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kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

大河「べらぼう」

2025-07-28 19:56:42 | 大河ドラマべらぼう

 

 

「べらぼう」も半年が過ぎました

 

 

 

いきなりですが歌麿の美人画「大首絵」

重三が歌麿に書かせたとか

 

浮世絵にはいろいろあり美人画にも

「全身像」と「大首絵」

 

重三は十頭身とかの現実にありえない形の全身像より

大首絵(上半身にズームしたもの)

というものにはリアリティが出るからと

歌麿に書かせたのだそうです

 

ま、後にはどちらもニーズがあると判断して

どちらも書かせていたそうです

 

企画して絵を織り込んで本を出版する

 

重三はすごいなあ~

創造も演出も心象もすべて出来る人

 

 

 

1793年頃 喜多川歌麿 「当時三美人」

 

1793年頃 喜多川歌麿 「歌撰恋之部 物思恋」

 

 

1783年頃 喜多川歌麿 

「風流花之香遊 高輪の季夏」

 

夏の終わりですが着物暑くないのかな

なんて「全身像」なら色々な情報が

絵から伝わりますね

重三の見解、大首絵は表情から

こころの中が伝わってくる

 

こちらもその通りですよね

ま、絵の上手な人が書いてこそですけど(^-^;

 

「大首絵」とは十年程年代が違いますね

 

 

いままでは蔦屋重三郎さんは?

 

「TUTAYA」さんなら大体わかりますけど

 

 

 

重三はこの時代の出版界の革命児となった

 

でも縁の下の力持ちでもある

 

横浜流星さん、貫禄が出て来ました

 

瀬川(花の井)とのエピソードのあった頃は若かった

 

長編ドラマはどうしても重要な人物が消えていく…

重三は瀬川のことはもう何も思わないのですか…

 

重三の奥様は、しっかり者

 

田沼意次さん、平賀源内さん、版元のおじいさん

(あの木版を彫っていた方は本当の彫師さん

しかもとても腕がよく有名な方だそうです

 

他にもおられましたが

それぞれの才能で重三を押し挙げてくれる

頼りになる人達でした

 

重三は吉原から日本橋へ

 

貸本屋さんからはじめて

「メディア王」と呼ばれるまでに

当時はどう呼ばれたのかな?

 

江戸時代や明治はまだまだ

字の読めない人が多かったと思っていましたが

本がよく売れたんですね~

絵が添えられていたから?

文字ばかりより絵があるの、いいですよね(^-^;

 

本をあまり読まない私が保証します

 

第二十八回 

 

田沼意知が佐野政言に斬られた

 

父の意次が佐野の系図を池に投げ捨てたことへの

恨みなのか

 

まるで”殿中でござる” ではないですか!

恨みが恨みを呼んでまた何か起こるのでしょうか

 

一方誰袖も尋常ではなくなってしまった…

 

さすがに重三もどうすることも出来なくて

 

意次のところへは何か書物が持ち込まれたけれど

 

書物は誰袖を?意次を

 

助けてくれる?

 

 

 

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