礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「本は ふしぎなやつである」(小西甚一)

2018-10-18 00:26:29 | コラムと名言

◎「本は ふしぎなやつである」(小西甚一)

 先日、某古書店の百円均一の棚に、小西甚一校訂『梁塵秘抄』(朝日新聞社、一九五三)を見つけた。「日本古典全書」第四九回配本、定価二二〇円。
 中に、「日本古典全書/梁塵秘抄附録/古典の窓」という、二つ折り四ページの通信が挟まっていた。そこには、永井義憲「上品王と影堅王」、小西甚一「放射能」、「わさびの文学」という、三つのエッセイが収録されていた。最後の「わさびの文学」には署名がなく、そのかわりに、文末に、(倫)とある。
 本日は、これらのうち、小西甚一の「放射能」を紹介してみたい。

  放 射 能    小西 甚一

 本は ふしぎなやつである。自分の研究に必要な本は、いつとはなしに先方から集まつてくる。珍奇な貴重文献でも、零砕な小冊子でも……何か放射能みたいなものが研究者から発散して、古書肆にひろがるのかもしれぬ。必要な本がだいたい手もとにそろつたころ、その研究も、何とか形ができてくる。
『梁塵秘抄』は、佐佐木信綱博士によつて、合計六回、刊行された。そのうち、五種まではわけなくそろつたが、第二次の増訂版だけ、どうしても手に入らない。これは、無理もないので、大正十二年七月十五日付で発行し、九月一日の震災でほとんど焼けてしまつたのだから、いくらも世に残らなかつたらしい。私が秘抄研究にとりかかつた昭和八年以来、かなり熱心に探したが、あまり出あつたことがない。いちど神田でぶつかつた。そのときは、あいにく嚢中がさびしくて、翌日いそいで駈けつけたけれど、その棚には、すでに姿が無かつた。いまの学生とちがつて、名刺でもおいて「明日まで頼むよ」と交渉するほど心臓が鍛錬されていなかつたとみえる。
 しかし、研究材料として、この増訂版は、たいへん重要なのである。多くの学者の?究論文や参考文献をこれほどたくさん載録した版は、増訂版だけである。第三次の改訂版では――たぶん採算の関係で――それらはあつさり割愛されてしまつた。増訂版は私どもの研究室に一冊あるので、何とか間には合つたけれど、やはり手もとにおきたい。手もとに無いと不便だからとか、研究室の本を独占してはわるいからとかいつた理由は表むきで、内実は、自分の書架で埃まみれに積んでおかないと、何だか落ちつかないのである。
 ところで、その増訂版にめぐりあつた第二回めは、昭和二十七年五月四日、本郷のさる書肆である。正札に一八〇円と付けてある。一八〇〇円の〇がひとつ落ちたのかもしれない。それだと、やはり嚢中がすこし怪しい。が、現在の私は、おそるおそる「この正札はこれで確かですか」と訊いてみるほどでもない。さつさと払つて、本を包ませながら、店員に「廉いね。いまの相場はこんなものかな」など当つてみる。「はあ。この本は市でも廉いですよ」。果然正札は本ものなのである。しかし、我がものになつてみると、何かさびしい感じもする。親愛なる秘抄がこんな値段で取引されることは、親戚のやつが破産したのと同じで、あまり肩身のひろいものではない。はじめ出あつたときは、たしか一〇円であつた。四円の定価に対する一〇円だつたから、まさに光り輝いて見えた。一八〇円では、何だかわびしすぎる。これは、手に入れてしまつたからの感慨である。
 私のものになった増訂版は、ほとんど繙かれた形迹がない。発行当時、出版元である明治書院が折り込んだ赤い近刊書予告まで、そつくり手つかずである。それをまた、そつくり手つかずで書架に抛りこんでしまつた。私も、この増訂版を繙くことは、将来、あると期待するよりも、ないと諦観する方が、よほど確からしい。運のわるい増訂版よ。私が秘抄研究を通ざかつてから、かれこれ十年以上になるからである。光り輝く正札で転がりこまないで、うらぶれた値段で私に身を寄せてくれたのは、これも縁かな。秘抄熱中時代の放射能が、まだいくらか残存したのかもしれぬ。

 冒頭の一行は、「本は ふしぎなやつである」と、一字アキになっている。おそらく、わざとそうしたのであろう。
 小西甚一(一九一五~二〇〇七)は、一般に、中世文学を専攻する国文学者として知られる。ウィキペディアによれば、英語・中国語・ドイツ語・フランス語に通じていたという。国文学者というワクを超えた、国際的な日本文学者だったと言ってよい。
 いずれにしても、「国文学者」には似あわない洒脱なエッセイではある。たぶん、埋もれた文章になっていると思ったので、あえて全文を紹介した次第である。

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