kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

京都散策

2016-04-30 12:30:40 | 京都

 

4月の初めにきぬかけの道を歩いて、

 

龍安寺~堂本美術館~仁和寺~妙心寺

 

と行ってきましたが、龍安寺と仁和寺しかアップ出来てません

 (べつに見たくない?)

 

 眠くなる前に、ひとつアップしよう~

(とは言ったものの、寝落ちして今になりました)

 

まずは、

 

≪ 堂本印象美術館 ≫

 

 

昭和41年に出来ました

 

なんとも個性的な建物です、一度見たら忘れられません

 

内装外装ともにデザインは堂本印象さんです

  

 

 

 摩訶不思議

 

真ん中のマスクは、印象さんのお母さんをモデルにされました

 

屋根に、 何でしょうか?

 

私にはタコに見えるのですが…すみません

 

 このパネルはドアの外側の取っ手です

ご本人の象徴的なデザインです

 

本来、日本画家とのことなのに、美術館の内外ともに

抽象的なものでいっぱいでした。

 

また、館内にはゆったりとしたスロープがあるのですが

まだバリアフリーをやかましく言わなかった時代から

印象さんが高齢の母のためにと設計されたそうです

 

美術館に母への想いをいっぱい詰め込まれたのですね

 

 

前庭にあったベンチ、これも印象さん作です

 

この日は甥にあたる「堂本元次」展が企画されていました

 

『 絵というものは構図(造型性)と色のバランスが完全に

均衡を保っている状態でなければ、生きた作品とはいえない 』

 

この様な言葉を残されています

 

( 俳句で言えば、どのような言葉を如何にバランスよく組立てるか

ということでしょうか )

 

堂本元次は、壮絶な戦争体験を持ち、

 

『 再び生きて帰れる望みも薄い戦地に赴きましたが、

もし生きて帰れるなら、

両眼と右手だけは決して失いたくないと強く思っていました 』

と言っていたそうです

 

また、広島では被爆し死線をさまよいながらも描きたいと強く思っていました

 

こんな戦争体験を持ちながらも絵に表現することはありませんでした 

 

元次にとっての創作の原動力は「喜び・感動」であり、

その中に戦争はかなかったという事でしょうか

 

元次の芸術に一貫して流れているのは

「静かで精神的な世界の追及」

 

展示されていた作品は油絵だそうですが、水彩画のようで

爽やかで、静かさを感じました 

 

この日、案内をして下さったのは身内の方で、

それはそれは、印象さんや元次さんへの愛を感じるお話でした

 

子供の頃接した叔父、印象さんの事を話される時は、

大好きなおじさんを懐かしんでおられるようでした。

身内の方だからこそのお話だなあと思いました

 

私は画才もこれまた、ありませんが素晴らしい絵の数々を

久しぶりに見れて、よかったです

美術館はなかなか敷居が高くて、

 

 

さて、この後は立命館大学で!

 

なんと!

 

学食で!

 

お昼ごはんです

 

こんな体験めったに出来ません!

 

何しろ、大学の校内に入ったのは節分に、吉田神社にお参りした際

チラッと外観を見ただけなので… 

 

 

いきなりドアップで (^_^;)

 

ハンバーグシチューと大学いもとサラダとおひたしだったかな

 

なんとこれで、484円ポッキリ

 

安いですね~ 

 

メニューはとても多いのですよ~

 

と、食事の話だけで終わってはいけません

 

 

校門です、印象美術館前から撮りました

 

このグリーンの広がってる辺りは以前はグラウンドだったと

知人が教えてくれました 

 

 時計がシンボルになってるのかな

 

建築なったばかりのピッカピカのキャンパス内施設、多分図書館 

コーヒーショップ、〇リーズがあるのは分かったのですが… 

 

法学部基本棟、ここの中に入ります

 

故末川博名誉総長の言葉

 

法というのは社会悪と戦う武器ということでしょうか

 

学食です

 

12時前で学生さんはチラホラ 

 

本屋さんです、教科書、辞典などがいっぱい平積みで

 

このビラは、催事の案内や勧誘だったかな

新入生は、クラブ決まったかな

 

折りしも、桜の季節であちこちの桜の木が満開でした

 

私の知人はここで学び関東に戻りました

京都に来てもなかなか母校に立ち寄る時間がないそうで、

写真いっぱい載せました

見てくれるかなあ~

 

もうすぐ5月、新入生も新しい生活に馴染んできた頃でしょうか

 

青春ですね~

 

 

 

コメント (2)

俳句雑誌が届きました

2016-04-28 17:40:06 | 俳句・和歌

 

月刊の俳句雑誌に載せて頂いたのを数句

 

あ、提出すれば載せて頂けるんですよ(^_^;)

 

季節が遅れてしまいましたが…

 

 

”  銀盤に笛の音高く鶴の舞  ”

 

 

”  啓蟄や公園デビューの母子かな  ”

 

 

”  物干しに忘る靴下春の雨  ”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (6)

真田丸船賃六文波枕 十一

2016-04-24 19:24:07 | 真田丸

 

                               (2016.4.22)

 

天下統一を遂げる豊臣秀吉の築いた大坂城

 

ここから南の方角に、かつて「真田丸」がありました

 

徳川軍の城攻めを阻止しようと、真田信繫が築き、

  

大坂冬の陣で見事、徳川勢を撃退した出城 「真田丸」です

 

お城は残っていませんが、「真田山」という名は残っています

 

 

小学校の名前、マンションの名前、商店、プール、

様々に「真田山」は付いていました

 

真田山の「三光神社」にある銅像

 

真田の抜け穴

大坂城に繋がっているといわれます。 

 

 

心眼寺

 

山門前には真田丸の跡を示す石碑がありました 

 

 心眼寺前に立つ 「真田幸村出丸城跡」 の石碑

 

 

「真田丸顕彰碑」 

この向こう側には学校がありました

 

戦の犠牲になった人達を供養されているのか

沢山のお寺が建っています

 

 

 

 この辺りはJR天王寺駅が近く、あべのハルカスからそう遠くない所です

 

 ↓ 「安居天満宮」 

 

「真田幸村戦死地」 とされる 「安居天満宮」

 

 

”  真田山幾多の魂落ち椿  ”

 

”  逃げ水の坂道くねる真田山  ”

 

……

 

大坂冬の陣では、信繫(幸村)達の野戦案が却下され

大坂城での籠城作戦が決定する

そこで信繫達は弱点である城の南側に「真田丸」(出城)を築いた

信繫は鉄砲隊を率いて敵に大打撃を与え、徳川勢は撤退

 

しかし、冬の陣の和睦に伴う堀の埋め立て工事の際、真田丸は取り壊される

更に徳川は信繫に寝返りを持ち出すが、信繫は断じて従わなかった

 

半年後、夏の陣勃発

信繫は家康の首だけを狙い本陣に突撃するも

次第に兵力で勝る徳川が挽回

安居神社に逃げ込んだが討ち取られたのだが…、

 

 

 

NHK大河ドラマ「真田丸」の中では、まだ先の話でございます

 

 

コメント (4)

でんでん虫、横断歩道を行く

2016-04-22 00:04:52 | 生きもの

 

 

 

でんでん虫が横断歩道を渡っていました

 

なんて律儀なでんでん虫ちゃん

 

最後まで見届けていませんが、無事に渡ったことを祈ります

 

 

 

コメント (4)

京都駅にて、アクアファンタジー

2016-04-21 18:19:34 | 京都

 

京都駅で、噴水見ました

 

 

 

 

コメント

小手鞠

2016-04-21 18:13:48 | 庭にて

 

 

小手鞠、咲いてます

枝を刈りこむだけですが、毎年咲いてくれます♪

 

コメント

龍安寺~石庭

2016-04-20 19:36:38 | 京都

 

きぬかけの道を歩いた日、龍安寺にも行きました

 

 

大雲山龍安寺

臨済宗妙心寺派

 

元は徳大寺氏の山荘だったものを、

宝徳2年(1450) 官僚細川勝元が譲り受け創建しました

開山は、妙心寺の義天玄承禅師

 

「石庭」   

 

十五個の石を配してあるものの、十五すべてをひと目で見るのは難しく、

 

なぜ見えにくい様にしてあるのか、

 

「満つれば欠くる」

 

「15」を完全なものとすると、完全は決して良い事ではない

 

という考え方です

 

人間は、完成し満たされるより、

 

未完のところから、完成へ近づこうと一生懸命励んでいる事を良し、とする

 

だから、敢えてすべての石を見尽くしにくい様にしてあるとも言いますが

 

この石庭の意味するものは、謎に包まれています

 

 

この庭は優れた禅僧達によって造られたと伝わります

 

石庭を囲む土塀は、なたね油が土に混ぜてあり、

 

それ故、油が変化するに連れ塀の色を変えてきました

 

 

 

皆さん熱心に鑑賞されていました

外国の方も、修学旅行の女学生も 

 

 

 

水戸光圀公の寄進といわれる「つくばい」 

 

茶室「蔵六庵」の露地にある、蹲踞(つくばい)

 

「つくばい」

茶道の習わしで、客人が這いつくばるように手を清めたのが始まりである

茶事を行うための茶室という特別な空間に向かうための結界としても作用する


と、Wikipediaにありました

 

(パンフレットより)

 

 

中心の 「口」 を四文字が共用していて、

 

『 吾唯足知 』 

ワレ タダ タルコトヲ シル

 

となり、禅の格言を謎解きに図案化された、つくばい

 

「佛遺教経・ぶつゆいきょうぎょう」

お釈迦様の遺言のお経の中にある教えからとったもので、

禅の真髄であり、茶道の精神でもあるという

 

「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」


こうして拝観していると、禅問答の様ですが、

心安らぐ光景も見ることが出来ました

 

鏡容池

 

平安時代には貴族が舟遊びをしたり、またおしどりの名所でもありました

 

江戸時代の「都名所図会」にも紹介されていました

その頃は、「石庭」よりも、回遊式庭園である「鏡容池」のほうが

有名だったようです

 

 都名所図会(江戸時代)

 

 

 鏡容池

 

 

 

 

しがらみに寄りてからまる花筏 

 

 庫裡

階段の左端の竹垣は 「龍安寺垣」 と呼ばれる

 

方丈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石庭の外側 「油土塀」 

 

 

 湯豆腐、看板だけ見て、スルー 

 

 

 

山門より入り山門より出ました

 

境内はとても広く、沢山歩いたので疲れた人もちらほら…

 

”  花疲れ一万五千歩靴を脱ぐ  ”

 

 

コメント

黄色いヘリコプターは報道用でした

2016-04-16 12:53:19 | ニュース

 

先日、飛んでいた 

 

黄色いヘリコプターですが、ネットの検索によりますと

 

「 JA004M 」

 

報道ヘリコプターの様です

 

 

他の写真で少し角度の違うところから

 

 

 

 

 

 

 

「JA004M」の画像検索結果

JA004M 参考写真(ネットより)

 

 

取材中だったのか?

 

心配りのある報道を願っています

 

最後は、南西へと飛んでいきました

 

 

コメント (6)

黄色いヘリコプター

2016-04-14 17:53:26 | ニュース

 

今日、11:30頃

 

爆音とともに上空を旋回してました

 

3回は旋回したと思います

 

 

  

 

 

 

 

くるくる回って、何か事件でもあったのでしょうか?

 

新幹線のドクターヘリと同じようなのかな?

 

それにしても、黄色いのは飛行機みたいにがっしりして、速いし

 

もうひとつも速く、なかなか捉えられずこの写真一枚だけで貴重です

 

動くものは撮りにくいです、やっぱり

 

 

コメント (3)

雲海

2016-04-14 17:15:39 | 四季折々に

 

今朝の比叡山

 

 

 

 

比叡山から南西の山へ

 

雲の帯が続いていました

 

辺りも霞んでいます

 

” 今夜のお酒はおいしいわ 蕎麦焼酎 雲海~ ”

 

のCMありました

 

寒いのか暖かいのはよく分かりません、今日も

 

 

コメント