kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

俳句会

2017-06-29 14:29:00 | 俳句・和歌

 

5月の句会は休みましたので、久しぶりにメンバーに会いました

 

おひとりだけ数か月休んでおられるのが気がかりです

 

 

今回の兼題は「生ビール」

 

いつも、その回の高得点者が、次月の兼題を決めます

 

 たいてい、いきなりなので、選ぶとき、あたふたします(^_^;)

 

昨日の句をすぐにここに載せたいのですが、

 

俳誌の発行まで、先にここには載せられなくて

 

それで、いつも受け取った俳誌の句を書いています

 

 

薔薇を越え薔薇の伸びゆく空青し

 

梅雨雲の中へ消えゆくロープウェイ

 

麻のれん商人町の道に揺れ

 

 

それから、5月20日の大会で、選者の先生の賞を頂いたのを

載せて頂いてました

 

濠川に酒の香ゆれて柳ゆれて

 

濠川というのは、京都伏見の酒蔵の並ぶ所の川で、

川端には柳が植えられていました

この川を使って、大阪や京都へ舟が行き来していましたが、

ここも、次第に陸運に取って代わられたのです

びわ湖と言い浜名湖と言い、そんな所はたくさんあるのですね…

 

会の最後に先生に質問をする時間を設けてもらっています

 

「かぎかっこ」 これは、気にせず使っていいのかどうか、尋ねました

出来るだけ使わない方がいいとのこと、

ルビをふるのもなるべく止めること、

 

勉強になりました

 

来月は、「夏の宵」 に決まりました

 

「夏の夜」の傍題なのですね

 

例句に、芭蕉さんの

 

夏の夜や崩れて明けし冷しもの

 

とありました…

 

 

 

 

 その前に、明日締切りの3句がまだ出来ていません(>_<)

 

えらいことです。

 

 

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浜松城

2017-06-29 11:20:49 | おんな城主直虎

  

 大河ドラマ「おんな城主直虎」では、

 

徳川家康の動きが気になる反面、

 

瀬名姫の膝を枕にデレデレしたりして、もひとつ話が進んでない気もしますが

 

でも、政略結婚があちらでもこちらでも、

 

戦国時代の理不尽です

 

とはいうものの、今に伝わる家康の評判は、例えば浜松では

 

「家康出世の町・浜松」

 

 

こんな看板を、浜松城で見ました

 

 

浜松城

 

 

「若き日の徳川家康」 と印された像が浜松城に建っていました

 

天守へは階段をたくさん登らないと着けません

 

見てる…

 

 

 

 

ここでは、後に模倣で造られた天守より価値のあるのが、石垣

 

浜松城の石垣は、とても荒々しく、年月を経ているようです

 

これは、野面積み(ノヅラヅミ) と呼ばれるもので、石は自然の形そのままに積まれています

 

400年ほど前に積まれたままに残っているとのこと、丈夫なんですね~

 

石の種類は、主に、硅岩(浜名湖北岸の山の石)

 

その他、石灰岩、結晶片岩です

 

 

 

この石垣は二代目城主、堀尾吉晴(1590年頃)の頃のものと言われています

 

なかなか険しい入り口でした 

 

 

天守閣最上階から見たのですが、クレーンの後ろにかすかにかすかに、

 

見えますか? 富士山です。

 

頂きから放射状に雪が残っています。

 

かなり、ズームして、撮ったのですが

 

『お正月以外は見えません!』  とは、お城のガイドさんの弁

 

私は、押してこの写真を見てもらったら

 

『アラッ、富士山ね、今まで見えないって案内してきてたわ』

 

私は、ちょっと気分がよかった~

 

 

城内はさほど広くないのですが、展示物も沢山ありました

 

なのに、軍扇だけでごめんなさい

 

軍扇

 

これは、城主が持つものですよね?

 

家康の持ったものか、その後の城主か?

 

説明を読んでこなかったので分かりません、ごめんなさい

 

しかみ顔の絵(徳川家康三方ケ原戦役画像)ありましたが複製だそうでして(^_^;)

 

 

 

野面積みの絵 

 

 

天守には、本丸とは別に、天守曲輪(テンシュクルワ)という区画があり

 

東に天守門、西に埋門(ウズミモン)が設けられ、外には更に「土塁」が巡らされていました

 

このように強固な守りの浜松城には家康の後に歴代の城主が着きましたが

 

江戸幕府の重臣となっていくものも多く、「出世城」とも言われたそうです

 

 

井伊谷では、虎松もしっかりしてきました

 

これから先、どんな風に家康と巡り合い、どんな風に取り成されていくのか

 

井伊家が江戸幕府に置いて高い地位を築くようすがドラマで描かれるのも

 

そう遠くないと思うのですが…

 

さて、次回は如何様に…

 

ではまた

 

 

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2017-06-27 11:51:38 | つぶやき

 

ニュースを聞いてから、ちょっと地に足のつかない感じで、

 

用事がはかどらず、人が見れば何をうろうろしてる、と見えたかもしれません

 

 

 

 

4年ほど前に、3歳違いの妹が骨髄腫で亡くなっています

 

当時、その事実をどうしても受け入れることが出来ない、

 

月並みな表現とは思いつつ、その通りだと。

 

小林麻耶さんも同じ気持ちでおられることを記事で知りました

 

私は、4年経ったのですから納得してると思うのですが、

 

どうして亡くなったのかと、怒りを覚えることがあります

 

24日、25日は来客が続き、ほっとした昨夜、床に就いてから

 

2時間ほど眠れず、妹のことを考えてしまってました。

 

 

 

今朝から曇りがちの天気ですが、しきりに小鳥の声もし、車の通る音もし、

 

たまにスマホの着信音もしています

 

 私は生きていられてる

 

 

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俳句仲間は入賞、でも私は…

2017-06-22 10:06:53 | 俳句・和歌

 

 

地域の企画する俳句の投稿は年4回

 

私は、参加することに意義がある

 

の心構えで毎回、投稿しています

 

言い訳がましいかったですね(^_^;)

 

今回は、入門講座から共に励んでいる仲間が2人も、入選しました♪

 

勝手にここに載せてもいいのかなあ?

 

2人に許しを得たら、ご紹介します

 

そこで、私の(T_T) 落選の句を、

 

 

兼題 「春動く」

 

熊本城に重機の音や春動く

 

「自由句」

 

猫寺の僧の説法暮遅し

 

 

「春うらら」とも思ったのですが、お坊さんのお話が…(;一_一)

 

こんな感じでした

 

その後、いつになく無口な私が居りました

 

さあ、また3か月後だあ~い(@_@。

 

 

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百合の花はたけとうめ

2017-06-21 23:58:35 | 花・木・草

 

 

今日は朝から降りっぱなしで、梅雨が戻って来ました

 

恵みの雨となった所もありましょうが、一方ひどい降り方で、被害が出てしまいました

 

 

 

 

 

おととい、百合が咲きました(スカシユリ?)

 

これが、ビックリするやら嬉しいやら

 

まるで、この間の「おんな城主直虎」のたけとうめです

 

どういうことかといいますと、ちょっと長くなるのですが…

 

 

 

昨年の今頃は、父の家を処分する準備をしていました

 

長い間に、ひとつひとつ花や木を植え、随分たくさんになっていました

 

木は抜くのは可哀そうですし、そのままにし

 

あじさいは株、バラは枝を数本、挿し木すればいいかと、

水仙、百合は球根を

 

その百合ですが、最初にすかし百合一種類が咲き、続いて白百合が咲きました

 

ところが、あと一種類のすかし百合が咲かず、

あゝ、もうだめやったんやなあ~と諦めていました

 

白百合も終わり、すかし百合が追加でついたつぼみが間もなく咲くなあと思っていました

 

ところが、咲いてビックリ!

 

それは、もう咲かないなと思ってた、別のすかし百合だったんです

 

まさか、と思いましたよ

 

もう、見れないなと悲しかったのですが、

 

 

思いがけなく、咲く百合3輪、 

あ、こいつぁ~夏から縁起がいいわえ~! 

 

 

あとから咲いたのは、茎も花も貧弱ですが、よかった♪

 

もう会えないと思ったのに会えました

 

 

長い話はこういう事だったんです

 

似てますでしょ?

 

似てません?

 

うちの、「たけ」と「うめ」 と名付けました♪

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十二

2017-06-20 00:06:35 | おんな城主直虎

 

 

第24回 さよならだけが人生か?

 

龍雲丸たちが井伊谷を去り、意気消沈の直虎に

 

追い打ちをかけるように、またまた悲しい別れでしたね~

 

幼い頃から、向こう意気の強い直虎を、

おとわ様、おとわ様と、追いかけて追いかけて、ずっと世話をしてきた

そんなたけさんが、引き際を悟ったか、里に下がると自ら申し出ました

 

直虎がいないうちに、たけは井伊の館を出てしまっていました

 

そんな事情を知らない直虎は馬でたけを追い、とぼとぼ歩くたけに追いつきました

 

 

行く、行かさないと、ふたりは涙ながらにお互いの気持ちをぶつけました

 

 

『役になど立てずともよい

井伊の館でよぼよぼになり死ねばよい

たけはわれが看取ると決めておったのじゃ!』

 

ずい分、乱暴なことを言ってます

でもこれが直虎流の優しさかな♪

 

 

 

 

たけのいう事など聞き入れたくない直虎でしたが、

たけの決心の固さを知り、自分の馬に乗せたけとの最後の時間をと、

ゆっくりゆっくり里へと送って行きました

 

 

今回の「おんな城主直虎」は、私にはこの場面がすべてでした

 

確かに、「庵原助右衛門朝昌~イハラスケエモン・トモマサ」 という、若きイケメンも新登場、

 

 

 

満を持しての「織田信長」も海老様で!

登場

 

さすがドラマ制作者は女性が固めてるだけあります

 

と、ほくそ笑んだのも事実…、あ、ほんの少しですよ(^_^;)

 

でも心はすべて、たけさんに持って行かれました

 

なのになのに、その涙もかわかぬうちに、

 

 

 

 

たけさんの、幽霊?

いや、うめさんです

 

 

たけの姪っ子「うめ」 が、たけの後をと直虎の世話係にやって来ました

直虎も、びっくりするやら、うれしいやら

 

 

 

第24回 さよならだけが人生か? 

 

さよならは、新しい出会いを持ってきてくれる事もある(ー_ー)!!

 

直虎さん、少しは心が安らぎますか、たけそっくりのうめです(^^♪

 

別れの時、たけに、

『姫様はもう姫様でございますまい、井伊の殿としてご決心をされねば…』

と、くぎを刺されていましたね

 

今川、武田、北条、徳川、そして、織田は「天下布武」をかかげ、

 

いよいよ戦国時代、クライマックスです

 

井伊家は、この激流の中に、木の葉のように巻き込まれてしまうのでしょうか

 

直虎、がんばれと、言いたくなります

 

山の小さな井伊谷を直虎は守り切れるのでしょうか

 

ではでは、

 

 

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龍潭寺の和尚さんふたり

2017-06-18 16:51:44 | おんな城主直虎

 

 

二度目に訪れた龍潭寺、

 

季節は移り、境内の様子も様変わりしていました

 

 

 

 

一か月前は、透けるような若葉でしたが、本堂裏の庭には、さつき、睡蓮の花が咲いて

 

 

 

 

 

 

 

お堂を出て、お墓の方へ行く途中、

わいわい、がやがや、女性の話し声がしまして、その目線の方向にこの花が

 

名前は、ニオイバンマツリ?

 

とにかく香りが強く、少しくらい離れても漂って来てました

この花は、紫から次第に白へと色を変えるそうです

印象に残る花でした

 

 

 

本堂を庭を挟んで見ています

 

 

開山堂

 

金閣寺や銀閣寺を思い起こす楼閣の形です

ここには開山、黙宗瑞淵和尚が祀られています

遠州地方に、禅宗を広めた方です

 

 

 

裏の道には、六体のお地蔵さん 

(この辺りから、前回は見ていないところです)

 

お墓に着きますと、『あった、あった、』 と聞こえてきます

皆さん、ドラマの登場人物のお墓を見つけられたようです

私も声のする方に行ってみました

 

他のお寺さんかもしれません、おまいりにこられたようです

分けられた一角に井伊家歴代墓所と石碑がありました

 

 

 井伊氏歴代墓所

 

大きなお墓の向かって右は、「元祖井伊共保」

 

その左隣、直虎の父 「井伊直盛」

 

左に並ぶ4基、

奥から、直虎の母 「祐椿尼」

直虎

直親

直親の妻 「しの」

 

隣にある広い場所に大変たくさんのお墓が並んでいまして、

ドラマで知った武将の名前も見受けられました

鈴木重時、新野左馬助、中野氏(直之、その父直由も)

小野玄蕃(政次の弟)などの他、たくさんの武将のお墓もありました

 

小野政次のお墓が見つからないのですよね、弟はあるのに…

 

ここに葬る訳にはいかなかった…?

  

実在人物ですしもう変えようはありません

ドラマで楽しむことにします

 

政次に何が起きるのか!

 

 

4月に龍潭寺に行って、5月もという事になってしまったのですが、

「御朱印」 また頂いて帰りました(^_^;)

それはなぜかと言いますと、

 

 

4月には、第二十代 武藤宗甫住職

 

 

 

5月には、第十九代 武藤全裕住職

 

が、寺務所?受付?におられたので、

ラッキー

と思って、再度頂いて帰りました

 

いかがでしょうか、個性的な筆使いが集まりましたでしょ?

同じお寺で、2度頂くなんて、初めてのことです

宗教的な意味を解してないと、お叱りを受けるかもしれませんが、

私の大切なものになりました

 

 

上塗りの落ちてしまった土塀

 

ここから、もう少し歩きますと、「井伊谷宮」という所です

 

 

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万博記念公園

2017-06-16 13:00:04 | つぶやき

 

 

 太陽の塔

 

 

息子に誘われて、万博公園に行って来ました

 

なつかしいですね~

 

’70の開催中、2回行きましたがいずれも凄い人でしたね~

 

食事をするのもたいへんでした、何を食べたのか?

 

たいへんな思いをしましたが、あの時行っておいてよかった~♪

 

 

 太陽の塔と観覧車とお祭り広場の大屋根のモニュメント

 

観覧車は、当時のものではなく、再建されたものです 

 

お祭り広場に大屋根の一部がモニュメントとして残されていました

 

当時、大屋根のど真ん中に穴をあけて、そこから太陽の塔が

空へと首を出していたんですよね

 

岡本太郎さんの塔と、丹下健三さんの大屋根

ま、大屋根はこんなもんではない、もっともっと大きなものでした

 

 

 

お祭り広場では、この日はフリーマーケットが開かれていました

 

当時ここはメインの場所であり、式典やイベント会場だったと思います

紙吹雪の舞う映像が、後にも何度も見ました

 

 

2015.11月、閉園していた部分に

 「エキスポシティ」 という超大型の複合施設が出来ました

 

ららぽーと、エキスポシティ

区別がつかないのですが、おおざっぱに言いますと

衣食住を満たすさまざまなお店がいっぱい

 

それにプラスするところの、 

8つの大型エンターテインメント施設で構成されているとか(ワケワカラン)

それは、

 

1 NIFREL(ニフレル)…魚や動物にグッと迫って、触れる

だから…ニ、フレル

 

2 オービィ大阪…大自然超体感ミュージアム

映像の中に溶け込んで体感するのかな

 

3 ポケモンEXPOジム…ポケモンと話が出来る

 

4 ひつじのショーンファミリーファーム…絵を書いたりペーパークラフトしたり

 

5 ANIPO(アニポ)…動物キャラクターの移動遊園地

 

6 ENGLISH VILLAGE(イングリッシュビレッジ)…体験型英語教育施設

アメリカの街の中に入ります(架空ですけどね)

郵便局、レストランでどんな風に会話するのか、

北米出身の先生に教わります

 これ、いいですね

 

7 OSAKA WHEEL(オオサカホイール)…大観覧車、120mは日本一の高さだとか

ゴンドラの床がシースルー

 

8 109CINEMAS大阪(109シネマズ)…11スクリーン、IMAX次世代レーザー、

ライドシアター4DX

 なんか、分かったような分からんような…

 

このうち、「NIFREL」だけ入館し、

 

あとは息子たちと別行動で、日本庭園に行きました

 

今日はこれにて<(_ _)>

 

次には、庭園の様子、ニフレルの中をアップしたいと思います(^_^;)

 

 

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朝方の月が

2017-06-15 18:59:55 | つぶやき

 

今朝のゴミ回収は、ペットボトル

 

やはり、冬に比べると多少増えているんですよね

 

それでも、よそのお宅に比べれば、少ないんですよね、かなり

 

これは、恥ずかしいことなのか、自慢できることなのか

 

ちょっと、迷います

 

が、取り敢えず捨てなくてはいけないので、朝6時頃捨てに出ました

 

その時、ウォーキングもしてこかな?せんとこかな?

 

と迷いつつ、

 

着る服は普通ですが、スニーカーを選んでしまいました

 

いつもは、つっかけなのに、です

 

このところ、とてもさわやかな毎日で、今朝も申し分ないお天気です

 

ペットボトルを所定の場所に捨てると、

 

足は、家に遠い方に動いてしまいました

 

久しぶりです、一年ぶりかも

 

いつもの道を行きました

 

新しい公園が天井川の跡地に出来たので、そこを通り抜け戻って来ました

 

歩数計は持たなかったのですが、30分ほど歩きました

 

朝の月が見えました、白い月、こういうのを

 

幽し、かそけし、と言うのかな?

 

レースのように透けてるような

 

辺りが真っ暗になると、俄然光り出すんですけどね

 

 

 

早朝でも日差しは、あったので日陰を選んで歩きました

 

ここは、季語「片蔭」は使わないですよね(^_^;)

 

ほんと、季語って微妙で、深くて、素敵です♪

 

 

めんどくさがりのあかんたれなので、毎日続けるのが苦手ですが、

 

ほら、ブログもそうでしょ(^_^;)

 

また、気が向いたら歩こっと♪

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時二十一

2017-06-15 13:29:52 | おんな城主直虎

 

 

第23回 盗賊は二度仏を盗む

 

直虎が龍雲丸たちに井伊の家来として召し抱えたいと伝えて暫くの後、

 

木を伐った報酬を受け取りに、龍雲丸たちは皆で井伊谷へやって来ましたね~

 

心を決めて喜びいっぱいに来たみたいです

 

直之も六左衛門も、

 

 

つい最近、こんな風にすごんで見せておられた政次様までもが、同意を示していたのだから

 

当然、龍雲丸は井伊の家来になる話を受け入れるであろうと、

 

直虎が、皆が思っていた ワタシモモチロン

 

ところが、

 

『断りまさぁ~』

 

みんな驚きました、訳を言えと迫りました

 

『そりゃあ~空に、雲があったからでさ…』

  

どういうこと?

 

でも、龍雲丸がふと空を見上げたら

 

天に昇って行く龍の形をした雲を見つけたシーンがありましたよね

 

あの時、あ、あかん、これはやっぱり家来にはならないな

 

と思いました、私

 

龍雲丸は武家の子で、過去に何かがあった

 

それは何か分かりませんが、とても悲しい出来事で

 

龍雲丸に垣間見える心の闇の部分を形成してしまったんだなと…

 

あ、思い出した…

 

 

鶴丸(政次)がいつも腰に提げていた「能面」

 

これや…

 

龍雲丸も、政次も、「能面」や…

 

 

 

 

さてこの後は、また来週ということですが、

 

今、龍雲丸たちが、根城を構えている

 

「気賀」

 

 

ダウンタウンで、市場もあれば、港も宿場もある

 

人は多くて活気はあるし、あちこちから珍しい品物がもたらされているし、

 

男の人達の楽しい遊び場もありそうで、

 

きれぇ~なお姉ちゃんもいっぱい♪

 

それも飽きたら、気賀の港から船に乗って浜名湖を渡り♪

 

遠くは、異国の地までもパイレーツ・オブ・KIGA♪

 

カリブの島へでも♪

 

 

 

直虎が命がけで井伊家を守っていた頃からのちの、江戸時代

 

ここ「気賀」には、関所が置かれました

 

 

気賀関所

17世紀初め、江戸幕府が本坂通(姫街道)に設置しました 

 

気賀関所を監理していたのは、江戸幕府の旗本の「気賀近藤氏」

 

直虎の時代、今川寄りだったあのモジャモジャひげの近藤康用(ヤスモチ)の子孫です

あの、近藤さんだぞ♪

 

 

関所では、「入り鉄砲に出女」を、また、浜名湖上の通行の監視もしました

 

気賀近藤氏は明治2年の関所廃止まで関主として支配しました

  

 

 冠木(カブキ)門

関所の出入り口で、

毎日明け六つに開門し、暮れ六つに閉門しました(朝6時~夕6時)

 

 

本番所

通行の旅人や荷物を取り調べました。 

 

 

本番所、中の間

取り調べの様子

 

本番所、上の間

家老や身分の高い人が控える間です

 

 

 向番所(張番所)

足軽、中間門番が張り番をしながら休息に使用しました




内部には牢屋もあり、寒暑の厳しい時、雨雪などの時にはここで女改めを行いました

 

牢屋

 

 

遠見番所

遠くを見張ります

当時上階には釣鐘が掛けてあり、下の部屋には大砲が納められていました

何か事件が起きたなら、カ~ンカ~ンカ~ンと警鐘が響き渡ったのでしょうね

 

 

遠見番所の上階から写しました

町木戸門が見えます

 

この門を出ると、町家が続いていました

今は、おみやげやさん、食事処、産地直売所がありました

 

買いたくてたまらなかったのですが、まだ先の道中は長く

荷物になるものは、御法度

と、わたくし、入り女?は考えました

 

あゝ あの三ケ日名産の色んなおみかん、おいしそうだったなあ~

 

 

明治2年、関所廃止令が出て、気賀関所もその役目を終えました

昭和35年までは建物がほぼ現存していたのですが、次第に解体されてしまいました

 

大河ドラマ「おんな城主直虎」があることが分かっていたなら、

保存に力が入っていたかも(^_^;)

 

このエリアには、「姫様館」という資料館がありました

 

判監帳(このページは家康の花押)

 

「判鑑」 かもしれません

これは歴史民俗用語で 江戸時代,照合用として,

あらかじめ関所・番所などに届け出ておく印影の見本。

印鑑証明みたいな?

 

この本は、もと気賀本陣の子孫の中村家所有のものとのことで、

本陣に宿泊客の花押を照合してたのでしょうか…

 

徳川家康をはじめとして、大名・旗本・公家・僧侶の花押が302点あるそうです

大切なものだったのですね

 

 

気賀宿の食事

享保3年(1718) 八代将軍吉宗の生母が紀州から江戸へ向かう道中

気賀宿一泊の時のおつきの役人の朝食と夕食とみられるものを再現したもの

ヘルシーですね、中村ホテルのメニュー♪

 

 

確か、御典医の乗った駕籠とありました

救急車?

 

 

 

御要害堀(ゴヨウガイボリ)

関所警護のための堀で、長さ390間(約700m)ありました

舟で行き来する人も関所に入ることが出来るように、木戸が設けられていました

 

「舟提札・フナサゲフダ」が要ります

出入り出来る渡り場は2か所だけ

また、網打ちをはじめ殺生が禁止されてました



堀に設けられた木戸

気賀関所は、箱根関所、今切(新居)関所と共に、江戸に対する防衛の大切な関所だったのです


関所と共に、気賀宿は発展しましたが、その原点は、

直虎時代に栄えた自由な気賀の町ではないでしょうか


近藤さんも、中村与太夫さんも、瀬戸方久さんも、

気賀にとって大切な人だったのですね

「気賀」も興味深い歴史のある町です

 

これからもドラマの舞台になるのかな?

 

 

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