礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

浜尾四郎「ギヨチーヌ綺談」(1931)

2018-10-14 06:51:08 | コラムと名言

◎浜尾四郎「ギヨチーヌ綺談」(1931)

 先日、『犯罪科学』のバックナンバーに、「ギロチン」に関する記事を見つけた。『犯罪科学』第二巻第二号(一九三一年二月)、浜尾四郎「ギヨチーヌ綺談」である。機械名の「ギヨチーヌguillotine」と個人名「ギヨタンGuillotin」を混同するなど、今日の水準からすれば、十分でないところも見受けられるが、当時としては、かなり詳細な紹介になっていると思われる。
 浜尾四郎(一八九六~一九三五)は、検事、弁護士、探偵作家で、子爵。貴族院議員も務めたが、四〇歳で急死したという。
「ギヨチーヌ綺談」は、全部で六節からなっているが、本日は、そのうちの第一節を紹介する。

 ギヨチーヌ綺談   浜 尾 四 郎

  一、ギヨチーヌの起源
 死刑といふ刑罰を廃止すべきか或は存続するか、といふ事はよく法律の間【あひだ】其他の識者間に論ぜられる問題であるが、兎【と】も角【かく】現在では多くの国家が此の刑罰を明かに認めて居るのである。然しながら、死刑執行の方法は国により必しも同じではない。
 我国では一般に知られて居るが如く絞首である。而【しか】して刑の執行は非公開で刑務所内で行はれる。一般人が死刑の場合絞首にされる事は刑法第十一条第一項に明かにされて居る所である。
 英国に於いても此の方法が採用されて居る。判決の言渡しの時にはつきりと裁判長が云つて居る。死刑の宣告の時、『汝【なんじ】はそれより刑場に趣き、咽喉部【いんこうぶ】を汝が死に至るまで縊【くゝ】られるべし』といふやうな言葉が必ず謳【うた】はれて居る。
 米国に於いては各州それぞれ方法があるらしいが、電気椅子に戴せる方法があるのは既に読者の知つて居【を】られる所だらう。米国の本などを読むと『椅子に行く』といふやうな言葉が出て来ることがあるが無論之は電気綺子にのせられる事を意味するのである。
 ところで仏国【ふつこく】であるが此の国では今でも首切りが行はれてゐる。有名なギヨチーヌ〔guillotine〕といふ恐ろしい首切機械にかけられるわけなのだ。
 どの方法を採用するにせよ、第一の目的は少くも現今では罪人の苦痛を少しでも減少させるために最良の方法としてえらばれて居るわけである。私はここにフランスに於ける死刑に就いて聊【いさゝ】か述べて見たいのである。
 一七九二年三月二十日発布された法令により、一般人の死刑はギヨチーヌで行はれる事に定【きま】つた。
 ギヨチーヌを発明した人は、ドクトル・ギヨチーヌであつて而も彼がその機会の最初の犠牲者である、とは一般に伝へられてゐる所だけれ共【ども】、実は之は誤りである。
 国民議会でドクトル・ギヨチーヌ〔Joseph Ignace Guillotin〕が、此の機械採用の提議をしたのは事実である。彼は、首切りのやうな事は人の手でやらず、機械に行はせるのが人道的であるといふ論旨からこの提議をした。
『諸君、この機械によつて、私は諸君の首を一瞬の間に飛ばせる事が出来るのである。而し諸君はその時、痛いとも痒いとも感じてゐるひまはないのである』
 此のユーモラスな発言に対して、全会員が思はす失笑した。而してギヨチーヌの名が歴史に不朽のものとなつたのであつた。
 ドクトル・ギヨチーヌがその当時の首切り法の代りに用ひやうとした首切機械は実は十五世紀頃【ごろ】からヨーロッパでは知られて居たのである。
 一五〇六年五月十三日にジエノアで死刑を執行されたデメトリ・ユスチニヤンといふ人間を美事【みごと】に死に至らしめた機械は丁度【ちやうど】ギヨチーヌのやうなものである事が記録されてゐるし、又一六〇〇年にベアトリス・ツエンチといふ人間の首をはねたのも同じやうなものであつた。スコツトランドでは『少女』と呼ばれる同じやうな道具があり、一六五一年と一六八五年にアーデル侯及びその息子の首を切つてゐる。
 ところでドクトル・ギヨチーヌの提議が採用され、ここに愈愈【いよいよ】この道具が用ひられる事になつたがその第一のプランを立てたのはラキアントといふ男で代つたのはトビヤス・シユミツツ〔Tobias Schmidt〕といふ男だつた。トビヤスは当時ピアノ製作者だつたといふから、彼は、芸術品を作るつもりでこの首切り機械を作つたかも知れない。
 此のギヨチーヌ刃が内側に向つてまづ頸部をとばす前に、それをしつかりと囲むやうに出来たのであつた。ところが、多少機械の知識をもつてゐたルイ十六世は、この代りに下向きにとがつた三角形の刃を用ひさせた。ルイ十六世のこのギヨチーヌ改良の命令は実に彼の最後の命令だつたといふのは、彼は一七九三年一月二十一日にまづ自身その改良機械にかけられなければならなかつたからである。皮肉にも、この時の切れ味はまさに彼の機械改良家としての頭の良さを証明したといふ事である。
 現在フランスで用ひられてゐるものは、之に更に改良を加へた形のもので一八七五年に採用されたのである。

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