あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

仙厓 禅画にあそぶ  ・出光美術館(訂正版がアップされてしまいました)

2020-09-08 23:43:29 | 日本美術
この人の前に、白隠というゆるい絵を描いた禅僧がいるけれど、
白隠のゆるさを継承しているような、仙厓。
脱力しすぎていて上手いのか下手なのか、
そんなことを鑑賞するのもどうでもよくなる。
だって、嬉しくなってしまうから。
その絵の横に書かれている言葉が一つ一ついい味。

何しろ厳しい世界の禅の修業を積んだ人なのに、
何でこうなっていったのか?

色々な人生はともかく、
自分の目口鼻からよしあしは出てくるのだ。
気に入らぬ風もあろうに柳かな。
鶴は千年、亀は万年、我れは天年。
かの利休も芭蕉も仙厓の手になると
ただの好々爺。
威厳を放つものは何もない。
ただ人々のすぐそばにいるような、温かさが充満してくる。
動物達もすっかり手なずけられ、
竜虎、犬、猪、鶴亀、蛙、トド!!などなども
すっかり野生を失っている。
キャンキャン~~

自身の持ち物にも愛着を持つ。
素材に溢れる自然の力が身の回りに並べて、
さぞさぞ慈しんで使ってこられたのだろう。
石や、木、茶を飲むための茶碗、茶杓、
顔の絵が描かれた茶碗をしまう箱。
象の形をした仙厓の印。扇形の矢立。
どれもが愛おしさが溢れている。

普段の生活をどれだけ大切に愛してきたかが偲ばれる。

ショップで、葉書などを見たけれど、
やはり、トドや、利休や、竜虎や、布袋さんたちを連れて帰りたくなり
図録を買うことにした。

ウィットに富んだ、ユーモア精神溢れる心温かな一言、
それに他人を油断させる脱力のあの絵。
実は本当は相当に画力のある人だと思わせる絵もあり、
実は本当はとても厳しい現実を知っていなければ、
あの脱力はできないのだとも思った。
権力とは別世界で、愛する土地の人々と善行を重ねてきた
潔い人なのだ。

しばし図録でその人となりを学んでみることにする。

同時に朝夕庵の茶道具は、仙厓の墨蹟、
絵唐津の茶碗、絵唐津の煙草入れなどで、
仙厓好みに構成されている。
○のまんじう、これくふて茶のめ、ということか。
さすが出光。

奥の陶片室が綺麗になった。
ルオーとムンクも一つの部屋に独立展示されるようになった。
来月から始まるムンクにも期待するところ。

まずまず私は心地よくなり、嬉しくなり、
ニヤニヤしながら図録を抱えて楽しい気持ちで我が家へ向かったのだった。

*追記
突然、古い記事に行き当たり、誤字を直したところ、
新記事としてアップされてしまいました。

多分、2007年の仙厓展、だったのだと思います。
何事かと思われたかと思います、ご容赦よろしくお願いいたします。

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