kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

光る君へ(よ)

2024-05-26 01:33:14 | 光る君へ

*(じんのさだめ)陣定

*(じもく)除目

*「新楽府」しんがふ

意味が分からなくて久々に広辞苑を開きましたが

よけいにややこしくなりました(*_*;

20回 望みの先に

のちに「長徳の変」と呼ばれた出来事

政治の考えの違いとかでなく

伊周の恋のお相手の光子

花山院のお相手の儼子(たけこ)

ふたりは姉妹、兄は斎信で道長の友人

この姉妹の住む邸の前で

伊周と花山院の家来たちが戦い死者が出た

ざっくり言うとこういうことだが

この時代、戦などない時にこの戦いは

おおごとになったのでしょうね

そもそも伊周の早合点と隆家の過ぎた冗談

帝の一条天皇も激怒

中宮の定子にまで、その波は押し寄せてきた

伊周、隆家、中宮定子、高階貴子らへの制裁は?

藤原兼家から道隆へと繋いだ元関白家も相当危うい

一方、まひろの家族

まひろは中宮様に会いたいという思いが叶った

ききょうのおかげだった

「持つべきものは友」

更に偶然、帝と話す機会も得た

これは奇跡的なことでしょうね

帝に促されるままにまひろは考えを述べた

いささか口が過ぎたかもしれないがはっきり言った

「唐の科挙制度が我が国にもほしい」

まずは、帝は心よく耳を傾けてくれた

帝「そなたの夢 覚えておこう」

まひろは夢心地だったと思いますよ

そこから勢いが付いたまひろの家族の運命

父の為時は10年ぶりに官職を任ぜられた

更に

淡路の守任命だったのが越前の守に上がった

まひろに会った帝は道長にこんな事を話していた

帝「あの者が男であったら登用してみたいと思った」

これには道長も相当驚いた様子でした

道長の仕事も早かった

それが「越前の守に任命」だった

まひろさん、道長を見込んでの仕掛けですね~

それはまひろお得意の 漢詩の申し文

苦 学 寒 夜

紅 涙 霑 袖

除 目 春 朝

蒼 天 在 眼

意味は

『 学問に励んだ寒い夜は

血の涙が袖をぬらした

除目の翌朝

無念さに天を仰ぐ私の眼には

ただ蒼い空がうつっているだけ 』

父に成り代わり父の思いを詩にした

差出人は「為時」としたが道長も鋭い!

かつてのまひろからの漢詩の手紙と今度の申し文

その筆跡を鑑定して、一致!

道長はまひろの願いを叶えてやりたかった

お互いの気持ちは分かっているのに

一緒になることはなかった人の願い

今の道長なら叶えてやれる

越前の守に任命しましたね~

こうなると、いよいよ乳母のいとも為時も

まひろと道長にはきっと何かある

そう思った

父に尋ねられ

まひろも覚悟をしたように道長とのことを明かした

その上で、越前行きに同行する、と

為時にほっとしたような笑みが浮かんだ

親戚の宣孝の話で為時は過去に

ジョン万次郎のような冒険もしていた

それなら

越前の守もきっちり務めるに違いない

道長とまひろは避けているように見えて

頼っているし助けられている

赤い糸はちょっとやそっとで

切れないくらいに育ったぞ

ところで詮子(女院)への呪詛事件がありました

道長は姉の詮子が心配

倫子は家の中のことは自分に責任があるからお任せください

と言って、にこっと笑いましたら

道長が何か気付いたように

「あ・」

この道長のピンときたことって何?

呪詛を仕掛けたのは伊周と朝廷には伝わってますが…

真相はどうなんでしょ、だれが呪詛を?

コメント

詩吟教室に行きました

2024-05-16 19:48:08 | 光る君へ

 

あなたはどのタイプですか?

 

NHKの「100分de名著」の占いです

よろしければどーぞ♪

 

 

結果はこちら ⇩

如何でしたか

(?_?)

方向変えて2回しましたが同じ所に到着しました(?_?)

 

 

 

               

 

先日の詩吟教室で先生が

 

大河ドラマ「光る君へ」を見て何か気付かなかったかな、と

 

まひろと道長は赤い糸で結ばれてるなあ~と

思った第16回のことです

 

ドラマの1シーンが詩吟にあるとのことです

 

白居易(白楽天)の漢詩「草堂題東壁」

の一節にあるそうです、へえ~

 

 

「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」

こうろほうのゆきはすだれをかかげてみる

 

 

第16回目で、定子(高畑充希さん)がききょうに

『香炉峰の雪は?』

とたずねると

 

扇を広げているききょう

(この時まひろは居ませんでした)

 

ききょう(ファーストサマーウイカ)は立ち上がり

御簾をくるくると巻きあげて外の景色が

よく見えるようにした

 

にこっと笑った定子はききょうに

『白氏文集を読んでいるのか』

と聞く場面がありました

 

 

題  「草堂題東壁」 白氏文集より

 作・白居易(白楽天)

 

<>詩の意味<>

日は高く昇り眠りも十分とったのに

まだ起きるのがめんどうだ

この小さな二階家で布団を重ねているので

寒さもおそれない

遺愛寺の鐘の音は寝たまま枕を傾けて

耳をすまして聴き

⁂『香炉峰に白く積もった雪は

手を伸ばして簾を押し挙げて見る』

廬山は俗世間の名声から

隠れ住むにふさわしい場所であり

司馬という閑職も

老人が余生を送るにちょうどよい

心安らかで身も無事であることこそ

安住の地であり

どうして長安だけが故郷であろうか

 

 

漢詩を吟じる時は

日高睡足猶慵起

ひたかく   ねむりたりて  なお  おくるにものうし

小閣重衾不怕寒

しょうかく  きんをかさねて  かんをおそれず

遺愛寺鐘欹枕聴

いあいじのかねは まくらをそばだててきき

香炉峰雪撥簾看 

こうろほうのゆきは すだれをかかげてみる

匡盧便是逃名地

きょうろはすなわち これ なをのがるるの ち

司馬仍為送老官

しばはなお ろうをおくるの かんとなす

心泰身寧是帰處

こころゆたかに みやすきは これきするところ

故郷何独在長安

こきょうなんぞ ひとりちょうあんにのみ あらんや

 

 

この詩は白居易が46歳の時

江州司馬として左遷されていた時(817年)

香炉峰のもとに草堂を建て

その東の壁に書いた詩

枕草子にも出てくるそうです

 

(中宮定子が)

『少納言よ、香炉峰の雪いかならむ』

と仰せらるれば

(少納言は)御格子あげさせて

御簾を高くあげたれば、

(中宮は)笑わせたまふ

 

清少納言(ききょう)は正解を出しました

 

あの時のドラマの1シーンは

枕草子にも書かれた本当にあったことなんですね

 

この漢詩は「白氏文集」の中のひとつで

白居易(772年~846年)が

817年に書いたもの

 

日本に伝来したのは820年以降

遣唐使廃止の894年までの間あたりで

平安文学に大きな影響を与えたという

(以上詩吟の教本より)

 

「枕草子」「源氏物語」は1000年頃に書かれている

平安時代の女流作家は紙も筆も墨も

なかなか手に入らなくて大変だったそうですね

 

 

 

コメント (2)

光る君へ(か)

2024-05-12 14:12:34 | 光る君へ

 

 

第18回 岐路

 

七日関白と呼ばれた道兼の

ひとそれぞれ違う思いを持った

 

藤原道隆の息子の

伊周と隆家兄弟は死んでくれてよかったと言う

そして驚きなのがその母、高階貴子のことば

 

「父上がお守りくださったのですよ」

 

息子の非情なことばを否定してない

良妻賢母と思ってましたがとんでもhappen!

夫と共に残忍と認定したい

 

道長

 

道隆、道兼、道長の三兄弟の末っ子の

道長は立ち直れないほどの様子でした

 

兄上には幸せになって頂きたいと願い、支え、

道兼もようやく立ち直っていた矢先の死なんて

 

虚脱感にさいなまれていた

 

 

 

為時とまひろ親子

 

為時

「仇とはいえ、これでよかったとは思えんのう…

さぞや無念であったろう」

 

まひろ

「あの方の罪も無念も全て天に昇って消えますよう」

と琵琶を奏でた

 

 

 

道兼の死後一か月の間に大納言以上の公卿が

死に絶えた、とドラマの解説は言いましたが

 

ちょっとだけでいいので

お亡くなりになった方々にお悔やみを、とか

思いやりは無かったのかなあ~

 

さて次期役人の選出が急がれます

各派、動きが活発です

忠告してねじ伏せにかかる者

パーティ?宴?でもてなす者

 

ある日ききょうが中宮から頂いたというお菓子を

まひろの邸に持って来た

そしてこんなことを言った

 

道長は政は厳しく贅沢を許さない

公卿や女官に人気がない

権勢欲もない

道長は関白にはならないだろう

 

そんな噂があるんですか

 

まひろはききょうから聞いたことで

 

「あの人、人気がないんだ」

 

とひとり呟いてましたが、どんな心境なのか

 

 

平安時代、強い女性が多いですね

もっと昔なら

天照大御神とか卑弥呼とか神功皇后とか

 

 

いつ頃からか、女性は慎ましく家のことを

していなさい、なんてことになったのか

武家社会というのは男尊女卑の真っただ中

今もまだまだその名残はありますね~

 

 

 

「虎と翼」の寅ちゃんは大正から昭和を生きた人

お母さん強い

お兄さんのお嫁さん強い

寅ちゃんも強い!

ただ、社会に出ると

 

 

いつ頃からか私はずっと

生まれ変わるなら男性が、いい!

と言ってましたが、大間違いだった

女性でも男性と同じに出来る世の中が、いい!

 

この期に及んで気付きました

 

 

 

関白を誰にするか決めなければならない

苦しい立場の一条天皇

 

こっそり大臣たちのする噂話を聞いたり

妃の定子と話し合ったり

時には母である詮子(道長の姉)に

道長を関白に、と迫られたり

 

結論、道長を右大臣に命じた

伊周は内大臣のまま

道長が公卿のトップの座に就いた

 

 

道長には関白に就かせたかった一条天皇ですが

道長たつての希望で

 

政でのフットワークが悪くなるから辞退を」

で、右大臣止まりにしたらしい

 

あのお救い小屋を建てた時の様に

民の中に飛び込んで政務を進めたいんですね

 

かつてまひろに約束したことを

成そうとしているのでしょうか

 

 

月を見ているうちに道長は

かつてふたりが逢っていた空き家に行きたくなった

 

まひろも偶然来ていて会ってしまった

すう~っと目の前をまひろが通り…

去った

 

まひろの心のことば

「今はなにも言うことはない」

 

やはり、あの紫式部の和歌がうかびます

 

 

もしも話しかけたなら

どんな話だった

 

 

 

コメント

光る君へ(わ)

2024-05-05 16:49:57 | 光る君へ

 

 

第17回 うつろい

 

「行くな、もどってこい」

 

道長はまひろをこの世に呼び戻しました

 

気迫の看病でした

 

 

乙丸

けなげですね~

まひろを守る、そんな気持ちで身を尽くして

 

乙丸ほどまひろのそばにいつも居られる者はない

 

誰も知らないことも乙丸は知ってたりする

 

回復したまひろに乙丸は話した

 

悲田院でまひろが倒れたその時の一部始終を

 

 

「姫様がお倒れになった時

この屋敷までお連れ下さったのは

道長様にございます

ひと晩寝ずに看病なされて翌朝

お帰りになりました」

 

あの時まひろは道長に会ったような

気がしていたのだが、やはりそうだった…

まひろ、すこし笑みが

 

 

🌙 めぐりあひて見しやそれともわかぬまに

雲がくれにし夜半の月かな

紫式部

 

 

何度もブログに書いて申し訳ありませんが

この歌がこのドラマの核なのだ!

この先もこのようなことが起こるに違いない

 

なんて、えせ占いしてしまいました 深謝

 

 

 

まひろが回復したことは

百舌彦から道長にも伝わっただろう

 

まひろの父と乳母のいとは道長とまひろの中を

確かめたい

まひろはさらっと、はぐらかしたが

いずれ解るでしょう…ね

 

まひろの父上は、頭ごなしに問い正したり

叱ったりしない優しい父上ですね

 

私の父もそうだった

ひどく叱られたのは、私が母のことを

悪く言った時、その時一回だけでした

母に対してひどいことを言った私が悪かったのです

 

 

 

さて

悲田院を見た道長は

「お救い小屋」が必要だと

関白・道隆に申し出るが取り合ってはくれない

疫病はここまで来ないとまだ思っている

 

朝廷がほっとくと言うなら自分がすると

私財を投げ出すことにした

それを知った倫子さんも財の面で協力するという

 

道長は妻の太っ腹さに感心して

感謝を述べていた

 

ふところ具合がしっーかり太そうな倫子さんの

おかげを持ちまして

お救い小屋はなんとか出来るようですが

 

倫子は、道長の変化を見落とさない

 

穏かで優しそうな倫子さんですが

勘はなかなか鋭そうですよ

時折、キッと座る目つきが強い!

 

道長に三番目の女性がいる!

と予想した

 

火のない所に煙は立たない

 

 

 

関白・道隆

父兼家と同じような人格になっていき

995年 病死

最期は正気を失い穏かな死に様とは言えないなあ

関白の座に五年間就いていた、それが長いのか短いのか

 

 

次期関白争奪戦が始まる

 

藤原家は

詮子が道兼と道長を呼び寄せる

VS

一方は道隆の子供達、定子と伊周

 

この間で、次の関白争奪戦が始まったよう

 

ぎすぎす、どろどろ

明るいお話はないですか~

 

すると

もう、現れることは無いかと思っていた

さわさん

まひろの屋敷にやって来ました

 

けんかして帰ったあの日からの行いを

すべて誤った

 

まひろは何事もなかったように

また友でいることを拒まなかった

まひろは妹の様に接してくるさわに

清々しい可愛さを感じたのだろう

 

 

体調を持ち直したまひろですが

当分は悲田院には行かないのかな

感染の恐怖よりも、きっと

道長にまた逢ってしまうのがこわいのかもしれない

 

さわは前になんどもまひろからもらった手紙の文字を

写して手習いしていた、という

 

まひろは自分の書いたものが人の心を動かした

と気付いた

 

まひろは「何かを書くこと」

そのことに気持ちが集まった

何を書いていいのか今は分からないが

「何かを書くこと」

を始めようと思ったようだ

 

この気持ちが物語を書くことへと

まひろをいざなった原点なのか

 

常にまひろは何かを成そうと考えているような

 

向上心

ありますね、まひろには

 

令和の話

おととい遊びに来た息子に言われたのですが

「お母さんは向上心ないの?」

「え、ないなあ~」

 

そして、これから旧友と飲みに行くと

息子は帰って行きました

 

「向上心」かあ~

ん…どうでしょう

「現状維持」もママならぬ母にございます((+_+))

 

 

 

コメント