宗教と美術の関係のこの深さを今、ちょっと「受胎告知」を見たからといって、
何が解るものでもないのだろうけれど、
魔法をかけられてしまったから、
縛られた縄を解いてみたくなった。
何でこんな事しなきゃならないのか、
専門家に聞こうよ。
そこで、手元にあった本や、手に入れた本をガイドにレオナルドに向かっていった。そそそんな、むちゃな。
わかったことを少し。
この絵は、98×217,5㎝ 板 フィレンツェ近郊、モンテ・オリヴェト修道院にあった。
レオナルド20代の作といわれる。
レオナルドは、1452年、4月15日フィレンツェの公証人(弁護士のような職業)セロ・ピエロ・ダ・ヴィンチを父に、ダ・ヴィンチ家の耕作人と思われるカテリーナの間に、婚外子として生まれる。
そのため、祖父のアントニオに養育され、祖父の死後は、叔父フランチェスコが父代わりとなる。叔父には随分愛されていた様だ。
15才頃、これまた、婚外子であるため、学校に行けず、父の配慮で、
メディチ家御用達の絵や彫刻などを手がけていたヴェロッキオ工房に入る。
そこでは、ボッティチェルリなどが既に腕をふるっていた。
師匠ヴェロッキオとの共作「キリストの洗礼」がこの頃。
後、父の3番目の妻に嫡子が生まれるのを機に、育った家を出る。
24才の頃、ソドム事件の罪を受けるが、関係者の力により無罪となる。
メディチ家では、血の争いが続くが、、プラトンアカデミア、見せ物を作る才能を養う、格好の場所となる。
そういった自身の様々な混沌と戦いながら、「受胎告知」が生まれた。
他に、ヴェロッキオ工房のクレディと共描いた「受胎告知」があるが、
14×59㎝の小品で、祭壇画の裾に使われたらしい。
マリアや天使の顔は、クレディに描かれてしまい、
レオナルドの力が発揮されているとは言えない。
受胎告知の絵は、当時盛んに描かれていた。
天使ガブリエルは、「ルカ福音書」による主の言葉、
「あなたは男の子を身ごもるでしょう。その子をイエスと名付けなさい」
を伝えに、マリアの前に現れる。
鳩のような羽根、鳩は、神の言葉を運ぶ精霊の鳥。
白百合は、マリアの純潔の印。
黒々と浮かぶ影、影は神の光を受けていること。
それは何かの(ここでは受胎)徴候であることを暗示している。
対するマリア。
少女らしさを残しつつも、キリッと前を向いて、天使を見つめる。
告知されることを既に承知しているかのようだ。
胸元の書見台には、旧約聖書の「イザヤ書」第7章。
書かれている内容は、受胎告知を預言しているのだそうだ。
台そのものは、ヴェロッキオ工房がメディチ家のピエロ・ジョバンニのために作った石棺とほぼ同じもの。
石棺はルカ福音書によると、
マリアの懐胎をモーセの幕屋(もっとも神聖な場所)をおおう神の栄光に結びつけ、
神の子を宿すマリアの子宮を神との契約の棺を納めた幕屋に例えている。
のだそうだ。
従って、死をイメージするのではなく、
神の子を宿す神聖な場所としての棺なのだということなのだろう。
絵の右片隅に赤いベッドカバーが覗く。
赤は、神の犠牲の血の色。神がいることを暗示。
バックに柊、笠松、サイプラスの木々があるが、
絵にリズムを与えている。
サイプラスは、死の象徴なのだそうだ。
マリアのすぐ後ろに壁に不自然にサイプラスがあって、不思議な存在感がある。
天使ガブリエルは、威厳を含んで上目使いに念力も伴って右手を挙げながら
告げている。
その手に呼応したように、マリアの手が受け止める。
百合を持つガブリエルの手、聖書を支えてるマリアの手も小指を曲げて
神の物を手にしている。
自然の申し子であるべきイエスが、天使ガブリエルの足下の
草花で象徴されているのだろうか?
マリアは、石の床に椅子を置いて、腰掛けている。
既に胎内の子を神として受けているのだろうか?
これもイメージの対称になっているのだろうか?
などなどがわかってきた。
間違いや、誤解の点もあるかとは思うけれど、
とりあえず、現在の私の理解の現状です。
ふぅ~~~
ものすごい人と関わってしまったものだ。
でも、本当にものすごいのは、
彼の凄さは、これから始まるという事なのだ。
参考書
ブルータス 4/15
処女懐胎 岡田温志 著 中公新書
レオナルド・ダ・ヴィンチ 田中英道 著 講談社学術文庫
ダ・ヴィンチ・コード・デコーデット マーティン・ラン著 集英社
何が解るものでもないのだろうけれど、
魔法をかけられてしまったから、
縛られた縄を解いてみたくなった。
何でこんな事しなきゃならないのか、
専門家に聞こうよ。
そこで、手元にあった本や、手に入れた本をガイドにレオナルドに向かっていった。そそそんな、むちゃな。
わかったことを少し。
この絵は、98×217,5㎝ 板 フィレンツェ近郊、モンテ・オリヴェト修道院にあった。
レオナルド20代の作といわれる。
レオナルドは、1452年、4月15日フィレンツェの公証人(弁護士のような職業)セロ・ピエロ・ダ・ヴィンチを父に、ダ・ヴィンチ家の耕作人と思われるカテリーナの間に、婚外子として生まれる。
そのため、祖父のアントニオに養育され、祖父の死後は、叔父フランチェスコが父代わりとなる。叔父には随分愛されていた様だ。
15才頃、これまた、婚外子であるため、学校に行けず、父の配慮で、
メディチ家御用達の絵や彫刻などを手がけていたヴェロッキオ工房に入る。
そこでは、ボッティチェルリなどが既に腕をふるっていた。
師匠ヴェロッキオとの共作「キリストの洗礼」がこの頃。
後、父の3番目の妻に嫡子が生まれるのを機に、育った家を出る。
24才の頃、ソドム事件の罪を受けるが、関係者の力により無罪となる。
メディチ家では、血の争いが続くが、、プラトンアカデミア、見せ物を作る才能を養う、格好の場所となる。
そういった自身の様々な混沌と戦いながら、「受胎告知」が生まれた。
他に、ヴェロッキオ工房のクレディと共描いた「受胎告知」があるが、
14×59㎝の小品で、祭壇画の裾に使われたらしい。
マリアや天使の顔は、クレディに描かれてしまい、
レオナルドの力が発揮されているとは言えない。
受胎告知の絵は、当時盛んに描かれていた。
天使ガブリエルは、「ルカ福音書」による主の言葉、
「あなたは男の子を身ごもるでしょう。その子をイエスと名付けなさい」
を伝えに、マリアの前に現れる。
鳩のような羽根、鳩は、神の言葉を運ぶ精霊の鳥。
白百合は、マリアの純潔の印。
黒々と浮かぶ影、影は神の光を受けていること。
それは何かの(ここでは受胎)徴候であることを暗示している。
対するマリア。
少女らしさを残しつつも、キリッと前を向いて、天使を見つめる。
告知されることを既に承知しているかのようだ。
胸元の書見台には、旧約聖書の「イザヤ書」第7章。
書かれている内容は、受胎告知を預言しているのだそうだ。
台そのものは、ヴェロッキオ工房がメディチ家のピエロ・ジョバンニのために作った石棺とほぼ同じもの。
石棺はルカ福音書によると、
マリアの懐胎をモーセの幕屋(もっとも神聖な場所)をおおう神の栄光に結びつけ、
神の子を宿すマリアの子宮を神との契約の棺を納めた幕屋に例えている。
のだそうだ。
従って、死をイメージするのではなく、
神の子を宿す神聖な場所としての棺なのだということなのだろう。
絵の右片隅に赤いベッドカバーが覗く。
赤は、神の犠牲の血の色。神がいることを暗示。
バックに柊、笠松、サイプラスの木々があるが、
絵にリズムを与えている。
サイプラスは、死の象徴なのだそうだ。
マリアのすぐ後ろに壁に不自然にサイプラスがあって、不思議な存在感がある。
天使ガブリエルは、威厳を含んで上目使いに念力も伴って右手を挙げながら
告げている。
その手に呼応したように、マリアの手が受け止める。
百合を持つガブリエルの手、聖書を支えてるマリアの手も小指を曲げて
神の物を手にしている。
自然の申し子であるべきイエスが、天使ガブリエルの足下の
草花で象徴されているのだろうか?
マリアは、石の床に椅子を置いて、腰掛けている。
既に胎内の子を神として受けているのだろうか?
これもイメージの対称になっているのだろうか?
などなどがわかってきた。
間違いや、誤解の点もあるかとは思うけれど、
とりあえず、現在の私の理解の現状です。
ふぅ~~~
ものすごい人と関わってしまったものだ。
でも、本当にものすごいのは、
彼の凄さは、これから始まるという事なのだ。

ブルータス 4/15
処女懐胎 岡田温志 著 中公新書
レオナルド・ダ・ヴィンチ 田中英道 著 講談社学術文庫
ダ・ヴィンチ・コード・デコーデット マーティン・ラン著 集英社
お褒め頂き、嬉しく思いました。と思うくらい本当にここのところ、レオナルドに縛られています。
でも、ちょっと、一息つきました。
バチカンのあまりにも荘厳な佇まいに、
異教徒の私(無信仰ですけれど)が観光で入っていいのかとためらったこと思い出します。
その地下水に澁澤龍彦が流れていることを感じます。
その時代と呼応する室町も、濃い時代ですね。
レオナルドは、東方の美術にも憧れていたようですから、雪舟が見た中国の墨絵をもしやレオナルドも見たのかもしれません。・・・ゾクッとしますね。
ますます深みにはまることも嬉しい限り。
美術はアヘンを持っているのかもしれない???
まだこの絵は観ておりませんが、大天使のちょっと小生意気な顔にたいしてマリアが無表情(に見える)のが、ドラマチックな印象を与えます。
そんなにこんでいないとの、あべまつさんのレポートにありましたがGW明けくらいにでもいこうかなと思っています。
それと、TBありがとうございました。
観れば観るほど味が出てくる作品ですね。
レオナルドという冠がなくても
充分鑑賞に堪えうる作品です。
それとイタリアで見るよりも
格段に良く見えました。
池上先生の講演会の記事も
アップしましたのでもし宜しければ。
ちょっと立て込んでまして、
お返事遅くなって、スミマセンでした。
あのレオナルドという偉人さんに、
沢山の人が学問してしまっているのですから、
凄いとしかいいようがありません。
後もう一回見に行きたくなってます。
GWあけなら、なんとかゆっくり見られるといいですけれど。どうなのかしらん。
バタバタしてまして、お返事遅くって、すみません。
Takさんの記事には本当に教えて頂くことが多くて、
感謝です。
池上先生の本を是非手に入れたいと思っていますが、本屋さんに行けなくて、ぐやじー日々です。
レオナルドは、東方の美術にも憧れていたようですから、雪舟が見た中国の墨絵をもしやレオナルドも見たのかもしれません。・・・ゾクッとしますね。
上掲のこの記事を拝見いたしました。
ルネサンス前のマルコ・ポーロ当時の交流がかなり深いのを知りまして、ローマもフランスも中国からの文物が当時相当流れ込んでいたと思いました。イスラム圏や滅亡東ローマ帝国からギリシャ文化を導入しはじめていた、当時文化の低かったヨーロッパには中国からの影響も及んだと思うのですが、具体的に良く分かりません。糸口がなかなか見当たらないこの辺についてご存知でしたらお教えいただければ大変幸いです。
お尋ねの件ですが、私は拙き一介の主婦で、日々美術探検にうつつを抜かしているだけなので、お答えできる知識を持ち合わせていませんが、最近面白い本を手に入れました。
「隠された聖書の国・日本」ケン・ジョセフ
シニア&ジュニア著 5次元文庫徳間書店
日本ルーツのザビエル以前の基督教の話で、とても興味深いものでした。その中で文化と生活宗教の東西を結ぶのはシルクロード。
その辺りがお尋ねの世界ではないかと。
お役に立つとは思いませんが、何かのきっかけになれたら嬉しいです。
稲荷や八幡について、また東北でのユダヤ伝説など、不思議なことが何となく感じられるようになりました。中尊寺金色堂の背景になにがあるのかにも繋がるのかもしれないと思いました。
すっかり、レオナルドから離れてしまってます。
コメントありがとうございます。
お役に立てたなら嬉しいです。
歴史は、まだまだ色んな面が隠れているのだと思うと、ワクワクしますね。