kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が竜宮小僧になる時十三

2017-04-30 17:56:11 | おんな城主直虎

 

 

 

見覚えのある山門ではないでしょうか。

 

実は、「龍潭寺」 に行ってきました。

 

臨済禅宗妙心寺派 萬松山 龍潭寺~りょうたんじ

 

「おんな城主直虎」の舞台、井伊谷にある井伊家の菩提寺です。

 

ある日「格安バスツアー!」のパンフレットが舞い込みまして、

なんのためらいもなく申し込んでいました。

 

4月28日、行ってきました

 

旅のコースは、格安ツアーならではの「お買いものの立ち寄り」

が、3か所。

なるべく、財布のひもをギュッと

 

 一枚目の写真ですが、 

直虎がおとわの時代、出家することになり、しきたりも何も知らなくて

ホイホイ、山門をくぐって行くおとわを傑山さんが

抱えては投げ、抱えては投げしておとわを戒めていた、あの門です。

 

あの時代にポオオ~ンと投げ込まれた様な錯覚に落ちて。

 

歩いてみると、石畳も石段もゴツゴツですよ!

投げ飛ばされたら、相当痛い!

ほんとはドラマのシーン程に投げ飛ばされてはいないにしても、

おとわ役の 「新井美羽ちゃん」 転げていて痛かったやろな~

と思いました。

 

年寄りは、しっかり足元を見てないと、ひっくりこける。

 

ほんと、山門を見て、テンション上がりましたね~!

 

逸る心を抑えつつ

 

 

徳川四天王 井伊直政公出世之地

 

ドラマでは、まだまだ先のことですが、そうなのですね~

直虎が後見人として育てた虎松は、直政と名乗り、

家康に仕え、いずれはこの地を離れて彦根の藩主となるんですね。

大出世ですから、この石碑は小さいくらいですよ。

 

 

 

庫裡の前、受付になっていました。

 

境内は緑がいっぱい♪

 

絶好の晴れ間に、若葉がキラキラです。

 

 

本堂の屋根が庫裡の左側にすこし見えています。

 

庫裡に入ると、綺麗に磨き上げられた廊下が。

ここを通ります。

 

 

 

 

「丈六の釈迦牟尼仏」 が本殿の手前におられました。

 

この大仏様は、遠州最大の大仏様で、大きさは丈六(一丈六尺)、5mの大きさ。

立てば5m、お座りなので3m位と、説明がありました。

 

お顔や体の一部、黒くなっています。

それは、明治初年の 「廃仏棄釈」 による動乱の時、

大仏殿が取り壊され露わになった仏様に子供達が落書きをしてしまったのです。

 

「廃物棄釈という歴史の生き証人といえる仏様です」

 

と、お寺の言。

 

 

 

本尊は、「虚空蔵大菩薩」


秘仏でした。

 

本堂の南側に、お庭があります。

 


「補蛇落(ふだらく)の庭」

浜名湖の形をひょうげんしているとか。


本堂の廊下の上を見ますと、


 

 龍の彫刻(伝左甚五郎作)

江戸時代古堂に使用されていた、蛙股の彫り物が上がっています。

また、本堂内の廊下も左甚五郎作の鴬張りの廊下だったのですが、

気付けませんでした、鳴ってたんやね~ザンネン



御霊屋

 

 御霊屋には左から、

24代井伊直政、22代井伊直盛、初代井伊共保の木像が安置されています。

 

 

皆さん、ごひいきの方の名前のところを撫でていかれるのか、

「直虎」と「直政」が、特に薄くなっていましたよ。

 

 

かわいい人形がありました。

虎松が直虎を見上げています。

こんな風にふたりは話したこともあったのでしょうね。

 

あら?この家系図、うちの息子と同じ名もあるけど消えてませんですね。

 

Uターンして、本堂の裏側に行きました。

 

 

国指定名勝 龍潭寺庭園


右から見ました。

江戸時代に、「小堀遠州」 によって造られた庭園です。

この方は二条城の二の丸庭園を始め、沢山の名園を手掛けた人ですよね。

 

 

左から見ました。

石にそれぞれ名前があるらしいのですが、分かりにくくて

 

 

御霊屋が見えます。

庭の案内の音声を少し聞いたのですが、私が思うには

ベテランNHKアナウンサーではないかなあ~

名前は…思い出せないのです…

 

つつじがもうすぐきれいに咲きますね、また来てみたいです。

 

このツアー、行き先が多くここもゆっくり見ていられません。

なんか、いっぱい見残しましたけれど、駐車場へ早く戻らなくては。

 

 

預けておいた御朱印帳を受け取って、駐車場へまっしぐら!

 

 

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長浜散策

2017-04-29 19:04:48 | 滋賀

 

琵琶湖の北部にある「長浜八幡宮」は「曳山祭り」で有名ですが、

その境内に、芭蕉の句碑がありました。

 

折々に伊吹を見ては冬籠り  松尾芭蕉

 

江戸時代、この辺りを通られたのでしょうか。

 

今、JR長浜駅から、伊吹山がよく見えます。

 

JR長浜駅より

 

元禄年間なら高いビルもなく、電線もなく、もっとよく見えたことと思います。

スキー場もなかったでしょうし、全山緑に覆われていたかも…

 

 

句碑の周りにドラム缶や、薄汚れたビニールが映り込んでしまいました。

残念です。

 

 

長浜八幡宮の境内には、「高良神社」 がありました。

 

 

ご祭神の「武内宿禰たけうちのすくね」は神功皇后の大臣(おおおみ)として

皇后を助け新羅国を攻め、これを従わせた功績が伝わっています。

 

武内宿禰は長寿の神とされ、「ボケ封じ」にご利益があるとされています。

「ぼけ封じ大石」 みんなで一生懸命撫でてお願いしておきました(ー_ー)!!

 

 

 

長浜八幡宮を出た曳山は、「黒壁スクエア」の中心部を進みながら、

何度か止まり、子ども歌舞伎を演じていました。

左角に、黒壁(黒漆喰)の家が見えます。

 

長浜八幡宮の御朱印が、御旅所でないと受けられないということでしたので、

 

 

行ってよかった~♪

神前でお参りを済ませると、巫女さんが、

 

 

シャンシャン♪

ありがたいなあ~

私も、御祓いして頂きましたよ♪

 

 

 

私は、曳山祭りから離れ、長浜の散策を続けていました。

 

*当日から、だいぶ日が過ぎましたがこの後も、おいおい紹介させて下さい。

 

 

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吟行で近江八幡へ

2017-04-27 17:45:35 | 俳句・和歌

 

このところ、いいお天気が続いていましたが、昨日は雨でした。

この日一日だけ雨… 

選りによって…

吟行でした。

 

日頃の行いは皆、良いと言ってるのですけどね~

 

気を取り直し、

 

雨の近江八幡も風情があると、まずは自由行動で

 

「八幡堀」 「商人の町並」 「日牟禮・(ひむれ)神社」

 

などを散策です。

 

 八幡堀

 

桜は散って、川沿いの石畳は、”桜しべ降る…” で、

もうじき菖蒲が咲きますね♪

 

 

 

いつもはとても賑わっているそうですが、やっぱり、

雨のせいと、平日のせいと、でしょうか?

静かでした。

 

 

 八幡商人の町、商家が続きます。

 

 

粋な板塀 見越しの松に 

あだな姿の洗い髪…の女性はおられませんでしたあ~

 

凝ってます 

 

 

 

遠くの山は、「八幡山」

秀吉の甥(後に養子)の豊臣秀次の「八幡山城」の跡がほぼ山頂に残ります。

秀次が、「八幡堀」を水運に生かし、城下町として発展させ、また

商業都市としての礎を築きました。

 

商家はどこも、見越しの松があったり、うだつが上がっていたり立派な構えです。

向かって左側は 「旧西川家住宅」 (重要文化財)

 

ここは「大文字屋」という屋号で「蚊帳」や「畳表」の商いを始めた近江商人の家です。

江戸時代から続いていましたが、昭和5年に子孫が絶えてから、

土地建物は市に寄贈されました。

現存する建物は宝永3年(1706)に建てられたものです。

(今のふとんの西川さんとはまた別の家系です)

 

 

庭に建つ土蔵 (重要文化財)

珍しい3階建てです

 

台所(土間)から右手は座敷、帳場も昔の形で残されていました。

 

端午の節句も近く、鎧兜の飾り付けも立派で、




神功皇后と武内宿禰(たけうちのすくね)のお人形も、二種類ありましたが、そのうちの

まあまあ撮れてた方を(スマホにて)

神功皇后は武内宿禰の助けを得て、新羅国を攻め、これを従わせたといいます。

 

 

展示物のひとつ、蚊帳です

 

 

畳表を織る機械 (郷土資料館にて)

 

ここの西川さんも、布団の西川産業さんも、始めはこの「蚊帳」と「畳表」の商いから

始まったのでした。

 

近江商人は地域により

「日野商人」 「八幡商人」 「五個荘商人」

に分類されますが、八幡が代表的な近江商人だそうです。

 

こんな調子で散策してるもので、私とあと女性一人、

昼食の集合場所に着いたのが最後でした。

でも、遅刻は全くしていなかったのですよ。

雨で、みんな早々に屋根の下で休みたかったので、

早くに入っていたのですよ。

それで、待ちかねて外まで迎えに来てくれてました。

 

 

(たねやにて) 

おいしそうな近江の名物づくしは、ほんとにおいしかったです♪

あ、蕗だけ少ないですが、思わず食べてしまったからです。

 

食事が終われば、恐怖の句会。

見学に一生懸命で、まだ何も…

一から始めないと。

みんな、涼しい顔してお茶を飲んでいたので余計に焦って(・。・;

 

ということで、あとは野となれ山となれ!

 

四苦八苦の末の、二句。

 

互選の結果は…

 

 

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伏見散策

2017-04-25 19:48:11 | 京都

 

 

先日、句材を探して伏見の町を散策の時、

最後に訪れたのは、「月桂冠大倉記念館」 でした。

 

祈念館中庭

 

 

 

伏見城の外堀だった 「濠川・ほりかわ」

のほとりで、

寛永14年(1637) 初代、大倉治右衛門が、「笠置屋」 の名前で

酒造業を始めたのが、今の、「月桂冠株式会社」 始まりです。 

お酒の銘柄は、「玉の泉」から始まりました。

 

 

伏見は、秀吉の築いた伏見城の城下町として栄え、

水運が整備され港町として、また、参勤交代の宿場町として栄えていました。

 

 

 

もうすぐ400年になるんですね~

 

その間には 

慶応4年(1868) 鳥羽伏見の戦いがありましたが、

運よく、大倉家本宅や酒蔵は被災をまぬがれました。

 

近年の発掘で、その時の砲弾や 「笠置屋」の名の入った大徳利が出ています。

 

 

鳥羽伏見の戦いでの砲弾

大きいのが薩摩藩の軍(新政府軍)のもの

小さいのが旧幕府軍のもの

なんだか、これで勝敗も分かるような…

 

京都周辺の兵の数は新政府軍が5、000名で、旧幕府軍が15、000名、アレッ?

 

旧幕府軍は、指揮官が不在、狭い道を縦隊突破、

などで優勢なはずの兵力を生かせ切れてなかったんですね~

そこへ、このデッカイ砲弾ですから…

 

この後、上野戦争、会津戦争、箱館戦争へ

 

明治時代へと続いたという事なのですね。

 

明治に入ると、ハワイ、ホノルルへの輸出を始めます。

 

明治38年(1905) 「月桂冠」 が生まれます。 

 

明治の末には、酒造研究所を創設し

「防腐剤なしの瓶詰清酒」

に、成功します。

 

なんと、今までずっと大倉さんは男系で代々継いでいっておられるとか。

すごいですね。

 

 

柳と桜が、とてもマッチしてました♪

 

 

伏見が酒造りの町としてあるのは、

「伏水」

に尽きますね♪

 


あ~ほろよいの伏見散策

 

 

もう、影も形もございません

 

 

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道の駅びわ湖大橋・米プラザ

2017-04-23 18:49:49 | ブログ

 

 

 

びわ湖大橋の西側のほとりに

「道の駅びわ湖大橋・米プラザ」 

があります。

 

名前の通りの施設です(*^^)v

観光バスで来られる団体もあるとか。

確かに、売り場もレストランも駐車場も大きかったです。

 

ずっと前からあるそうですが、私は初めて行きました。

 

 

玄関には

「おうみくん」 

がお出迎えです♪

 

 

おうみくんはお米の粒なんですね。

頭を見ると?

精米されて、胚芽がなあ~い!

 

店内には、白米、胚芽米、玄米とたくさんの種類のお米がありました。

滋賀県には 「日本晴」 

 

というお米があります。

滋賀県は江州(ごうしゅう)とも近江とも言いますが、

子供の頃 「江州米」 という言葉を耳にしたことがあります。

「江州は米どころ」 という言葉も。

お米の産地として、全国的に知られていますか?

なんか、知られてない気がしますが…

 

滋賀県って県そのものが知られてないような…

どこにあるの?

という人もあるようで。

琵琶湖という名前は知ってても、滋賀県とは結びつかないような…

 

 戦国時代、あの頃はよかった…

信長君も秀吉君もみんな近江に集まった…

 

私、不老不死なんです、「お江(ごう)さん」とよく間違えられたの、一字違いで。

 

すみません、遅れてきたエイプリルフールということで許して下さい。

 

きのうは「俳画」を見て、おとといは「ノン胚芽」君に会って、

 

今日も元気です♪

 

 

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俳画展に行ってきました

2017-04-23 16:24:27 | 俳句・和歌

 

きのうは、隣の駅の近くで俳画展があり、行ってきました。

 

俳句の会での先輩が在籍しているので楽しみでした。

 

 

昨年は、見ていても聞いたこともない難しい言葉の羅列で、

首をかしげるばかりでしたが、今年は、

あ、この季語知ってる♪

この表現方法、あったな♪

 

我ながら、ちょっとは進歩してるやん(*^^)v

なんて、自己満足してました。

 

 

 

先生の作品のコーナーです。

とても大きな賞を受賞の作品がありました。

 

来場の方が、メモをとっておられます。

 

 

閉館時間に近づいて、開催者関係の皆様、座って休んでおられました。

スマホを向けると、応じて下さったので、

写真を撮って、先輩にLINEで送信♪

 

 

私も、これ以上お邪魔してはいけないので、帰りました。

隣の駅の周りは、父が入院していた病院もあり、

懐かしいなあと、父の車いすを押して散歩した道を辿ってみました。

少しも変わっていなくて、色々思い出しながら駅へと向かいました。

あれからもう、10年近く経つなんて、早いものです…

 

 

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直虎が、竜宮小僧になる時 十二

2017-04-21 07:02:32 | おんな城主直虎

 

おんな城主 対 おんな大名

 

直虎 対 寿桂尼

 

 

 

昨年の真田丸でも、何度も聞いた事ですが、

戦国時代は何事も、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる訳で、

策略、謀略、計略、ま、区別はつきませんが、まかり通ることであり、

生きるためにはどんな策をも仕掛けるのでした。

 

直虎も城主となったからには、井伊谷の皆を守るためなら、手段は選んでられません。

 

 

思い起こせば、直虎は少女だった「おとわ」の時代、

お寺に入った「次郎法師」の時代、

何度となく思いも寄らない行動に出る女性でした。

 

寿桂尼は二度も今川からの沙汰に背いた直虎に

申し開きに来るよう命じてましたね。

 

そこで、直虎はどんな手段に出るのか!

 

これが、今回の大事なところ。 シケンニデマセンガ

 

  

直虎は、傑山さんや昊天さんはじめ屈強の僧をお供に、申し開きをするため、

駿府に向います。

腕の立つ家臣の中野直之ですが、直虎の考えに反対で、

後見を小野政次に託せ、と言い張り、お供に来ません。

本職の武士は無しで、今川氏の館へと向かいました。

 

小野政次が同行しますが、この方お供の者と言えるでしょうか。ソコガワカラナイ

 

懸念していた事態、直親の時と同じことが起きました。

 

駿府に向かう途中で直虎一行を、何者かが襲ってきた!

政次は木の陰からその様子を見ている! 

 

傑山たちは敵に立ち向かい、直虎は駆け出すが追い詰めらる、南無三!

 

その時、どこからか矢が放たれた!

 

直虎が今川の館に行くことに反対だった、「中野直之」 でした。

あとから付いてきていたのですね~ ソウコナクッチャ

 

直虎はこれ以上お供の者を巻き添えには出来ないと考えたのでしょう。

 

後見を政次に託すと皆に告げ、井伊谷に引き返します。

 

そして、井伊谷に戻った直虎は何やら策があるらしく、中野直之に依頼し…

 

 … 

 

今川の館には直之に変装した直虎が寿桂尼の前にひれ伏していた。

 

ここでもう一度、確認しておきたいことがあります。

寿桂尼が、腹を立てて直虎を申し開きに今川の館に来させた訳ですが、

 

その一 瀬戸村、祝田(ほうだ)村に徳政令を出すこと

その二 井伊虎松の後見を小野政次に渡すこと

このふたつでしたね。

 

直虎はなにひとつ解決できていません。

 

寿桂尼は、改めて徳政令を行うよう告げた。

それを聞いた直虎は

 

寿桂尼らが編纂した「仮名目録」を引合いにだし、

「瀬戸村」と「祝田村」は寺領地であるので、如何なることも不入である

と、申し開きをする。

 

それに対し寿桂尼は、下知があれば従うことの方を先行させる事

と改められたことを伝え、徳政令を強く命じた。

にっちもさっちも行かなくなった直虎。

 

そんなところへ井伊谷の村人たちの嘆願書が届く。グッドタイミング♪

 

覚えたばかりのたどたどしい文字で、各々の名前が並んでいた。

更に、南渓和尚の文が添えられて、

村人が直虎に虎松の後見になってほしいと願っている。

 

『かつて義元公は、己の力量をもって国を納むるとのたまわれり

比ぶべくもない小さき力量なれど、直虎にもそれをお許し願い度存知奉り候

 何故ならば、それが井伊の民が望むところである故

その旨お伝えいたし度お目汚しとは承知の上差し出したる次第にて候』



南渓和尚(小林薫サン)の声が、この文を読み上げるシーンが最高で、

全文書かせていただきました

 

 

この文を読んだ寿桂尼は

『後見となって、井伊をどう治める?』

と直虎に問う。

 

直虎は、民を潤すことが、井伊を潤すこと、それが今川を潤すことになる、と。

 

いいですね~、今の政治家さんのお口から聞きたいねえ~

 

『後見を許す』

 

寿桂尼の返答に直虎、安堵の顔でした。

 

一方、政次の表情は?

何故か、ほっとした表情に見えたのですが、

 

 

政次は直虎に、『後見を降りれば命は助かる、井伊家は今川家から守れる』

と言ってましたが、どの様な気持ちから? 

直虎を今川から守りたかったのか、政次が井伊を乗っ取りたかったのか?

分からない

あの幼なじみの頃の政次の心は残っているのなら…

 

鶴の心が読めない

 

 

 

読めないな

 

ではまた

 

 

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長浜曳山祭

2017-04-16 17:51:10 | 行事

 

 

月に1度のシニアのためのカルチャークラブ

1月は新年会、2月は無し、3月は総会でしたので

久しぶりの遠出です♪

今回は、 

4月15日、「長浜曳山祭」 を見て来ました。 

今年は、ちょっと特別だそうです。

 

2016年11月、 「ユネスコ無形文化遺産」 に登録されたので、

その記念として15日の夜に11年ぶりに、全13基が御旅所に集結します。

 

  

 

早朝から長浜八幡宮に、平成29年度こども狂言を奉納する四基が並びます。

 

 

 

  

(向かって左から)      (演目)

 

諫皷山(かんこざん)    花祭長浜城  

春日山(かすがざん)    紅葉狩   

月宮殿(げっきゅうでん)   本朝廿四孝十種香の場奥庭狐火の場

                             (ほんちょうにじゅうしこう  じゅっしゅこうのば  おくにわきつねびのば)

青海山(せいかいざん)   伊勢音頭恋寝刃 油屋 (いせおんどこいのねたば あぶらや)


 

 

 

こども狂言の始まる前、八幡宮の参道での行列で

「太刀渡り・たちわたり」 


 

源義家ゆかりと伝わる、長太刀ををもつ長刀組の武者と力士の行列です。

 

長浜曳山祭の始まりは、長浜城主であった羽柴秀吉が戦乱で荒廃した

長濱八幡宮を再興し、八幡宮にゆかりのある源義家の

前九年・後三年の役の凱旋の様子を偲んで行った

「太刀渡り」(武者行列)にあるとされています。

そしてその後に町民が山を建造し曳山が行われる様になりました。

 

 

大変長い太刀ですね

 

9時45分より、こども狂言(奉納狂言)

が始まりました。 

狂言に先立ち 「三番叟」  が演じられます。

 

 三番叟(さんばそう)~能の演目「翁」より派生したもので、

番付の最初に演じられ、五穀豊穣を寿ぐものでもあります。

 

 

 「花祭長浜城」

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*この狂言は、羽柴秀吉が長浜城主になって、城開きの祝いをする時の様子で、

秀吉、ねね、石田三成と若い美男美女の間の恋騒動を描いています。

モーツァルトの「フィガロの結婚」 をお手本に歌舞伎化したもの。

ま、取り敢えず秀吉には不満は残るものの、めでたしめでたし!

の段でござりまする~~

 

相関図は、ご想像にお任せいたしまする~

 

と、ちょっと投げやりで、ごめんなさい

 

こんなお話を、子供が演じるだけでも笑いを誘います。

子供達はなかなかの演技派で、堪能させてもらいました

が、小雨とはいえ濡れながらの40分立ち通しは、しんどかったあ~

 

夜になると、御旅所という所に全12基プラス、長刀山(なぎなたやま)が 集い

こども狂言が演じられたそうです。

 

 このこども狂言を演じられる山組は12組ありますが、

毎年4山組が演じますので、3年にいちど狂言を担当するという事だと思います。

4組のことを、 「出番山組」

残りの8組を 「暇番山組」

と呼ぶそうです。

 

京都の祇園祭に似たところもありまして、4月1日~17日という長丁場のお祭りで、

華やかさの陰に大変なご苦労があるようです。

 

初めて見た長浜曳山祭ですが、国内32の山・鉾・屋台行事と共に登録され

これから益々盛り上がる事と思います。

地元の方々の喜びもひとしおの様ですね♪

 

他にも、長浜の街中を見て周りましたので、おいおいアップしたいと思います。

 

 

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2017-04-13 17:59:31 | 俳句・和歌

 

 

4月11日、今年初めてつばめを見ました。

早速、ものすごいスピードで飛んでいます。

 

 

じょうずに撮れませんね~

 

  

なんか、ゲイラカイトみたい。 

 

 

この日は雨でした。

つばめはとにかく

 

飛んで飛んで飛んで飛んで……♪

回って回って回って回~るう~~~♪

 

 

ところで今年 「びわこ虫」 という小さな虫が異常発生していまして

 

びわこ虫(実寸はこの半分くらい)

 

びわこ虫とは、ユスリカの仲間の総称だそうです。

とにかく3月頃から困ってました。

今まで見た事のない虫が、ベランダや共用部分の廊下や階段に

ウジャウジャとまではいきませんが至る所にいました。

 

つばめですが、この虫も食べてるのでしょうね。

『今年はエサが多いやん、ラッキー♪』

と言うかどうか分かりませんが、とにかくよく飛んでます。

 

ところが、つばめは今日は見かけません。

今日はまた寒くなって、

寒いから? つばめの休日? おなかいっぱいなん?

 

明日は食べてくれるでしょうか…

 

 

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松山千春コンサート・ツアー2017春

2017-04-13 17:39:21 | 松山千春

 

 

松山千春コンサート、春のツアーがまさに今日、4月13日から始まります。

今夜からです。

 

 

 

私も来月行きます♪

昨年の40周年記念の、武道館よかったです。

 

数年前の心臓手術後は、けっこう心配でしたが、復活されて

これからまだまだ歌ってもらえそうです。

 

春のスケジュール、下記のとおりです 

 

 4月13日(木)  川口総合文化センターリリア・メインホール(埼玉県)

 4月19日(水)  高知県立県民文化ホール(オレンジ)(高知県)

 4月21日(金)  松山市民会館(大ホール)(愛媛県)

 4月26日(水)  名古屋国際会議場センチュリーホール(愛知県)

 4月27日(木)         〃

 5月1日(月)   仙台サンプラザホール(宮城県)

 5月3日(水・祝)  大船渡市民文化会館(リアスホール)(岩手県)

 5月5日(金・祝)  盛岡市民文化ホール(岩手県)

 5月10日(水)   東京国際フォーラムホールA

 5月11日(木)         〃

 5月18日(木)   大阪国際会議場グランキューブ大阪メインホール

 5月19日(金)   大阪国際会議場グランキューブ大阪メインホール

 5月23日(火)   アクトシティ浜松大ホール(静岡県)

 5月25日(木)   三重県文化会館大ホール

 5月27日(土)       不二羽島文化センタースカイホール(大ホール)(岐阜県)

 6月5日(月)   福岡サンパレスホテル&ホール

 6月7日(水)   長崎ブリックホール

 6月9日(金)   鳥栖市民文化会館(佐賀県)

 6月14日(水)   広島文化学園HBGホール

 6月16日(金)   島根県民会館

 6月20日(火)   福井フェニックスプラザ

 6月22日(木)   ロームシアター京都メインホール

 6月27日(火)   ニトリ文化ホール(北海道)

 6月28日(水)       〃 

 

こんなかんじです。

皆さんのお近くでもコンサート、あるでしょうか

一度行ってみて下さい、怖いもの見たさででも(^_^;)

 

 

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