kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

センバツ出場校

2018-01-30 12:20:30 | スポーツ

 

(彦根東高校と近江高校が合同で出した号外)

 

 

第90回選抜高校野球大会

この21世紀枠に滋賀から膳所高校が選ばれました

そして更に、彦根東高校と近江高校、合わせて3校がセンバツ出場です♪

 

快挙ですよね

 

21世紀枠の膳所校ですが、県内屈指の進学校で

学業最優先、授業時間は長く、練習は短時間、

週末に琵琶湖岸の砂浜を走ったりして、基礎体力向上に励みます

 

選考委員会には、こんなことも報告しました

それは、「ID野球」

野球部には分析担当専任部員2人が、置かれています

ひとりは女性部員♪

昨年の4月に監督さんが募集し、新入生2人が決まりました

女性はデータを集めます

公式戦の打者の打球方向をチェック、各校のデータ収集

男性はデータ入力~プログラミング

おそらく出場校選考委員会の心に届いたと思います

 

3月23日の開幕まで、怪我をしないよう練習に励んでほしいです

 

うちの水仙も、細い葉を伸ばし始めています

春はまだまだ遠いけれど、確実に近づいていると思える日でした♪

 

 

 

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じゃっどん、西郷どん2

2018-01-28 15:58:12 | 西郷どん

 

じゃっどん 西郷どん

 

調所広郷様は、いけなもんや

 

 

でもね~ 西郷どん

 

調所広郷(ずしょひろさと)様は、なんということでしょう

 

もしかしたら、島津藩財政改革の犠牲者かもしれませんね

本人には不本意ながら改革のために振るった大なたが、すごかった

 

そもそも、藩がそんなに困窮してしまったのは、

八代薩摩藩主・島津重豪(しげひで)の贅沢な生活にあったらしい

 

重豪は蘭学を始め、西洋文化、中国文化などに傾倒していた

藩校を設置したり、薬草や鳥の本の刊行もしている

そこまでは悪くないです

 

ただ、革新的な政策も、そりゃあ先立つものはなんたってお金、当然ですわ…

それで藩の財政は立ち行かなくなり、借金が膨れ上がる

晩年、重豪はようやく財政改革に取り掛かった

その時、重用されたのが下級武士の、「調所広郷」だった

 

やっと、調所広郷さんのところへ戻れました~((+_+))

 

その時、藩にはなんと!

 

五百万両の借金があったとか

 

現在のお金にして、????? 

  

それで調所広郷は、仰天の策に出た

 

商人に強引に、借金を無利子で250年の分割払いにし、

さらに行政改革、農政改革、財政改革を行った。


二百五十年ローン? 踏み倒しじゃなかですか!


これにより天保11年(1840)頃には、財政は回復した

この改革の取組みには、清との密貿易、近郊の島の砂糖の生産などがある

ちょっと、聞き逃せない取り組みですけど…

 

せっかく財政を持ち直したのに、今度は島津斉興(重豪の孫)の後継者争い

 

島津斉彬 VS 島津久光&斉興

この時、調所広郷は久光&斉興側を応援

理由は斉彬も重豪(しげひで)のように西洋文化大好き♪ でお金を使いすぎるかも

と考えたためだった

 

方や、斉彬は幕府老中の阿部正弘と共に、薩摩藩の裏を暴いた

密貿易(琉球を拠点に中国との中継貿易)が幕府に知れて、

調所広郷は老中阿部に糾弾され沙汰が下ることになった

 

その時、調所は

”これらは一切我が主とは関わりなきこと

一切の責めは、こん調所広郷にありもす”

 

嘉永元年(1848)12月 薩摩藩邸にて調所広郷はすべての責任を負い自殺した

 

 

更に、西郷どんが、師と仰ぐ「赤山靱負・あかやまゆきえ」

斉彬派である赤山に、斉興から切腹の沙汰が下りた

 

ドラマではこの辺りまで進んでいたと思います

 

”今宵はここらで良かろかい” と、西田敏行さまが、言っちょりもした

 

私もここらで、

あいがとさげもした~、ほんならね~♪

 

 

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新年句会

2018-01-27 00:36:30 | 俳句・和歌

 

 

24日は、我々の小さな句会、今年初めてで、新年会も開きました

 

いつものように、考えてきた3句を互選します

 

「筆始め」 が兼題

 

自由句も新年らしいものが多く、おのずと賑やかな句会になりました

 ま~、後から新年会で、美味しい料理とお酒が待ってるから…ってことかも(#^.^#)

 

今回の最高得点者には、先生直筆の色紙が頂けます♪

 私はまた外れまして、残念…

 

 句会、新年会、同じ場所でしました 

 

お店のバスが、JRの駅前へ迎えに来てくれまして、

 約、30分ドライブです

 

 

草津市の隣、栗東市(りっとうし)まで、バスの中から比良山が見えました

 

 

栗東といえば、全国的に有名なのが

「JRA栗東トレーニングセンター」ではないでしょうか…

甲子園40個分と、とにかく広いみたい

 

・トラック調教コース

・1,085mの坂路調教馬場、

・競走馬スイミングプール、

・さまざまな調教施設

・約2,000頭の競走馬を収容するための馬房、

・競走馬診療所、調整ルーム、事務所棟などの事務施設

 

コースは、芝、ダート、ウッドチップ、ニューポリトラック、とありまして

競走馬の育成、関係者の生活の空間と、とても充実した施設と聞いています

一度、入って見たいんですけどね~

 

 

そもそもここは、競馬の人気の高まり出した頃、

各地の競馬場が手狭になり、トレーニングセンターの建設が必要となったことで

長い誘致の期間を経て、ここ栗東に決まったのでした(開場は1969年11月)

 

中央競馬、阪神競馬、京都競馬の人馬が3年ほどの間に栗東に集結しました

その後も施設は充実を図り続けているとのことです

 

句会のはずが、競馬の話が長くなりました<(_ _)>

 

もひとつ話が反れますが…

お店の近くに「九品の滝・くぼんのたき」という地元では有名という滝に寄りました

 

お店から歩いて5分、昨日は、たいへん寒い日でしたから

 

ええ~(ーー゛) と思いましたが…

 

 

 

 

九品(くぼん)の滝

 

 

 

江戸時代中期、九州島津藩の側室だった人が、

この滝の近くにある観音寺に尼として住み、

時折、この滝の浄らかさに魅かれて訪れた時に


” 井上の滝の響きはさながらに九品浄土の楽とこそきけ ”


と言う歌を詠みました



この滝の音のすがすがしい響きは、さながら極楽浄土の美しい音楽を聴く思いである


 九品とは、仏教の言葉で、

観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)というお経に書いてある往生の仕方で、

上品・中品・下品という分け方と、上生・中生・下生という分け方があり、

この組み合わせを九品というそうです。

この滝は上・中・下の三段に分かれ、さらに幾筋かのせせらぎとなって流れて行きます

 

 

 この日の朝、今冬一番の冷え込みでした

滝はまだ凍っていませんでしたが、川となってちょっと離れた所は水しぶきが凍っていました

 

 

 

ピンボケですが、冬いちご、だそうです

 

 

 

寒いので早々にお店に引き返しました

 

お店の名前は「ごきげんさん」

 

ここは、囲炉裏焼きが、名物だそうでして

部屋の中には中央にど~んと囲炉裏がしつらえてありました

灰がしっかり入っていて、自在鍵が下がっていました

 

こちらは何をいただけるのか、わくわくしますが、お店の方は大変です

火加減、焼け具合をひとりで見なければならないのですから

うるさい初老11人はいるし、お察しいたします

 

 

岩魚と桜風味の生麩と赤こんにゃく、

柚子の中味をくりぬいて酢味噌とよもぎ麩の入ったもの

これらをいろりで炙っていただきました♪

 

 

 

 

他に前菜、近江牛、お造りなどがあり、どれもおいしかったです♪

お酒好きが、多いんです、よく飲みました

 

いつもより更におしゃべりが弾みました

先生が、

句会は句を作るばかりでなく、違う人生を歩んできた人の話を聞けるのが良い♪

と言って、喜んで下さいました♪

 

今冬いちばんの寒さの中を、思いがけなく滝見物をしたりして

なかなか結構な新年句会でございました<m(__)m>

 

 

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じゃっどん、西郷どん

2018-01-25 16:06:18 | 西郷どん

 

 

じゃっどん、西郷どん

 

薩摩言葉が分かりもはん

 

 

でもね~西郷さん

 

薩摩言葉が分かりません

 

という意味なのですね

 

西郷どんは、よかにせどん、なのですね♪

 

 

 

NHK大河ドラマ「西郷どん」 

 

薩摩言葉が分かりにくいこともあり、なかなか流れがつかめません

 

 

 

江戸幕府の屋台骨が揺るぎだした時、

薩摩も、何か変化が起こり始めたのですね

 

厳しい封建制度のなかで、貧富の差が大きくなってきていたのでしょうか…

我が境遇を顧みず、民百姓のための平穏を求め、

敬愛する島津斉彬に、付いて行こうと動き出したのが西郷どんなんですね

 

 

黒船来航、和親条約、尊皇攘夷、開国鎖国、大政奉還、無血開城、王政復古、

四文字熟語の羅列みたいですが、この間、西郷どんはどのように動いたのでしょうか

 

 

実は私は幕末の話の中では、坂本龍馬ファンなんです

西郷隆盛が、龍馬を斬った、という説を聞いたこともあり、

西郷さんはあまり気に留めなかったんです

じゃっどん、

大河ドラマで、これから約一年間、取り上げられるのでしたら、

ついで、といえばあんまりですが、見つめて行こうかと思い始めてます

 

今まで、毎年ではないものの、龍馬伝、江、真田丸、おんな城主直虎、と

ブログの題材にしてきました

「おんな城主直虎」では、直政が元気に戦に向かうシーンで終わりましたが、

それから、井伊氏の何代かが過ぎまして、

西郷どんの輝いていた時代に、「大老・井伊直弼」が出てきますよね

 

繋がってるなあ~当たり前ですが(^_^;)

 

今回も、NHKさんに内緒で使わせて頂きとうございます<m(__)m>

 

と、大きなこと言っちょりもす

いらんこつ、言っちょりもす

じゃっどん、いっぺこっぺ、きばりもすヽ(^o^)丿

 

 

調べたばかりの薩摩言葉ですが、正しいか、どうか、自信がありません

そこは、大目に見てやってくださいませ~(T_T)

 

 

錦江湾に浮かっちょる桜ん島はまっことよか眺めでごわす

 

いいことばですね♪

 

 

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道頓堀

2018-01-22 17:48:25 | 散策

 

久しぶりに日帰りバスツアーで大阪に行きました

 

寒い時期だからなのか、遠出でなく大阪市内をポンポンと周る、一日でした

 

あの日、夜のうちに積もった雪は、家の近くで6cmくらいになっていたと思います

 

事故など起きないようにと思いながら車窓からキョロキョロ見ていました

 

 

滋賀から京都(南部)に入る手前までこんな感じでしたが、

長いトンネルを抜けるとそこは、雪のかけらもありません

わずかな移動で差がつくのですね

 

これでは期待している「雪の大坂城」は先ず、無理だろうと、思いつつ…

 

 

大阪の街は、カラリとしていました

思いがけず見つけた、「井岡弘樹ボクシングジム」

あの、一世風靡したボクサー井岡弘樹さんですね

 

看板をよく見ると、ダイエットという文字もあります

ボクシングでダイエットね~?

痛いダイエット法なのかな?

 

しゃぶしゃぶの昼食のあと、

 

あっという間に、目的の道頓堀の角座まで来ました

ここで、漫才と落語を見ました♪

 

 

 

朝ドラ「わろてんか」の寄席のような所を想像していたのですが…

 

今風の簡易的な小屋に見えました 

昔はこの辺り、演芸館がいくつもあったと聞いてますが、今はないですね

若者の好きそうな、食べ物やファッションのお店が多かった

 

角座で、 

桂咲之輔さんという噺家さんはアクティブに熱演、細い方なのに

一度、見て下さい、面白いし、その動きにびっくりしますよ

とにかく一席終えて、くたくたみたいでした(^^♪

そりゃそうでしょねあの動きなら(^_^;)

 

他に、漫才、三組、まあまあやな

 

道頓堀を通りましたが、やはり外国の方多いですね~

観光客多いです

 

日本橋の上でバスを待っていると、堺筋向かい側に大きな石碑が見えました

 とても古そうなので見たかったのですが

大通りを挟んで向こう側なので分かりません

取り敢えず写真だけ撮っておいて、帰ってからしらべようかな、と

 

 

どうやら「道頓堀」に関わる石碑だったようです

 

 

1585年(天正13) 豊臣秀吉の命で大坂城の西惣構堀として東横堀川が開削された

(1594年開削とも言われるが大阪市最古の堀川)

 

1612年(慶長17)~

大阪冬の陣の和睦の際、埋めた東横堀川と西横堀川を結び、堀川を開削する計画が始まる

夏の陣で、大坂城の落城のすぐあと、掘り返す

同時に、掘り止めから西へ、新しい堀川が開削される

 

この時、安井道頓という人が、新川奉行となり、開削に尽力したが、大阪の陣で戦死

あとを、従弟の安井道卜(どうぼく)や安藤藤次らが引き継ぐ

 

1615年(元和元年) 

新川が完成

この時の大坂城主、松平忠明が、安井道頓の死を悼み、また

莫大な私財を投じおこなったことや、功績に対し新川の名前を「道頓堀」 と命名した

 

大阪の陣のあと、道卜は開削工事の再開の認可を徳川から受けたが、

徳川方からの人夫提供を断り、自らの手で百姓を集め、私財を投じ工事を完成させた

新しい堀川の両岸の開発も行い、町を整えた

その名前に「宗右衛門町」、「九郎右衛門町」など、安井家出入りの百姓の名前をつけた

 

 

思うのですが、大坂の人達は、大坂城が徳川に落とされても、徳川の時代になっても

豊臣を忘れなかったし心で尚、支持していたのだと思います

その気持ちが、徳川からの工事の援助を拒んだのではないでしょうか

 

彦根でも、豊臣方の残党は最後まで抵抗し、自ら命を絶った者もいたと聞きます

彦根でさえ、そうなのですから大坂城下の人々なら尚のことだったのでは…

今でも、大坂城は豊臣のもの、という感覚がありますもの

 

 

道頓堀近くの日本橋北詰に建つ大きな石碑は、

安井道頓、道卜の功績を讃える、紀功碑なのでした

 

道頓堀川と、その横の繁華街、道頓堀に

こんな由来があったとは、

大阪の街はやはり、大坂城と切っても切れない縁があるようです

きっとまだまだ、あちこちにあるのでしょうね♪

 

 

そして最後に立ち寄った大坂城

雪の大坂城ではなかったですが、

下層部は白壁(徳川式)、最上層部が黒壁(豊臣式)

1930年~1年かけて市民の募金150万円によって天守を復興した

黒壁に、金の虎、まるで阪神タイガースのお守りみたいです、知りませんけどね…

 

 

 

「真田丸」の放送の頃来て以来です

また、きれいになった?

 

 

 

内堀には、キンキラキンの船に、たくさんの人が乗船していました♪

 

「大阪城御座船」

「豊臣期大坂図屏風」 (オーストリアのエッゲンベルク城所蔵)

に描かれていた秀吉の「鳳凰丸」を参考に再現されたもので、

なんと、一隻に金箔3000枚使ってあるとか!

やっぱり、秀吉やわ…

内堀を約20分周回するそうですよ♪

 

 

ここ、大坂城を最後に帰路につきました

滋賀では雪がかなり積もっていたので心配していましたが、

大阪は雪もなく往復とも道路はスイスイ

予定通りに帰れました 

今回は、ちょっと物足りない…

それくらいがいいのかな?

 

あ~どこか行きたいな

 

 

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てんやわんやの新年句会

2018-01-18 18:56:17 | 俳句・和歌

 

 

先日、句会の新年会がありました

全体の句会ですので、人数も多く、京都の料理旅館でありました

私はこんな高級なお店初めてでした

 

この日ですが、センター試験の日だったのです

 

若人たちは、一世一代の大勝負、大事な日なのですから、

 

天候や突発事故で交通網がマヒするようなことはないようにと思いました

 

私が出かけた(滋賀→京都)時間は9時過ぎでした

もう、センター試験を受ける人達は各試験場に入っているはずです

 

この辺りは幸い、雪も積もってないし私もスイスイ行ける、と思ったのですが

駅に着くと、現在電車は緊急停止したままだと、放送していました

 

どういうこと?

 

よく聞くと、緊急停止信号が出たとか、

よく分かりませんが、要は私の乗りたい電車は今のところ

何時に来るか分からん!

センター試験の若人達大丈夫だったのでしょうか?

 

どうする?

 

何かよい方法はないかと考えましたが、ありません

電車を待つのが早かろう、と判断しました、自分勝手に…

 

そのうち、30分後に電車が動くと放送があったので、

会の役員である先輩に電話をしました

 

めどはついた、落ち着こうと思いました

京都駅からタクシーに乗れば、ギリギリで着くだろうと

 

ほとんど乗らないタクシーを奮発したら乗り心地よかったあ~♪

 

到着したらとにかく平身低頭で、会場に入ろうと思いました

 

ところが、会場は始まるどころか、半分も人が集まっていないのです

 

結局、皆さん滋賀方面からですし、遠い人なら三重県と滋賀県の境からだとのことでした

 

50分くらい遅れたでしょうか、新年会は始まりました

 

段取りはちょっと変わったものの、会は楽しく進みました

 

前もって提出した、新年の句の互選、表彰もありました

 

じゃんけん大会がありまして、これがなかなかどうして、

 

盛り上がるもんですね~

 

私はとにかくじゃんけんに弱いのですが、

 

この日は、なんと、勝ち続けました♪ 

 

どうなってるの? これで今年の運を使い果たしたんではないでしょうね

 

なんて思いながらもじゃんけんの景品をいただき、お開きとなりました

 

ビールを頂いて、他の句会の方達とも交流できたし、いい気分で会場を出ました

 

電車もダイヤ通りになっていたし、

俳句の互選では入賞は出来ませんが6票いただけたし、

私としては、まあまあやな(#^.^#) と思う、初句会でした♪

 

 

さあ嫡男あとは頼むと年の酒   koh

 

 

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西郷どん

2018-01-17 18:04:33 | テレビ番組

 

 

” 錦江湾に浮かっちょる、桜ん島は、まっことよか眺めでごわす ”

 


数十年前に、これが薩摩弁ですよ♪ と教えてもらった言葉です

 

高校生の時、修学旅行で九州に行った時のことです

 

「宮崎交通」という会社のバスに乗って、別府、高千穂峡、阿蘇山、長崎鼻、

 

青島、池田湖、仙巌園、桜島などなどを周りました

  

エッ? なぜ今頃そんな古すぎる話を持ち出したかッて?

 

それはですね、NHK大河ドラマ「西郷どん」 を見て

 

正直ストーリーより、ドラマの中に飛び交う薩摩弁に気を取られっぱなしだったもので

 

それで、はるか昔の九州旅行を思い出したのです

 

一番初めに書きました、この言葉、宮崎交通のバスガイドさんから、

 

観光案内の中で教えてもらったものなのです

 

おそらく、桜島へ行く時に教えてくださったものかと、

 

旅行の思い出の中でも、一番印象深く残っています

 

その時のクラスのメンバーも覚えているかなあ~

 

そして、ドラマでは「磯のお邸」と言っていたかな?

 

あのとても広い庭のあるお邸、どうも見覚えがあるのです

 

そこで、書棚から、すっかり日焼けしてしまったアルバムを出して見ました

 

 

このとても大きな灯籠

仙巌園・せんがんえん(磯庭園)と自分でアルバムに書いてました

何かが笠の上に乗ってますね

 

 

そして、教えてもらった言葉どおりのいい眺め

 

 

桜島に船で向かっているところです

 

 

桜島に上陸して、バスで溶岩道路を走りました

蒸気が出たり、硫黄臭かったのを覚えています、地面が黄色かったことも

 

 

こちらは、城山から見た桜島、と書いてました

城山に行ったのは覚えてないなあ~

 

 

別府観光を最後に、フェリーで京都に帰っていたのですが、

担当のガイドさんは、港で見送ってくださいました

 

この方、宮崎交通のガイドさんで、私達は「むっちゃん♪」

 

と呼んでいましたが、フルネームは思い出せません

 

憧れましたね~

 

 

 

日焼けして、見苦しくなったアルバムを、失礼いたしました<m(__)m>

 

このアルバム、驚いたことに日程に沿って写真を貼ったようで、

 

更にひとこと説明を入れていました

 

今の私にこんな几帳面さは残っているだろうか…

 

修学旅行の初日に行った、鹿児島、写真を見ると断片的に、思い出します

 

今、地図で見ると西郷隆盛の出生地の近くに行ってたみたいです

  

仙巌園は、覚えています

 

広くて、灯籠が大きくて、シュロだったか?南国風の木も見ました

 

今年の大河ドラマは、ここから始まりましたね

 

どんなドラマになるのか、今しばらく見てみたいと思います

 

が、感想文が書けるかどうかは…???

 

 

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山は雪

2018-01-12 15:47:56 | 四季折々に

 

 

伊吹山です

かなりズームしました

岐阜県との境に位置しますから、ここ草津市からは相当遠いです

なので、こうして見ることが出来るのは、稀なんです

前回見えたのも去年のいつだったか…?

忘れるくらい以前でしたよ(*^^)v

 

琵琶湖は周囲を山脈で囲まれています

 

琵琶湖の東は伊吹山地から鈴鹿山脈へと続きます

伊吹山(1337.3m)の南に関ヶ原がありここで一旦低くなります

こういった谷地形のせいか、冬には米原から関ヶ原にかけて

突発的に、大雪が降ることがありまして、俗にこれを「ゲリラ吹雪」

なんて呼んでます

 

あ、ここ琵琶湖検定に出ますよ!

知りませんけどね(^_^;)

 

でも、米原~関ヶ原この辺りは名神高速道路、東海道新幹線、東海道線と

交通の大動脈が走ってる所です

以前私も、名神の米原に近づくほどに見る見る雪が積もり、

にっちもさっちもいかず、米原のインターチェンジでUターンして帰った

怖い思い出があります

大渋滞にも巻き込まれました

大きなトラックがスリップしたらしく、どないかなってしまってたのも見ました

 

 

そして、その伊吹山地の南に鈴鹿山脈がど~んとあります

 

 

一方、琵琶湖の西は北から比良山地~比叡山と続きます

 

比良山からは、「比良八荒」と呼ぶ局地的な風が吹き降り、

大きな影響を及ぼしています

これを「比良八講あれじまい」と言います

 

比良八荒は天台宗の行事「比良八講」の頃に比良山から吹く風をいい、

日にちは3月26日で、本格的な春を告げる風とされています

 

比良八荒に限らず、湖西は風の強い時が多く、

その時はJR湖西線が運行中止になることが、よくあります

 

琵琶湖はこのようにそれぞれの山から、冬、風が吹き気温が下がり

湖水もうんと冷たくなります

寒いのは困りものだけれど、しかし、これがないと、

琵琶湖に棲む生物にとっては死活問題なのです

 

「琵琶湖の深呼吸」。。。。

冬になると、表層の水が冷たくなり、表層と深層は密度に差がなくなります

そのおかげで、湖水は上下によく混ざり、湖底の酸素濃度があがり

たくさん、酸素が供給されるのです

これが、琵琶湖の深呼吸なのです

 

今週は、ほんとに寒くなりました、強風もなかなか止みません

これが、琵琶湖の深呼吸を促してくれるといいのですけどね

そしたら、美味しい鮎、もろこ、しじみ、などが沢山いただけるんですから♪

 

しばし、寒さもこらえましょ(^^♪

 

 

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鏡開き

2018-01-11 15:48:27 | 四季折々に

 

1月11日になりました

 

暦には鏡開き、蔵開き、とあります

 

子供の頃は、1月15日だったと思うのですが…

 

いつの頃からか、暦もカレンダーも、TVのニュースも11日だといいます

 

従順な?私は仕方がないのでそういうことにして、今では

 

鏡開きも、注連縄を片付けるのも1月11日にしています

 

数年前のことですが、1月11日は松の内の観念で暮らしていたので

 

注連縄は飾ったままでした…、が、気付くと注連縄が玄関の扉から無くなっています

 

ええッ?と驚きましたが、あとで分かったのが

 

町内の役員さんが、どんどがあるのでと、持っていったのでした

 

私、引っ越ししてきたばかりだったんですね~

 

15日とばかり思っていたので、なんか嫌な気分になりました

 

 

あれから、約10年

 

 

鏡開きは今朝しました♪

 

プラスチックで覆われてるので、ある意味「…開き」という感覚が出て来ます♪

 

作り物の橙やなんかの付いてないのは三段の鏡餅しかありませんでしたので…

 

三段全部くっ付いているので、各段ごとに切りました

 

アッ、切る、はいけないのですね、開きました、ですね

 

おぜんざいにしました♪

 

小豆からでなく、あんこから作った手抜きのおぜんざいです(^_^;)

 

井村屋のぜんざい、おいしかったです

 

 

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新学期

2018-01-09 16:03:08 | 四季折々に

 

 

1月9日、今日から3学期の始まる学校も多いかと思います

 

この辺りの小・中学校も今日から新学期

 

さあ、進学に向けラスト・スパートですね

 

3学期はとにかくお天気が悪く、大切な受験の日に寒波がやって来て、

 

交通網がむちゃくちゃになることが多いですね

 

なんとか対策はないのでしょうかね~

 

今年は大丈夫でしょうか?

 

なんとか冬将軍には、おとなしくしていてほしいです

 

 

今日の、草津のお天気は、

 

朝から日差しはあるものの、ものすごい風で、ベランダに出ると

 

洗濯物、もろとも、体も風に持って行かれそうで怖かったです

 

その日差しも、つい今しがた、3時かな?

 

比叡山とそこに続く山々から突風と共に、雨、あられが低く迫って来て、

 

琵琶湖を過ぎ、地面をなめるかのように東へと進んで行きました

 

今は、まだ風がガタガタ言ってます

 

日差しは少し回復、雨やあられも治まっていますが、山々はまだまだ降るのでは…

 

昨日聞いた天気予報は、当たり! でした

 

朝から、ちょこっとずつ写真撮っていました

 

朝、8時頃の比良山

 

同じ時間の三上山(近江冨士) 

 

 

3時に押し寄せてきた雨雲雪雲 

 

そのさ中、雲の薄い部分から、太陽の光が

 

まるで、月みたいでした、ちっとも眩しくなくて 

 

大荒れした時間から過ぎること、40分程

 

今は、強風はふくものの、日差しがあります

 

何となくですが、あゝ、冬至は過ぎたお日さんやなあ~

 

と思う、少し強くなった日差しを窓越しに感じています

 

 

追伸

なんとも目まぐるしい一日でしたが、

5時頃から風も弱まり、

本日最後の天体ショーは日没の夕焼けで、THE END

あしたはあしたの風が吹くということで<m(__)m>

 

 

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