kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

大津市で俳句の会

2017-06-04 17:41:51 | 俳句・和歌

 

 

 

大津市でいちばん背の高い、大津プリンスホテルです。

滋賀県内では、二番かな?

薄さもけっこうな

 

一番は「フジテック・エレベーター研究塔」が170mです (彦根北部)

 

大津プリンスホテルはびわ湖畔にあります。

琵琶湖花火大会、見物するのに絶好の場所に建っています。

花火の日の特別ディナー、いちど行って見たいものです。

建物と一緒で、high、high!

 

 

6月3日、俳句大会に行って来ました。

会場は、このホテルではないんですよ。

近い所でしたけど。

 

お天気はいいし、それにあまり暑くなく最高でした。

 

俳句の結果は、サイコー♪ とはいきませんでしたが初めて聞くことが幾つかあって

 

今後に役立てなければもったいない。

 

投句は、あらかじめ郵送で3句、当日投句が2句でした。

 

当日句の互選や、すべての表彰式と、4時過ぎまで居ました。

 

当日句

 

父の日や「熱き心に」歌ってた

 

皆さんの中からおひとり選んで頂きました、1点獲得(^_^;)

選者の先生から、入選に選んで頂きました ヤッタア♪

 

帰りは、びわ湖の風景を満喫です

 

 

おなじみの遊覧船が浜大津港に帰って来ました。

 

後ろの山は、私の大好きな比叡山です♪

 

 

「石場津(イシバヅ)の常夜燈」

弘化2年(1845) に建立 高さ約8m

この辺りは江戸時代に宿場町として栄えた大津町です。

その東外れの「石場湊」は琵琶湖対岸の矢橋(ヤバセ)村(今の草津市矢橋町)とを

行き来する船の港でした。

本来の位置より、300m位置を移していますが、

 

 

 

台座部分に彫られた名前は、常夜燈建立に携わった人達の名前で、

近江、京都、尾張と各地の人達が関わったことが分かります。

この常夜燈、ほんとに大きいです。

対岸まででも、灯りが届いていたのでしょうか、

江戸時代、水上交通がどれだけ盛んだったかが伝わりますね。

 

 

 

たくさんの人出で、犬の散歩、ジョギング、ピクニック、釣り、

釣りの小舟、ヨット、遊覧船

勢揃い

 

私もつられて、ウォーキングコースを歩くことにしました。

 

この竜宮城のようなのは、滋賀県立琵琶湖文化館(1961~2008)

 

現在閉館しています。

竜宮城!と呼んで喜んでいたのを覚えています。

親に連れられ入館したこともあるのですが…内容は、覚えてないのです。

外観のインパクトは大きいです。この辺り通るたびに、目が勝手に探してた…?

 

 

遠く対岸に近江冨士(三上山)が見えます。

この山も、シンボル的存在です。

 

 

空にはトンビ

 

 

湖岸には白鷺?

はっきり分からないです。

しまそだちさぁ~ん、教えて~!

 

 

そして、沖には釣り舟、立ちあがって大丈夫かなあ

 

 

そうこうしてるうち、JRの駅にして、ひとつ越え、ふたつ越え、みっつ越え

 

びわ湖ホールから近江大橋を渡り終わる頃、

おなかすいた、足痛い。

 

 

イオンで一服、これまた人の多いこと。

そういえば、皆さんお給料がでましたね(*^^)v

いいですね、お買いもの。

 

私はこの間から、丸亀製麺の「釜玉うどん」が食べたいなあと思っていたのです。

食べました、さつまいもの天ぷらをオプションに。

 

『熱いうちに、玉子混ぜときましょか?』

 

何か分からんけど、お願いします♪

 

熱いうちに生玉子を混ぜておくと、よく馴染み、カルボナーラ風になるんですって!

 

いいですね♪ あまりカルボナーラ食べた事ないですが…(^_^;)

 

とにかく、おいしかった。

 

あとは、もう足が痛くて歩きたくないので、おかずだけ買ってバスで帰りました。

 

バス停に行くなり、目指すバスがピタッ!

 

これが、この日のサイコーの出来事でした。

 

本日歩数計は 15,614歩  9.36km   144分 

足痛い度は計測不能 

 

おしまい

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時十九

2017-06-04 12:56:10 | おんな城主直虎

 

 

またなのですが、

 

ちょっと、ドラマをさかのぼらせて頂きます 

 

駿府での鉄砲の商いがせっかくうまく行きかけていたのに、

瀬戸方久は今川氏真に断られ、愕然。

 

と思いきや、早いです、立ち直りが!

方久曰く 

『これからは 気賀の時代にございます。』

 

井伊で織った綿布の商いを気賀でしようと提案しました。

そうなんですよね、綿の栽培、綿布の機織り、

方久さんのひと声のおかげですよね、功労者です♪

 

でも、綿布だけではやはり商いが小さすぎて井伊谷を維持するには…

ここでまた、方久さんがワンポイントレッスン。

 

『木を切り売るのでございます。

今はあちらこちらに戦場がございます。

焼かれた城もあれば、新たに建てる館も山ほどあると…』

 

直虎は、

『井伊は材木を商うつもりじゃ。

その木を切る役目をそなたらで請け負うきはないか』

 

以前、あっという間に木を切り泥棒していった、謎の旅の男に話を持ちかけ

話を承諾させてしまいました。

直虎さんもなかなかやりますね~♪

世は戦国時代、直虎は策士ですね。

ただ、策士と言っても戦の策ではなくて、井伊谷の村を栄えさせ、保つための策略。

すごいなあ~

 

 

これから、商いを展開する町、「気賀」

浜名湖に面していて、水上交通も発達していて、

更に、ここは武家が治めていなくて、商人が領地を治めるのを今川から

許されているという、この上ない土地でした。

 

東海道もあれば、姫街道(本坂街道)という東海道の脇街道になる道もある。

気賀の「中村屋」という大商人は、方久と親しい。

 

中村屋与太夫さん、

『はいっ 分かりましたっ

といいお返事されてましたけど、どうなんでしょう。

 

ただ、気賀関所で見た展示に「中村屋」さんは本陣の主人として実在人物とか。

気賀関所をブログにする時、しっかり調べなくては。

 

話が横道に反れました

 

さて、気賀での守備は万端、これで井伊谷も安泰

 

となればいいのですが、さて本日、どう展開しますやら

楽しみです♪

 

 

気賀でいちばんに訪れたのが 「大河ドラマ館」

館内は一部を除き写真撮影禁止で、

少ない画像ですが、

 

 

 

入場口では、駐車場の交通整理、近くの見どころや、アクセスの案内

記念写真のお勧め、などなど、 甲斐甲斐しく努めておられました。

皆さん、法被来て赤備え 

 

 

ホールのフロント 

 

 

井伊家の祖、共保は井戸の中から生まれたという伝説の井戸

 

この中に、おとわ、亀の丞、鶴丸の顔が、井戸を除いてるように映像で浮かぶのですが、

それは、写真撮影禁止!で、残念でした

 

 

パネルですが、美しい直虎さん

 

 

同じく、政次さん、不思議なお方

南渓和尚が

『あいつも浮かばれぬのう~』

とおっしゃってましたね

浮かばれる日が来ることを祈りつつ、私がついてますよ

 

 

 

次郎法師時代の、墨染姿、こちらもよく似合っておられます

 

 

あっけなく、亡くなりましたが、井伊直親さん

皆の悲しみをよそに、なんと!

隠し子現る!?

 

 

 

ドラマ館のこの空間は井戸を中心に、神秘的な色を放っていました。 

井伊谷は、水の国なのですね

 

赤い法被で赤備えの係員さん

壁に展示の資料パネルの撮影はNG

井戸の中も3人が移っている時はダメ!

ご指導のもと、写してきた画像です、すべて

 

 

 ドラマ館、裏手

龍潭寺⇔ドラマ館のシャトルバスの乗り場があります。

ここを、向かって右手に行くと 「都田川」と「みをつくし橋」があります。

 

「気賀関所」

うなぎの香りに誘われて、行って来ました。

 

つづく

 

 

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