kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

びわ湖大花火大会2023

2023-08-09 13:58:00 | 滋賀

 

 

4年ぶりだそうです

 

会場には行きませんが、遠く遠くから見ました

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの開催で、混雑が予想されるのはどこも一緒だと思いますが

それを回避のためにと

有料席を増やし無料席は縮小

有料チケットを持っていない人は来場を控えてください

だそうです

苦情が出て当然でしょうね

有料席を設けることとは、より快適に観覧できる所を確保して

楽しんでもらう、それはそれでいいとは思いますが

その近くで無料で見るのを避けるように、そんなこと言う⁇

しかも席周囲にフェンスを立て視界を遮っている、そんなことする???

空のうえだけでなく湖面の様子も見ものですね

 

ビルの屋上

琵琶湖にかかる橋の上

周囲の山の上

よく見える所はありますが、間近に見て、花火の大きさなど

臨場感はそばに行くのが一番ですし

 

すべて、事故防止のためとは言うものの…

でも写真撮りました(^-^;

 

 

 

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大垣まで行って来ました

2023-06-09 13:00:17 | 滋賀

 

 

JR大垣駅にて

6月4日(日) 法事で岐阜県大垣市に行って来ました

朝、今回は「特急ひだ」に乗っていくぞ~と張り切っていたのですが

乗り遅れてしまいました

結局、新快速~米原乗り換えであとは普通列車

大垣駅から更に養老鉄道で

たっぷり時間をかけて行きました

列車はゴトンゴトン、心の内はあか~んあか~ん

 

初めて訪ねる所なので、道にも迷って迷って迷いぬいて

大幅に遅刻してしまいした

 

 

帰りは乗りたかった「特急ひだ」に

ホームに入って来た列車の写真を撮るのはワンチャンス

なのにスマホのシャッター位置を間違えて

特急ひだ号は撮れませんでした

何から何まで、失敗だらけの一日

 

沿線は田植えも終ったところが多かった

所どころ麦が実って黄金色に、刈ってもらうの待ち、状態

滋賀は、お米も優秀なようですが、麦もなかなかのもんだとか

 

鏡のように景色が映って

でも、何だか抹茶色に写ったのはカメラのせい?

列車の窓ガラスのせい?

 

 

 

 

 

唯一↑近江八幡市安土町辺りで写真を撮りました

 

*滋賀県立安土城考古博物館 向かって左

*安土城天主信長の館 真ん中

*文芸セミナリオ 真ん中

*レストラン

らしいですが

以前JRと徒歩でひとりで2回行ってるのですが

記憶が定かではありません

館内の様子は、まあまあ覚えているのですが

その建物がどれだったかが…

 

信長に興味のある方にはいい所だと思います

ちょっと離れていますが、安土城跡も山の上ですが

JRの駅前でレンタル自転車を借りるのがおすすめです

近辺、整備もされて見ごたえがありそうです

少し山登りを覚悟して、また行きたいなあと思います

 

 

 

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安土信長葱

2023-02-13 11:55:04 | 滋賀

 

 

安土信長葱

 

 

関東の方には、なんの変哲もない白ねぎだと思います

青ねぎの部分が多すぎますか?

 

これは、湖東の安土で栽培されている、「岩戸葱」という種類で

信長の名を賦してブランド化されたそうです

 

関西では青ねぎが主流ですが、今はそうでもなくなっています

お鍋なら白ねぎの方が向いてますよね

 

信長葱には、青ねぎの部分をたくさん付けたままなのが

青ねぎ派としては嬉しい♪

「九条ねぎ」に代表される青ねぎの辛みが薬味として好きです

刻む時、涙がぽろぽろ出ます

お味噌汁の浮かしやら、おうどんにたっぷりのせないと頼りないです

 

白ねぎの信長ねぎ、これは有りです

煮いたらとても柔らかく、甘みがドンッと来て

煮く、焼くにはこれがいい!

 

信長ねぎが、キラリッ

刀みたいに構えてしまいました

 

 

 

 

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彦根・埋木舎

2017-10-30 17:58:23 | 滋賀

 

 

 

埋木舎(うもれぎのや)

 

ここは、井伊直弼が青春時代を過ごした館です

 

大河ドラマは今、井伊万千代(のちの直政)の時代ですが

 

彦根藩井伊家の初代藩主が、井伊直政で江戸幕府が開かれる直前に活躍

 

13代藩主の井伊直弼、こちらは江戸幕府の終わり頃に大老となった人

 

 

直弼は父直中の14男として生まれ、次の代を継ぐことはないと

 

誰もが思いますよね

 

本人はどうだったのか、 こんな歌を詠んでいます

 

 

世の中をよそに見つつも埋れ木の埋もれておらむ心なき身は

 

 

そんな青春時代を埋木舎で過ごします

 

一体、どの様に過ごしていたのか…それは、

 

茶の湯、和歌、能楽(鼓も)に親しみ、のちには一流の人になります

 

付いたあだ名が、 「茶・歌・ポン」

 

茶の湯と和歌と能楽(鼓をポン!)で、ちゃかぽん、だったそうです♪

 

昔の人も、ニックネーム付けるの上手ですね

 

おまけにそれだけには留まらず、

 

武術、馬術、などにも長けていて、まさに文武両道に励んでいたのです

 

この頃は、いわゆる捨て扶持の身分で、300俵の扶持米を与えられていました

 

悔しい気持ちもあったでしょうね

 

しかし直弼は、好きなことの道で才覚を表していってます

 

ところが、その人生が一変します

 

藩主である兄、直亮の世子である直元が亡くなり直亮の養子となり江戸へ

 

12代藩主の直亮も亡くなり直弼が13代彦根藩主となりました

 

人の世って分からないものですね…

 

 

 

 

 

 

 

 

埋木舎は今は代々大久保家が当主となっています

 

大久保家の祖先は、井伊万千代(直政)を養育したり

家康の命により井伊家の重臣として仕えてきたりし、

井伊直弼が桜田門外で暗殺された後も明治時代になっても

彦根藩を一心に守りました

 

これらの功績により、井伊家より大久保家に寄贈されたのです

ところで、この大久保さんの御親戚、古くは時代劇で有名な

天下のご意見番大久保彦左衛門

小田原城主大久保忠世、この方はドラマおんな城主直虎で

織田信長が材木三千本の調達を命じていることをノブを通して

万千代が聞きだした相手ですよね

 

その頃から現在まで、受け継ぎ今のご当主は

第15代大久保治男さんです

埋木舎の修復など、今も大切に守っておられます

 

そんな話やらなんやらを、快く説明して下さった方が

 

 

この方、お名前忘れました

 

この門を潜り入ると、

 

むっとしてもどれば庭に柳かな  井伊直弼

 

この句の札が柳の木に付けてありました

 

また、お座敷には直弼の詠んだ和歌が案内文と共に掲示してあります

 

茶の湯とてなにか求めんいさぎよさ心の水をともにこそ汲め 

 

 

 

埋木舎で心身を磨いた青春時代があってこそ、

 

彦根藩主となり、江戸幕府の大老となり、迫り来る外国から国を護り

 

開国の礎を創ることが出来たのかもしれませんね

 

親が有名でお金持ちの二世三世に多いのが

考えが甘い、ちゃらい、自立してない、結局自業自得の急降下

 

ゼロから頑張ってみるべきですよね

 

ま、元々何もなくて最後まで何も成さない者もいますけどね、ここに(>_<)

 

 

 

石蕗が庭のあちこちに咲いていました

 

山茶花がひとつ咲いていました

 

 

 

茶歌ポンと埋木舎に秋の声  koh

 

 

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彦根城、台風一過

2017-10-30 13:22:09 | 滋賀

 

 

  

 

10月25日に写した彦根城です

 

下の写真と比べて下さい 

 

 

 10月7日の写真です

 

 

天守閣を守る「多聞櫓・タモンヤグラ」の壁が、大きく落ちていました

 

この間の台風は、身近な所でもたくさん被害が出ています

 

 

7日、カルチャークラブの行事で彦根に行き、

 

25日、俳句の会の吟行で行ったもので、

 

はからずも、こんな写真2枚を撮ることになりました

 

 

大荒れの10月でしたが、両日とも雨と雨のすき間をぬって行ったことになりました

 

 半月程の間に、紅葉も進んできていますが、まだちょっと…

 

やっぱり来月ですね♪

 

 

彦根城の堀

 

 

 

 

 

 彦根城を望める玄宮園も紅葉はまだ 

 

 

埋木舎の前から佐和口を見ています

 

佐和山の方に向かう出入り口です

 

向かって左側が二の丸佐和口多聞櫓(重要文化財)です

 

右側の櫓には「開国記念館」として、展示施設が設けられています

(昭和35年に復元)

 

ここで、大河ドラマ「おんな城主直虎」に関する展示を開催中でした

 

 

鴨でしょうか、 すいすい~♪

 

仲がよさそう、同じ方向へ進むことも

 

台風の爪痕は無残ですが、辺りは澄み渡っていました

 

この後は、埋木舎をアップしたいと思います

 

 

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SLは北びわ湖をめざす

2017-05-16 15:59:23 | 滋賀

 

3月以来です。

「SL北びわこ号」の運行が、5月14日にあったようです。

そしてその業務を終えたSLが、牽引車の助けを借り梅小路へと帰るのを見ました♪

観光の本運行の様子は一回も見たことないんですけどね(^_^;)

お帰りの姿だけ。

 

いつも駅に近づくと、

 

汽笛一声

 

なので、部屋の中にいても気付きますヽ(^o^)丿

あわてて外へ出て していますと、

 

早や我が汽車は離れたり

 

いつもボケてたり、電線だらけだったり、後ろの建物の色と同化してたり

どうかしてるぜ(ーー゛)

 

牽引車は、回を追うごとに、カッコいいのに変わっています。

汽笛も鳴らしてくれるし、

どうやら、お帰りの時もイベントの一環としておられるのでしょうね

沿線に住む者には、ありがたいことでござりまする

 

 

トンネルに入りま~す。

出て来たのではないです。

あくまで、お帰りはバックオーライ。

でも汽笛は鳴るし、蒸気が噴き出るし、見ごたえあり!

私の小さな楽しみです

 

 

 

汽車も行ってしまって、

振り返ると、比叡山に日が沈もうとしていました。

 

 

夕陽で辺りは黄色っぽく見えました。

 

でもこれ、夕陽だけではないと思うのです。

と言うのも、3日間ほど黄砂がやって来ていました。

比叡山がかなりかすんでいます。

でも、この日を最後に、もう黄砂は来ていません。

今日は、山の緑も分かります。

今年は例年になく、遅がけからの黄砂でしたが終わったのでしょうか?

終わったことを願います。

 

「黄砂」は春の季語ですが、

 

平原を蹴立て行く馬黄砂舞う

 

 

実際に黄砂が大陸で舞い上がるのを見た事ないのに…

 

”黄砂降る”  にしようかな?

 

ま、いずれにしても、たいした出来栄えでないのは知っているんです(@_@。

 

まだまだ、俳句が分かりません(ーー;)

 



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慶雲館(長浜の迎賓館)

2017-05-02 16:33:22 | 滋賀

 

「慶雲館」

と言っても、

ん?

かもしれませんが、

 

「長浜盆梅展」


というと、ああはいはい!

と納得して頂けるのではないでしょうか。

 

 

 庭の中にある門

 

慶雲館は明治時代、天皇の行幸を受けて

長浜の豪商・浅見又蔵氏が私財を投じて建設した長浜にある迎賓館です。

『慶雲館』と命名したのは、時の内閣総理大臣伊藤博文です。
 

 

本館 

お庭の手入れに余念のない係りの方

 

 表の門

 

 

池泉回遊式庭園

大きな岩がいくつも据えられています。

 

昔は、この庭の向こうに琵琶湖が臨め、長浜港が近くにありましたが、

今は、埋立が進んで、見えなくなりました。

 慶雲館の外塀の端の方に石碑が建っています。

 

 

大坂城の近くも、江戸城も、長浜城も周囲は埋め立てていったのですね。

 

庭に戻りまして、 

 

手水鉢

とても大きなものでした。

 

こちらもとても大きいのですが、

 

ひとつは力士像、 明治時代後期の大横綱、

「常陸山谷右衛門」

このお相撲さんが活躍していた頃は角界の黄金期だったそうです。

常陸山は、教養人だったこともあり「角聖」と呼ばれました。

ここの主だった浅見又蔵さんが、好きなお相撲さんだったらしいですよ♪

 

もうひとつは 「松尾芭蕉」 の句碑です。

 

蓬莱にきかはや伊勢の初便り  はせを

 

「はせを」 は芭蕉さんのことだそうです。

芭蕉のふりがな…?

 

明治後期に建てられたもので、高さ5m、重さ10t、日本最大とか。

 

 こちらのお庭は巨岩が多いですね~!

 

本館は、明治ロマンとでも言うのでしょうか、洗練された部屋ばかり。

  

ちょっと変わった掛け軸

 

 

近寄りますと、

 

 

更に、

 

” そないに寿祢すと(そないにすねずと)

こちむか者ん勢(こちむかはんせ)

あしなはな志か(あじなはなしが)

有るわいな(あるわいな) ”

 

牧雲老衲戯写(ぼくうんろうのうぎしゃ)

 とは、

塩澤大定

晩年は京都南禅寺の管長を務める

牧雲は号

老衲(ろうのう)は年を取った僧の自称

 

この掛け軸の歌、都々逸ですか?

 

  

 

 

” 逢うて別れて 別れて逢うて

末は野の風 秋の風

一期一会の 別れかな ” (井伊直弼)


たかさん…かな?


脱線しました



こんなに上等でも、大きい物でもなかったですけど、

同じタイプの階段の手すりが実家にありまして、

口答えばかりする私を父は、ここに括りつけました。

あとは、

どうなったか?

多分、すぐほどいてもらったのだと思います

おばあちゃんは、私の強い味方でしたから(*^^)v

 

慶雲館はとても静かで、趣がありました。

日本家屋はほんとにいいですね。

永く残りますように…

 

 

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長浜城

2017-05-01 16:48:00 | 滋賀

 

 

                                                 2019.4.15

長浜城です。

今頃アップしてます。

遅いやん、

お許しください。

 

 

湖北の長浜は、湖南よりちょっと遅い開花で

行った時が見頃でした♪

 

ビニールシートを敷いて、どんちゃん騒ぎしてる人は、無し!

そういえば、近江八幡の濠川沿いも、そうでした

 

 

 

長浜城は、現在 「長浜市長浜城歴史博物館」


天正期の「秀吉の長浜城」を想定して再興されました(昭和58年)

 

 

天守閣からは琵琶湖がすぐそこです。

画面左の方の遠くの岬ですが、

 

 

「彦根城」が、うっすら見えます。

(かなり、ズームしました)

 

実際の距離は、15km前後なんです。

 

長浜城の歴代城主ですが、

 

秀吉 天正5年(1577)頃 長浜城完成

天正10年 柴田勝家の甥、勝豊

天正13~18年 山内一豊

 

その後 湖北は荒廃し、石田三成(佐和山城)の支配下となる

元和元年(1615) 長浜城は湖北支配の役割を彦根城に譲り

その使命を終えた

 

石垣や櫓材は彦根城や長浜大通寺に運ばれる

 

と、長い歴史をつないできました。

 

戦国時代の湖北では、戦国武将の有名どころが次々と旗を挙げていたのですね。

 

「真田丸」 の時、築城となると、戦の実戦の要として、守りをがっちり固められる、

山や川が自然の要塞になる所を選んだようですが、

琵琶湖周辺では、琵琶湖という水運の発達した所(水辺)が多いように

思えるのは、私の勘違いでしょうか…

戦いが、少なくなっていたとも思えませんしね。

 

さて、難しい話は私には無理なので、歴史作家の

「磯田道史さん」 

のお話を聞いて頂けますとバッチリかと。

 

長浜城石垣根石

 

殆ど、当時のものは残っていない長浜城ですが、

豊(ほう)公園がお城の横にあるのですが、そこには石垣の一部らしきものを見ました。

↑この石は正真正銘、残っていたんでしょうね、ヨカッタ(@_@。

 

この石なんですが、私は天守から降りてここへ来て、見つけ、

この石を写したら、次の所へ行こッと思っていました。

 

で、石に近寄ったら、向こうから年配の男性ふたりも近寄って来られます。

あっという間に、この石に座って、

『あ~しんど。』

そのまましばらく。

 

この日は気温も上昇、疲れておられた様子です。

そばにいる私に、話しかけて来られます。

どうやら、写真のためにじっとそばにいるとはお気づきない!

何分経ったでしょうか…

 

『ほな、さいなら。』

 

ご休憩も終わったようで、お城へと歩いて行かれました(・。・;

 

そして、

 

次の所へとまた

 

 

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長浜散策

2017-04-29 19:04:48 | 滋賀

 

琵琶湖の北部にある「長浜八幡宮」は「曳山祭り」で有名ですが、

その境内に、芭蕉の句碑がありました。

 

折々に伊吹を見ては冬籠り  松尾芭蕉

 

江戸時代、この辺りを通られたのでしょうか。

 

今、JR長浜駅から、伊吹山がよく見えます。

 

JR長浜駅より

 

元禄年間なら高いビルもなく、電線もなく、もっとよく見えたことと思います。

スキー場もなかったでしょうし、全山緑に覆われていたかも…

 

 

句碑の周りにドラム缶や、薄汚れたビニールが映り込んでしまいました。

残念です。

 

 

長浜八幡宮の境内には、「高良神社」 がありました。

 

 

ご祭神の「武内宿禰たけうちのすくね」は神功皇后の大臣(おおおみ)として

皇后を助け新羅国を攻め、これを従わせた功績が伝わっています。

 

武内宿禰は長寿の神とされ、「ボケ封じ」にご利益があるとされています。

「ぼけ封じ大石」 みんなで一生懸命撫でてお願いしておきました(ー_ー)!!

 

 

 

長浜八幡宮を出た曳山は、「黒壁スクエア」の中心部を進みながら、

何度か止まり、子ども歌舞伎を演じていました。

左角に、黒壁(黒漆喰)の家が見えます。

 

長浜八幡宮の御朱印が、御旅所でないと受けられないということでしたので、

 

 

行ってよかった~♪

神前でお参りを済ませると、巫女さんが、

 

 

シャンシャン♪

ありがたいなあ~

私も、御祓いして頂きましたよ♪

 

 

 

私は、曳山祭りから離れ、長浜の散策を続けていました。

 

*当日から、だいぶ日が過ぎましたがこの後も、おいおい紹介させて下さい。

 

 

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春のSL北びわこ号

2017-03-14 12:18:31 | 滋賀

 

 

C56-160 と 単9927 ef65

 

今年初めての、SL北びわこ号の運行♪

 

3月5日、梅小路運転区に帰って行くSL北びわこ号を見ました。

 

 

汽笛一声草津を~早や我が汽車は離れたり~♪♪

 

あっという間に走り去る、その瞬間をいつもキャッチしようと、

 

汽笛が鳴るとカメラを持って出るのですが…

 

なかなか上手く撮れません。

 

けん引する車両もきれいなのが走るようになりました。

 

お帰りの姿も人気が出ているのではないでしょうか(^^♪

 

蒸気を掃き出し、汽笛も大きく、且つ、

 

とてもチャーミングに走り去るのです。

 

その束の間に、私はいつも胸キュンです

 

春の運行は、5月14日と28日が予定されています。

 

お姿は、ピンボケにしてしまいましたが、これも、

 

朧なる~

 

と思し召し、

 

なにとぞ、温かい目でご覧くださいませ。

 

合掌

 

 

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