kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

俳誌8月号が来ました

2022-07-31 12:55:00 | 俳句・和歌



鉢植え様に背が高くならないよう
改良したという桔梗です

暑い中、五輪一度に咲いてくれました

句会は、欠席者が3人
元々少ないので、淋しい会になりました

まがり角にこぼしたる白栗の花

誰が柏手響く鎮守の木下闇

病気見舞ゼリーに託す平癒の日

麦わら帽つば越しに見る青い空

夏空へ最後の一打一直線

孫の野球選手時代も終わりました
随分楽しみました🎵
こんなこともありました

孫は9回裏最後の打者で、三振😣
結果は残念でしたが
相手が強豪校だったので、
三振ゲームセット!の場面を何度も
ニュースで映してもらいました😅
家族皆で「らしい、らしい🤭」と喜びました(あなたらしいの意味です)

今年も間もなく、甲子園🎵
皆さん悔いのないように
応援しますよ~👏


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鎌倉殿の十三人

2022-07-29 19:09:00 | 鎌倉殿の13人
第28回 名刀の主

回が進むたびに、命を落とす人が出て、悲しい限りです

今回、クローズアップされた梶原景時
白なのか黒なのか?
得たいの知れない方ですね

この方、坂東武者出身やったかなあ?

始めの頃のこの方は?
探してみましたら、第5回に
相模の豪族、大庭景親の家来で
登場してました、平家側ですね

その後、「石橋山の戦い」の最中、
洞窟に隠れていた頼朝達を見つけたけれど見逃した梶原景時
ここで強い印象を残しました

後で、頼朝は神に見守られてる
景時はそう強く思ってたと言うてますね

梶原景時は相模の豪族で、
始めは平家側
大庭方として頼朝方と交渉に臨んだり、重要なポストだったみたいですが…

よく分からないですが、
あの、水鳥の群れが突如飛び立った
羽音のすごさで勝利した
富士川の合戦のあと、どのくらい経っていたのか、
景時は頼朝側に移り侍所の所司になってます

その後も、なんか、なんか、おかしいなあ~と思えるのですが、
とうとう鎌倉殿の十三人の中の
トップになってました

最後まで味方かスパイかと思い続けてます

無口で何を思ってるのか
スパイ的
何事にも厳しい
知識人
切れ者
心を開かない
友達つくらない
お世辞は言わない

色々書きましたが、根っからの武士で
不器用ですから…景さん😔

最後は金剛らに追わせた

忠臣は二君に仕えず

鎌倉での最後の時に言ってましたね

それと、私の勝手な思いですが
本当は京都へは行きたくなかったのでは?

後鳥羽上皇の元で何が楽しい!
そう思ったかもしれません

三谷幸喜さんは、皆、美しく散らせてあげますね~




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鎌倉殿の13人

2022-07-27 10:02:14 | 鎌倉殿の13人

第27回 鎌倉殿と13人

鎌倉殿「と」です「の」ではない
どういうことかな~

頼朝の突然の死
嫡男の頼家が二代目鎌倉殿に就任しました
政子と義時から、
あの因縁のおじい様のどくろを託され
覚悟を決めてねと念を押されました

そして、鎌倉殿として初めての
所信表明です
ずらりと並んだ御家人を前に
「私は父、頼朝の成し遂げたこと、
成し遂げられなかったことを引継ぐ
その上で父を超える!

自信ありますね
すると、比企能員と北条時政が
何やらもめ出した
取り決めの時は自分を通すようにと各々言う
何でも首を突っ込みたいのですね~

頼家が、ビシッと決めた、弁舌巧みです
「名ではなく力の有るものを登用する
はあ~実力主義ですね、頼家君


早速外部から事件を告げる書状が来ました
京より、
土御門通親暗殺計画発覚」
源頼朝の縁戚の一条家と縁のある御家人が捕らえられたという
上皇からは鎌倉が処罰せよ、とのお達し
文覚が関わってると義時からアドバイスを受けた頼家は
お裁きを上皇に丸投げした!
ヘエー!

結構、はっきりしてます、頼家君
それから、蹴鞠のトレーニングが始まった
頼家プロデュースでしょうか、
イケメンニューフェイスの6人

頼家の側近となった若き御家人が始めました
上洛を見越し朝廷との交渉に役立つからと

日本のバブル期、サラリーマンの必須課目「接待ゴルフ」の元祖かな蹴鞠は

さて次は、山積みの訴状が問題
今までの文官四名に粗方まとめてもらい、
頼家に提出、
彼の気を悪くしないよう
「最後のお裁きを~m(_ _)m」
と奉る
何だかね~

また、問題が起きた
比企能員VS北条時政の数取り合戦
今も昔も政は数、なのですね
シーソーゲームは取りあえず
止まりました
文官 4名
北条 4名
比企 3名
梶原 1名
そして尼御台政子の、推しです

「十三人目は、あなたです」

江間義時参入決定

頼家は自分が信頼されてないからこの人数になった
と、ご立腹だが、それだけで引く頼家ではなくなっていた

「私は騙されない
はなから信じてはおらぬ

紹介したき者達がいる
信じられるのは奴らだけよ」

頼家は若き六人衆を十三人衆に
紹介した

小笠原弥太郎
比企三郎
比企弥四郎
中野五郎
江間太郎(金剛)
北条五郎(時連)

「これより私の政はこの者達と行う
十三人とも切磋琢磨して
新しい鎌倉を築こうではないか」

生まれたばかりの鎌倉殿と十三人の間には壁がある

いつか、鎌倉殿の十三人と言える絆が生まれるといいですね


追伸: 幼い頃から頼家を見てるから
どんな気性か分かってる
と、義時の妻の比奈が言った

困った時ほど、助けてくれと
言えない性分なんですよ
木に登って降りられなくても
助けてくれと、言わなかった

あ~、しんどい性格かも
長男長女にありがち
違ってたらごめんなさいm(_ _)m



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ラジオ体操始まりました

2022-07-21 23:42:00 | 行事







ここ2年間、中止でしたが
夏休みのラジオ体操が再開です🎵
小学生と一緒にカードを管理人室でもらって
ラジオ体操第1と第2を
6年生っぽい班長さんが掛けよってカードにハンコをポン!
また明日です
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祇園祭山鉾巡行

2022-07-17 22:37:00 | 京都












長刀鉾です

祇園祭~見てきました
昨夜TVで見た宵山の人出に
これはあかん!密も密、これでは巡行も混んでるなあ
と、巡行観覧を断念していたのですが
今日になって、
やっぱり粽を返納しないと、もう3年経ってしまってる
ばたばたと用意し、やっと12時頃出ました

そしてまず粽の授与所のお旅所へ
無事受けることが出来ました

ほっとしたらせめて、
少しは見たいなと欲が出まして
四条通を西へ歩いて行きましたら、なんと
長刀鉾が新町通を曲がって四条通に出たところでした
四条烏丸の交差点で写したのがこの上の写真です
これならと、更に欲張って
新町御池の最後の辻回しの場所へ行きました
結局、半分以上の山や鉾を見ることが出来ました♪
全て帰り道を行く山や鉾でしたけど、良かった🎵

最後の船鉾は俄か雨に降られながら見たという次第です

予測不能の1日でしたm(_ _)m

以下順不同ですがあちこちで見た山と鉾です🎵

保昌山


占出山


鶏鉾

鶏鉾

菊水鉾

船鉾






厄除けの粽(八坂神社お旅所)


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昆虫さん、いらっしゃいませ2022/07/15

2022-07-15 11:43:38 | 生きもの


昨日、玄関先に居ました
「ゴマダラカミキリ」
だそうです
国産カミキリで町中にもよくいて、顎が強く
噛まれるとかなり痛いそうです
子供の頃、僕は昆虫少年だった~🎵
という方は1度2度、噛まれた覚えが、お有りかも😄

残念ながら、既に昇天なさってまして
5日間コクワガタが旅の宿にしていた朝顔の根もとに
埋めました…合掌🙏


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7月の満月

2022-07-13 19:05:58 | 四季折々に



7月14日3時38分頃から満月が見れるそうです
上の写真は昨日の夜中の月です
久しぶりに、お月さんを眺めました
まだ少し欠けているところがありました
オレンジ色がかってましたが
写せばそうでもない…🤔


ホームセンターで買ってきました
鉢植え用に改良されてるそうです
地植えの桔梗は、もっと背が高い
以前、地下茎と言うのかな?
それがだんだん無くなって行ったのです
虫か小動物が食べたのかなあ
今度は庭がないので、鉢植え用でちょうど良かった🎵
ちゃんと鉢に植え替えないと



くちなし、最後の1輪になりそうです
今年は土が痩せてしまって、花数が少なかった
可哀想なことしました

反省😞




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俳誌7月号がきました

2022-07-11 17:27:41 | 俳句・和歌

昨日の選挙
滋賀はダブル選挙でした
県知事への投票もしてきました

今までの選挙会場が工事中で、
ほんの少し遠い場所でしたので
地図を握ってキョロキョロ🙄

3枚の投票用紙に記入してきました
知事選挙は当初、立候補者が1人きりでした
そこで、無選挙はいけないと
他党が期日ぎりぎりで立候補されたそうです

ぎりぎりと言えば、私はいつも当句が〆切ぎりぎりで、
たまに、速達便にしたりで
何をやっても粗忽この上無しです😣

その駄句は、

切通暗き鎌倉落椿

枝揺るるところに揺るるさくらんぼ

厚化粧の令和バージョン鯉のぼり

歩道橋の真中に夏がやって来た


今年は久しぶりに祇園祭の山鉾巡行が執り行われるようです
うれしいです🎵
一句位はその俳句、詠みたいですが…






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記事を消してしまいました

2022-07-11 15:37:14 | 鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人の第26回の記事を
どうやら消してしまいました

あれこれ見ようと、
コメントを確か一件頂いてたはずなので
返信させて貰おうと思って
分からぬまま記事を削除したようです
スマホでのブログの操作がよくわからないのです
下書き保存しますか?
これが繰り返し出るので、その時消す操作をしてしまったみたいです
コメントを下さったしまそだちさん、
申し訳ありません
ここでのコメント欄に返事書かせて貰います、ご免なさい


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鎌倉殿の13人 第26回 悲しむ前に

2022-07-10 12:00:00 | 鎌倉殿の13人

( 悲しむ前に)


頼朝が亡くなりましたね
安倍晋三氏も、、、

このお二人が、かぶってしまいます
それぞれの世界で頂点に立った方


頼朝についていたのはあの時は安達盛長ひとり
安倍氏の後方の防備が見えなかったが

八百年以上の時が流れても…



悲しむ前に

近しい者が亡くなれば、ほんとに悲しむ間もなく
すべきことが押し寄せます
どなたも経験されていることかと
そして、少し落ち着いた頃に感情があふれてきます
時が変わっても、人の心は同じのような


頼朝の落馬をその場で見た安達盛長さんの憔悴しきった面持ちに、
ああ、この方は主君頼朝に心から尽くされた、
と、思いました

そんな心とは裏腹に、御家人達、
後継のことで頭がいっぱい
派閥を持つ方々も、これが脳裏に浮かぶ…

葬儀も粗かた済んだ頃、
義時の危惧していたことがほんとになり
比企能員と北条時政の対立が露わになった
それぞれ源頼家、 阿野全成を鎌倉殿の座にと簡単には引かない

そこで義時は
「あとは御台所のお裁きに委ねるしかない

と御家人達の前で言った
そして政子に、言った

「これからは姉上のご沙汰で
事が動くことも多々ありましょう
そういうお立場になられたのです」

これが、後の尼将軍北条政子へと歩み出した瞬間だったのか

もちろん、今までに
あ~、尼将軍光線が出てる!
やっぱり女帝やわ~
と、何度も思いました


母、政子の願いを聞いた頼家は
二代目鎌倉殿になる決意を固め
御所にて宣言した

「我らは偉大なる前の右近衛大将、
征夷大将軍の死を乗り越え前へ進むのだ!」


火葬も終わった頃、寂しげな父義時に
嫡男の頼時が言った
頼朝は落馬する前に馬上で気を失ったと、
肩の傷から推測出来ると
義時は少しほっとした顔になった

武士が簡単に落馬するということはとても不名誉なこととされていたのですね


義時はこの言葉で決断したのか
鎌倉を去り、
伊豆に退くことを決めた

政子は強く引き留めたが…


最近は富みに「死」を思います

近しい者の死は、ほんとに悲しい…


(パソコンのインターネットが繋がらず、スマホで書きましたが、全貌が分かりにくく、常以上にへんてこりんになっていると思います
乱文、乱れ打ち、お許しください)

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