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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

ぼくらの国の先住民族

2008-06-06 23:56:45 | today's focus
昨日はアイヌ民族にとって歴史的な日となりました。

国会参議院本会議で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択されたのです。傍聴していたアイヌの人々が目頭をぬぐう姿が映し出されていました。この国のさまざまなダブルスタンダードの1つがほんの少し崩れた日でした。

しかし、政府はわかっているんだろうか。この決議は、昨年9月の国連総会における先住民族の権利宣言の採択に賛成した結果によります。そしてここで問題になっているのは、カントの言葉を借りれば「人間愛なんてものではなく、人間の権利」なのです。「人間愛が条件付きの義務であるのに対して、人間の権利への尊厳は無条件の義務である」とも言っています(池内紀訳『永久平和のために』集英社)。

政府も国会も高いレベルの有識者会議を開いて今後の政策を考え、「必要があれば」アイヌの代表にも意見を聞く(北海道新聞)と思っているとすれば、これはやはりわかっていないとしか思えない。まず政府がしなければならないことは、先住民族であるアイヌ民族との円卓会議を開催することのはずです。

「決議」の採択が即、人間の権利の実現を意味すると勘違いしないことが大事です。ぼくらの国の先住民族と一緒に、実現に向けて歩けるとしたら、こんなに素晴らしいことはないよね。
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1980年5月の光州

2008-05-10 20:50:04 | today's focus
28年前の1980年5月18日は、韓国光州市の事件が始まった日です。

数日前に新聞の広告で見つけた「光州5・18」(原題直訳は軍隊のミッション名、「華麗なる休日」)のことを思い出して調べると、千葉では1館だけ、それもすぐ近くの映画館で今日から上映とわかって、雨のちらつく中、自転車で出かけました。娘は、町の一番大きなお祭りに出かけましたし、奥さんはコンピュータに向かっていたので、1人で出かけたわけです。

広い交差点のところで、後ろからやってきた自転車の女性が向こうからやってきた友達と「おお!」と声をかけた途端、横断歩道の手前の車両乗り入れ禁止のピンに衝突して倒れ、おどろいて助け起こしました。しばらく動かなかったけど、くるっと一回転して落ちたので、大きな怪我はなかったようでした。すぐに友達が戻ってきたので、私は二人をあとに映画館に急ぎました。

さすがに見に来る人は少なく、しかも年齢層が上です。

28年前、私は大学生で光州で何が起きているかをラジオと新聞で読んでいました。ラジオで流れた目撃証言の凄惨さに、1人憤っていたことを覚えています。しかし本当は何もしらなかったのだと思います。たとえば、軍隊に対して異議を唱え、殺されたのはまずは同じ世代の学生達だったのですが、そんなことも思い至らなかったわけだから。それでもこの年、この月の光州が、私にとって長い間、韓国の記憶でありつづけたのです。

東西対立が最も緊張していた時代の最初の、あれはまさに終わりの始まりだったのだと、今は分かります。

そして、今日、光州で何が起きたのか、28年ぶりに分かりました。キム・ジフン監督に感謝したいと思います。
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心がほぐれない

2008-02-29 00:02:40 | today's focus
今日で閏年の2月は終わり。

外房の勝浦はかつお漁業と朝市の町だと言う。千葉からだと北から入るときの最奥、南からは鴨川までは割と楽になったけれど、そこから北上して天津小湊、さらに勝浦に辿り着くのには結構時間がかかる。

天津小湊の海岸からちょっと山に登ったところには日蓮聖人で有名な最澄寺があって、このあたりは日蓮宗、法華経の土地なのだと思う。そう、港の岸壁でおばあさんたちが二人の無事を祈って団扇太鼓を手に持って叩いていたのはその法華経の祈り、南無妙法蓮華経だったのだと思う。

漁協では二人を捜すために荒い海に何度も乗り出したけれど、海の藻屑となった船体中央部と二人の手がかりは見つからなかった。家族からはこうした海の事故の定めに従って1週間後に中断の依頼をした。家族や友達はおにぎりを海に落として供養とした。それは海を糧とする人々の態度なのだ。嘆かない。暮らしをつぶすような無理はしない。事故はいつ起るかわからない。覚悟をしなければ海を糧にすることはできない。一方で、相手のある事故に対しては毅然とした発言も忘れない。

タイトルは、漁を再開した勝浦の漁師のことばだ。

ほぐれる、とは大辞林では(1)結ばれたりもつれたりして固まったものが、分かれて離れる、(2)緊張・疲労・怒りなどが、おだやかな状態になる、(3)しそびれる、となる。新和英中辞典では、(1)<ほどける〉get loose; become disentangled、(2)〈解決する〉find (a clue to) the solution 《of》(3)〈和らぐ, 軟化する〉 get relieved; be softened、となる。

もう一方の側の出来事はこの日本に蔓延る多くの軽薄で崩壊した生活の態度そのものであり、その堕落のありさまは驚くに値しない。

ただ、勝浦の人とは人間の次元(レベル)が違うのだと思う。
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1国家=1民族=1言語

2008-01-11 23:02:14 | today's focus
このところ、投稿のテーマがあっちこっちにいって、接触場面研究とは関係なくなっているかもしれませんが、お許しを。

ここしばらく、NHK BSで放映している、100年前からの画像や映像をもとにヨーロッパを中心とした近代史を考えるBBC4のドキュメンタリー、「BS世界のドキュメンタリー 奇跡の映像 よみがえる100年前の世界」を観ています。今日は、「第7回 中東:分裂の悲劇」ということで、第1次世界大戦後の1920年代、パレスチナ、イェルサレム、トルコ、ギリシャが国家建設を始めた前後の事情を扱っていました。

中東には第1次大戦で勝利したイギリスやフランスがドイツが持っていた植民地を分配するために進駐していました。それまで、パレスチナにはユダヤ人もパレスチナ人も共存していた姿が見えますし、トルコには先祖代々暮らしていたギリシャ人がいましたし、クルド人に代表される少数民族も暮らしていました。民族の違いだけでなく、宗教の違いもまた、単なる違いとして認められていたのです。

当時、ヨーロッパから国家建設を夢見て移住してきたシオニスト(カフカもまたそうしたシオニスト達に影響をうけていましたっけ)が相当数、パレスチナにはいましたが、彼らにお墨付きを与えたのはイギリス人でした。また、トルコでは進駐軍の影響下で、「トルコ人」のための「トルコ」が建設されようとしていました。

すべては1国家=1民族=1言語という国民国家のフィクションが始まりだったのです。民族間の紛争も、宗教間の不寛容も、この純化プロセスとともに生じたことは覚えておいていいでしょう。純化とは排除の別名です。(この純化思想は当然のことながら、ナチスにもスターリンにも及んでいるわけです。だから先日の、ソクラテスの思想がナチスやスターリンまで進むという話には頷けないのです)

以前に触れたように、初期言語管理理論に見られた「逸脱」の概念もまた、母語話者の言語共同体を前提にしています。きっと100年前のパレスチナ人には、我々が非母語話者や外国人を区別する「逸脱」の多くを逸脱として留意することはなかったのです。

ポストモダンに必要なのは、純化ではさらさらなく、多様化と重層化の世界でしょう。そこで言語を管理する出発点は何なのでしょうか?

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日本語教育が十分な成果を上げていない

2007-12-06 00:26:48 | today's focus
上の言葉は、現首相が中国残留孤児原告団との面会の席で話したことの一部だそうです(朝日07/12/5)。朝日によると、この面会は「先月28日に孤児への支援を充実させる「改正中国残留邦人支援法」が成立したことを受けて実現した。」とのこと。後で記者達には原告の人々があまり日本語が上手ではなくて、あまり日本語教育をやってこなかったようだとも感想を述べていたそうです。

もう何度も書いた気がするけど、首相はいったい、50代、60代で帰国した人々がどのくらいの日本語を習得できると思っているのかな。自分のことを考えれば答えはすぐに出てくるはずでしょ?原告団の人たちが日本語が流暢ではないのは日本語教育のせいではない。政治は、日本語が流暢ではなくても幸せに暮らせるようになるための想像力を持って、政策を考えなければならないはずです。

その後、首相は、「声を詰まらせながら「皆さん方は日本の国民なんですね。ほかの日本の国民と同じような幸せになる権利を持っています。」 と言ったそうです。ちなみに言えば、「日本の国民と同じような幸せになる権利を持っている」のは、中国残留孤児の人々が「日本の国民」だからではなく、人間のそれが「基本的な権利」であるからでしょう。この論理はいただけない。

さて、こうした政治家が日本にいることには少しも驚かないし、大手新聞が同じレベルでしか書かないことにも落胆しないけど、財団法人日本語教育学会には、ぜひ真実を主張してほしいですね。

これは1つの機会です。
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Farewell to Mr. Howard

2007-11-27 11:31:33 | today's focus
先日のブログでオーストラリアの政権交代が起きたことに触れました。

私がオーストラリアに行った1989年は、労働党のホークが長期政権を担っていて、ホークに対してさかんに次の首相になるキーティングが政権委譲を謀っていたものです。ハワードは万年野党の党首でした。労働党の長期政権は、福祉以外にも多文化主義を推進したことで評価されますが、労働組合のストばかりで、メルボルンもどんどん古くさく、新しい建物も道も出来ないという状態になりつつあったことを覚えています。しかも時代は経済的なグローバリゼーションが始まって、保護主義ではやっていけなくなっていたんですね。

ハワードが1996年に首相になってやったことは、そのグローバリゼーション・スタンダードにオーストラリアを合わせていったということだと思います。

では、自由党のハワード首相が11年にもわたる長期政権だったこと以外に何が交代の原因になったのでしょうか?グローバリゼーション自体が曲がり角にさしかかっていると言うことなのでしょうか?専門家でもないのでこのあたりのことはさっぱりですが、BBCの選挙前の記事によると、争点は以下のようなものだったそうです。

1. 株価と失業率の低さという意味での好景気の維持と、高利息とインフレーションによるworking families on home mortgagesの犠牲
2. 環境対策への反対と、継続する大旱魃
3. イラク派兵によるUSAへのslavish devotion
4. 同化主義的な移民政策:難民の排除、移民へのテスト、アフリカ移民の制限、HIV保持者の移民の禁止
5. 長期政権と変化

ここ数年の経験で言うと、(1)の物価の高騰と、不動産の高騰がもっとも目につきます。べつに給料がどんと上がっているわけでもないので、普通の人々はどうして生活をしているのかと疑問に思う位だったわけです。(2)の雨が降らないことは庭好きのメルボルン市民にはじわじわと不安が強まる要因だったかもしれません。庭に水をやれない、もう少しすると車も洗車できない、そんな話しがあちこちから聞こえていました。(4)もまたオーストラリアの多文化主義を損なうような政策ですね。一方で経済的に富裕な移民が増えて、不動産の高騰を支えているという話しもあります。しかし、移民とグローバリゼーションは同じコインの表と裏のはずです。

経済の好況が必ずしも市民レベルの幸福につながっていない、好況や消費の促進が逆に生活の基礎としての自然をそこなっている、そんなことが市民の頭をよぎっていたのかもしれません。上の争点はニュアンスは違っても日本の状況と似たり寄ったりなところも興味深いですね。

さて、中国通のラッド新首相は、中国圏の経済という新たなグローバリゼーションと、人々の不安とに、どう折り合いをつけていくつもりなのか?さて。
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外国人とは何か?

2007-11-21 00:15:18 | today's focus
さて、友達の友達がアルカイダ系で、なんて小細工を使おうとした人物がいましたが、その本心が今日の出入国管理改正(!)法の施行だったわけです。日本にもアルカイダがいるぞ、なんてデマを飛ばして、今日の外国人の入国時には指紋と顔写真を取るという作業をスムーズに始めたいと思ったんですね。

昨年のニューヨーク行きではやはり指紋と顔写真を取られ、はなはだ気持ちがふさいだのを覚えていますが、これからは、日本に住む外国人も、日本に来る外国人も、すべて否応なく同じ気持ちにさせられることになります。これは前首相の輝かしい業績の1つ(5月の法案)でもあります。

果たして、外国人だというだけでテロリストの疑いをかけることが正しいことなのか、世界人権宣言を持ち出すまでもなく、子供でもわかることなのに。アメリカもまた日本人であれ何人であれ疑いをかけるわけでしょう?彼らが外国人と言ったとたんに、今度は自分がテロリストの疑いを掛けられる外国人になるんですよ。関係者は「いやテロリストだけを対象にしている」と言いたいのでしょうが、やっていることはすべての外国人を対象にした指紋と顔写真です。

外国人というのは私のことなのです。そして、あなたのことなんです。

外国人というなら、まずは自国民について同じ作業をしたほうがいっそ筋が通ります。(あ、そうか、dignityという言葉さえ持たない国民には、筋なんて通ったところでしょうがないのか...)



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道草考その3

2007-11-06 00:41:14 | today's focus
昨日初めて家族で映画「Always続3丁目の夕日」を観に行ってきました。このブログは映画批評でもないし私にもそんな芸当は出来ないのですが、第1作よりやや話題を拡げすぎた観はありましたが、かなり楽しめたし、次から次へと風景が変わっていく日本ではコンピューターを使った時代の再現は、とても有力な映画の方法だと思いました。

それから、3丁目の住人は面白い連中ばかりですが、接触場面研究者として1つ不満を言えば、ここに外国人がいたらどんなに奥行きが出たろうかということですね。在日の人たちは敗戦後に市民権を失い外国人となっており、朝鮮戦争は53年(昭和28)に停戦となっています。また北朝鮮への帰国運動が59年(昭和34)から始まります。中国残留孤児の引き揚げ事業が終了するのはその前年。日本は60年(昭和35)には安保闘争が始まって(夕日町の周りもデモが溢れたはず)、そこから本格的な高度経済成長と、内向きの消費生活が作り出されていくわけです。58年、59年というのはそうした動きの直前にあたる時期であり、外国人があの街にいても少しも不思議ではないのにね。外国人も含めてきっと近所づきあいが成り立っていたはずなんです。

さて、道草について考えていましたが、道草と切っても切れない関係にあるのが空き地です。なぜ道草をするかと言えば、周りに現実世界の約束事から外れてもよいと思えてしまうような何かがなくてはならず、昔はその役割を空き地が果たしていたのではなかったろうかと思います。夕日3丁目からは東京タワーがすぐ目と鼻の先に見えていて、どうやら虎ノ門あたりの町内会なのだそうですが、それでも錆び付いた自動車がうち捨てられている空き地が見えました。そこで子供達が内緒で子犬を飼ったり、医者が狸を探したりするんですね。そして最後にはその空き地に有刺鉄線が張られて、工事が始まるところがあって、空き地の喪失が描かれています。

道草が決められた時間と活動から自由意思で逃れて「価値」のないものを探す旅だとすれば、空き地もまた無用の地であって、しかも怖い場所でもなく、ただ放っておかれている場所なのだと思います。確かに無用の地ではあるのですが、それだけに多くの自然がそこに集ってもこれる場所になっているんですね。最近のエコパークなんかはわざとそんな場所を作っているわけです。自然の集うところに思考の種が見つかる、それが空き地の意味でしょうし、道草の副産物なのでした。
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道草考その2

2007-10-28 00:33:54 | today's focus
考えてみると、小学生が道草をしていたわけではないんですね。彼らはただ道端の草の横を歩いて家に帰ろうとしていただけだったのです。

ただ、その少しうつむいてのんびり友達と歩いている姿が、私に道草の記憶を呼び起こしてくれたということです。

道端には何があるわけでもないんです。ただ名も知らぬ草が生えているか、それとも空き缶とか、片方だけのゴム長靴とか、そんなものが転がっているだけですよ。たまにはキリギリスがササッと動いたりするのを見つけたり、鈴虫の声の先を耳で追ったりすることはあっても。そうでなければ今まで見ていたに違いないのに突然目の前に立ちはだかる昭和の理容院に出くわしたりもしますけど。

しかし大切なのは道草は誰かに言われて道草をくっているわけではないということなのです。むしろ道草をするなと言われ続けながら、なんだかふらっと何の価値も認められていない道なき道に自由意思で踏み迷っていくわけです。だから人に教えられた見方で周りのものを見ることもうっちゃってしまい、自分のリズムで自分の目と足で気持ちの良い方向へと歩いて、その先で昭和の理容院や空き缶を見つけたりしてしまうんです。

でも見つかったものを他の人が誉めてくれることもないでしょう。空き缶を見つけたって、それはやっぱり空き缶にしか過ぎないわけで、見つけたものが大切なのではなく、見つけたことが大切なわけです。もし誉められたいなら、路上観察学などを大仰にやらなければならないです。でも、そんなことになったら、きっともう道草ではないんでしょう。

それが道草。
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道草考その1

2007-10-24 00:45:06 | today's focus
今日は天気も暑くなくなったということで数ヶ月ぶりの久々の自転車通勤。足の調子も見たかったのですが、こちらも問題なし。30分強の自転車こぎは脂肪燃焼が少しはあって結構健康的です。

帰る途中は、買い物に行く年配の奥さんや、帰宅途中のお兄さんたちなどが自転車ですれ違います。車道から一本退いたところに、数キロにわたる散歩道(自転車と人用)があって、そこをのんびりと走っていますと、小学校帰りの子供二人が道端の草の横を話しながら、こちらものんびりと歩いているのを見かけました。右側はマンション、左側はアパートの敷地を隔てる金網があって、金網の横に雑草が生えている、そのそばを男の子二人が歩いていたわけです。

ほんとに追い越す一瞬の風景だったのですが、ああ昔は道草をくいながら小学校から帰ったものだったなあと突然思い出しました。空き地がいくらでもあったから道草もいくらでも出来たのです。もう千葉ですら市街は空き地などどこにもありませんね。みんな囲い込まれて、いわゆるエンクロージャーというわけで、すべて所有地となって、関係者以外は使用不可となっています。道草のくいようもないんですね。

空き地がない、これはもう本当の空き地だけでなく、いろんな場面でそういえそうです。心の空き地もなくなって、ぼくらはいつもスマートに振る舞わなければならなくなっているわけでしょう。それが出来ないと...これは毎日のニュースが伝えていることにつながっていくんじゃないかな。
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