フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

そろそろメルボルンの冬が待ち遠しくなってきました

2007-07-21 11:39:51 | Weblog
昨日の金曜日でだいたいの授業が終わりです。
思い出せないくらい仕事のつまった週でしたが、そんなときに限ってべつなことにも興味を持ったりするものです。

夏休みに読もうと楽しみにしている岩波文庫からプラトンの「ソクラテスの弁明」を少し開いて息抜きをしていました。これは法廷での自己弁明なのですが、その弁明に際してソクラテスが自分の言葉遣いが法廷風ではないことを容赦してほしいと言ったり、聴衆に対して静かにするように言ったり、また原告側に質問をしてみたりと、豊富な発話行為が駆使されている、法廷劇の様子がじつに見事に表現されています。

自分が最高の知者であると言われた神託の正しくないことを探すために、賢者と呼ばれたり知者と呼ばれたりする人を訪ねてはいかにその人が無知であるかを(無知でないことを期待しながら)明かしてしまうという活動を続けていたソクラテスには、そのことが、結局、大衆の怒りを買ってしまったことがよくわかっているのですね。だからいくら弁明をうまくしてみたところで、きっと裁判には負けるだろうと思っているわけです。では、どのような意味を弁明に込めようとするか?

冬のメルボルンで続きを読むのが今から楽しみです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第12回言語管理研究会 | トップ | 授業コーパス科研のパネル決... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事