kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

龍馬点45

2010-11-28 22:49:27 | 龍馬点

龍馬の最後…

     

船に乗って海の向こうにある国に行く…

       

そんな夢を語り合ったその直後…

         

      

     

       

辿り着くところは分かっていても、生きてほしいと願った

         

         

      

   

龍の魂よ、永遠に…。

         

     

Img_0004_2

            

コメント (2)

龍馬点44

2010-11-28 22:35:17 | 旅行

Img_0578_2

         

Img_0579_3

               

長崎の町で、龍馬をさがして最後に辿り着いたのは「小曾根邸跡」 でした。

「勝海舟」 から紹介された「小曾根乾堂」 

龍馬の活躍の陰には、豪商・小曾根家の大きな援助がありました。

元治元年(1864)、龍馬が初めて長崎に来た時から、亀山社中~海援隊を含め

何かと面倒を見てきました。

「小曾根邸跡」 には今、長崎税務署があり、この町の名前も、「小曾根町」でした。

    

私は長崎を離れる間際にここを探して歩いたのですが、一番手こずりました。

歩いても歩いても見つからず、道行く人に尋ね尋ね、細い道の細い階段を、

上って、民家の裏をすり抜けたりして、戸惑いながらもようやく見つけました。

そして、 さあ、これで帰ろう…

長崎駅から、列車に乗りました。

       

土佐、京都、長崎と、翔けぬけた龍馬。

どの地にいても、皆から慕われながら、太く生きたことを、確信ました。

      

      

            

コメント

ライトアップ・石山寺の紅葉

2010-11-27 11:55:00 | 四季折々に

「石山寺」 

琵琶湖から流れ出ている唯一の川、瀬田川の川沿いにあり、

瀬田の唐橋も近くです。

西国三十三箇所観音霊場の十三番札所で、東寺真言宗のお寺です。

堂内にある 「源氏の間」 は、「紫式部」 が、「源氏物語」 

書いた所と言われています。

紅葉にあわせ、ライトアップされているというので、行ってきました。

        

Img_0791

      

Img_0797 公風園白耳亭

       

Img_0844_2

      

Img_0778 山門(東大門)

      

Img_0780

     

Img_0781

     

Img_0801

       

Img_0814 多宝塔

        

Img_0811_2 毘沙門堂

        

Img_0830 本堂

     

Img_0825 本堂から見降ろすと…

      

     

Img_0783

        

Img_0788 法輪院

      

Img_0800

      

ライトアップされると、昼間の雰囲気とはころっと変わるものなのですね~(@_@)

石山寺の境内はとても広く、今回は本堂まで、それより奥はまたの機会に

見て周りたいと思います。

聞くところによると、梅、水仙、桜、つつじ、牡丹、菖蒲、紫陽花、百合、萩、

紫式部、山茶花、と四季折々の姿を見せてくれるという事です。

あ、そうそう、めずらしく、「紫式部」 がライトアップされていました。

かわいい実の紫色が、暗闇に美しく浮かび上がっていました。

       

Img_0850

          

Img_0853

コメント

長崎伝統芸能館(グラバー園内)

2010-11-24 16:12:09 | 旅行

グラバー園、最後に見たのは「長崎伝統芸能館」 でした。(10.29)

ここには、長崎市「諏訪神社」 の祭礼 「長崎くんち」 での、

「龍踊(じゃおどり)」「鯨の潮吹き」「太鼓山(コッコデショ)」などの出し物が

展示してありました。

「コッコデショ」 は「ここでしょう」 らしいです。

「くんち」 というのは、旧暦の重陽の節句、9月9日に行ったためとか、

九州北部の方言で「9日(くにち)」を「くんち」という事から来ているそうですが、

私は関西人ですが同じ様に 「19日・じゅうくんち」 「29日・にじゅうくんち」 

などと言うなあ~。

        

      

Img_0547

     

Img_0548 「子鯨」

      

Img_0551 「龍踊りの白龍・青龍」

      

Img_0550 「先導する傘鉾」

        

Img_0545

     

Img_0546

      

グラバー園の全てを見てはいなかったのですが、ここ、「長崎伝統芸能館」を最後に

再び坂を登ったり下ったり、「長崎さるく」 を続けました。

     

コメント

不思議な雲

2010-11-23 12:19:54 | ブログ

見たことのない形の雲が、長崎の空に現れていました。(10.29)

      

Img_0490

Img_0501

Img_0518

Img_0520

       

まるで、白い布を広げたような…、

雲の境界が真っ直ぐです。

「松が枝国際埠頭」 の豪華客船の上にも 「大浦天主堂」 から見た空にも、

「旧三菱第2ドックハウス」 のバルコニーや南国の花の咲く庭の上にも、

真っ直ぐに…

何かを暗示している様に…

            

       

コメント

龍馬点43

2010-11-23 11:41:05 | 旅行

Img_0529

    

旧グラバー住宅です。

        

Img_0530

      

           

Img_0531

台所: 床に使われているのは、「こんにゃく煉瓦」 と言います。

普通の煉瓦より薄く、こんにゃくの形をしていますが、

縦に並べているので、とても頑丈だそうです。

ここに入った時、温かい雰囲気を感じました。

ああ、こんな台所でごはんを作ったりして過ごしてみたいなあ~。

    

       

Img_0534

修学旅行生らしき男の子が、興味深げに覗いていますが、

この中はと言いますと…、

       

Img_0533

     

グラバー氏は大浦慶とも仕事上関わりがありました。

お茶の貿易をしていました。

この釜で、お茶を煎っていたこともあるそうです。

        

        

Img_0535

300歳の蘇鉄 : 

グラバー邸の庭にあるこの蘇鉄は、グラバー邸が建てられた当時、

薩摩藩主、島津侯から贈られたもので樹齢300有余年、国内最大級のものです。

      

         

Img_0540

    

斜面市街地移送機器・ラックスカーRC2200 :

グラバー邸の近くにありました。

やはり急な坂道での物の搬送には、苦労がありますよね。

      

Img_0538_2

      

さて、この館のご主人さま、「トーマス・ブレーク・グラバー」 

     

スコットランドに生まれ、20歳で上海に渡り、イギリス商社に勤めました。

21歳で、長崎開港と同時に渡来し「グラバー商会」を設立しました。

当初は、お茶、生糸、海産物、後には艦船、武器を扱い、

諸藩に販売、龍馬や桂小五郎をはじめ、幕末の志士達とも深く関わりました。

また、薩長藩士の渡欧(密航)を斡旋するなど、明治維新にかけての

政治的なことにも関与してきました。

後年は、三菱の相談役として活躍しました。

    

    

グラバー邸の中は、観光客でいっぱいでした。

写真撮影も遠慮がちになりましたが、グラバーの妻、「ツルさん」の

お部屋のクリーム色の天井に、隠し部屋の小さな入り口がありました。

グラバーは法を犯してまで、薩長藩士を守ったので、

必要な部屋だったのでしょうね。  グラバーは後に、

      

「自分は徳川幕府にとって、最大の反逆人だった…」 と回想しています。

      

何回目だったか、「龍馬伝」では、龍馬とグラバー(ティム・ウェラード)、

大浦慶(余貴美子)、小曾根乾堂(本田博太郎)が中国風な部屋で

マージャンに興じているシーンが心に残ります。

     

コメント

龍馬点42

2010-11-23 09:31:04 | 旅行

龍馬ゆかりのスポットからスポットへと線で結び、歩き、撮りました。

線上のカメラマン…? (^_^;)

     

「グラバー園」も、歩いてきました。

前に書いた、「旧三菱第2ドックハウス」 もこの中にありました。

     

Img_0506

    

グラバー園の入り口に来て、驚いたのは、こんな山の中にエスカレーターが!

いちばん、高い所にある「旧三菱第2ドックハウス」 の近くまで、運んでくれました。

ほんと、これが無かったら大変でした。なにしろ、この高さです!

       

Img_0508_2

        

       

Img_0523

       

「旧ウォーカー住宅」 ↑ です。

英国の船長で、三菱系列及び日本郵船に勤務したロバート・ネール・ウォーカーの、

次男、ロバート・ウォーカー・ジュニアが大正時代から亡くなるまで住んでいました。

この家は、明治の中期に大浦天主堂の隣に建てられたもので、

屋根から突き出た庇など、細部に日本趣味が繁栄されています。

また、ロバート・ネール・ウォーカーの兄、ウィルソンは郵便汽船三菱の

監督船長に抜擢されています。

その後、横浜でグラバー氏と共に「ジャパン・ブルワリ・カンパニー

(キリン麦酒の前身)」 を設立しました。

     

ウォーカー一族は、日本の海運業などの発展に大変貢献したのですね。

       

Img_0526

    

Img_0525

      

「旧自由亭」です↑。我国初めての西洋料理店の三度目の屋号が「自由亭」 です。

初めは「良林亭」 

始めたのは、「草野丈吉」 です。

出島オランダ商館内で「草野丈吉」 は西洋料理を見習い、オランダ軍艦の

コックとなり技術を習得しました。

       

かつては、亀山社中の近くに店を開いたこともあり、

ひょっとしたら、新しいものの好きな龍馬のこと、

自由亭で、西洋料理に舌鼓を打ったかもしれませんね。

    

コメント

龍馬点41

2010-11-22 17:21:17 | テレビ番組

NHK大河ドラマ「龍馬伝」  ついに、徳川慶喜は、「大政奉還」 の決意を

二条城の二の丸御殿大広間に在京の各藩の重役を集め、示しました。

    

Img_7135

二条城二の丸御殿 (2010.3.12撮影)

(本物の二の丸御殿はドラマのよりまだ広いです。 NHKさん、ごめんなさいm(__)m)

       

昭和が平成に変わったこと、自民党政権が民主党政権に変わったこと、

「大政奉還」 はどれよりも大きな出来事だったんだと思います。

武士はこの大きな変化に、どのように対応したのでしょうか?

     

龍馬にとっては、今まで目指してきたことの大きな一区切りとなり、

喜びもひとしお、 これからが本当の始まり……ですが、

        

      

龍馬にはもう時間がない。

      

         

コメント (2)

龍馬点40

2010-11-20 17:55:25 | 旅行

NHK大河「龍馬伝」 の第一回で、龍馬の幼なじみ、「岩崎弥太郎」 は、

「龍馬はこの世でいちばん嫌いな男」 と言い放ちました。

その、弥太郎は「土佐商会」 「九十九商会」 「三川商会」 「三菱商会」

「三菱蒸汽船会社」 「郵便汽船三菱会社」 を率いるトップとして次第に

ビッグになっていきました。

写真は、「旧三菱第2ドックハウス」  です。

長崎居留地の「グラバー園」 の中の最も高い位置に建っています。

           

Img_0519

     

       

修理船の乗組員の宿泊施設として、ドックそばに建てられていましたが、

昭和49年(1974)にここ、グラバー園に移築されています。

グラバー園の中でも、大きく綺麗な建物でした。

      

Img_0512

       

Img_0514

とてもよく手入れされた床ですね。

       

Img_0515

ホーム・バーがあります。

        

Img_0511

こんな暖炉がうちにもあったらいいなあ~???

        

Img_0516

バルコニーからは、ドックが見えます。

         

Img_0517

とても広くて、おしゃれなバルコニーです。

        

弥太郎が龍馬を嫌いとするのは、龍馬とまるで正反対の人間のようでありながら、

実際はとてもよく似た人間だからかもしれません。

幕末から明治へと…、

弥太郎の歩んだ道と、龍馬がもし生きていたなら歩んだであろう道。

それは、似ていたのでしょうか?

      

           

コメント

ライブハウス♪

2010-11-17 15:01:48 | つぶやき

101116_19330001_2

          

大阪のライブハウスに行ってきました。

   

二時間半のスタンディング・ワンマン・ライブ。 

      

歌う方も見る方も、体力勝負です 

コメント (2)