礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

キリスト教はローマ法によって作られた宗教

2024-10-09 00:57:14 | コラムと名言
◎キリスト教はローマ法によって作られた宗教

 佐伯好郎の『支那の景教に就いて』(初出、1931)を紹介している。本日は、その九回目。

 基督教を国教とせるローマ帝国ではその位極端に三位一体といふものを励行したのであります。而してこの三位一体の方から申しますと景教も矢張り三位一体説を固守して居ります。従つて景教も『キリスト教』です。そして三位一体の原則として四個のことが決定せられて居る訳であります。(第一)はキリストは人間であるといふことです。(キリストの人性)若しキリストを人間としませぬとキリストが万民に代はりて罪の償〈ツグナイ〉を為したこと即ち万民の借金を払つて下さつたと云ふても駄目だといふことになるのです。自然人イエスを支配して居りましたローマ帝国の諺に依りますと、『金なきものは皮膚を以て支払はねばならぬ』といふのがローマ人の観念です。これがローマ法の規定であります。新約聖書希伯来〈ヘブライ〉書の中にも『血を流すことあるに非ざれば救はるゝことなし』といふの語があります。これは猶太民族の意思であると同時にローマ法の規定であります。又『身体の一部分は切取ることを得、此の場合に於てより多く切取るも、より少く切取るも罪とならず』とはローマの十二表法第三表に書いてあるのです。だからローマ法の原則に依ると人間の神様に対する借金は金で払ふか又は身体で払ふかしなければならぬと云ふのです。ですからイエス、キリストが人類を救ひ給ふといふことに付てはローマ人はキリストたるものは万民に代りて死んで呉れなければ全人類の罪は償はれないといふのです。これがキリスト教の根本的観念である。故にキリストを単に神とし之に人性なきものとしたならば人間の為に弁済する救済する支払の能力がないといふのがローマ法の思想であります。従つてキリストの第一要件はその『人性』であつたとして居ります。第二はキリストは全き神であると云ふことです。(キリストの神性)即ちキリストは全き人であると同時に又た全き神であるとして居ることです。第三はキリストは人性と神性と神人合一性であるとするのです。神と人とがキリストに於て合一して居るのであると主張するのです。第四は神人両性キリストに於て合一して居るが両者は人ともつかす神ともつかざるものでない。神人両性が併立して不滅である。即ちキリスト神人両性の併立不滅といふことである、これらの四大原則はキリスト教正統派の主張するところである。要之〈ヨウスルニ〉、三位一体といふのはキリストは人間であり神であり、神と人とが一人に合一して、しかも何時までも神人の性質が併立して居つて決して失はれない。而して精霊は父と子より出づると云ふのである。全人類の為に救主〈スクイヌシ〉として十字架の上に於て死んだキリストは神性のみを有したとすれば神が十字架の上で死んだのかと尋ねられることゝなつて来るのです。それでこの非難を免れる為にキリストは神であつて且つ人である。神人両性合一、併立不滅といふドグマが出来たのです。此の『ドグマ』を決めたのが西暦三百二十五年のニケヤ宗教会議であります。そして是等の決議がローマ帝国の法律となつたのであります。今日のキリスト教と申しますのは極く露骨に申しますと『羅馬法に依つて作られた宗教』【ローマン、ロー、メイド レリジヨン】であります。孔夫子〈コウフシ〉の教は儒教の全部ではありませぬ。支那の儒教といふものは矢張り〈ヤハリ〉孔夫子の教を基として国家が作つたのです。孔夫子の教に国家主義を加へたの儒教であります。イエスの教を骨子とし之にローマの国家主義が入つたのが所謂キリスト教であります。そしてその土台を為したのが此の三位一体の『ドグマ』であります。此点までの処はキリスト教も景教も同じであります。キリスト教について申したところは景教に適用があります。果して然らば景教とキリスト教とはどこが違ふか。これが問題です。一言で申上ますと前述中の第四点の一部の違ひであります。即ち(第一)キリストは神と人との合一であると云ふ。此の点は天主教もプロテスタントも又た景教も絶対に違はないのであります。(第二)そして人間の性質と神の性質とがキリスト・イエスといふ人格に於て併立して居つてどこまでも失はれないといふことも天主教も新教も景教も共に之を認めるのであります。併しながらこの神性と人性とが何時から合一したかといふ時間の問題があります。この何時から合一したかといふ問題に於て景教と天主教とが一寸分離するかの如き外観があるのであります。此処が景教とキリスト教との論争点であります。今日のキリスト教では自然人たるイエスが精霊によりて処女マリヤの胎内に宿つた時からキリストの神人両性が併立したのである。神の道(ロゴス)が肉体となつた瞬間から神人合一である。故にマリヤは自然人たるイエスの母である同時にキリストの神性の母である。これも景教も同じである。併し神の道が肉体となるとは所謂インカーネーシヨンである。之は肉対的であると同時に精神的のものであつて、処女マリヤに宿つた所のものはキリストの人性が宿つたのである。キリストの神性でない。キリストの神性は処女マリヤの身体を離れて世に現はれる瞬間に天地の始より存せし如く神力の倶有せしめ賜ふところであるといふのが景教の主張であります。こゝでどこが違ふかといふと、キリスト教の方では処女マリヤを拝まなければならぬ。処女マリヤは『神の母』であるからと云ふのである。即ちマリヤ神母説である。何故かといふと処女マリヤに神様が御宿り賜ふたのであるからである。所が景教の開祖ネストリユースの申しますのにそんなことはあり得ない。マリヤは人間イエスの母である。イエスはキリストである。故にマリヤを『キリストの母』と云ふのはよい。併し『神の毋ではない。神には母はない。』といふのが景教の主張であつたのです。是が景教論の土台であります。従つて何時如何なる瞬間にイエス・キリストに於ける神人両性は和合して一体となり始めたかといふ問題に関して景教とキリスト教との間に重大なる相違が生ずるのです。景教はイエス、キリストが人として生れた瞬間、即ちマリヤの母胎を離れる瞬間に神の威力に依つてキリストの神性が加へられたのであると言つたとか云はないとか云ふのが争の本源です。門外漢には極めて下らないことと思はれるこんな細かい問題が大問題となりローマ帝国の内外の治安を非常に攪乱いたしました。それが為に西暦四百二十八年ローマ皇帝の勅命に依つて再度の宗教会議が小亜細亜のエペエサスといふ所で開かれたのであります。御承知の如くキリスト教の三位一体も説は元来エジプト方面から出たのであります。又たこのマリヤ崇拝説もエジプトから起つたのであります。エジプトには古代からエジプト固有の三位一体説があつたのです。又たエジプトのアイシスといふ神が矢張り女神であります。このエジブトから起つた三位一体説が西暦三百二十五年にはキリスト教の教理に入つて参りました。それから又た約百年を経て西暦四百二十八年にはこの小亜細亜のエペエサス会議でマリヤ崇拝説が勝利を得て遂にキリスト教会に入つたのです。この時から景教の開祖ネストリウスがキリスト教正統派を追出された訳であります。而して景教徒は法律上ローマ帝国内には居れないことになりました。そこで彼等はペルシヤ領内に逃げて行きました。而してペルシヤから中央亜細亜や支那に出て来たのであります。此処に亜細亜の地図を持つて参りました。この地図の白い紙を貼つてある所が景教の主なる大本山や大教堂のあつた地点であります。この地点がコンスタンチノープルである。このコンスタンチノープルの法主が西暦四二八年にはネストリウスであつたのです。
 ネストリウスとアレキサンドリヤの法主であつたキリルとが表面上はマリヤ崇拝説で争つたのです。但し裡面はコンスタンチノープルとアレキサンドリヤの勢力争となつて居たのです。而してネストリウスが敗たのです。このネストリウスに勝つたキリル〔Cyril〕といふ人は、英国文豪キングスレーの小説の「ハイペシヤ」(Hypatia)で知られて居る人物です。即ちネオプラトニズムの女哲学者を虐殺したのがこのキリル法主です。キリル法主はハイペシヤを虐殺してから丁度十一年目に又ネストリウスをコンスタンチノープルから追出して郊野で横死せしめたのです。そして敗けたネストリウスの信徒等はこの白紙貼つてある場所を段々と逃げて来て、遂に波斯〈ペルシャ〉、支那印度地方に入つて来たのです。そして大食〈タージ〉国即回教の国を通り抜けて支那方面にやつて来たのであります。又た此の真鍮製の十字架の紀章は此の黄河の廻る処から出るのであります。これも景教関係のものです。〈附録33~37ページ〉【以下、次回】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする