阿部ブログ

日々思うこと

『天台本覚論』の本旨は、仏教の神道化

2011年03月21日 | 日記
最近、天台宗の秘中の秘とされる『天台本覚論』を読んだ。
この『天台本覚論』は最初、一子相伝で口伝で伝えられ、その後、切紙相承として伝えられたようだ。
ここに書かれているのは要するに仏教で一番の肝である「戒律」をなくす、つまり一切の縛り、規範を廃止すると言う、仏教の非仏教化と言うある種驚きの内容だった。
最澄は立教早々にして「戒律廃止」を宣言しているが、そもそもの『天台本覚論』は最澄に発する。
最澄は、中国に留学して本覚思想に接する機会があったのだろうが「一切衆生悉有仏性」、即ち一切の衆生は仏性を元々持っていると言う考えだが、煩悩を抱えたままでOK!とするのは、ある種、チベット仏教・ニンマ派やボン教の最古層にある考え「ゾクチェン」につながるのでは無いかと感じた。

最澄がこの有様だから弟子から、法然、親鸞、日蓮が生まれるのは理解出来る。
「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」と唱えれいれば良いのだから、本来の仏教から見ると楽なものだ。
ちなみに日蓮は、伊勢神宮・外宮に100日間詣で立教祈願をしている。日蓮宗本来のご本尊様には「天照大神」の4文字があった。これ文字がないとご本尊様ではない。

最澄の戒律廃止、即ち無規範化は本覚思想を極限まで突き詰めた結果ではなく、仏教の神道化がその根本にあるではないか。
神道には教典もなければ戒律、規範は一切無い。最澄のやった事はこれだ。
これだと腹に落ちる。