フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

親戚訪問

2010-04-01 22:57:43 | Weblog
5日ほど香港に脱出。ただし、その目的は出入国管理の入国目的ではないけれど、親戚訪問である。

もう16年ほども行き来をしている香港だが、ぼくの香港についての知識はとても乏しい。連れ合いに引かれて歩いているだけなので自分で果たして歩けるのかもあやしいものだ。たぶんニューヨークのほうがもう少し自信を持って歩ける気がする。

この時期、香港の天気はだいたいひどい湿気に(はっきり言って梅雨の始まり)悩まされるのが常だったが、今回は乾いた涼しい空気に助けられた。つい1週間前まではやはり湿気で壁にカビが生えたとのこと。

持参して読み続けていたのは先に触れたゴードンの『日本の200年』(上)。多くの記述は昔習った歴史事項のおさらいだが、それでも岩倉具視率いる遣欧使節団がその後の日本にとってどれほど重要だったかが感じられもする。彼らは欧米の文明や制度を克明に理解していったが、スペンサー流の弱肉強食の帝国主義についてもよくよく理解して日本に持ち帰ったのだと思う。つまり明治政府は虐められないためには虐める側に立たなければならないと確信したのだ。ただ日本に足りなかったのは虐める側に立ったときの経験だったろう。ただ虐めるだけではいつまでも虐める側に立ってはいられないことを日本は知らなかった。

香港は長い他律の歴史の中で個人として判断することの重要さを身にしみて知っているように思われる。帰りのタクシーの運転手は多弁だったが、連れ合いによると、中国大陸の経済が盛況なのにもかかわらず香港がいまだに繁栄をしているのはなぜかという話になって、彼はそれは法律による権利保護と通信手段の自由さだと述べたらしい。Googleだけが香港を拠り所にするわけではないわけだ。

こちらでは楽しい一時も少なからずあったけれど、とりわけ卒業生のSさんに再会できたのはよい時間だった。Sさんはニューヨーク育ちでご主人の仕事の関係で2年前から香港に住んでいる。多言語使用者でもあるので、研究の協力もお願いしておいた。

写真は義理の父母の家のしたにあるショッピングモールの化粧品店。ショッピングモールは頻繁に改装する。いいと思った内装もおしげもなく変えていく。新装すること自体がきっと重要なのだろう。香港の社会のじつにあらゆるものの表層が忙しく変わっていく。わざとシステムは作らない。言語さえ流れに任せている(かのように見える)。変わること、それはきっと資本主義の姿そのものなのだろう。そんな中で、食と富とは自分を見失わないための確実な足場となっている。そしてもう1つ今回見つけたのはタクシー運転手の例にも見えるような判断力というものだ。それは小さな書店に入ってもわかる。文化砂漠と言われる香港だけれど、批評の質の高さは日本のそれをはるかに凌駕しているのではないかと言う気がする。

中国語が読めないのが残念だ。
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