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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

萱野茂さん亡くなる

2006-05-09 16:19:28 | today's focus
先週、博論審査の後の飲み会で私の所属する文学部ではアイヌ語と琉球語をやれるところという話をした気がしますが、萱野茂さんが6日の昼過ぎに79歳で亡くなりました。

ちょうど実家に戻っていたところで、翌朝の北海道新聞は第1面の大きな扱いでした。実家は白老のカムイ古潭からも30分のところ、萱野さんの二風谷からも2時間ほどのところにあります。直接の面識もなく、私の手元には1988年に出版された『カムイユカラと昔話』(小学館)しかありませんが、尊敬すべき人の一人でした。

北海道新聞の扱いはその見識の高さを示していますが、東京の新聞では最終面の片隅です。萱野さんは、単に北海道にとってなくてはならない人であっただけでなく、世界の少数民族にとっても、大切な人であったはずです。萱野さんの播いた種からたくさんの萱野さんが生まれることを祈らずにはいられません。
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留学生を大切に

2006-03-20 10:39:07 | today's focus
昨日の19日は忙しい日でした。朝は白山にある東洋大学で学会の研究発表の司会をさせてもらいました。久しぶりに行くと、国研の野山さんや、富谷さん、桜美林の堀口先生、ザトラウスキー先生、などお会いできましたが、12時前に出て、1時半に千葉大に戻り、後期試験合否判定、学科会議、教授会、校舎の改修検討WGと立て続けに7時過ぎまで会議をしていました。日曜日に、です。

そのあと、少し遅れて西千葉で同じ講座の松本先生の送別会に出席して楽しい時間を過ごしました。65歳ということで、退官されることになったものです。まだまだお元気なので、今度は九州に単身赴任されるそうです。

最後の挨拶で松本先生は、面白い個性のある学生が集まるような文学部であってほしいというお話の後、日本文化学科にはとくに大学院に留学生が集まってきて、指導はそれなりに大変ではあるのだけれど、どうぞ留学生を大切にしてあげてくださいと言われたのです。そこから文学部の将来ももしかしたら始まるかもしれないともおっしゃられました。琉球、奄美方言研究、日本語学、言語学と類い希な博識を持たれた先生が学生のことを気にかけ、とくに留学生のことに最後に言及されたのは意外の感がありました。そしてそのお言葉は私の胸にも届いたのです。
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文化的表現の多様性の保護と促進のための条約

2005-10-25 00:10:00 | today's focus
ちょっと遅くなりましたが、今月21日、ユネスコは上の条約を賛成143カ国、反対2カ国、棄権4カ国で、採択したそうです。新聞では指摘がありませんでしたが、これはじつは2001年に9.11の惨劇を受けて、同じくユネスコで採択された「文化の多様性」宣言の実効をせまる採択と言えそうです。2001年の採択ページに行くと、文化の多様性とは何か、について4つのポイントが挙げられています。

(1)文化の多様性は事実である(Cultural Diversity is a fact)
(2)文化の多様性はわたしたちの毎日の現実である(Cultural Diversity is our everyday reality)
(3)文化の多様性は基本的権利の尊重を反映している(Cultural Diversity reflects the respect of fundamental rights)
(4)文化の多様性はわれわれの集合的な強さである(Cultural Diversity is our collective strength)

9.11を受けて行われた宣言と先週の条約ということですから、反対したのがどこの国かはわかるでしょう。アメリカとイスラエルが反対しました。棄権したのは、キリバス、オーストラリア、そのほか2カ国ということだそうです。日本もイギリスも賛成をしています。新聞では世界の映画館の90パーセント以上がハリウッド映画を上映していることをあげて、それに対して各国が自国の映画産業を保護するような宣言にアメリカが反対するのは当然だと論評を加えていました。しかし、イスラエルという名前をみつけたとき、アメリカの反対が単にハリウッドを守るためだけではないことは明らかではないでしょうか。

文化の多様性は事実である、とありましたが、文化の多様性とは政治であると言えるでしょうか?
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賛成か反対か

2005-09-11 11:26:05 | today's focus
今日は衆議院議員選挙の日です。
私自身はとうに日本の有権者に失望して何も期待がないのですが、小泉党の選挙フレーズは気になります。新聞やおりこみちらしに目立つ、「賛成か反対か」というフレーズのことです。

(1)自分の論点だけを重要として、他の論点を排除する。
郵政民営化という(中身は分からなくて構わない)論点だけが重要で、年金や税金や外交や拉致などもあるとする議論を排除する。
(2)敵と味方かを分けて、分裂を促進させる。
(3)敵か味方かを分けることによって、反対すると敵としてみなすぞ(賛成すればまだ面倒をみてやるぞ)と脅迫する。

この手法は、ヒトラーが使い、国民に二者択一を強要し、次第に言いなりにさせたやりかたで、最後の小泉党の演説とそれを取り巻く人々のヒステリー気味の様子も、どこか雰囲気が似ていたのが恐ろしいところです。
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オーストラリアのムスリム

2005-08-27 12:45:28 | today's focus
オーストラリアではこのところ、ブッシュの戦争を応援する側として、またロンドンのテロを受けて、忠誠心による締め付けが急務になっているようです。とくにイスラム教徒たちの団体がテロリストの温床にならないようにすることを政府は公言しています。

先日も多言語放送SBSで有名なジャーナリストがムスリム団体のスポークスマンに対して厳しい質問をしていました。イスラムの教えとオーストラリアの法律とはともに共存できるのか、あなたたちはどちらを尊重するのか、といった感じです。

首相はじめ政府関係者はオーストラリアに来たいと言った人間がオーストラリアに忠誠を誓うのは当然のことで、オーストラリアの精神を尊重しない人間は他の国へ行けばよいと述べています。しかし、こうしたアネクドートが、どの国も難民を受け入れる義務があるとする国連憲章をまったく念頭に置いていないこともまた明らかですね。

ニューサウスウェルズ州のある大学の学長もまた外務大臣から「危険人物」の講演をなぜ許可したかと不満を伝えられ、危険な兆候についてはつねに法に則ってモニターしているが、その限りでの自由な発言を大学は支持していると述べざるを得なかったようです。

ブッシュの時代の西側に属していると信じているオーストラリアにおいて、反対のビジョンを語ることは非常に努力のいることのようです。私はと言えば、その昔、内村鑑三が同じような不寛容に直面して2つのJについて述べたことを思い出したりしていました。信頼をベースにおいた多文化主義のオーストラリアと、現在のオーストラリアは大きく違っていると言わざるを得ません。
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贈与論

2005-08-16 16:25:05 | today's focus
久しぶりに分野外の本を読んでいますが、もう25年も前に出版された『中世の風景』(中公新書)もその中の2冊(上・下)。私の学生時代に確か買った気がするのですが、成田空港で購入してしまいました。25年前の論客(網野善彦、阿部謹也という気鋭に対して既存の伝統のしがらみが抜けない樺山紘一、石井進という顔合わせ)の日本とヨーロッパの中世を比較して問題点を探していくとても刺激的な書です。25年の間に彼らの語られた事柄がすでに常識としなっているのかどうかなのか私にはわかりませんが、興味深かった論点の1つに贈与論があります。

阿部氏がモースの贈与論から中世の転換期を語っていて、中世前期までのヨーロッパ(特にゲルマン世界)では、交流も経済もギフトによるものが中心だったのに対して後期からは貨幣経済が中心になっていったとあります。

ここからいろいろ想像をかき立てられることがありそうです。現代はもちろん貨幣経済による社会なわけですが、贈与の慣習や観念が微妙にその経済生活に影響を落としているし、その影響のありかたは社会によって違うように思います。

たとえば、中国人についての調査などをすると、贈り物がとても多いし、レストランなどでもだれがお金を払うかでものすごいタクティクスを使うわけです。日本でもお中元、お歳暮、そして賄賂など多くの贈与習慣が見られます。ただし、こうした贈与のコミュニケーションを見てみると、どうしても貨幣経済に対するリアクションとして贈与の何を強調するかに関する焦点がちがってくるようです。

日本では贈与であることをことさらに強調することで、貨幣経済とはべつなことを示そうとしているように思います。過剰な包装はその例でしょうか。それに対して、中国などでは贈与であることを隠すようにして、貨幣経済との対照をしないようにしているようです。連れ合いによると、香港人がお土産をデパートで買ってもその包装を取って裸のまま、まるで自分の家にあったものを持ってきたかのように示そうとすることがあるそうです。
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