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小心者の旅行遍歴
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一日目(9)【モスタル】(スターリモスト周辺)

2017-10-12 19:44:29 | '17ヴェネツィア共和国(少しBIH)

暗くなる前に街歩きしなきゃ!


その前にアイス!初回はやっぱりピスタチオ。

何年か前、おいしそうな色に誘われて初めてピスタチオのアイスを食べて以来、
旅行中のアイスの中心はピスタチオ(それまではストロベリー)。
しかし、本来のピスタチオは多分食べたことがない。

まだまだ土産物屋もやっている。
鍛冶屋もあるが、カンカンの音がサラエヴォとはちょっと違う感じがする。
違う素材をたたいているのか土地によってたたき方が違うのか。




スターリモストが見えてきた


ここに行った方が異口同音に言っていたのが「すべりやすい」
確かにすべりやすい。


ネトレヴァ川。右側がボスニャクの人たちの居住区だという。モスクもある。
泊まる部屋もこっち側。

反対側がクロアチア人地区。

橋を渡ったところにあるDON'T FORGET '93の碑。
ここも来た人の旅行記には必ずといっていいほど載せられている。
今でこそ観光地として復活しているが、このあたりの土産物屋のおばちゃんも
当時は生きるか死ぬかの思いだったんだろう。


秋は夕暮れ・・・というにはちょっと遅いか




遠くから見るとスターリモスト、それほど傾斜があるように見えないんだが、
渡ってみると意外とキツいんだな。


橋の上から川に飛び込む”ショー”もあるらしいが、季節的にもうやってないかな。


夕飯どうしようかと思いながらレストラン探して歩いていたが、
お昼のグヤーシュが効いているのかそれほどお腹がすかない。
このお店でチビっちゃいクロワッサン(袋のなかに8つくらい)があったのでそれですまそう。

500mlの水とNESTEAも買ったんだが、ディフォルトは袋なしのようだ。
両手に持って部屋へ。

初日からよく歩いた~

コメント (2)
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一日目(8)【モスタル】(部屋まで10分のはずが)

2017-10-10 19:52:45 | '17ヴェネツィア共和国(少しBIH)

モスタルは予定より10分ほど遅れて到着(18:10)。
やっぱりサラエヴォ市内の 渋滞が少し響いたようだ。

モスタルはバスターミナルがもう一つあるという情報をつかんでいたいので
カウンター(ほかにお客がいない)で翌日のスプリット行きのターミナルが
ここでいいことを確認して今夜のお宿へ。


場所は分かりやすい(はずだった)。バスターミナルの前の通りを観光名所である
スターリ・モストの方へ歩いて、左に曲がってすぐ。
なのだが、行ってみると どこを左に曲がればいいのか分からない。
通りの名前が出ていないのだ(。ノε`。)

幸いまだ明るいし人通りはある。
この辺かなと思っては、開いているお店に入ったり 道行く人に聞いたりして、
「この先だ「手前だというのを繰り返したら、 スターリモストを過ぎてしまったっぽい。
それは行き過ぎ。

合計で10人近くに聞いたか。
これまで一か所を見つけるために聞いた最多人数を 更新してしまったと思われる。

かなり場所が絞れてきて、誤差が50m位だと思った場所で話をしていた人たちに
地図を見せて
 これ、この辺ですか?
と聞くと、その近くにいたと思われる第三の男が突然
 それ、僕のところだ!
 (なんだこいつ???)
 あんた、部屋予約していたんだろう、僕のところだ

なんとありがたい。
到着予定時間を18:00~19:00としておいて、そろそろ19:00。
迷っているのではないかと思い、探しに来てくれたみたいだ。

「こいつ」なんて思ってしまって申し訳ありませんm(_ _;)m

それにしてもこの距離で約40分もさまよいますか。

部屋はこのすぐ近く。普通のお宅の一部屋だった。

ダブルベッドが1台、シングルが2台。普通に4人寝られる部屋で30euroとは!
 好きなところ使っていいよ
というし、広いダブルを使わせていただくか。


支払いは現金で、euroでもKMでもいいという。30euro=60KMだ。
KMでも払えたが、払ってしまうと夕食、朝食、その他でギリギリだ。
euroで。

夕食はeuroやキャッシュカードで払えるところにすればいいのだが、
ようやくたどり着いた安堵感でそこまで気が回らなかったんだろうな。

泊まったのはVilla Zaad

モスタルの部屋、booking.comではどこも安くて評価が高い。
半信半疑だったがこの部屋はホントによかった。

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一日目(7)【サラエヴォ~モスタル】(バスで移動)

2017-10-08 17:02:33 | '17ヴェネツィア共和国(少しBIH)

アメリカ大使館で少し足止めを食らったが、まだ時間の余裕があった。
15:30のバスのチケットは20KM。その後、隣のカウンターで荷物の
引換券を渡して清算(8KM)。

荷物はこの”バス”から取り出してもらって。


この部屋の一番奥が荷物置き場。


PERONってのが「乗り場」とかそういう意味なんだろう。


サラエヴォ→モスタル

この旅行最初の移動。小心者らしく出発前にパスポートを確認・・・
 ないっ( ̄□ ̄;)!!
さっき大使館でパスポート確認されて、置いてきちゃったか?

出発までもう時間がない。
バスを降りてもう一度バッグの中がさがさすると・・・あった(・・。)ゞ

小心者は旅行中にこんな一人相撲を何回もとる。連戦連勝だ。

バスターミナルで出発前に買った今回のNESTEA

(ちょっと飲んでしまった後)

出発直後、バスはスイスイとはいかず、渋滞に巻き込まれた。
渋滞といっても時速30~40kmくらいは出ていたかな。
サラエヴォ市内は意外と交通量が多い。
モスタルまで二時間の予定だが、この渋滞は織り込み済みなんだろうか


サラエヴォ中心部を抜けるとスムーズに走り始めた。

線路沿い。電車を選択していたらこういうのに乗っていたのかな?
しばらくの電車のあとを走っていると、電車がホームがないところに止まってそこで一人降りてた。そういうのアリ?


バスは直行ではなく乗降客がいる。だんだんと乗客が増えてきた。
隣の席に置いた手荷物も自分の席において・・・でも誰も座らなかった。

ここで停まると上着だけ席に残して外に出る人が多い。休憩タイムか?


同じように外に出てみたが、みなさんタバコプカプカ。バスの中の方が空気がきれいだ。




後半は川沿いを走るようでいい景色。
右へ左へと席を移して外を見たいが、それほど空いていない。ずっと左の席から。


この川がモスタルまで流れているのかな?


電車の路線は景色がいいと聞いていたが、バスもなかなか

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一日目(6)【サラエヴォ】(モスクと大聖堂とセルビア正教会と)

2017-10-07 19:17:27 | '17ヴェネツィア共和国(少しBIH)

サラエヴォの旧市街周辺、モスクがあり


大聖堂があり


セルビア正教会がある。




青空市場(屋根あるけど)




永遠の灯火


スナイパー通り沿いにあったショッピングビル(トイレ借りました)


旧共和国議会ビル


サラエヴォローズ

あちこちにあるらしいが、見たのはここだけ

旧ホリデイ・イン。ボスニア紛争のときは世界中の記者がここから
記事を発信したという。


ボスニア・ヘルツエゴビナもセルビア人の共和国があり、その国境は
地図で見ると1kmもない。国境好きとしては行ってみたいところでは
あったが、興味半分で見る国境かどうかと思って却下。15:30のバスに
乗るためにここからバス乗り場へ。

その途中にアメリカ大使館があり、写真を撮ったら警備の人に
捕まってパスポートを出すようにと言われ、見せたら記録
されてしまった。それほど強い態度ではなくゆるやかな感じ。
写真は「消せ」とも言われなかったが、自主的に消してしまった。

「こういうヤツがいた、ちゃんと警備してますよ」という実績を
作っておきたいってことなのかな。


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一日目(5)【サラエヴォ】(バシュチャルシャでお昼)

2017-10-05 19:56:33 | '17ヴェネツィア共和国(少しBIH)
ラテン橋のあとは近くのバシュチャルシャ。イスラム風旧市街という感じの
ところ。レストランや土産物屋などが並んでいて、ぶらぶら歩くだけでも
楽しい。


最近は方向音痴になってきてしまったようで、元のところに戻ろうとしても
戻れなかったりすること多し。逆に、予期していないのに、この店の前
さっき通ったぞ
なんてことも多し。

碁盤の目のようで碁盤の目でないのがポイント。川と平行な道を歩いているつもりが
突き当りが川だったり。

金物細工の土産物屋さん、鍛冶屋みたいにかんかんかんと威勢のいい音。
家の隣でやられたらかなわんが、旅先でこういう音を聞くのは心地よい。


気持ちよく歩いていたら展示品がならんている建物があったので入ってみた。ここも
サラエヴォ博物館と書いてあったように思うんだが、何だったんだろう???




お昼にしよう。お店がいっぱいあったけど、ここへ。看板にグヤーシュみたいなのが
あって、これおいしそう。


注文してしばらくして「お待ちどうさま」と言う感じで持ってきた料理は別のもの。
店員さんに
 えっ?
という顔をすると
 あっ!ごめんなさい
という感じで戻っていった。別のお客と間違えたわけじゃなく、別の
もの作っちゃったのか?

ちょっと待ったら今度は注文の品が来た!これこれ!具だくさんでおいしそう!

パンもついておいしかった~

飲み物頼んでも、20KM/10euroはいいね。
ユーロで支払い。ごちそうさま

食後もパルチャルシャをぶらぶらと。セビリ。観光地で人が多いのに
それ以上に多いのが鳥。落し物しないでおくれよ。



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一日目(4)【サラエヴォ】(ラテン橋とか)

2017-10-03 19:25:22 | '17ヴェネツィア共和国(少しBIH)
次は市街へ。途中のマーケットを覗いてみる。結構安そうだ。

マーケットから少し離れたところにある”本屋さん”

(上の道は駅から歩いてきた道)

走っているところは見れなかったが、ケーブルカーか?
観光用というより生活用だろう。


モスクが見えてきた。アリ・パシナ・ジャミーヤってやつだな。


ミリャッカ川沿いをラテン橋方面へ。このころは時折日差しも
出て、歩くと暑くなってきた。

(写真は曇ってる)

ラテン橋。オーストリア皇太子暗殺現場は橋の向こう側らしい。

高校の世界史では最後の方にちょろっと聞いた気がする程度だが、
ハプスブルク本を読んだりして、注目の場所になった。

去年はシシィの最期の地、今年はフェルディナンド夫妻の最期の地、
来年は?

上の写真のピンクの建物がサラエヴォ博物館。これで博物館内部の
半分の写真が撮れている。

中央にいるのが、皇太子と妃のゾフィー・ホテクか。

ガイドブックには2KMと書いてあったが今は4KM。250円くらい。


市内はユーロも使えるところが多く、どこも2KM=1euroだった。
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一日目(3)【サラエヴォ】(オリンピック会場)

2017-10-01 18:02:22 | '17ヴェネツィア共和国(少しBIH)

荷物預けはコインロッカーではなく、引換券をもらって引き取るときに時間に応じて支払うシステム。雨はやみそうだし、傘はおいていこう。

大陸移動モードから市内移動モードに移るための荷物の入れ替えに時間がかかってしまった。待ってくれた係の方、すみませんでした。

身軽になった。

予定は、サラエヴォ観光の後この日のうちにモスタルへ。バスは15:30というのがあってこれだと18:00頃モスタル到着の予定だ。これは確かな情報。

そして鉄道もあるらしいのだが不確か。駅に行って調べてみよう。
駅はバスターミナルの隣ということで入ってみたが、その建物は違った(郵便局だったか?)。駅はそのさらに隣だった。


駅の建物に入ってうろうろしていると、真ん中の椅子に座ってるおばさんが自分を切符買おうとしてる人だと思って「あっち」という感じで、切符売り場を教えてくれた。


サラエヴォ16:26 → モスタル18:27ってのがあるね。

これも頭に入れておこう。

さて、観光開始。やっぱりサラエヴォオリンピックの跡地に行きたいな。

この大会、日本の注目は金メダル確実と言われたスピードスケートの黒岩彰

しかし、無念の大会だった。当時は一発勝負で、抽選でスタートは4組アウト。
アウトスタートだとスピードが乗って滑る第二カーブがインになるのでちょっと不利。
雪で開始時間が遅れて待たされる不運もあって10位くらいだったか。

伏兵の北沢という選手が銀メダルを獲得した。黒岩としてはどんな心境だったか。

雪辱を期した4年後のカルガリーではなんとまたしても4組アウト。同組の確かマイという選手に負けたが、銅メダルを獲得したのは立派だった。


オリンピック会場に行くのには少し線路に沿って北へ。線路渡ってる人がいる。ここでは普通なんだろうな。


ボスニア・ヘルツェゴビナでも活躍する世界のKOMATSU。


トンネルを抜けるようだ。歩道もあり、すれ違う人も数人いた。


トンネルを抜けるとオリンピックの塔が見えてきた。


探さなくても墓地が見えるってのはなぁ。。。


もはや塔は目の前


オリンピック記念館、なんと入場無料。

過去のオリンピックのポスターが並んでいる。1964のTOKYO五輪も。
数年後には、白と紺の模様が追加されるのかな。


多分サラエヴォオリンピックで使われた品々なんだろう。
このマスコット、そういえばこんなキャラクターだったか?


記者会見会場?


開会式ではユーゴスラビアはこのプレートを先頭に行進したのかな


隣の建物にもちょっと入ってしまった。スタジアム?




すぐ隣にも墓地が。没年がほぼ同じ時期だ。この人たちの産まれ年を見ると辛いな。


自分は社会派ではないが、出発直前にbookoffで見つけたこの本を読んでおいた。ボスニア紛争を正面から扱った本はなかなか完走できなかったが、これは読みやすかった。

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