kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

どうする家康 第40回天下人家康

2023-10-29 17:26:39 | どうする家康

 

 

豊臣秀吉、亡きあと

 

新しい政治の形は合議制で進められた

 

石田三成は、秀吉の遺言を守ること、と

意気込み充分です

 

【五奉行】

石田三成

徳善院玄以

浅野長政

増田長盛

長束正家

 

【五大老】

徳川家康

前田利家

毛利輝元

上杉景勝

宇喜田秀家

 

この方々、十人衆が常に合議をして秀頼を支える

これが太閤秀吉の遺言

 

 

 

前田利家は一目置かれてるようですが

実力総合的には家康が一番でしょうか

 

家康は頑張るようにと三成に声をかけ

かけられた三成は意気揚々とした顔

一方

上杉景勝は三成にこっそり言いました

 

「徳川殿は狸と心得ておくがよい」

 

三成、まさかの言葉に心が揺れたようですが

ここは家康を信じることにしました

 

 

朝鮮から筑前博多に武将や兵が戻る

これで、朝鮮戦争は終焉を迎えたことになるのかな?

 

 

加藤清正、黒田長政らに

三成は労をねぎらったつもりだったのだろうが

選んだ言葉が悪かった

 

「戦のしくじり」 という

 

戦地で生死のはざまをくぐって来た者は

 

「奉行たちの無策」 という

 

どちらも引きません

 

 

三成は石部健吉さんかな?

 

三成がその場を下がって、寧々がため息をついた

「治部がうまく出来なければ

力ある者にやってもらうほかないと、思うておる」

 

暗黙のうちに家康が、と言っているようだ

 

 

この頃すでに家康はそう言われていたのですね、私も

そう思います、やっぱり

 

 

 

 

五奉行五大老と、話し合っている時も

(重臣の家族と勝手に婚姻を結んだことについて)

 

家康「言うことを聞かんやつが…

わしも手を焼いておるのじゃ」

 

なんて、白々しいと思いましたよ、家康のこと

座るのも、斜に構え、笑いをかみ殺すような

まことしやかに、困ったふりして

 

知らないことが多いのですが、本多正信は

常時家康のそばにいて、あれこれアドバイスをする

そういう位置づけだったのですね

追放された時もあったけれど

地位を獲得のため頑張られたのですね

 

その正信のアドバイスが、やっぱり狸です

この辺りの心理作戦は

家康 & 正信 の共同作業だった?

 

 

ついに、三成は家康を見限るというか、

もう信じなくなりましたね

 

**家康は勝手に加藤、黒田、福島と縁組をした**

 

三成の言い分

「太閤殿下の遺言に反するので、謹慎を」

 

家康の言い分

「ほんの行き違い、そなたの味方である、誤解を解きたい

一時、政務を預かりたい」

 

そうそう、御大、前田利家の鶴の一声も効きましたものね

その言葉に家康は助けられてました

 

 

三成

「天下、さん奪の野心あり

とみてようございますな!

私の味方と言うのなら

不埒な諸将を取り潰してくだされば!

殿下に任じられた務めを全うするのみ」

 

もう、戻りませんね…

 

 

加藤ら奉行たちが三成の館を攻めてきた

話し合うだけとは言っているが

 

 

三成は家康に覚悟を示した

「すべての所領から身を引き

我が所領,佐和山へ隠居いたします

私は間違ったことはしておりません

殿下のご遺命に誰よりも忠実であったと

自負しております

 

私と家康殿とは、違う星を見ていた様で

ございます

もうお会いすることもございますまい」

 

 

 

 

 

すでに、家康には天下を取る覚悟が

出来ていたはず

寧々、家臣達の後押しもあり

 

機は熟した

 

薬研を動かす家康は、ほんの少し侘しさを感じさせましたね

 

乱世の中で義を貫いた一本気の三成

 

合いませんかね…

 

 

 

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どうする家康 第39回太閤、 くたばる

2023-10-22 00:54:51 | どうする家康

 

 

 

大坂城で茶々が産んだ第二子は、男児

 

秀吉の喜び様は想像が付きます

 

名は「拾・ひろい」

 

子供の健康な成長を願う当時の祈願として、

赤ちゃんをいったん捨てた形にして、家臣が拾って来る

なので「拾」

 

亡くなりましたが、一番目の子の鶴松も生まれた時は

「捨・すて」でした

 

男児誕生に、秀吉は元気になりました

そして

「明国の征服は先送り」

だが

「明国の皇女を帝の妃に

朝鮮の南半分の領地はもらう」

 

こんなむちゃくちゃな和平が明国に

承諾されるわけがない

と、三成らの五奉行は途方に暮れた

 

どうするのでしょうね

秀吉は、拾の生まれたことで

元気を取り戻し、跡継ぎにと動き出しています

 

多少の落ち着きを

世の中に感じられるようになったのか

家康は、三男の「徳川秀忠」に祝言をあげさせた

まだ幼く見えましたね

のちの江戸幕府第二代将軍ですね

 

妻となったのは「江・ごう」

茶々の娘、お市の方の孫

信長の血を引くということですか

 

家康は秀忠を連れて京の

酒井左衛門督忠次、海老すくいのあの人、の所へ

 

今は七十歳、目が見えなくなって妻の登与と

静かに隠居生活をしている

 

忠次「ここまでよく耐え忍ばれましたな

よくぞのりこえて参られた」

 

德川家臣の第一人者酒井忠次

このあと亡くなりました

 

 

徳川四天王の一人であった方で

おっとりされているようで、ここぞ

という時の活躍は目を見張るものがありましたね

どうぞ、やすらかに…

 

 

 

 

 

文禄五年(1596)9月1日

明国の使節と秀吉、和議を結ぶ

 

明が受け入れることなどないと思われた約定が

通ったのだ

 

しばらくして、三成が伏見にある徳川屋敷に来た

 

太閤殿下に読み上げた国書は、偽物

小西行長と明の役人が示し合わせ偽造したもの

 

なぜなら、今は和議を結ぶことが大事と判断し

明も秀吉もどちらをも、だましたという

 

秀吉は、小西を切り、朝鮮出兵を再開すると

怒っているという

 

そら、怒りますよね

よくまあ偽の国書なんてものを

 

そして、第二次朝鮮出兵となってしまった

 

 

世の中は、秀吉への不満がどんどん大きくなった

京の治安の乱れ

朝鮮兵への残虐行為

 

耳や鼻をそぎ落とすと言ってましたが

そう言えば、京都市東山区にある

「豊国神社」と「方広寺」の近くに

「耳塚」という小さな古墳のようなのを見たことがあります

どっちが起こした行為なのかよく分かりませんでしたが

「朝鮮」「耳塚」ということばは見ました

 

この朝鮮出兵の時の事だったかもしれません

今度行く機会があれば誰かに教えてもらおう

 

 

秀吉が倒れた

元服した拾、改め、秀頼と遊んでいた時のことだった

 

三日三晩、意識が無かった

遺言をしたいと石田三成に言った

 

「わしが死んだあと、誰が天下人になる?」

 

三成「天下人は無用かと

豊臣家へ忠義と知恵のある者が話し合いで政をし

皆で秀頼様を支えます」

 

秀吉の容態は悪化の一途

家康を呼んだ

 

「ただただ、秀頼が無事で幸せに暮らせるなら

戦のことも世の安寧も

豊臣の天下すらどうでもいい

そうよ、なんもかも皆放り投げてわしはくたばる

あとは、おめえがどうにかせえ~」

 

言い方!

 

家康「情けない、この日の本めちゃくちゃにして

放り出すのか!」

 

秀吉「うまくやりなされや…」

 

慶長三年(1598)八月十八日 この世を去る

 

「天下をお取りなされ」

 

酒井左衛門督忠次の家康への最後のお願いを

家康は思い出したのでした

 

さあ、信長も秀吉も亡くなってしまいました

 

戦国の世の生き残り合戦

家康を越える人物は想像できませんが

 

豊臣政権は続きます

実務を行う大名や奉行が集まります

 

秀次が自害に追いやられた事がありましたが

その頃、政が危うくならぬようにと秀吉が定めたものが基本で

 

【五大老】

前田利家

毛利輝元

上杉景勝

宇喜田秀家

徳川家康

 

【五奉行】

石田三成

前田玄以

浅野長政

増田長盛

長束正家

 

全員合わせて「十人衆」

秀吉の遺言、どんなのがあったのか?

それを実現するために、ひとつとなり…

 

と、石田三成は元気いっぱい

十人衆は協力的なんでしょうか

 

 

 

以前、長浜に行った時駅前に三成君

旗印は

 

 

大一大万大吉

万民が一人のために、一人が万民のために尽くす

 

オールフォーワン ワンフォーオールですか?

 

近江の佐和山城の城主だった

 

関ケ原の合戦、辛いなあ…

 

 

 

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10月の俳誌が届きました

2023-10-17 18:15:50 | 俳句・和歌

 

 

涼しくなりました

 

10月

それらしい今日のお天気です(^^♪

 

ですが

 

 

雲の峰球児はき出す底力

 

ゆらゆらと寄る辺の無きや朝顔の蔓

 

投句後2か月経って句集に載ります

季節遅れはご容赦を

 

 

来月11月は吟行です

行先は「近江八幡」

 

時代劇によく登場する堀端、それが八幡堀です

石垣に白壁の蔵などが堀沿いに並び

小舟が行き交う

石畳みの荷上場

時代劇でご覧になった方もおられると思います

 

 

昼食と句会の場所は、「たねやさん」

 

その前に、今月10月の句会はまもなくです

兼題は「団栗」

 

なぜこの漢字でどんぐりなのか?

 

「団」は丸いという意味だそうです

で、丸い栗で「団栗」 へえ~

 

 

文部省著作教科書

「二年生のおんがく」に掲載の歌詞は

 

≪≫どんぐりコロコロ≪≫

 

一ばん

どんぐりコロコロ ドンブリコ

おいけにはまって さあたいへん

どじょうがでてきて こんにちは

ぼっちゃんいっしょに あそびましょう

 

(大正時代につくられた唱歌、童謡)

 

「ドンブリコ」 なのですね

最近、知りました

「どんぐりこ」と思ってました

 

お池にぼっちゃんが、ボチャンとはまったなんて

 

 

「どんぐりこ」と思ってたなんて私だけかも

 

歌詞をまちがえたり、意味を取り違えてたり

しょっちゅうなんか口ずさんでました

歌詞が間違いとも知らないで…

 

 

俳句、私に浮かんでくるのは中身スカスカ

 

スカスカといえば、団栗は

虫に食われていたり古くて乾燥するとスカスカになって

水に浮くそうです

 

新鮮で中身を虫などに食われてなければ

沈むそうです

 

でも、お池にはまればどちらも次第に水を含んで

いずれは沈むんではないかな

 

ま、この境地ではいい句は出来そうにないです

発想をとばさなくては

 

 

 

 

先日、骨密度の測定に行きましたらスポンサーがあって

乳飲料メーカー&牛乳配達店 あちゃ~

案の定、乳飲料の宅配の契約を勧められ

乗ってしまいました

 

福引ついてまして、当たりました!

シャインマスカット

めったに食べれない葡萄です

おいしく頂きました♪

 

ま、いいか、しばらく乳酸飲料配達してもらっても

 

 

 

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どうする家康 第38回 唐入り

2023-10-15 17:14:39 | どうする家康

 

 

どうする家康

 

なにをする秀吉

 

母にまで欲望の怪物と言わしめる程の、果てしない欲ばりになった

 

茶々との間の鶴松が病死した悲しみを埋めるつもりなのか

博多の隣の小さな漁村に名護屋城を築き

周りには、家康はじめ

前田利家、大谷吉継、伊達政宗

石田三成、直江兼続、小西行長

らの陣屋が置かれ

全国からは、160もの名立たる武将が集結した

 

唐入りを命じた秀吉

服属を拒否してきた朝鮮の都、漢城(はんそん)を

あっという間に落としたが

 

見回りの服部半蔵が島津の陣屋から持って来た情報は

決して気を許せるものではなかった

 

「藤堂高虎の水軍が朝鮮にやられた」

 

家康は、本営にいる石田三成に戦場の事実を聞く

 

実は三成は、秀吉にも皆にも事実は言ってなかったようだ

家康、聡明な三成と話し合い

秀吉に唐入りを思い留ませようと決めた

だが、秀吉の唐入りの野望は固かった

 

家康は最後の手段を出す

 

「どうしてもということであれば

この家康、腹を切りまする

殿下のお代わりは殿下しかおりませぬ」

 

 

 

なんのかんのと言っても

秀吉は家康を信頼しているというのが分かるシーンでした

 

信長と家康のやり取りから見えた間柄と

似たところがありますね

 

秀吉の母、仲が亡くなった

傍で仲を見届けた秀吉の正妻の寧々

 

「これ以上何がほしい 

この世の果てまで、この世の誰よりも

才あるお方と信じ、一緒になった…」

 

秀吉が茶々、茶々と言うのもさることながら

仲と同じく、秀吉の行く道の危うさを憂うのは当然ですよね

 

素晴らしい奥様がありながら、何してんの、秀吉!

 

秀吉が唐入りを、一旦留まったのは

意外なこの方だったかもしれない

 

元、足利義昭、出家して今は昌山

 

茶々のことで家康と秀吉が言い争っている時

お酒に有りつこうとやって来た

そして自分のことを語りだした

 

昌山「高い所にいて何もかも分かっていると思っていた

ところがほんとは霞がかかって何も分かっとら

周りが良いことしか言わんからじゃ

てっぺんはひとりぼっちじゃ

信用する者を間違えてはならんぞ」

 

文禄二年(1593)五月

 

石田三成ら朝鮮奉行たちが、民国の使者を伴い帰国

民国との和睦調整が始まる

 

しばらく、平穏な世が続く…

皆がそう思っただろう

しかし、その時茶々からの文が来、

茶々がみごもった、とのこと

 

秀吉は声高に笑う、気がふれたかのように

笑い続ける

 

この様子に、家康の顔が曇る

 

どうやらまだ、朝鮮や民国との和睦は遠いのでしょうか

 

 

 

 

ところで、秀吉のワンマン政治のなか、

家康以外に、抵抗を見せた重臣がいましたね

 

✽ 浅野長政

「正気の沙汰とは思えませぬ!」

 

ここまで秀吉に言えるなんて

どういう方だったのでしょうか

 

秀吉から重用されていたのは間違いなくて

豊臣政権末期、秀吉遺言覚書体制に基づき定められた

「五奉行」のひとりでした

 

≪≫五奉行の筆頭≪≫

 

浅野長政 司法担当   22万石

 

  前田玄以 宗教担当    5万石

 

石田三成 行政担当   19万石

 

 増田長盛  土木担当   22万石 

 

長束正家  財政担当   5万石 

 

 

余談ですが、こうして石高を見ますと

やっぱり加賀百万石は、とてつもなく大きかったのですね~

 

 

浅野長政に戻って

 

若い頃は織田信長の家臣でした

出生時は安井姓

 

のちに、織田信長の家臣の浅野長勝の養子となる

長勝は長政の母の兄だった(おじさんにあたるのですね♪)

身分の高い家に養子入りなのでした

 

浅野長勝にはふたりの養女

浅野長政はそのうちのひとり「やや」の婿に

そしてもひとりは豊臣秀吉の正室「ねね・北政所」に

すごいですね

 

 

なんかややこしいのですが、秀吉と親戚になった

ということですね

 

それで、強いことも秀吉に言えた訳ですね

 

 

当時、京の禁裏や門跡に関する問題が多く、

浅井長政の教養によって難問解決にあたったそうです

あの「太閤検地」へと繋げたのもこの人とは

 

この方、代々仕えた主君はバラエティに富んでます

と言えば失礼に当たるかな

 

織田信長

豊臣秀吉

秀頼

徳川家康

秀忠

でした

 

浅井長政と一文字違いでややこしや~

 

秀吉の天下、

ここまで駆け足で見せてもらったようですが

すでに頂点より下り始めたような

 

徳川家康

出過ぎず、隠れ過ぎず

主君のうしろにぴたーっとついて…

虎視眈々と?

 

家康の干支問題

寅年か 卯年か

なんだか近頃、諸説あるような

 

 

 

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どうする家康  第37回さらば三河家臣団

2023-10-08 15:21:55 | どうする家康

 

 

小田原

今回はここが重要な地域のようですが、私は悲しいか

「小田原かまぼこ」「小田原ちょうちん」 

としてしか知らないのです

おせち料理の時だけ、ふんぱつして小田原蒲鉾を使います

 

さて、このドラマの時代はまだ蒲鉾はないのかなどうかな

 

そんな無知なところから書きますのでよろしくお願いいたします

 

茶々が秀吉の側室に!?

これは、今回はパスします

 

秀吉が関東北条攻めを、言い渡しました

 

なぜ?

秀吉が関白に任ぜられてから

四国征伐、九州征伐、これで西国はほぼ平定

 

次のターゲットは関東・東北

 

 

 

「関東・奥両国惣無事令」 発令 by関白秀吉

これは、

関東と奥(陸奥の国と出羽の国)での

大名同士の戦いを禁ず

有れば、直ちに関白により征伐

 

そしてその後、後陽成天皇を、聚楽第に招き

ここに列席すれば、条例に賛成

列席しなければ、反対

否が応でもそうなるのだそうです

 

北条氏政と氏直親子が欠席しました

 

秀吉は、北条を違反者として、打倒の狙いを付けた

 

北条の兵 五万六千  VS  秀吉側 二十一万

 

北条の籠城もむなしく、開城降伏

 

父北条氏政 切腹

息子氏直 高野山へ追放

でした

 

父の北条氏政は小田原城の陥落後、家康に言った

 

「徳川殿、この関東の地、

そなたが治めてくれるのであろう

我が民をよろしくたのみまするぞ」

 

 

 

ところで、

「鎌倉殿の13人」の北条家と「どうする家康」の北条家の関係

どうなのかあと思いました

鎌倉…は時政が父で、義時が息子

 

「どうする家康」の北条は「後北条」と書き

初代が北条早雲

四代が北条氏政(駿河太郎さんが熱演)

五代が北条氏直

 

ふたつの北条、血縁関係はほぼ無しと見ていいそうです

 

 

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 

北条を滅亡させた家康軍

その後の秀吉の命令は、家康家臣団も想像していた

国替えに違いないと

 

德川領(5か国)に北条領(6か国)を追加~

と言ってたくせに、徳川領は切り取られ

関東と江戸を与えると秀吉

まあ、いけしゃあしゃあと

 

小田原攻めに関して、家康と石田三成が話していた

三成 

「織田信雄も国替えを命ぜられた

不服を言ったため、改易と

德川様、ご辛抱を」

 

家康

今の殿下には付いていけぬ」

 

三成

「殿下は賢明なるお方

万が一人として間違ったことをなさった時は

この三成が、お留め致します

 

戦なき世…

德川様と同じ星を見ていると心得ております」

 

 

三成がお留めいたします

 

これは石田三成の大きな覚悟を感じました

 

星の大好きな優しい人ですね

 

抗うことを耐えた家康

 

~秀吉よりの国替え発表~

 

*三河を手放す

*北条領を与える

*重臣は国持となる

 

家康➡本多正信➡大久保忠世➡重臣各々へ

家康の知らないところで、国替えなどのことを伝えていた

そのおかげで、皆、不服も言わず従ってくれた

 

そうか~徳川四天王も、だれもかれも

独立するということなのですね

こんな大きな変化、受け止めるのって難しいでしょうね

 

雨降って地固まる

 

そんな感じに

 

ちなみにどこへ行くのでしょう

 

井伊直政:上野箕輪(12万石)

榊原康正:上野館林(10万石)

本多忠勝:上総万喜(10万石)

鳥居元忠:下総矢作(4万石)

平岩親吉:上野厩橋(3万3千石)

 

そして、

大久保忠世小田原(4万5千石)

あれ、大久保兄には、もっと高い石高がと思ってましたが

でも、すでに宿場町で発展してたのかもしれませんね

 

德川一門、団結していますね~!

主人は偉ぶらず、従者は抗わず

 

 

関東一円に家臣は夫々、城持ち大名として配された

そして

家康(+服部半蔵) は江戸へ

厭離穢土 欣求浄土

Only Edo 

 

江戸は居よいは住みよいか

 

新天地でのご活躍をお祈りしております

 

(確か、皇居近くには半蔵門という地名があったような…

服部半蔵さん関係の場所ですか?)

 

 

 

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どうする家康 第36回於愛日記

2023-10-01 16:52:57 | どうする家康

 

 

於愛日記

今回は、戦国を生きた女性たちの姿が描かれました

 

 

於愛は、先の夫を亡くし一時は自害をしようとしたが

それを留めたのは、まだ幼い我が子の眼差しでした

 

築山殿の勧めもあり

家康の側室になりました

築山殿を亡くした家康と夫を亡くした於愛

なんの壁もなく「1122」 あ、いい夫婦

になったと見ていました

 

屈託のない於愛の笑顔に家康は安らぎを覚えている

 

でも、於愛は亡くした夫を忘れることができなかったんですね

殿の前で笑っていよう、偽りでも

心のうちはそんなだったんですね

 

ドラマは突然、於愛のその気持ちを

クローズアップするもんですから

家康と於愛の仲をこじらせたいのか? 脚本家さんよ

 

まさか

於愛が病にかかっていて、もう長くないとは

 

 

 

あれは浜松の城の厨だったと思うのですが

近眼の於愛が、つまみ食いしている家康を

直政(万千代)と間違えて

バチィーーーッとお尻を叩きましたね

その時も明るい笑顔でした

その時家康の目にとまったんですね

 

 

「人生五十年」と織田信長から何度も聞きました

 

明日をも知れぬ毎日を、捨て身の覚悟で生きていたかも

 

お市、茶々、五徳、亀姫、お葉、おふう

もっともっとたくさんの女性が

敵方へ人質として嫁いで行った

もちろん、仲睦まじい夫婦となった人も多いですが

 

 

 

武田軍で忍びをしていた、千代

家康がどうしているかと案じていたそう、私も

千代さんどうしたのかな~と思っていました

 

 

 

築山殿、信康、穴山梅雪らと

戦なき世をと事を進めていたあの頃以来です

 

殿の命で鳥居元忠は探していたのだった

いつだったのか見つけたらしい

そして誰にも言わず一緒に暮らしていた

 

見つかった千代に

於愛は、鳥居を慕う気持ちはまことかと尋ねる

 

 

千代「さあ分かりません、きっと偽りでしょう

ずっとそうして生きて来たから」

 

鳥居をかばったのかなあ

 

家康「千代を恨んではおらん

かつて我らが夢見た世を、

穴山らと共に目指したひとりであろう

 

忍びの過去を捨て、鳥居と幸せに暮らせ

 

 

千代「今さら、人並みの暮らしが許されましょうや」

 

家康「幸せになることが生き残った者の定め

彦を支えよ、我が命じゃ」

 

千代は、命令を受け止めた

 

こういう命令は、なんぼあってもいいですね♪

 

まあ、家康さん、あまり好きでなかったけれど…

こんなこと思ってる人なんですね~

 

この場には、家臣団が勢ぞろいしていた

また、本多忠勝のむすめ、稲(いな)も居た

千代の話を聞いていて、何か心動かされたようだった

 

 

先だってより、稲は真田へ嫁入りをと言われていた

断じて応じなかったのだが

 

稲「真田家、我が戦場として申し分なし

殿、謹んでお受け申し上げまする

夫婦を成すこともまた、女の戦と思い知りました」

 

潔い稲さん

さすが、本多忠勝の娘ですね

ま、今の世ならブーイングですか

 

 

真田信之(信幸)の正室となるのですね

信幸はお父さんが真田昌幸

真田信繁(幸村)の兄

大河ドラマ「真田丸」では大泉洋さんが演じておられましたね

確か、のちには真田を離れ徳川方に付くのでしたね

 

凛々しいお嫁さんは、どんなだったんでしょうね

 

 

本多忠勝の娘

真田信之に嫁ぎ「小松姫」名乗りました

戦場に出たのでしょうか

勇ましい姿

 

らんまんのスエコさん然り、戦国の女性然り

世に名を残す人は、強靭な精神の持ち主ですね

 

山内一豊の妻、名は「千代」

この方を忘れてました

みんなすごい、すごいなあ~

あ~何が言いたいのか分からなくなりました⤵

 

 

 

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