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韓国大統領の正体――現地総力取材でわかった文在寅「反日」のルーツ

2019-08-23 07:38:34 | 意見発表

 

韓国大統領の正体――現地総力取材でわかった文在寅「反日」のルーツ

8/23(金) 6:00配信

文春オンライン

 韓国政府は8月22日、「軍事情報包括保護協定GSOMIA〈ジーソミア〉)」を破棄することを決めた。「協定延長」が予測されていた中での「破棄」という決定は、各方面から衝撃を持って受け止められている。


 日韓関係を悪化させ続ける文在寅・韓国大統領とは、一体何者なのかーー。その正体を探るべく、彼が育った街を訪ねるなどそのルーツを辿った「週刊文春」(2017年11月23日号)の記事をここに全文掲載する。(※日時や肩書きは当時のママ)

◆ ◆ ◆

 11月6日、トランプ大統領の訪韓を翌日に控えて、文在寅大統領(64)は、通常のスケジュールを一切入れず、リハーサルに専念したという。だが「最高の礼遇と格式」と青瓦台が胸を張る“おもてなし”は、文在寅という人間の空虚な内実を明らかにしただけだった。

 

突然のハグに困惑したトランプ大統領

「私がトランプ大統領と挨拶する際に、(ハグの仕方を知らなかったので)文大統領が私の腕をトランプ大統領にまわすよう、助けてくださったんです」

 小誌記者に感激した様子でそう語るのは、晩餐会に招かれ、トランプ大統領と“ハグ”をした元慰安婦の李容洙(イヨンス)さん(88)だ。

 映像では、トランプ氏は突然のハグに一瞬困惑したようにも見えるが、この場面には文大統領の“演出”が多分に入っていたことがうかがえる。

 もっとも韓国側の予定外のパフォーマンスにトランプ氏一行が戸惑ったのは、このときばかりではない。

 7日の午後0時20分に在韓米軍烏山空軍基地に降り立ったトランプ氏は、韓国外相らに出迎えられた後、近くの米陸軍基地キャンプ・ハンフリーズを訪問、そこで文氏と“対面”したのだが――。

「実は、この対面は米側は事前に知らされていなかったフシがある。そもそも、基地訪問の目的は、前線兵士の慰労で、トランプ氏が彼らと一緒に昼食をとることにあった。ところが、文氏が突然やってきたので、現場は大混乱。さらに文氏は、トランプ氏と兵士たちの昼食のテーブルにまで、割り込む格好になりました」(外務省関係者)

 

韓国報道官が植木鉢の陰から“隠し撮り”

 トランプ氏と文氏が食堂に入る様子は、韓国側によって、“生中継”された。

「青瓦台の朴洙賢(パクスヒョン)報道官がスマートフォンで撮影し、SNSで生中継をした。米国の担当者は朴報道官に対し『トランプ氏が入場するときは撮影を止めてほしい』と要求、朴報道官は了解したはずだったのですが、植木鉢の陰から隠し撮りしていたのです」(外信部記者)

 そして問題の晩餐会を迎える。なにしろ韓国が米国大統領を国賓として迎えるのは、実に25年ぶり。

 青瓦台は「晩餐会は、国賓の格に見合う最高の礼遇と格式で実施する」と意気込んでいたという。

“最高の礼遇と格式”の象徴が、竹島近海で獲れたとされる「独島エビ」だったのである。これには、日本人のみならず、韓国内でも戸惑いの声があがる。

 

“独島エビ”を出すレストランを訪れると……

「韓国人の私でも“独島エビ”という名称を初めて聞きました。韓国のネットでも、独島エビはキーワードランキングで1位に。実は韓国には他にも、『独島アワビ』『独島サザエ』、さらには『独島チキン』『独島コーヒー』などが商標登録されています。実際にチキンやコーヒーが独島にあるわけではないのですが、“反日”はそれだけウケがいい」(韓国人記者)

 実はこの晩餐会のメニューを企画・総括したのは、ソウル中心部にある創作韓国料理のレストランの女性経営者だ。

 小誌記者が、この店を訪れたところ、蒸した小さなボタンエビ5匹が“独島エビ”として、約4500円で提供されていた。

 従業員はこう証言する。

「エビにはいくつか名前の候補があったのですが、最終的に独島エビという名称に決めたのは青瓦台です。こんな騒ぎになってしまい申し訳ないとオーナーも言っていました」

 独島エビに対して日本の菅義偉官房長官は「どうかと思う」と不快感を表明したが、韓国の外交部は「問題提起は不適切」とこれをつっぱねた。

「もっとも韓国大統領府は、晩餐会に“独島エビ”を出すことを事前に外交部に相談していなかった。これはセキュリティーの観点からも普通、ありえません。晩餐会では、料理を残していた参加者も結構いました」(在ソウル記者)

 

 

元慰安婦・李さんはなぜ晩餐会に?

 前出の元慰安婦・李さんは「独島エビは甘くて、おいしかった!」と語るが、そもそも彼女はなぜ晩餐会に出席することになったのか。李さんが語る。

「最初、外交部から私に招請状が来ました。私が青瓦台に行くと、大統領秘書室長の任鍾ソク(イムジョンソク ※ソクは析の下に日)氏が『私たちがあなたを招待しました』と言っていました。15年12月の日韓政府による慰安婦に関する合意は何の価値もない合意です。トランプ大統領には『慰安婦問題と歴史問題を解決して、ノーベル平和賞をお受けください』と言いたかったが、機会がなくて言えませんでした」

 前出の在ソウル記者は、今回の文政権の対応ぶりについて、こう指摘する。

「米側の制止をふりきってまで“生中継”を強行したのは、トランプと近しいことを国民に印象付けたかったから。晩餐会での元慰安婦の招待、独島エビの提供も、反日のスタンスを国内にアピールすることで高支持率が維持できると考えたからです。小手先のパフォーマンスをすることに躍起で、後の影響を考えていない典型的な例ですよ」

 目先の人気取りのために場当たり的な対応をするポピュリスト……と、ここまで書いてくるとイヤでも思い出す“御仁”がいる。

 普天間基地の移設をめぐり、具体的な方策もないままに「最低でも県外」と発言し、日米同盟を毀損した鳩山由紀夫元首相である。

文氏と鳩山氏の共通点とは?

「確かに似てますね」と語るのは、前出の外務省関係者だ。

「鳩山さんは、直前に話をした人の意見を、自分の意見として、前後の脈絡なく発言してしまう。よくいえば、人の話をよく聞くのですが、悪くいえば、単なる優柔不断。行く先々でその場の人たちにウケる発言をするので、過去の発言との整合性がとれなくなる」

 韓国人のある政治評論家はこう分析する。

「文氏が、盧武鉉氏と決定的に違うのは、カリスマ性とリーダーシップです。文氏は庶民派弁護士と称していた頃の影響からか、大統領になっても、いろんな意見に耳を傾け全てを取り入れようとする。結果、周りの参謀たちの意見に振り回され、トップダウンでの意思決定ができないのです。北朝鮮への融和路線も、現在の参謀たちの影響を少なからず受けている。その一例が秘書室長ではないか

氏が少年時代に暮らした家を訪ねた

 鳩山氏とは対照的な文氏のルーツを辿ると、彼が晩餐会のメニューに故郷の食材を選んだ理由が浮かびあがる。以下は、彼の自伝『運命』からの引用だ。

〈(両親は)祖父母を残し、まだ乳幼児だった姉を連れて避難してきた。父の家族は、近い親戚も一緒に避難してきていたが、母の親戚は誰も来られなかった。母の実家は興南の北側に流れる成川江の向かいにあったが、興南に渡るための橋を米軍が閉鎖したためだ。(巨済島で)父は捕虜収容所で働き、母は卵を巨済で安く買い、釜山まで行って売る行商をし、貯金をした。貯金したお金で文が小学校に上がる少し前、釜山の影島に移住した〉(*一部要約)

 そこでの生活は貧困を極めたという。

〈(父は)工場で靴下を買いつけ全羅南道の小売店に卸す商売をしていた。だが、父に対する未納金が膨らみ、取引先の倒産で借金は増えていった。父の事業の失敗の後は母が一家の大黒柱となった。その仕事の一例は、救援物資の洋服を市場の屋台で売る、近所で小さな売店の経営、練炭の配達などだ〉

 記者は、釜山の影島にある古びた5階建てのアパートを訪ねた。そこに今も、文氏の母と妹が住んでいるという。入口にいた管理人に来意を告げると「絶対ダメだ」と断られてしまった。

「この数週間、文在寅のお母さんは、教会の礼拝に姿をみせていないので、体調を崩しているのかもしれない」(近隣住民)

ジャージャー麺の出前をとる母

 母は敬虔なカトリック信者で、文氏も小学校3年のときに洗礼を受けた。

「お母さんは月に一度くらい、うちのジャージャー麺の出前をとってくれるんだ。文在寅が大統領になってからもジャージャー麺と酢豚を注文してくれて、とても礼儀正しいお母さんですよ」(近隣の中華料理店)

 実家近くの小高い丘の上には、文氏一家が釜山で初めて生活した家も残っていた。現在は改築されて別の住人が住んでいた。

  「当時はブロックを積み上げただけの家々が立ち並ぶ貧しい地区でした。文在寅の母は昔、ここの練炭をトラックまで運んで金を貰っていた。女の人がやる仕事じゃなかったですよ」(別の住民)

 子供たちも母の仕事を手伝ったというが、黙々と手伝う弟に対して、文氏は煤がつく練炭配達の仕事を恥ずかしがり、ブツブツ言って母を困らせたという。

大学時代に学生運動に傾倒

 成績優秀だった文氏は、釜山の高校を卒業後、ソウル大学を受験するも失敗。私立の慶熙大学法学部に進学し、ソウル市内で下宿生活を始めた。この大学生活で、文氏は学生運動に傾倒し、同じ大学の声楽科に通っていた現在の妻・金正淑(ジョンスク)氏と出会う。

 1975年と、80年の二度、学生運動により逮捕された文氏は大学を卒業後、1982年から弁護士活動を開始。この年、妻との間に長男をもうけ、翌年には長女が生まれた。

 文氏は、後の大統領、盧武鉉氏と共に弁護士事務所を開き、“人権派弁護士”としての道を歩んだが、政治への関心は薄かった。

「もともと彼は弁護士でお金を貯めたら、歴史学者になりたいという夢を持っていた」(当時を知る知人)

 だが03年に盧武鉉政権が誕生すると、文氏は青瓦台に入り1年間、民情首席秘書官を務めた。

 04年には、南北離散家族再会行事で、文氏は母親とともに北朝鮮の金剛山に渡った。ここで母方の叔母と再会している。

「文氏は当時、『今回の機会に(北の家族と)会った人々が、ずっと手紙の交換ができるよう南北間当局レベルで協議が推進されればよい』と発言しています」(公安関係者)

ジャージャー麺の出前をとる母

 母は敬虔なカトリック信者で、文氏も小学校3年のときに洗礼を受けた。

「お母さんは月に一度くらい、うちのジャージャー麺の出前をとってくれるんだ。文在寅が大統領になってからもジャージャー麺と酢豚を注文してくれて、とても礼儀正しいお母さんですよ」(近隣の中華料理店)

 実家近くの小高い丘の上には、文氏一家が釜山で初めて生活した家も残っていた。現在は改築されて別の住人が住んでいた。

  「当時はブロックを積み上げただけの家々が立ち並ぶ貧しい地区でした。文在寅の母は昔、ここの練炭をトラックまで運んで金を貰っていた。女の人がやる仕事じゃなかったですよ」(別の住民)

 子供たちも母の仕事を手伝ったというが、黙々と手伝う弟に対して、文氏は煤がつく練炭配達の仕事を恥ずかしがり、ブツブツ言って母を困らせたという。

大学時代に学生運動に傾倒

 成績優秀だった文氏は、釜山の高校を卒業後、ソウル大学を受験するも失敗。私立の慶熙大学法学部に進学し、ソウル市内で下宿生活を始めた。この大学生活で、文氏は学生運動に傾倒し、同じ大学の声楽科に通っていた現在の妻・金正淑(ジョンスク)氏と出会う。

 1975年と、80年の二度、学生運動により逮捕された文氏は大学を卒業後、1982年から弁護士活動を開始。この年、妻との間に長男をもうけ、翌年には長女が生まれた。

 文氏は、後の大統領、盧武鉉氏と共に弁護士事務所を開き、“人権派弁護士”としての道を歩んだが、政治への関心は薄かった。

「もともと彼は弁護士でお金を貯めたら、歴史学者になりたいという夢を持っていた」(当時を知る知人)

 だが03年に盧武鉉政権が誕生すると、文氏は青瓦台に入り1年間、民情首席秘書官を務めた。

 04年には、南北離散家族再会行事で、文氏は母親とともに北朝鮮の金剛山に渡った。ここで母方の叔母と再会している。

「文氏は当時、『今回の機会に(北の家族と)会った人々が、ずっと手紙の交換ができるよう南北間当局レベルで協議が推進されればよい』と発言しています」(公安関係者)

 

反日親北”の発言で生じる“実害”

 大統領就任後も、日本をダシにして、国民の支持を得ようとする姿勢は変わらない

 今年6月、文氏は自身が育った釜山にある老朽化した原発の運転停止の記念式典で「脱原発」を訴えて、こう述べた。

「日本の福島原発の事故で16年3月現在、1368人が死亡している」

 根拠のない数字に仰天した日本側が抗議すると、あっさり誤りを認めた。

「この数字は東京新聞が、避難などで体調が悪くなった人を含めた関連死の数として報じたもの。韓国側は『関連、という言葉が抜けてしまった』と言い訳したものの、そもそも脱原発の実現性は乏しい。それでも大衆迎合型の政策を前面に打ち出すやり方が常套手段」(別の在ソウル記者)

 だが今や、文氏の韓国大統領としての“反日親北”の発言は、国際社会で“実害”を生じ始めている

 トランプ大統領のアジア歴訪直前の3日、文氏は海外メディアのインタビューでこう述べている。

「日本が北朝鮮の核を理由に軍事大国化の道を進めば、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国との関係にとっては望ましくない」

中国の「メッセンジャーボーイ」役に?

 さらに北朝鮮への対応をめぐって、日米韓の緊密な連携が必要としながらも、こう言い放った。

「三国軍事同盟の水準に発展することは望ましくない」

 前出の外信部記者が発言の背景を解説する。

「この直前に、文政権は中国と共同文書を発表していますが、その際に中国が一番懸念していたのが、“三国軍事同盟化”です。いわば文氏は中国のメッセンジャーボーイ役を果たした」

 米経済紙『ウォールストリートジャーナル』は7日、社説で「文在寅大統領は信頼できない友人」などと書き、文大統領の「従北」「媚中」姿勢を厳しく批判した。

「国際社会が核開発をやめない北朝鮮への制裁圧力を強めている昨今、韓国の“従北媚中”の姿勢は、明らかにその足並みを乱すもの。米軍の最新鋭ミサイル迎撃システム『THAAD』の設置問題を巡っても、韓国はアメリカと中国に“二枚舌”を使って、板挟みの状態になっています。結局、文氏のなかに北朝鮮問題をはじめ諸問題をどう解決するかという大局的なビジョンはない。そのときどきの国内の空気と周囲の意見に流された発言を繰り返すだけです」(同前)

 今年5月、大統領に就任した直後の文氏は、故・盧元大統領の8周忌の追悼式に出席、墓前で、こう語ったという。

「あなたの夢を追い続けて、あんなに嫌だった政治の世界に入りました。(大統領になって)あなたがどれだけ重い荷を背負っていたのかわかりました。もうここには来ません。次は大統領の職が終わり、成功したらまた来ます」

 だが、文氏が大統領の職をまっとうする5年後を待たずして、再び盧氏の墓前に立つ日は、実はそう遠くないのかもしれない。

週刊文春2017年11月23日号 原題:「現地総力取材 文在寅は韓国の鳩山由紀夫だ!」)


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