礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

首が飛んで糠を入れた籠の中に落ちる

2018-10-15 00:12:22 | コラムと名言

◎首が飛んで糠を入れた籠の中に落ちる

『犯罪科学』第二巻第二号(一九三一年二月)から、浜尾四郎の「ギヨチーヌ綺談」という記事を紹介している。本日は、その二回目で、同記事の第二節を紹介する。

  二、ギヨチーヌの用ひられる時
 フランスの法律によれば、死刑は公開の場所で行はれる事になつてゐる。勿論此の死刑公開といふ事に対しては賛否の議論が中々あるがともかく公開といふ事になつてゐる。たゞし真昼間【まひるま】やるわけではない。大体暁【あかつき】に行はれるのだ。
 死刑執行の日には、まづ裁判官、公議権の代表者たる検事総長或はその代理人、書記、それから教誨師、及び被告人の弁護人が檻房にはいる。
 Magisrate(邦語に適訳なし)が被告人に対していよいよ死の時が来た事をつげ、ざんげを云はしめ又彼の云ひ遺【のこ】したい事を聞いてやる。但しこの場合被告人に勇気をつけてやる事を忘れない。勇気とはつまり殺される勇気である。この最後の被告人の言説中にもし裁制を動かすに足る事実を認めた時は直【たゞち】に裁判官はその執行を見合せるのである。囚人が女であつた場合は妊娠の意識がありや否やを確め、もしさうらしい時は一時執行を見合せて医師に診察させる。
 次に約二十分間、囚人は教誨師とさし向ひになれる。無論ざんげをする為にである。
 それから被告人に最後の食事又はシガレツトが与へられる。被告人が最後に望むものは与へられるのが原則だけれども薬などは勿論与へられない。
 次に愈々執行人がはいつて来て、まづ被告人のシヤツを切る。之は頸部をはだかにする為、つゞいて綱をもつて手足を縛るが之はいふまでもなくいざといふ場合に被告人が死者狂ひになつてさわがぬ為である。但し足は歩ける程度にしておく。
 それから憲兵の一隊に囲まれて被告人はギヨチーヌの建てられて居る刑場に行くのである。
 無論或る一定のスぺースは兵隊に守られて法官その他の係り官以外の者はその中に入れられぬ。
 かくして用意とゝのへば被告人は板の上にねかされ首を刃【やいば】の下におかなければならない。執行人がボタンを押す。刃が落下する。首が飛んで糠【ぬか】を入れた前面の籠の中におちる。
 かくて正義は保たれたり。刑は終る、といふ次第なので、手つゞきはいたつて簡単、ドクトル・ギヨチーヌが議会で述べた通り、事は一瞬にして決してしまふのである。
 刑が執行されると直に白木【しらき】で出来た柩【ひつぎ】が運ばれ、素早く死体が収容される。仰向【あふむ】けにねかし、首はひろげた両脚の間におく。それから車に載せられて埋葬墓地に運ばれ、最後に牧師の祈りがあつてここに人生一代が完全に終【をはり】をつげることになる。
 此の祈りが埋葬の唯一の儀式であるが大げさには出来ない。若【も】し被告人の親戚が特に乞ふ場合には死体はそれらの人々に渡さるべし、但し儀式を用ひざる事を要す、といふ旨がフランス刑法第十四条にちやんと記されて居る。又もし親戚達がこの要求をしない時は通常、死体は解剖に附せられ学術上の資料に供される。

 文中、magisrateという言葉が出てくるが、これは英語で、フランス語ではmagisratという。「司法官」という意味らしい。
 また、「被告人」とあるところは、「囚人」ないし「死刑囚」とあるべきと思うが、原文のままにしてある。

*このブログの人気記事 2018・10・15(10位にかなり珍しいものが)

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