フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

Balkan

2009-09-16 23:35:07 | Weblog
どうしても昔と比べてしまうが。

ウィーン南駅の近くにあるベルベデーレ宮殿にも行ったけれど、そこにはクリムトやシーレの大作があってそれも目当てだった。ぼくはシーレは腐った時代精神そのものだと思うけど、その腐り方は誠実で、痛々しくて、手元に置きたい絵ではないけど、クリムトより好きだ。クリムトは風景画。金色を施した有名な絵はどちらかというとコマーシャリズムというか、世間におもねったものに見えてしまう。しかし、もっと面白かったのは1階の隅の1室を占領している頭の彫刻群だった。現代彫刻のようだが、それにしてはずいぶん写実的だ。怒る男とか、詐欺師とか、政治家とかさまざまな顔が彫られている。説明を見て驚いた。これはMesserschmidt(1736 – 1783)のいわゆる性格顔or人物頭部(character head)と呼ばれる連作だった。彼についてはよくわからないが、晩年、失意のうちにつくり出したものらしい。

ベルベデーレ宮殿の裏庭を出て、南駅横のバスターミナルまで歩いた。南駅は東欧へ行く列車の出発点だ。ベルベデーレ裏庭横の通りにはその昔、Balkanという名のビストロがあって、ユーゴスラビア人たちが食事をしたりワインを飲んだりしていた。チェバブチチという挽肉料理がおいしかった。だがもちろんもうレストランはない。何も起こらなくてもレストラン1つぐらいあっという間に消えるものだが、間にユーゴスラビアが消滅した長い市民戦争が挟まったことを思えば、なくならないほうがおかしい。あの頃、南駅のホームでは、またいつ会えるかわからない旅立つ人と残る人との別れの抱擁が見られたものだ。

写真はしかし変わらない風景。落書きもあり、古びているが、どうも当時も同じように古びて、使われていなかったような気がする。段になった部分がまったく何のためにあるのかわからない構造。奥に見える看板にはギリシャ料理のレストランという文字があるのだが、当時からもうすでに店は潰れていた気がする。なぜまだ看板がかかっているか、不思議といえば不思議だ。
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