kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

お茶の花

2010-11-16 08:10:00 | 庭にて

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小さな木ですが、お茶の花が、いっぱい咲いています。

     

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ほとんどが下向きに咲いている中で、ひとつ、上を向いているのがありました。

            

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これは、横向き~い。 みんなバラバラや~ (^^♪

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サフラン

2010-11-16 08:07:07 | 庭にて

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サフランが咲いているのに、気付いた時は、もう散る間際でした。

      

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よく見ると、つぼみもありました。

よお~し、 今度は見頃を見るぞ~!

          

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龍馬点39

2010-11-16 01:21:09 | 行事

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11月15日は坂本龍馬の命日。

京都河原町通三条から近い、「酢屋」 で「坂本龍馬追悼」 として、

酢屋の玄関先に祭壇が設けられていました。

    

かつて、龍馬や海援隊の面々の居た二階の部屋には、いつもの展示に加え、

「海援隊日記」 「異国船渡来記」 が展示されていました。

この二つは、昭和3年に酢屋が天井を修理しようとした時、

天井裏から見つかったそうです。

「海援隊日記」 は海援隊の人によって、龍馬の暗殺されたことや、

お葬式の様子、例えば、お葬式は神式で執り行うとかが記されています。

「異国船渡来記」 は、彦根藩の人に龍馬がもらったもので、

彦根藩が調査したことを書いたものの写しを貰ったようです。

内容は、久里浜に来た外国の軍艦や船員の数、様子が、図解と共に

記されています。

   

この「酢屋」 とは創業288年の材木屋で、龍馬をかくまった当主は六代目、

今は十代目で、龍馬や海援隊の居たことのあるこの店を残し、

後世まで受け継いでいくことを使命としているとのことでした。

   

龍馬は、ここから近い「近江屋」 で襲われましたが、

その三日前まで、ここ酢屋に居たことになります。

      

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「近江屋」の跡 (河原町蛸薬師下る)の石碑のある所にも

花が手向けられていました。

     

また、悔しさが込み上げてきました…。

    

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