kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

不思議な雲

2010-11-23 12:19:54 | ブログ

見たことのない形の雲が、長崎の空に現れていました。(10.29)

      

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まるで、白い布を広げたような…、

雲の境界が真っ直ぐです。

「松が枝国際埠頭」 の豪華客船の上にも 「大浦天主堂」 から見た空にも、

「旧三菱第2ドックハウス」 のバルコニーや南国の花の咲く庭の上にも、

真っ直ぐに…

何かを暗示している様に…

            

       

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龍馬点43

2010-11-23 11:41:05 | 旅行

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旧グラバー住宅です。

        

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台所: 床に使われているのは、「こんにゃく煉瓦」 と言います。

普通の煉瓦より薄く、こんにゃくの形をしていますが、

縦に並べているので、とても頑丈だそうです。

ここに入った時、温かい雰囲気を感じました。

ああ、こんな台所でごはんを作ったりして過ごしてみたいなあ~。

    

       

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修学旅行生らしき男の子が、興味深げに覗いていますが、

この中はと言いますと…、

       

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グラバー氏は大浦慶とも仕事上関わりがありました。

お茶の貿易をしていました。

この釜で、お茶を煎っていたこともあるそうです。

        

        

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300歳の蘇鉄 : 

グラバー邸の庭にあるこの蘇鉄は、グラバー邸が建てられた当時、

薩摩藩主、島津侯から贈られたもので樹齢300有余年、国内最大級のものです。

      

         

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斜面市街地移送機器・ラックスカーRC2200 :

グラバー邸の近くにありました。

やはり急な坂道での物の搬送には、苦労がありますよね。

      

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さて、この館のご主人さま、「トーマス・ブレーク・グラバー」 

     

スコットランドに生まれ、20歳で上海に渡り、イギリス商社に勤めました。

21歳で、長崎開港と同時に渡来し「グラバー商会」を設立しました。

当初は、お茶、生糸、海産物、後には艦船、武器を扱い、

諸藩に販売、龍馬や桂小五郎をはじめ、幕末の志士達とも深く関わりました。

また、薩長藩士の渡欧(密航)を斡旋するなど、明治維新にかけての

政治的なことにも関与してきました。

後年は、三菱の相談役として活躍しました。

    

    

グラバー邸の中は、観光客でいっぱいでした。

写真撮影も遠慮がちになりましたが、グラバーの妻、「ツルさん」の

お部屋のクリーム色の天井に、隠し部屋の小さな入り口がありました。

グラバーは法を犯してまで、薩長藩士を守ったので、

必要な部屋だったのでしょうね。  グラバーは後に、

      

「自分は徳川幕府にとって、最大の反逆人だった…」 と回想しています。

      

何回目だったか、「龍馬伝」では、龍馬とグラバー(ティム・ウェラード)、

大浦慶(余貴美子)、小曾根乾堂(本田博太郎)が中国風な部屋で

マージャンに興じているシーンが心に残ります。

     

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龍馬点42

2010-11-23 09:31:04 | 旅行

龍馬ゆかりのスポットからスポットへと線で結び、歩き、撮りました。

線上のカメラマン…? (^_^;)

     

「グラバー園」も、歩いてきました。

前に書いた、「旧三菱第2ドックハウス」 もこの中にありました。

     

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グラバー園の入り口に来て、驚いたのは、こんな山の中にエスカレーターが!

いちばん、高い所にある「旧三菱第2ドックハウス」 の近くまで、運んでくれました。

ほんと、これが無かったら大変でした。なにしろ、この高さです!

       

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「旧ウォーカー住宅」 ↑ です。

英国の船長で、三菱系列及び日本郵船に勤務したロバート・ネール・ウォーカーの、

次男、ロバート・ウォーカー・ジュニアが大正時代から亡くなるまで住んでいました。

この家は、明治の中期に大浦天主堂の隣に建てられたもので、

屋根から突き出た庇など、細部に日本趣味が繁栄されています。

また、ロバート・ネール・ウォーカーの兄、ウィルソンは郵便汽船三菱の

監督船長に抜擢されています。

その後、横浜でグラバー氏と共に「ジャパン・ブルワリ・カンパニー

(キリン麦酒の前身)」 を設立しました。

     

ウォーカー一族は、日本の海運業などの発展に大変貢献したのですね。

       

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「旧自由亭」です↑。我国初めての西洋料理店の三度目の屋号が「自由亭」 です。

初めは「良林亭」 

始めたのは、「草野丈吉」 です。

出島オランダ商館内で「草野丈吉」 は西洋料理を見習い、オランダ軍艦の

コックとなり技術を習得しました。

       

かつては、亀山社中の近くに店を開いたこともあり、

ひょっとしたら、新しいものの好きな龍馬のこと、

自由亭で、西洋料理に舌鼓を打ったかもしれませんね。

    

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