なにより、彼女のビジュアルがもの凄い。
絶世の美女。
半端なモデルは、劣等感にさいなまれるだろう。
超絶な技術力。
それも、ちょっと上手い人レベルの人は
反感さえ抱くだろう。
あぁしろ、こうしろと言いたくなるように。
そして彼女を取り囲む、情念の髪の毛。
彼女の絵を見ると、
どんな仕打ちがあったのか、
聞きたくなる人は、部外者だと思わざるを得ない。
そういうことがあったのだと、
絵が語っているじゃないか。
超美のナルシストを武具として、
絶頂の技術力で、
傷ついた女(松井冬子自身)を慰安する。
ギリギリの際どいところにこそ、
美が微笑んでいる。
今まで、こんな女性画家がいただろうか?
図らずも私の深淵にずぶりと嵌り、
怨念とか、情念、恨み節、
そういうものが女を支えてもいるのだと
ふっと笑いたくなった。
神経質で、傷つきやすくて、
そのくせ反感はふつふつと盛り上がる。
ぐるぐると顔の周りに黒髪が湧いてくる。
TVのタイトルは
「痛みが美に変わる時」
だったけれど、
私には
「痛みが情念に変わる時」
情念こそが彼女の命のエネルギーとなっていることを
痛みを伴って
私の心を離さない。
人のいう「幸せ」という観念から離れて、
やりたいことをやるだけの幸せを生きて欲しいと願った。
女が、女を描く情念。
その向こうに男がいるのだ。
殿方にはわからないだろう、とほくそ笑むのだった。
絶世の美女。
半端なモデルは、劣等感にさいなまれるだろう。
超絶な技術力。
それも、ちょっと上手い人レベルの人は
反感さえ抱くだろう。
あぁしろ、こうしろと言いたくなるように。
そして彼女を取り囲む、情念の髪の毛。
彼女の絵を見ると、
どんな仕打ちがあったのか、
聞きたくなる人は、部外者だと思わざるを得ない。
そういうことがあったのだと、
絵が語っているじゃないか。
超美のナルシストを武具として、
絶頂の技術力で、
傷ついた女(松井冬子自身)を慰安する。
ギリギリの際どいところにこそ、
美が微笑んでいる。
今まで、こんな女性画家がいただろうか?
図らずも私の深淵にずぶりと嵌り、
怨念とか、情念、恨み節、
そういうものが女を支えてもいるのだと
ふっと笑いたくなった。
神経質で、傷つきやすくて、
そのくせ反感はふつふつと盛り上がる。
ぐるぐると顔の周りに黒髪が湧いてくる。
TVのタイトルは
「痛みが美に変わる時」
だったけれど、
私には
「痛みが情念に変わる時」
情念こそが彼女の命のエネルギーとなっていることを
痛みを伴って
私の心を離さない。
人のいう「幸せ」という観念から離れて、
やりたいことをやるだけの幸せを生きて欲しいと願った。
女が、女を描く情念。
その向こうに男がいるのだ。
殿方にはわからないだろう、とほくそ笑むのだった。
松井冬子といえば「美術手帖」一月号で特集していまだに、その一月号を買うとなんかの特典が付いてくるって、新宿のジュンク堂なんかでやつてますねー。
あべまつさん一冊お買い上げいかがですか?
>今まで、こんな女性画家がいただろうか?
いえ、こんな美しくって、しかも最上級の企みを成就させたのは松井冬子さんだけでしょうね。
以前、芸大美術館で松井さんの卒業時に描いた自画像を見ましたが現在の彼女と通底してるなあと思いました。
今、彼女が自画像を描いたらどんなふうになるのでしょう。すごく見てみたいです。
言い方は悪いですが
現代の錬金術を見ているようです。
これが同時代性の楽しいところです。
美術手帖の1月号ですか。
新宿ジュンクまで、なかなか行かれないなぁ。
情報ありがとうございます。
彼女のお陰で、沸々と思い出すこと色々。
沢山諦めたことがあったなぁ・・・なんて。
コメントありがとうございます。
実は私も自画像展で見たのです。
村上隆もありましたよね。
その時は、まったくしつこく執念深く
白抜きの髪にして、ふ~ん、と思ってみていました。以来、気にはなってました。
本当に、今の彼女の自画像は、どんなでしょうね。生き様をリサーチしていきたくなります。
>現代の錬金術を見ているようです。
これは、よくわかりませんが、
彼女の存在が、気になって仕方がありません。
同性として、目が離せないような、そんな老婆心のような。両刃の筆が潜んでいるようで。
ETVのメディア反響も含め同時代に多くが共鳴している、それも彼女ゆえ成した力だと思います。
丁度、源氏物語を読み始めておりまして、
なんだか、情念の物語にリンクしそうです。
それと、メキシコのフリーダ・ガーロ。
社会活動と密接に関係してくるのかも知れません。女性が女性によって慰安される、男性もその影響に気が付く。筆で吠えるリボンの騎士!
化け物好きの為の絵じゃないことを、感動した人の心で知らされるといいなぁと願ったり。
確かに美人だが、百年経てば作品と作家の美醜はあまり関係ないのでは・・・。
自らを傷つけたような絵でもって、男に復讐するのか?過去に復讐するのか?未来の見えない絵です。
確かに女には女の論理と情念があり、男には窺い知れないものが秘められているのでしょう。
しかし、馬鹿でスケベな男にも同様の論理、情念がある。
フリーダ・カーロの方が馴染めます。(ホントかな?)
松井冬子、女の皮を被った人間、人間の皮を被った女、どこかに無理をして演じているように見えて、息苦しくなります。
しかし、山下祐二は、だらしないインタビューでした。売れっ子であることに胡坐をかかず、勉強をもっとして欲しい、と思いました。
画家自身の事はともかく、
とても素晴らしい力のある情念の絵でした。
それだけで、いいと思ったのでした。
自称ナルシストで、自衛武装して見えるのはその通りだと思います。
逆に呪縛から離れ自由な彼女となれば、絵と離れるのではないかとも。
山下祐二氏は、案外おぼっちゃまでたじたじしている姿が面白かったです。
成山画廊の雰囲気も、興味深かったです。
現物を間近に見る、いい経験でした。
源氏も男と女の情念のあやとりゲーム。
こんぐらがって、大変です。
情念って生きるエネルギーなのでしょうね。
私はすでに似非尼僧として俗を離れていますが(笑)