琉球新報のコラム【<金口木舌>三鷹事件と喜屋武由放】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-953805.html)。
《▼無実を訴えた由放は公判で名を聞かれ「自由解放の由放だ」と答えた。50年の一審判決で由放を含む党員9人は無罪だった。唯一、党員でない竹内景助は一審で無期懲役、二審の死刑が確定後、獄死した…権力は身体と思想の自由を奪う。竹内の遺族は今も再審請求中だ》。
1949年、《公安事件が続発…三鷹事件(七月一五日)…》。
国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。東京高裁では、御長男による再審請求が続いているとのこと。国鉄労働組合(国労)つぶしという背景もあったのではないでしょうか。竹内景助元死刑囚は無実を訴えつつ獄中死されています。冤罪が晴れるれる日はいつになるのでしょう。
2019年7月参院選が終わり…。
アベ様による善政は何一つ無し。悪辣な独裁状態。そんなアベ様の「政」で唯一〝上手く行っている〟のが、メディアコントロール。《日本のメディアの閉塞状況》《閉塞するメディア、政権批判に対して圧力がかかる不健全な言論状況》…。《権力は身体と思想の自由を奪う》…恐ろしい世の中が再びやってきた。
『●三鷹事件: 再審請求』
「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
今回は長男の方が請求を出されたようです」
『●『美談の男』読了』
「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件、松川事件、八海[やかい]事件。
下山事件、帝銀事件(p.90)」
『●『日本の公安警察』読了(1/2)』
「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
(八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
謎に包まれている事件ばかりだ》」
『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)』
「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件、
車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
かけて立て続けに起きた」(…)。」
「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
日本の局面を大きく変えた」」(…)」
『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき』
「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~
…千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一『約束…』監督】。
三鷹事件(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3)、
『約束』(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739)」
『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき』
「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
ましてや冤罪ではたまったものではありません》」
『●国鉄三大謀略「事件が、
一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」』
『●1949年《公安事件が続発…下山事件(七月五日)、
三鷹事件(七月一五日)、松川事件(八月一七日)》』
《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、
六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した
無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を
負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件、松川事件とともに
国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求を
したが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》
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【https://ryukyushimpo.jp/column/entry-953805.html】
<金口木舌>三鷹事件と喜屋武由放
2019年7月15日 06:00
名護 三鷹事件 金口木舌
名護市のヒンプンガジュマルの近くに、1998年建立の徳田球一記念碑がある。1894年に名護で生まれた徳田は日本共産党設立に関わり戦後は衆院議員になった。1950年のレッドパージで追放後、53年に北京で客死した
▼70年前のきょう、東京の三鷹駅で無人列車が暴走し6人が死亡、20人が重軽傷を負った。捜査当局は旧国鉄の人員整理に反対する共産党の組織的犯行として、10人を起訴した。戦後の国鉄三大事件の一つ、三鷹事件だ
▼名護の記念碑建立に尽力し95年に亡くなった喜屋武由放も被告の一人。父・保昌は豊見城出身で東京帝国大学に進学し社会主義運動に加わった。東京生まれの由放も徳田らと接し入党した
▼無実を訴えた由放は公判で名を聞かれ「自由解放の由放だ」と答えた。50年の一審判決で由放を含む党員9人は無罪だった。唯一、党員でない竹内景助は一審で無期懲役、二審の死刑が確定後、獄死した
▼片島紀男氏の著書「三鷹事件」(NHK出版)は当局の見込み捜査と、疑問を抱かない当時の報道の危うさを指摘した。起訴の背景に連合国軍総司令部(GHQ)の反共の思惑があったという裁判官の述懐もある
▼竹内は獄中から由放宛ての手紙に「無罪真実を明かすため」「人の心に記されることを祈って」とつづった。権力は身体と思想の自由を奪う。竹内の遺族は今も再審請求中だ。
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2018年11月の記事。東京新聞の花井勝規記者の記事【来年70年、三鷹事件に迫る あす武蔵野で語り継ぐ集会】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201811/CK2018112302000124.html)。
《一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、六人が亡くなった「三鷹事件」。…三鷹事件では、暴走、脱線した無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件、松川事件とともに国鉄三大事件と呼ばれる…竹内元死刑囚…は無実を訴えて再審請求をしたが、六七年に脳腫瘍で亡くなった》。
国鉄三大謀略「事件が、一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」。東京高裁では、御長男による再審請求が続いているとのこと。国鉄労働組合(国労)つぶしという背景もあったのではないでしょうか。竹内景助元死刑囚は無実を訴えつつ獄中死されています。冤罪が晴れるれる日はいつになるのでしょう。
『●三鷹事件: 再審請求』
「三鷹事件でただ一人有罪とされた冤罪被告の遺族の方が再審請求を
されるようです…冤罪で家族は大変に御苦労をされたようです。
したがって、親族の方は反対されている方も多いようですが、
今回は長男の方が請求を出されたようです」
『●『美談の男』読了』
「冤罪が判明(冤罪の疑いが濃厚)した三鷹事件、松川事件、八海[やかい]事件。
下山事件、帝銀事件(p.90)」
『●『日本の公安警察』読了(1/2)』
「GHQの策略・謀略。《一九四九年は、いわゆる公安事件が続発した
年だった。下山事件(七月五日)、三鷹事件(七月一五日)、松川事件
(八月一七日)…。いずれをとっても謀略の色が濃く、…
「キャノン機関」が実行に関わったと指摘されるなど、今も多くが
謎に包まれている事件ばかりだ》」
『●『下山事件〈シモヤマ・ケース〉』読了(1/6)』
「国鉄三大ミステリー、あるいは、陰謀事件。「初代国鉄総裁である
下山定則が、常磐線の線路上で轢死体で発見された下山事件、
車庫にあった無人電車がいきなり暴走して運送店に突っ込み、
多くの死傷者を出した三鷹事件、そして列車転覆してやはり死傷者を
多数出した松川事件、この三つの事件が、一九四九年の七月から八月に
かけて立て続けに起きた」(…)。」
「家永三郎さんは「…松川事件について、…「結果的にはこの事件が
当時の権力者、支配者の側に大きなプラスをもたらした・・・。それまで
政府は革新勢力に押されていたのだが、事件は…、
日本の局面を大きく変えた」」(…)」
『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき』
「【events 三鷹事件再審を求める集い 12月6日(金)18時半~
…千駄ヶ谷区民会館…斎藤潤一『約束…』監督】。
三鷹事件(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/841f9e268326a5e657b01b9889a5c0e3)、
『約束』(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/8ca7f09d3e1a7878287a20c9ec3ab739)」
『●『自然と人間』(2014年1月号、Vol.211)についてのつぶやき』
「編集部【三鷹事件再審で歴史の扉が開かれるか】。
《家族が理不尽な処遇をされることはあってはならないと思います。
ましてや冤罪ではたまったものではありません》」
『●国鉄三大謀略「事件が、
一九四九年の七月から八月にかけて立て続けに起きた」』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201811/CK2018112302000124.html】
来年70年、三鷹事件に迫る あす武蔵野で語り継ぐ集会
2018年11月23日
(車庫から無人電車が暴走、駅舎と駅前派出所を壊し
民家に突入して6人が死亡した「三鷹事件」の事故現場
=1949年7月15日)
一九四九年七月、東京の旧国鉄三鷹駅で無人電車が暴走し、六人が亡くなった「三鷹事件」。来年で七十年を迎えるのを前に、市民グループ「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」が二十四日、武蔵野市内で集会を開く。事件の単独犯と認定された元運転士の竹内景助元死刑囚は、無罪を訴えて再審請求している最中に、亡くなった。遺族が遺志を継ぎ再審請求中で、節目の年を前に、関係者は「再審の実現を」と願っている。 (花井勝規)
三鷹事件では、暴走、脱線した無人電車が商店などに突っ込み、六人が死亡、約二十人が重軽傷を負う惨事となった。同じ時期に発生した下山事件、松川事件とともに国鉄三大事件と呼ばれる。
五〇年八月の一審判決は、起訴された国鉄労働組合(国労)の組合員ら九人を無罪としたが、竹内元死刑囚には無期懲役を言い渡した。翌年の控訴審でさらに重い死刑判決が言い渡され、上告審で死刑が確定。竹内死刑囚は無実を訴えて再審請求をしたが、六七年に脳腫瘍で亡くなった。
集会では、三鷹事件を取り上げた民放の特集番組を上映し、事件を振り返るほか、竹内元死刑囚の長男が二〇一一年に東京高裁に再審請求を申し立て、高裁や弁護団の間で続いている三者協議について、弁護団の弁護士が解説する。
会の代表世話人の一人で、三鷹市在住の元教員古川啓さん(65)は「三者協議の状況を聞く限り、そろそろ高裁が再審を決定するか、請求を棄却するかを判断する時期に来ている」と指摘。「再審の実現で闇の中にある真実を明らかにする第一歩を踏み出したい」と話す。
集会は午後二時、武蔵野市境の武蔵野スイングホール十階の会議室で。参加費は資料代として五百円。問い合わせは日本国民救援会三多摩総支部内の事務局=…へ。
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中曾根(中曽根)内閣時代の国鉄分割・民営化の際、国労組合員に対して行われたとんでもない横暴・差別。asahi.comに出ていた記事です。20年以上経過し、漸く一歩前進でしょうか。どこまで実行性があるのかは疑問ですが・・・。
当時、当事者だった○○にあげた「鎌田慧著『国鉄処分 ~JRの内幕~』(講談社文庫)」(と城山三郎著「粗にして野だが卑ではない」――石田禮助の生涯」)をどうしたんだろう・・・。そんなことを懐かしく思い出した。
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【http://www.asahi.com/politics/update/
0409/TKY201004090245.html】
JR不採用、組合側が解決案を受諾 23年ぶり決着へ
2010年4月9日13時35分
1987年の国鉄分割・民営化に反対した国鉄労働組合(国労)の組合員ら1047人がJRに不採用となった問題で、与党3党と公明党の実務者は9日午前、組合員側に政治解決案を提示した。1人平均約2200万円の和解金などを支払うとともに、JR各社に雇用への協力を要請することが柱で、組合員側は受け入れることを決めた。
和解金などの総額は約200億円。組合員側は同日、関係団体の代表者が集まり、解決案を受け入れるかどうか協議した。所属組合による「採用差別」が問われた長年の懸案が、23年ぶりに解決することになった。
4党は3月18日、和解金を平均約2400万円とする解決案を政府に提出。その際、前原誠司 国土交通相は前向きな姿勢を示していたが、政府内から異論が出て200万円減額された。和解金などは、旧国鉄職員の年金支払いなどに充てられている独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」の特別会計「特例業務勘定」から支出する。
雇用について当初の4党案は、JR北海道、九州を中心に200人程度の採用を要請するとしていた。この日示された解決案では「政府はJRへの雇用について努力する。ただし、JRによる採用を強制することはできない」として、人数を明示しなかった。雇用について、JR各社は拒否する姿勢を変えていない。
この問題では、国鉄清算事業団が90年に1047人を解雇し、業務を引き継いだ支援機構を相手に、組合員側が損害賠償などを求めて訴訟を続けている。
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