kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が竜宮小僧になる時二十

2017-06-09 18:12:07 | おんな城主直虎

 

 

第22回 虎と龍

 

虎と龍ですよ、お題の凄さの割には、あっちにこっちに

 

ときめいてましたね~

 

直虎さん、

 

『煩悩め~滅したと思うておったが…』

 

頭をかかえておられました。

 

龍雲丸は亀(直親)の代わりに井伊を守るため…

なんて~ことを考えておられますが…

 

まずは、木を切る仕事を龍雲丸たちは請け負ってくれました

また、直虎と、よりが戻りました

 

 

 

 

そんな様子を、ディナーパーティー?で見かけた政次さん、

その場から立ち去ってしまって、部屋でぽつりと、

 

『くだらんぞ、但馬…』

 

言うてました

 

「じれったいぞ、但馬」 

 

くだらなくないですよ、もっと押してくださいよ~ 

 

なんて、私がじたばたしても始まりません

 

龍雲丸たちは井伊谷に留まり、伐採請負業に専念ですね

 

ところが、今川からの目付役の近藤康用(ヤスモチ)が、

龍雲丸を雇ったことで、直虎に会いに来ました

また、一波乱の予感が!

 

虎と龍と鶴

どうする

 

 

 

コメント (2)

高野山

2017-06-09 14:41:35 | 散策

 

 

 

 

ここは、高野山の奥の院です

 

雨の杉木立の中を歩いてきました

 

参道の際まで、千年の老杉がたくさんあり、

比叡山や、永平寺と同じように昼なお暗い霊地ですが、少し違う雰囲気が…

 

 

 雨のしずくが、レンズについてました(^_^;)

 

ここ、高野山は紀伊山脈の山並みに囲まれた海抜900m、南北3kmの

山岳平原です

「山岳平原」 私は初めて聞きました

八葉の蓮華のような峰ゝに囲まれた聖地と言われています

 

「八葉の蓮華」 とは、

花弁が8枚ある蓮華

” 真言密教などでは「胎蔵界曼荼羅」(絵図)の中央に描き、

中央に大日如来、八葉に4人の仏陀と4人の菩薩を配する ” 

と、あります

 

 

弘仁7年(816) 弘法大師は真言密教を広める根本道場をつくるため、

入定留身(ニュウジョウルシン)し、高野の地に留まり、永遠に祈り、

深い瞑想に入る

こうして、

”奥の院に生き続け、世の中の平和と幸福を願っている”

という大師信仰が生まれた、と言われています

 

奥の院には弘法大師の御廟所があり、 

御廟所への道には、それはびっくりするほどの

名だたる方々の墓碑や慰霊碑、祈念碑がずら~っと並んでいました

 

杉木立や苔むした辺り一帯にある墓碑などは20万基を超えるとか

 

確かに、次から次へと驚くばかりでした

 

その一部を挙げてみたいと思います。

申し訳ありませんが順不同、敬称略で、行きます!

 

 

司馬遼太郎文学碑  熊谷直実・平敦盛供養塔  加賀前田家

薩摩島津家  江崎グリコ(株)  八代将軍吉宗公  満州高野開拓団犠牲者の碑

紀州初代藩主  有馬家(有馬記念の…)  山口毛利家  肥前鍋島家

武田信玄・武田勝頼  上杉謙信霊廟  淀殿・豊臣秀頼  阿波徳島蜂須賀小六

伊達正宗  小早川隆景  井伊掃部頭(カモンノカミ)直弼  土佐高知山内家

スバル興業(株)  石田三成  明智光秀  本田忠勝  初代市川團十郎

住友本家  小林製薬  森下仁丹有縁物故者供養塔  パナソニック  久保田鉄工 

 

高麗陣敵味方戦死者供養碑

(豊臣秀吉による朝鮮出兵で亡くなった敵味方の霊を祀ったとされる供養碑

薩摩の島津義弘・忠恒父子が建立、 その後、

明治時代にこの供養碑の精神は赤十字の精神と合致するということで外国で有名になった)

 

前田利家とまつの墓  安芸浅野家  親鸞墓所  千姫供養塔

京極高次  浅井長政  法然上人供養塔  豊臣家  織田信長

浅野内匠頭・赤穂四十七士   

 

こんな感じです。

戦国時代の有名な武将がいっぱい祀られています

 

 

新明和工業慰霊碑

ロケットで有名な会社なのですね、シランカッタ

 

 

 

日本しろあり対策協会

人間生活と相容れないために駆除されたシロアリの供養のため建立されたそうです

その後、シロアリ防除に携わってきた功労者(しろあり関係物故者)も合祀されているとか…アリィ?

 

 

(株)ヤクルト

「ラクトバチルスカゼイ・シロタ株」

昔、一生懸命覚えた名前(^^♪

 

 

 

日産自動車物故従業員慰霊碑

 

 

 

福助(株)

「感謝の碑」と呼んでおられるそうで、創業以来のご縁の有った方々に感謝をこめて

建立されたとか

足袋から始まった会社でしたよネ

 

 

 

花菱アチャコの句碑と落書き塚

このふたつに関連性はないそうです

俳句もなんて書いてあるのか分からなくて…

 

 

松尾芭蕉の句碑

 

ちゝはゝのしきりにこひし雉の声

(笈の小文)

句碑には、

”はせを翁 父母のしきりに恋ひし雉子の声”

と、池大雅の文字が刻まれています 

 


『 高野山は、宗旨宗派問わずの天下の霊場です 』


確かに、そういうことですね…



 他にも

東日本大震災物故者慰霊碑  阪神淡路大震災物故者慰霊碑

 

また、

第二次世界大戦の戦死者慰霊の「英霊殿」もありました

 

最近、第3次世界大戦が起きるかもという声もあったりしますが

有ってはいけないことと思います

 

 

コメント (6)

梅雨の晴れ間

2017-06-09 11:39:05 | 四季折々に

 

 

 

梅雨入り宣言があったばかりですが、

梅雨の晴れ間、いいお天気になりました♪

 

 

 

 

百合の花が咲きました♪

白百合って清楚なのに、あっち向いたりこっち向いたり、

自由奔放ですね(^_^;)

 

  

 

百合根から、二年目の白百合と、

ピンク色のは「すかし百合」と思いますが、もう7~8年咲き続けています♪

昨年までは地植えでしたが…

 

 

あじさいの季節ですが、

地植えのを持ってきて鉢植えにしていますが残念ながら、葉だけ(T_T)

 

そもそも実家で咲いていたあじさいの挿し木での株のまた挿し木の株ですが

これ一株になってしまいました

これからは、今までのようにぞんざいにしません、誓います

 

お昼から、暑くなりそうですね

 

 

 

 

コメント (2)

大津市で俳句の会

2017-06-04 17:41:51 | 俳句・和歌

 

 

 

大津市でいちばん背の高い、大津プリンスホテルです。

滋賀県内では、二番かな?

薄さもけっこうな

 

一番は「フジテック・エレベーター研究塔」が170mです (彦根北部)

 

大津プリンスホテルはびわ湖畔にあります。

琵琶湖花火大会、見物するのに絶好の場所に建っています。

花火の日の特別ディナー、いちど行って見たいものです。

建物と一緒で、high、high!

 

 

6月3日、俳句大会に行って来ました。

会場は、このホテルではないんですよ。

近い所でしたけど。

 

お天気はいいし、それにあまり暑くなく最高でした。

 

俳句の結果は、サイコー♪ とはいきませんでしたが初めて聞くことが幾つかあって

 

今後に役立てなければもったいない。

 

投句は、あらかじめ郵送で3句、当日投句が2句でした。

 

当日句の互選や、すべての表彰式と、4時過ぎまで居ました。

 

当日句

 

父の日や「熱き心に」歌ってた

 

皆さんの中からおひとり選んで頂きました、1点獲得(^_^;)

選者の先生から、入選に選んで頂きました ヤッタア♪

 

帰りは、びわ湖の風景を満喫です

 

 

おなじみの遊覧船が浜大津港に帰って来ました。

 

後ろの山は、私の大好きな比叡山です♪

 

 

「石場津(イシバヅ)の常夜燈」

弘化2年(1845) に建立 高さ約8m

この辺りは江戸時代に宿場町として栄えた大津町です。

その東外れの「石場湊」は琵琶湖対岸の矢橋(ヤバセ)村(今の草津市矢橋町)とを

行き来する船の港でした。

本来の位置より、300m位置を移していますが、

 

 

 

台座部分に彫られた名前は、常夜燈建立に携わった人達の名前で、

近江、京都、尾張と各地の人達が関わったことが分かります。

この常夜燈、ほんとに大きいです。

対岸まででも、灯りが届いていたのでしょうか、

江戸時代、水上交通がどれだけ盛んだったかが伝わりますね。

 

 

 

たくさんの人出で、犬の散歩、ジョギング、ピクニック、釣り、

釣りの小舟、ヨット、遊覧船

勢揃い

 

私もつられて、ウォーキングコースを歩くことにしました。

 

この竜宮城のようなのは、滋賀県立琵琶湖文化館(1961~2008)

 

現在閉館しています。

竜宮城!と呼んで喜んでいたのを覚えています。

親に連れられ入館したこともあるのですが…内容は、覚えてないのです。

外観のインパクトは大きいです。この辺り通るたびに、目が勝手に探してた…?

 

 

遠く対岸に近江冨士(三上山)が見えます。

この山も、シンボル的存在です。

 

 

空にはトンビ

 

 

湖岸には白鷺?

はっきり分からないです。

しまそだちさぁ~ん、教えて~!

 

 

そして、沖には釣り舟、立ちあがって大丈夫かなあ

 

 

そうこうしてるうち、JRの駅にして、ひとつ越え、ふたつ越え、みっつ越え

 

びわ湖ホールから近江大橋を渡り終わる頃、

おなかすいた、足痛い。

 

 

イオンで一服、これまた人の多いこと。

そういえば、皆さんお給料がでましたね(*^^)v

いいですね、お買いもの。

 

私はこの間から、丸亀製麺の「釜玉うどん」が食べたいなあと思っていたのです。

食べました、さつまいもの天ぷらをオプションに。

 

『熱いうちに、玉子混ぜときましょか?』

 

何か分からんけど、お願いします♪

 

熱いうちに生玉子を混ぜておくと、よく馴染み、カルボナーラ風になるんですって!

 

いいですね♪ あまりカルボナーラ食べた事ないですが…(^_^;)

 

とにかく、おいしかった。

 

あとは、もう足が痛くて歩きたくないので、おかずだけ買ってバスで帰りました。

 

バス停に行くなり、目指すバスがピタッ!

 

これが、この日のサイコーの出来事でした。

 

本日歩数計は 15,614歩  9.36km   144分 

足痛い度は計測不能 

 

おしまい

 

 

コメント (9)

直虎が竜宮小僧になる時十九

2017-06-04 12:56:10 | おんな城主直虎

 

 

またなのですが、

 

ちょっと、ドラマをさかのぼらせて頂きます 

 

駿府での鉄砲の商いがせっかくうまく行きかけていたのに、

瀬戸方久は今川氏真に断られ、愕然。

 

と思いきや、早いです、立ち直りが!

方久曰く 

『これからは 気賀の時代にございます。』

 

井伊で織った綿布の商いを気賀でしようと提案しました。

そうなんですよね、綿の栽培、綿布の機織り、

方久さんのひと声のおかげですよね、功労者です♪

 

でも、綿布だけではやはり商いが小さすぎて井伊谷を維持するには…

ここでまた、方久さんがワンポイントレッスン。

 

『木を切り売るのでございます。

今はあちらこちらに戦場がございます。

焼かれた城もあれば、新たに建てる館も山ほどあると…』

 

直虎は、

『井伊は材木を商うつもりじゃ。

その木を切る役目をそなたらで請け負うきはないか』

 

以前、あっという間に木を切り泥棒していった、謎の旅の男に話を持ちかけ

話を承諾させてしまいました。

直虎さんもなかなかやりますね~♪

世は戦国時代、直虎は策士ですね。

ただ、策士と言っても戦の策ではなくて、井伊谷の村を栄えさせ、保つための策略。

すごいなあ~

 

 

これから、商いを展開する町、「気賀」

浜名湖に面していて、水上交通も発達していて、

更に、ここは武家が治めていなくて、商人が領地を治めるのを今川から

許されているという、この上ない土地でした。

 

東海道もあれば、姫街道(本坂街道)という東海道の脇街道になる道もある。

気賀の「中村屋」という大商人は、方久と親しい。

 

中村屋与太夫さん、

『はいっ 分かりましたっ

といいお返事されてましたけど、どうなんでしょう。

 

ただ、気賀関所で見た展示に「中村屋」さんは本陣の主人として実在人物とか。

気賀関所をブログにする時、しっかり調べなくては。

 

話が横道に反れました

 

さて、気賀での守備は万端、これで井伊谷も安泰

 

となればいいのですが、さて本日、どう展開しますやら

楽しみです♪

 

 

気賀でいちばんに訪れたのが 「大河ドラマ館」

館内は一部を除き写真撮影禁止で、

少ない画像ですが、

 

 

 

入場口では、駐車場の交通整理、近くの見どころや、アクセスの案内

記念写真のお勧め、などなど、 甲斐甲斐しく努めておられました。

皆さん、法被来て赤備え 

 

 

ホールのフロント 

 

 

井伊家の祖、共保は井戸の中から生まれたという伝説の井戸

 

この中に、おとわ、亀の丞、鶴丸の顔が、井戸を除いてるように映像で浮かぶのですが、

それは、写真撮影禁止!で、残念でした

 

 

パネルですが、美しい直虎さん

 

 

同じく、政次さん、不思議なお方

南渓和尚が

『あいつも浮かばれぬのう~』

とおっしゃってましたね

浮かばれる日が来ることを祈りつつ、私がついてますよ

 

 

 

次郎法師時代の、墨染姿、こちらもよく似合っておられます

 

 

あっけなく、亡くなりましたが、井伊直親さん

皆の悲しみをよそに、なんと!

隠し子現る!?

 

 

 

ドラマ館のこの空間は井戸を中心に、神秘的な色を放っていました。 

井伊谷は、水の国なのですね

 

赤い法被で赤備えの係員さん

壁に展示の資料パネルの撮影はNG

井戸の中も3人が移っている時はダメ!

ご指導のもと、写してきた画像です、すべて

 

 

 ドラマ館、裏手

龍潭寺⇔ドラマ館のシャトルバスの乗り場があります。

ここを、向かって右手に行くと 「都田川」と「みをつくし橋」があります。

 

「気賀関所」

うなぎの香りに誘われて、行って来ました。

 

つづく

 

 

コメント

5月から6月へ

2017-06-02 16:38:59 | 四季折々に

 

 落ち着かない5月末、じたばたしているうちに6月になってしまいました。

 

 

 

5月29日の月

 

この日は月がきれいでした。

 

 

 

6月1日

百合がふたつ咲きました、まだ増えますね♪

 

この百合の鉢が夜、ひっくり返ったのです。

 

 夜、風はゴォ~~~~~!といい、

 

雷が頭上で、まるでたこの足を広げたようで、建物を掴むんでは?

と思うような姿でした。

  

私はしばらく窓際に座布団を三枚寄せて、寝転んで眺めていました。

 

ひっきりなしに、雷が走りました。

 

「電気蛸」 というのがあるならば、それです。

 

次々と頭上に現れるのです。

 

怖さを感じながらも、見たくて。

 

でもそこは不屈の精神の足りない私です。

 

そのまま眠ってしまい、目が覚めた時には

 

ゴロゴロの感覚も長くなっていて、風も弱まっていました。

 

しかし、あれだけの放電は、そう見られないと思いますよ。

 

 

青あらし電流強く流れをり   波多野爽波 (歳時記より)

 

 

昨夜くらい強い風、「青あらし」なのかな?

他にぴったりのあるのかな?

「電流強く流れをり」は、感じです♪

 

今日は、雲はいくつも浮かんでいるものの、青空で明るいです。

 

でもまた、凄い風です。

ごおおお~~~のレベルです。

ドアを開ける動作が、筋トレです

 

今夜はどうなるのかな~蛸かな~烏賊かな~

 

 

コメント (2)

5月は月例の句会に行けませんでした。

2017-06-01 19:04:37 | 俳句・和歌

 

 

という訳で、俳誌は郵送で頂きました。

 

先生、お手数かけまして申し訳ありません。

 

さっそくですが、載せていただいたのは、

 

 

 

惜敗の球児を包む春陽かな

 

山吹に祖母の想い出七重八重

 

車イスの父ひこばえに笑顔して

 

春の水日ごと琵琶湖のふくらみて

 

昨年も、詠んだ句には「高校野球」や「桜」がありました(ーー;)

 

 

それから、数か月前にこの俳誌の「新人賞」に応募したのですが、

やっぱり、当然、見事に!

落ちました(^_^;)

 

「テーマを決めて、10句」 という課題でした。

 

1位~5位と次点、まったく入っていません。

 

高得点、入賞を目標にせず、俳句を…

 

と、何度も聞きましたが、欲望は払拭できませぬ。

 

次のチャンスを待ちますか(*^^)v

 

その10句の中の一部を

 

 

穴太積すき間も借りてすみれ草

 

幾光年岩の七星抱く春の闇

 

バレンタインチョコ宝石にするチャンス

 

 

やっぱり、入賞された方の句と比べれば…

落ちます、私…

益々の努力を です。

 

 

ちなみに、テーマに選んだのは「石」でした。

 

 

コメント (5)

直虎が竜宮小僧になる時十八

2017-06-01 18:02:04 | おんな城主直虎

 

 

第21回 「ぬしの名は」

 

舞台は「気賀」へと移りましたね。

 

先日、「気賀」にも行ってまいりました。

 

「おんな城主直虎」 このドラマゆかりの地がほとんど、

天竜浜名湖鉄道の「気賀駅」の四方八方にある事を知りました。

  

 

2017年5月、気賀の町は奥浜名湖の北側や、浜名湖に注ぐ「都田(ミヤコダ)川」に沿って

拡がっていました。

 

都田川~みをつくし橋

(この橋の近くに、大河ドラマ館がありました) 

 

  この川も戦国時代には、戦の舞台となっていて、

「堀川城址」があるのですが、徳川家康の遠州侵略を防ごうと、

気賀の人達が最後までここで戦ったと伝わります。

 

 

みをつくし橋(赤い橋)より右が下流で、浜名湖舘山寺温泉へ

左が上流で鳶ノ巣山を源として、「川名川」や「井伊谷川」が合流し、都田川となります。

 

 気賀・みをつくし直虎桟橋

遊覧船は、ここより浜名湖に向かい舘山寺温泉に至ります。

 

 

直虎ちゃんのイラストが♪ 

 

「みをつくし橋」はサイクリングロードの一部です。

細江町の町章の「みをつくし」が、輝いてます。

 

「みをつくし」 とは 「澪標」 そして「水脈(ミヲ)つ串」

港に近い川や湖などの水深のある部分を示すため、

この杭を並べて立て、船を安全な深い水路へ導きました。

 

そう言えば、水の都大阪もこのマークだったのでは?

 

「身を尽くし」と掛けて、万葉集などでも詠われました。

 

 みをつくし心尽して思へかもここにももとな夢(イメ)にし見ゆる

作者不詳

 

 

 遠近引佐細江のみをつくし我を頼めてあさましものを

(とほつあふみいなさほそえのみをつくしあれをたのめてあさましものを)

 作者未詳


 浜松市の引佐(いなさ)、細江、この辺りの地名です。

ほんとに気賀は話題に事欠かないんです。

「気賀関所」 「気賀宿」もあります。

当然、「おんな城主直虎」 大河ドラマ館も。 


  

私はJR浜松駅から、こんな1Dayパスを利用して気賀に来て、それから

直虎ゆかりの所をスタスタと、あるいはトボトボと歩いたり、鉄道を使ったり

 

 

 

 

気賀への途中、 とても気になったものがありました。

 

バスから景色を見ていますと何度も、「姫街道」 の標識がありました。

「本坂(ホンザカ)街道」 が元々の名前のようですが…

 

古い街道の松並木の名残りらしい松が、途切れながらも続きました。

その幹は大変太く、程よく、くねっていて趣のあるものでした。

 

あ~、昔の街道の雰囲気あるな~、と本物みた事もないくせに(^_^;)

1時間バスに揺られてようやく気賀に着きました。

 

この「本坂街道」、先史時代から本坂峠を越える浜名湖北側の道として存在してました。

 

中世には地震などで浜名湖の南側が通れなくて、代用として利用が増えたり、

 

近世には「東海道」が浜名湖の南側を通り栄えたので


姫街道(本坂街道)は廃れたりと、浮き沈みが激しかったみたいですね。


結局、東海道のサブ的な役割を担ってきたのですね。

今で言う、「バイパス」ですか?



この浜名湖ですが、元々淡水湖だったのですが、明応大地震により遠州灘の橋本が決壊して

海と繋がり、汽水湖となったのです。

それにより、水産物が豊かになりました。

 

 

浜名湖の北側にある天竜浜名湖鉄道「気賀駅」

 

天竜浜名湖線、プラットホーム

駅舎と共に国の登録有形文化財です。

 

 

フェンスもなく、危ないけれどいい感じです。

あ、でも、線路内でなくて、踏切りの外にちゃんと出てから撮りましたよ、

ほんとなんですから~

 

 

井伊直虎ブームで、駅舎も「赤備え」です♪

隣のラーメン屋さんも、ポストも…

 

この 気賀駅から 

大河ドラマ館→気賀関所→→龍潭寺→井伊谷宮→井伊共保出生の井戸→→

 

妙雲寺→渭伊(イイ)神社→天白磐座(イワクラ)遺跡→→浜松市地域遺産センター

 

→→天竜浜名湖鉄道・金指駅→遠州鉄道・西鹿島駅→JR浜松駅

 

こんな段取りで周りました。

 

 

ずい分のらくらした出だしですが、これからひとつひとつ思い出しながら

辿りたいと思います、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

コメント