「べらぼう」も半年が過ぎました
いきなりですが歌麿の美人画「大首絵」
重三が歌麿に書かせたとか
浮世絵にはいろいろあり美人画にも
「全身像」と「大首絵」
重三は十頭身とかの現実にありえない形の全身像より
大首絵(上半身にズームしたもの)
というものにはリアリティが出るからと
歌麿に書かせたのだそうです
ま、後にはどちらもニーズがあると判断して
どちらも書かせていたそうです
企画して絵を織り込んで本を出版する
重三はすごいなあ~
創造も演出も心象もすべて出来る人
1793年頃 喜多川歌麿 「当時三美人」
1793年頃 喜多川歌麿 「歌撰恋之部 物思恋」
1783年頃 喜多川歌麿
「風流花之香遊 高輪の季夏」
夏の終わりですが着物暑くないのかな
なんて「全身像」なら色々な情報が
絵から伝わりますね
重三の見解、大首絵は表情から
こころの中が伝わってくる
こちらもその通りですよね
ま、絵の上手な人が書いてこそですけど(^-^;
「大首絵」とは十年程年代が違いますね
いままでは蔦屋重三郎さんは?
「TUTAYA」さんなら大体わかりますけど
重三はこの時代の出版界の革命児となった
でも縁の下の力持ちでもある
横浜流星さん、貫禄が出て来ました
瀬川(花の井)とのエピソードのあった頃は若かった
長編ドラマはどうしても重要な人物が消えていく…
重三は瀬川のことはもう何も思わないのですか…
重三の奥様は、しっかり者
田沼意次さん、平賀源内さん、版元のおじいさん
(あの木版を彫っていた方は本当の彫師さん
しかもとても腕がよく有名な方だそうです)
他にもおられましたが
それぞれの才能で重三を押し挙げてくれる
頼りになる人達でした
重三は吉原から日本橋へ
貸本屋さんからはじめて
「メディア王」と呼ばれるまでに
当時はどう呼ばれたのかな?
江戸時代や明治はまだまだ
字の読めない人が多かったと思っていましたが
本がよく売れたんですね~
絵が添えられていたから?
文字ばかりより絵があるの、いいですよね(^-^;
本をあまり読まない私が保証します
第二十八回
田沼意知が佐野政言に斬られた
父の意次が佐野の系図を池に投げ捨てたことへの
恨みなのか
まるで”殿中でござる” ではないですか!
恨みが恨みを呼んでまた何か起こるのでしょうか
一方誰袖も尋常ではなくなってしまった…
さすがに重三もどうすることも出来なくて
意次のところへは何か書物が持ち込まれたけれど
書物は誰袖を?意次を
助けてくれる?