が出たが、最終的に全員が無罪確定した。

 これらの背後には、米占領下でもあったことから、共産党の弱体化を狙った連合国軍総司令部(GHQ)が関与した説もあったほどだ。そんな時代だった。

 三鷹事件で疑わしいのは、竹内元死刑囚の供述の変遷である。逮捕時は「否認」。勾留質問でも取り調べでも「否認」。起訴直前に単独犯行を「自白」。公判では「他人との共同犯行を自白」「単独犯行を自白」。やがて「否認」…。無罪を主張した。捜査段階と公判段階で激しく否認と自白を繰り返した信用性に疑義が生じるのは当然である

 無実の主張を始めたきっかけは家族への脅迫状だった。「苦しみ抜いて一人で罪をかぶろうとしているのに許せないもともと無実なのだから」-、そう接見した人に語ったという。

 電車を起動、発車させたのは人為的だとしても、それは「自白」に寄り掛かっている。単独犯では難しいとも弁護団は主張した。事件時に竹内元死刑囚を見たという目撃証言も怪しいと…。電車区は停電の最中だった。

 東京高裁は「総合評価しても確定判決の事実認定に合理的な疑いを抱かせるものとはいえない」と新証拠の価値を退けた。だが、再審公判で疑問の一つ一つに白黒つける方法もあろう司法の役目は闇に光を当てることでもある
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●国鉄三大謀略事件…1949年《下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》

2019年08月17日 00時00分40秒 | Weblog


琉球新報のコラム【<金口木舌>三鷹事件と喜屋武由放】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-953805.html)。

 《▼無実を訴えた由放は公判で名を聞かれ「自由解放の由放だ」と答えた。50年の一審判決で由放を含む党員9人は無罪だった。唯一、党員でない竹内景助は一審で無期懲役、二審の死刑が確定後、獄死した…権力は身体と思想の自由を奪う。竹内の遺族は今も再審請求中だ》。

 1949年、《公安事件が続発…三鷹事件(七月一五日)…》。
 国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。東京高裁では、御長男による再審請求が続いているとのこと。国鉄労働組合国労)つぶしという背景もあったのではないでしょうか。竹内景助元死刑囚は無実を訴えつつ獄中死されています。冤罪が晴れるれる日はいつになるのでしょう。

 2019年7月参院選が終わり…。
 アベ様による善政は何一つ無し。悪辣な独裁状態。そんなアベ様の「政」で唯一〝上手く行っている〟のが、メディアコントロール《日本のメディアの閉塞状況》《閉塞するメディア、政権批判に対して圧力がかかる不健全な言論状況》…。《権力は身体と思想の自由を奪う》…恐ろしい世の中が再びやってきた。

   『●三鷹事件: 再審請求
    「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
     されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
     したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
     今回は長男の方が請求を出されたようです」

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(…)。」
     「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
      日本の局面を大きく変えた」」(…)」

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
    「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~ 
     …千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一約束…』監督】。
     三鷹事件http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3
     『約束』http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739

   『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき
    「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
     《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
     ましてや冤罪ではたまったものではありません》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
     一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」
   『●1949年《公安事件が続発…下山事件(七月五日)、
         三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》
    《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、
     六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した
     無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を
     負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに
     国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求
     したが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-953805.html

<金口木舌>三鷹事件と喜屋武由放
2019年7月15日 06:00
名護 三鷹事件 金口木舌

 名護市のヒンプンガジュマルの近くに、1998年建立の徳田球一記念碑がある。1894年に名護で生まれた徳田は日本共産党設立に関わり戦後は衆院議員になった。1950年のレッドパージで追放後、53年に北京で客死した

▼70年前のきょう、東京の三鷹駅で無人列車が暴走し6人が死亡、20人が重軽傷を負った。捜査当局は旧国鉄の人員整理に反対する共産党の組織的犯行として、10人を起訴した。戦後の国鉄三大事件の一つ、三鷹事件

▼名護の記念碑建立に尽力し95年に亡くなった喜屋武由放も被告の一人。父・保昌は豊見城出身で東京帝国大学に進学し社会主義運動に加わった。東京生まれの由放も徳田らと接し入党した

▼無実を訴えた由放は公判で名を聞かれ「自由解放の由放だ」と答えた。50年の一審判決で由放を含む党員9人は無罪だった。唯一、党員でない竹内景助は一審で無期懲役、二審の死刑が確定後、獄死した

▼片島紀男氏の著書「三鷹事件」(NHK出版)は当局の見込み捜査と、疑問を抱かない当時の報道の危うさを指摘した。起訴の背景に連合国軍総司令部(GHQ)の反共の思惑があったという裁判官の述懐もある

▼竹内は獄中から由放宛ての手紙に「無罪真実を明かすため」「人の心に記されることを祈って」とつづった。権力は身体と思想の自由を奪う。竹内の遺族は今も再審請求中だ。
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●1949年《公安事件が続発…下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》

2019年07月05日 00時00分31秒 | Weblog


2018年11月の記事。東京新聞の花井勝規記者の記事【来年70年、三鷹事件に迫る あす武蔵野で語り継ぐ集会】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201811/CK2018112302000124.html)。

 《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求をしたが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》。

 国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。東京高裁では、御長男による再審請求が続いているとのこと。国鉄労働組合国労)つぶしという背景もあったのではないでしょうか。竹内景助元死刑囚は無実を訴えつつ獄中死されています。冤罪が晴れるれる日はいつになるのでしょう。

   『●三鷹事件: 再審請求
    「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
     されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
     したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
     今回は長男の方が請求を出されたようです」

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(…)。」
     「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
      日本の局面を大きく変えた」」(…)」

   『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき
    「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~ 
     …千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一約束…』監督】。
     三鷹事件http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3
     『約束』http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739

   『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき
    「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
     《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
     ましてや冤罪ではたまったものではありません》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
     一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201811/CK2018112302000124.html

来年70年、三鷹事件に迫る あす武蔵野で語り継ぐ集会
2018年11月23日

     (車庫から無人電車が暴走、駅舎と駅前派出所を壊し
      民家に突入して6人が死亡した「三鷹事件」の事故現場
      =1949年7月15日)

 一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、六人が亡くなった「三鷹事件」。来年で七十年を迎えるのを前に、市民グループ「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」が二十四日、武蔵野市内で集会を開く。事件の単独犯と認定された元運転士の竹内景助元死刑囚は、無罪を訴えて再審請求している最中に、亡くなった。遺族が遺志を継ぎ再審請求中で、節目の年を前に、関係者は「再審の実現を」と願っている。 (花井勝規)

 三鷹事件では、暴走、脱線した無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件松川事件とともに国鉄三大事件と呼ばれる。

 五〇年八月の一審判決は、起訴された国鉄労働組合国労)の組合員ら九人を無罪としたが、竹内元死刑囚には無期懲役を言い渡した。翌年の控訴審でさらに重い死刑判決が言い渡され、上告審で死刑が確定。竹内死刑囚は無実を訴えて再審請求をしたが、六七年に脳腫瘍で亡くなった。

 集会では、三鷹事件を取り上げた民放の特集番組を上映し、事件を振り返るほか、竹内元死刑囚の長男が二〇一一年に東京高裁に再審請求を申し立て、高裁や弁護団の間で続いている三者協議について、弁護団の弁護士が解説する。

 会の代表世話人の一人で、三鷹市在住の元教員古川啓さん(65)は「三者協議の状況を聞く限り、そろそろ高裁が再審を決定するか、請求を棄却するかを判断する時期に来ている」と指摘。「再審の実現で闇の中にある真実を明らかにする第一歩を踏み出したい」と話す。

 集会は午後二時、武蔵野市境の武蔵野スイングホール十階の会議室で。参加費は資料代として五百円。問い合わせは日本国民救援会三多摩総支部内の事務局=…へ。
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●「市民が自由に発言できるよう改憲をくい止め共謀罪法、秘密保護法を廃止することが戦争への道を止める」

2018年06月23日 00時00分02秒 | Weblog

青木理さん『情報隠蔽国家』…「客観的な事実すら隠蔽し…ねじ曲げて恥じない為政者たちの姿」を報じも… ↑】



1年以上前の記事を二つ。東京新聞の伊東浩一記者による記事【27年前の「横浜事件」映画が続々再上映 「共謀罪」審議の中「歴史の教訓に」】(http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017051590135422.html)と、
桐山桂一さんのコラム【【私説・論説室から】松川事件を記憶遺産に】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017061902000139.html)。
今日の東京新聞』(http://a-tabikarasu.hatenadiary.com/)から、再びすいません、コピペ・マゴビキさせて頂きました。【言わねばならないこと/「戦える国」に変質 斎藤貴男さん】(http://a-tabikarasu.hatenadiary.com/entry/2018/06/15/125008)。

 《戦時下の治安維持法による言論弾圧を題材に、27年前に富山県朝日町などで撮影された映画「横浜事件を生きて」が今、各地で上映されている。生き証人として事件を語り続けた元雑誌編集者、木村亨さん(1998年に82歳で死去)を追ったドキュメンタリー。戦争に批判的な言論人らを取り締まるため警察が拷問で事件をつくり上げていく過程が当事者の証言で生々しく再現され、反響を呼んでいる》。
 《奪われた自由 戦前想像して…思想信条の自由が奪われた戦前を思い起こしてほしい。無理にでも想像する力を働かせないと、歴史は必ず繰り返される》。

 アノ無茶苦茶から、もう1年。
 「平成の治安維持法」が、与党自公・癒党お維のオカゲで衆院、そして、参院を突破して1年。森達也さんの《4年間でこの国がどう変わるのか、とてもとても楽しみだ》が思い出される…《ならばこの4年で憲法を変えることが充分に可能に…つまり法案はさくさくとすべて通る》…その通りの酷き状況。




   『●「平成の治安維持法」=「テロ対策には 
     全く役に立たない共謀罪を、誰が何のために作ろうとしている」?
   『●「官憲が内心に踏み込んで処罰して、
     人権を著しく侵害した戦前、戦中の治安維持法」が亡霊のように…
   『●「戦前の治安維持法」の亡霊…「共産党幹部の
     夫のために家事をしただけで処罰の対象に」という悍ましさ
   『●ソレは既に彼らの手中…「大量監視の始まり。
      日本にこれまで存在していなかった監視文化が日常のものに」
   『●「国連とは別の個人の資格」な訳のない
     国連特別報告者のアピールを無視?…沖縄でのプレ「治安維持法」

   『●『キネマ旬報』…「戦前・戦中の言論弾圧につながる
        治安維持法が成立した大正末期と…現在が似ている」
   『●Leaderでなく、狂気なDictator…
      しかも、壊憲に向け、使う話法はドアホウワホウ
   『●森達也さん、「僕はもうあきらめた」
      「これから4年間でこの国がどう変わるのか、とてもとても楽しみだ」
   『●「本当の権力の恣意的運用というルビコン川を渡った」自公お維
                         …「平成の治安維持法」参議院突破


 主犯「A」の好き嫌いで、「こんな人たち」と指差される社会…それでいいの?
 東京新聞の記事【「共謀罪」成立1年 「監視社会強化招く」】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018061602000139.html)によると、《自由人権協会代表理事の芹沢斉(ひとし)・青山学院大名誉教授は、一年前に与党が参院法務委員会で採決を省略する異例の手続きで議論を打ち切り、参院本会議で採決を強行したことを振り返り「こんな暴挙をしたのは、近代刑法の原則に違反する悪法だからだ」と指摘。「『犯罪』をかぎつけ、立証するには通信の秘密やプライバシーを侵害する捜査手法が伴う。人権からも大いに問題がある」とも述べ、「皆さんと一緒に廃止に向かっていきたい」と呼び掛けた。…弁護士有志らでつくる「共謀罪対策弁護団」の海渡雄一弁護士は、市民のプライバシー情報が集まるIT企業の警察への情報提供について複数の市民団体でアンケートをとったところ、国内大手八社から回答がなかったことを報告し、情報収集に対する監督機関の必要性を指摘。「市民が自由に発言できるよう改憲をくい止め、共謀罪法秘密保護法廃止することが戦争への道を止める」と訴えた》。

   『●「平成の治安維持法」…「いつの間にか「こんな人たち」に
                くくられる危険性が、この法には色濃く潜む」
    「沖縄タイムスの磯野直記者のコラム【[大弦小弦]具体的な犯罪行為が
     なくても…】…《合意という「心の中」を処罰できる「共謀罪」法が11日、
     施行された…軍国主義が拡大し、同法は一般人の権力批判と
     少数意見も徹底的に弾圧した。何かが劇的に変化したわけではない。
     昨日より今日と、なし崩し的に社会の空気を変え、言論の自由を
     消滅させた》。…よっぽど後ろめたいのだろう、こんな短期間で
     「平成の治安維持法」を施行。じわじわとボディーブロ-のように…
     今は何も感じなくても。気づいた時には茹でガエル。いま踏んばらねば」


 《毛利正道弁護士…治安維持法の制定時にも、政府や警察は『乱用はしない』と再三説明していた。実際には拡大解釈され、戦争に反対した人たちが摘発された。歴史的教訓としなければならない》。
 《戦後最大の冤罪…一審で死刑判決を受けた男性(93)は十年近く拘置所に入れられ男盛りの時代を奪われた。本紙に「『共謀罪』に反対だ実行行為すらいらず、何にでも適用できる。権力の横暴に歯止めがかからなくなる」と答えていた。冤罪。人間の愚かしさも記憶として後世に伝えねばならない》。

 平成の治安維持法と監視・密告社会。冤罪・謀略と国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」…。

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
    「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
     年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
     (八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
     「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
     謎に包まれている事件ばかりだ》」

   『●国鉄三大謀略「事件が、
       一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」

 斎藤貴男さん曰く、《奪われた自由 戦前想像して》と。さらに、《権力が市民を監視し、民主主義の絶対条件である「思想信条の自由」を奪う内容に危機を感じ、廃止を訴え続けてきた。その自由を安倍政権に奪われてしまったことに、改めて怒りと屈辱を感じている…思想信条の自由が奪われた戦前を思い起こしてほしい。無理にでも想像する力を働かせないと、歴史は必ず繰り返される》とも。
 是非、斎藤さんの警鐘に耳を傾けてほしい。

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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017051590135422.html

27年前の「横浜事件」映画が続々再上映 「共謀罪」審議の中「歴史の教訓に」
2017年5月15日 13時54分

 戦時下の治安維持法による言論弾圧を題材に、27年前に富山県朝日町などで撮影された映画「横浜事件を生きて」が今、各地で上映されている。生き証人として事件を語り続けた元雑誌編集者、木村亨さん(1998年に82歳で死去)を追ったドキュメンタリー。戦争に批判的な言論人らを取り締まるため警察が拷問で事件をつくり上げていく過程が当事者の証言で生々しく再現され、反響を呼んでいる。 (伊東浩一)

 三月下旬、長野県岡谷市で開かれた上映会。スクリーンの中で、生前の木村さんが問い掛ける。「『おまえたち、ここで殺していいんだぞ。天皇陛下の命令だ』と(警察官が)堂々と言う。まさに殺されそうだった。こんなむちゃくちゃな時代を想像できますか

 雑誌「中央公論」の編集者だった木村さんは四二年、朝日町出身の国際政治学者、細川嘉六らと新潟県境の親不知(おやしらず)海岸を観光し、同町の旅館「紋左(もんざ)」に宿泊。だが、警察はこの集まりを共産党再建を準備する目的だったと決め付けた。治安維持法違反容疑で木村さんら編集者、研究者ら六十人以上を芋づる式に逮捕し、拷問で四人が獄死。木村さんは丸太の上で正座させられ、さらに警察官が膝の上に乗るといった拷問を受け、うその自白をした

 映画製作では、朝日町で木村さんらを接待した芸者、横浜拘置所の看守らにも取材。証拠がない中、事件がつくり上げられた実態を浮き彫りにする。「情けないことに、あの侵略戦争に屈し、拷問に屈したが、もうこれ以上は許せない」。木村さんが再審請求で冤罪(えんざい)を勝ち取ることを誓い、涙ぐむ場面で映画は終わる。

 上映会を企画した毛利正道弁護士は「大きな衝撃を受けた。今、政府は共謀罪(組織犯罪処罰法改正案)の成立を目指しているが、治安維持法の制定時にも、政府や警察は『乱用はしない』と再三説明していた。実際には拡大解釈され、戦争に反対した人たちが摘発された歴史的教訓としなければならない」と語る。

 <横浜事件> 1942年、細川嘉六(1888~1962)が雑誌「改造」の掲載論文を「共産党の宣伝」と批判され、警視庁に治安維持法違反容疑で逮捕された。その後、神奈川県警特別高等課(特高)が押収した紋左の写真をもとに、細川らが共産党再建準備会を開いたとして、同容疑などで言論、出版関係者ら60人以上を投獄。拷問で4人獄死、30人余りが起訴される戦時下最大の言論弾圧事件となった。2010年2月、元被告5人の刑事補償を巡る横浜地裁決定は「共産党再建準備会の事実を認定する証拠はない」とし、「実質無罪」と認められた。

(東京新聞)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017061902000139.html

【私説・論説室から】
松川事件を記憶遺産に
2017年6月19日

 戦後最大の冤罪(えんざい)は松川事件であろう。一九四九年に福島県内で起きた列車転覆事故である。線路継ぎ目のボルトが緩められレール一本も外され、転覆するように仕組まれていた。機関士ら三人が死亡した。

 警察は当時の国鉄の大量人員整理に反対していた労働組合員による犯行だと決め付けていた芋づる式に組合員らが逮捕された。

 一審では被告二十人が全員有罪、うち死刑が五人、五人が無期懲役だった。二審も有罪だったが、最高裁が二審を破棄。差し戻し審で全員が無罪となり、これが確定した。

 冤罪であったことが明白となったが、その背景には弁護団の活躍ばかりでなく、作家の広津和郎が「中央公論」で無罪論を書くなど、作家らの支援運動があったことがある。

 福島大学には松川事件の資料がある。八八年に開設した松川資料室には十万点にのぼる関係資料を収集・公開している。同大ではこれをユネスコの「世界記憶遺産」への登録を目指している。既に国内委員会に対して登録申請の手続きを済ませた。

 一審で死刑判決を受けた男性(93)は十年近く拘置所に入れられ男盛りの時代を奪われた。本紙に「『共謀罪』に反対だ。実行行為すらいらず、何にでも適用できる。権力の横暴に歯止めがかからなくなる」と答えていた。

 冤罪。人間の愚かしさも記憶として後世に伝えねばならない。 (桐山桂一
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http://a-tabikarasu.hatenadiary.com/entry/2018/06/15/125008

今日の東京新聞
購読している東京新聞の記事を紹介します。読者の応援ブログです。

                       2018-06-15
       言わねばならないこと110 斎藤貴男さん

言わねばならないこと/「戦える国」に変質 斎藤貴男さん/2面


奪われた自由 戦前想像して

 「共課罪」法(改正組織犯罪処罰法)の成立から1年。権力が市民を監視し、民主主義の絶対条件である「思想信条の自由」を奪う内容に危機を感じ、廃止を訴え続けてきた。その自由を安倍政権に奪われてしまったことに、改めて怒りと屈辱を感じている。

 共謀罪は、テロの未然防止の名目で一般市民がテロリストか否かを見分けるところから捜査を始める。性悪説に立ち、市民を見張るべき対象に位置づけている。本来、見張るべき対象は権力側ではないのか

 この1年間に財務省の文書改ざんや自衛隊の日報隠蔽(いんぺい)などの問題が次々と明らかになった。権力こそ暴走したら恐ろしい。「権力は判断を誤らない」という考えはもはや信用できない

 こういう話をすると「被害者意識ばかり膨らませている」と批判を受ける。確かに共謀罪の疑いで逮捕された人はまだいない。でもそれは、単に権力が逮捕しなかったということにすぎない恣意(しい)的な判断で逮捕できるという現状は変わらず、むしろ社会は監視の度合いを強める方向に向かっている

 共謀罪法が成立した前年には通信傍受法が改正され、警察が会話を盗聴できる対象犯罪が広がった。今月から他人の罪を密告すれば自分の罪を軽くできる司法取引制度も始まっている。

 全ての動きは連動している。この国の「自由度」は極端に狭まっている

 気掛かりなのは、社会が現状に無関心であるように感じられること。戦争がない状態が当たり前の時代に育った人が大半を占めているから仕方ないかもしれない。だが、思想信条の自由が奪われた戦前を思い起こしてほしい。無理にでも想像する力を働かせないと、歴史は必ず繰り返される


 さいとう・たかお/フリージャーナリスト 1958年、東京生まれ。早稲田大卒。日本工業新聞、週刊文春などの記者を経てフリーに。2013年から放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員。主な著書に「戦争経済大国」など
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●国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」

2013年10月18日 00時00分07秒 | Weblog


西日本新聞の記事【「松川事件は終わらない」 無罪確定50年で集会】(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/45903)。

 「戦後最大の冤罪事件と呼ばれる「松川事件」」、「元被告らが「真犯人が見つかるまで、松川事件は終わらない」と訴えた」そうだ。松川事件を含む国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。大事なことは、「結果的にはこの事件が当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は・・・、日本の局面を大きく変えた」ということ。

   『●『美談の男』読了
     「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件松川事件八海[やかい]事件。
      下山事件、帝銀事件(p.90)」

   『●『日本の公安警察』読了(1/2)
     「GHQの策略・謀略。「一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
      年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
      (八月一七日)・・・・・・。いずれをとっても謀略の色が濃く、
      ・・・「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
      謎に包まれている事件ばかりだ」(p.52)」

   『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)
     「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
      下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件
      車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
      多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
      多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
      かけて立て続けに起きた」(p.13、63、135、139)。」
     「家永三郎さんは「・・・松川事件について、・・・「結果的にはこの事件が
      当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
      政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は・・・、
      日本の局面を大きく変えた」」(p.64)」

   『●『新聞記者 ~疋田桂一郎とその仕事~』読了(1/2)
     「元毎日新聞の西山記者 (p.156)、「妹たちのかがり火」
      仁木悦子さん (p.160)、松川事件の広津和郎さん (p.205) などの名も」

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http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/45903

「松川事件は終わらない」 無罪確定50年で集会
2013年10月12日(最終更新 2013年10月12日 20時34分)

   (無罪確定から50年を記念する集会を前に記者会見する元被告の
    (左から)阿部市次さん、岡田十良松さん、赤間勝美さん、
    本田昇さん=12日、福島市の福島大)

 戦後最大の冤罪事件と呼ばれる「松川事件」で、被告全員の無罪が確定して50年を記念する集会が12日、現場に近い福島大(福島市)で開かれ、元被告らが「真犯人が見つかるまで、松川事件は終わらない」と訴えた。

 集会には約800人が参加し、4人の元被告が紹介されると、大きな拍手が起きた。登壇した元被告の阿部市次さん(90)は「無罪を勝ち取った後も、冤罪事件はたくさんあった。これを防ぐには司法の改革と、国民の大きな世論が必要だ」とあいさつ。赤間勝美さん(83)は「真犯人を捜し出すまで、元気でいたい」と力強く述べた。
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●『日本の公安警察』読了(1/2)

2010年04月24日 07時07分05秒 | Weblog

日本の公安警察』、4月に読了。青木理著。講談社現代新書。2000年1月刊(2004年10月、八版)。

 「1章 厚いベールの内側」、「2章 特高から公安へ」、「3章 監視・尾行から工作まで」、「4章 公安秘密部隊」、「5章 戦後の公安事件簿」、「6章 オウム・革マル派との〝戦い〟」、「7章 警察の外にある公安」、「8章 監視社会と公安警察」。

 
オウム真理教事件でも使われた手口。「公安警察内で「転び公妨」と呼ばれる手法がある。・・・/日本国内に潜入していた日本赤軍メンバー、丸岡修が・・・逮捕されたのは・・・、典型的な「転び公妨」だった」(p.34)。

 GHQの策略・謀略。「一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)・・・・・・。いずれをとっても謀略の色が濃く、・・・「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが謎に包まれている事件ばかりだ」(p.52)。
 「A級戦犯として公職追放されていた岸信介らが追放解除されたのは、一九五一年八月六日のことだった」(p.56)。

 「一方、安保闘争の高揚に〝呼応〟する形で右翼によるテロ事件も続発する。/一九六〇年一〇月一二日、・・・浅沼社会党委員長が聴衆の面前で一七歳の右翼少年に刺殺された。・・・さらには六一年二月一日、雑誌「中央公論」に掲載された深沢七郎の小説「風流夢譚」が、皇室を侮辱した内容であるとして中央公論社長の家に押し入り、お手伝いを殺害し嶋中夫人にも重傷を負わせた、いわゆる「風流夢譚」事件が起きる」(p.68)。

 奇々怪々な「菅生(すごう)事件」という謀略とその後の無茶苦茶な経緯、〝爆弾犯の異常な出世(pp.108-116)。「・・・当時国家地方警察大分県本部に所属する公安警察官だった。・・・事件は一転して、公安警察による謀略事件だった疑いが浮上した。/・・・〝オトリ捜査〟・・・。/・・・共産党員らに有罪を言い渡した原判決を破棄し、全員無罪の判決を下した。/寒村で突如として起きた「共産党員による駐在所爆破事件」は、地元の共産党周辺へと投入された公安警察官らによる謀略事件だったのである。/・・・大分地裁は戸高を爆発物取締罰則違反で起訴し、その後福岡高裁も戸高の有罪を認定したが、結局は「爆発物に関する情報を警察の上司に報告したことが自首にあたる」として刑を免除される。驚くべきはこの後の戸高に対する処遇だった。警察庁は有罪判決からわずか三カ月後、警部補として復職を認めたのである。/・・・/復職後の戸高は警察大学校教授、警察庁装備・人事課長補佐などを歴任して警視の地位まで昇任。八五年、警察大学校術科教養部長を最後に退官したノンキャリアの公安警察官としては異例の出世だった。/・・・「パチンコ疑惑」・・・参院予算委員会で、再び「戸高・・・」の名前が物議を醸す。・・・警察OBが占める「たいよう共済」の常務に問題人物が就任・・・。戸高・・・のことだった。・・・こんなところにも顔を出している。・・・菅生事件の〝亡霊〟は事件から四〇年以上を経ても警察組織の中枢でひっそりと息づいていた。そしてプリベイドカードは、今も巨大な警察利権の一つとして指摘されている」。斎藤茂男(p.112)。

 盗聴。「中野の警察大学校に本拠を置く「サクラ」部隊は、そんな秘密工作活動を発足以来三〇年以上にわたって延々と、そして水面下で続けてきた。だが一九八六年、組織に大きな転機が訪れる。共産党の緒方国際部長宅盗聴事件の発覚である。/・・・/緒方側の申し出を受け、NTT職員は現場を所轄する警視庁町田署に事実関係を通報した。しかし、到着した町田署員は緒方側から事情を聴くと近所で長時間の電話をし、緒方らに対して「警察は静観する」と言ったきり捜査に乗り出すことを拒否。NTT側が一一月二八日、同署に告発したにもかかわらず、これを受け取らず、翌二九日になってようやく受理した。/ところが一二月一日になると突如として実況見分を実施し、大量の〝証拠品〟を持ち帰ってしまう。極めて不透明な形で行われた見分は証拠隠滅すらうかがわせるものだった」(pp.126-133)。当時の検察総長伊藤榮樹氏のたとえ話・おとぎ話。損害賠償請求訴訟では賠償が命じられ、高裁でも勝訴、国側の上告断念で判決は確定。

 「過去の「サクラ」あるいは「チヨダ」のキャップ=裏理事官・・・。裏理事官に就任するのはすべてがキャリアの警察官僚である。・・・/最近で最も著名な裏理事官経験者は衆院議員の亀井静香だろう」(p.143)。
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●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(3/6)

2010年02月07日 16時51分47秒 | Weblog

森達也著、下山事件〈シモヤマ・ケース〉』】

 キーとなるもの、「亜細亜産業」(p.65、316、367)、「矢板玄(くろし)」(p.41、66、203)、「キャノン機関」(p.132、160)、「ライカビル」(p.226)、初代国鉄副総裁・第二代目総裁加賀山(p.345)。
 「キャノン機関の犯罪であったことが公式に証明された鹿地事件や、・・・佐々木克己大佐事件・・・。・・・この時代はアメリカの諜報機関が背景に動く誘拐拉致事件が相次いだ。・・・。下山事件も含め、拉致監禁は占領軍諜報組織のお家芸のようだ」(p.160)。

 権力者やメディアの恣意的誘導。「・・・増田甲子七(かねしち)官房長官は公式発表した。三鷹事件直後の吉田茂の発言と同様に露骨なまでに恣意的な世論操作だが、アカ(共産党)への恐怖におびえる国民のほとんどは、この声明をまさしく額面通りに受け取った。/・・・子供の悪戯レベルの妨害事件までも、全国紙が大々的に報じ始めたと・・・。その理由は単純だ。不安や危機意識を掻きたてたほうが、読者の関心を喚起し部数は伸びるからだ。この構造は、・・・現在もまったく変わらない。いやむしろエスカレートしている。何か事が起きるとき、メディアはこれを煽り社会不安を掻きたて、そしてこれを利する力が闇に動く。/・・・自覚や葛藤をメディアが失ったとき、民意のスタンピード現象が起き、国家という共同体の暴走がいつのまにか始まっている。スタンピードを起こした牛の群れに、きっかけは最早わからない。ただ突進するだけだ。川に落ちるか崖にぶつかるまで。過去もそして現在も、日本はこの同じメカニズムをくりかえしている」(pp.139-141)。
 「・・・事件をきっかけに世論が大きく一方に動き、その流れを利する組織や人間たちが現れるというこの構造は、たぶん今も昔も変わらない。・・・地下鉄サリン事件を契機に国旗国歌法有事法制が具体的に決められ、北朝鮮拉致問題が大きくクローズアップされると同時に国交正常化が棚上げにされて最悪の日朝関係に閉塞したように、日本という国は常に、事件が起き、世相が沸騰し、行政やメディアがこれに便乗や従属するというダイナミズムをくりかえしてきた。/もちろんこの構造は日本だけの現象ではない。「9・11」後のアメリカ・・・」(p.208)。
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