礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

死刑は一般に犯罪が忘れられた頃に執行される

2018-10-17 03:54:26 | コラムと名言

◎死刑は一般に犯罪が忘れられた頃に執行される

『犯罪科学』第二巻第二号(一九三一年二月)から、浜尾四郎の「ギヨチーヌ綺談」という記事を紹介している。本日は、その四回目(最後)で、同記事の第三節の後半を紹介する。

 Deiblen(jr.) 前項同名の子にして現代の執行人。余(モーラン)はここに彼自身余にあてたる手紙を公開し以つて彼の性格をしらしめんとす。
『小生は個人としては、犯罪の惨虐性なほ死刑の存続を必要とせざるを得ざる現今の有様【ありさま】を悲しむものに候【さふらふ】さりながら苟【いやし】くも死刑にして厳存する以上、今少しく厳格に適用せられざるべからずと信ずるものにござ候。然るに死刑の宣告を受けたるものゝ三分の二はその実、刑を行はれずして赦【ゆる】さるゝが現在の有様に候【さふら】へどもはたして如何なるものにや。
 最近十五年間にありては死刑の執行は、四ケ月乃至【ないし】五ケ月に於て行はるゝを常とする、犯罪が一般に忘れられたる頃に行はるゝが通常に候(筆者〔浜尾〕曰く読者試みにその理由及び是非を一考せられたい)。
 死刑執行はそれ自体極めて簡単なるものに候【さふらふ】而【しかし】て被告人の或者は勇敢に、あるものは怯懦【けふだ】にござ候こゝにその数例を聊【いさゝ】か申述べん。
 ダビッド。彼は一八九二年三月二十一日、サンナザルに於いて刑の執行を受け申候【まをしさふらふ】。二人の婦人を惨殺したるが彼の犯罪に候。彼は甚だ剛勇、ギヨチーヌまでの足取りもしつかりといたし居り、ギヨチーヌの下に於いて一場のスピーチを致し候。まづ神に赦しを乞ひ、次に群衆に向つて自己の行為をのべてざんげし、犯罪人の末路として、世のいましめたらん事を述べ、然る後従容【しやうよう】として死に就き申候。
 アナステー。一八九二年パリに於いて執行さる。身かつて軍籍にあり。デラール男爵夫人を殺し、なほその召使を殺さんとしたる廉【かど】にて死刑を言渡され候。彼は最後に群衆に向ひ
『諸君、汝の務めを励行せよ』と自ら命令して死につき申候。
 ケーニグシユタイン。一八九二年七月十一日モンブリゾンにて刑を執行されたる甚だ危険なるアナルキス卜。彼はギヨチーヌに着くまで裁判官に対して冷笑をあびせ、教誨師をも罵り候。自己の行為を決して誨いずとなし、卑猥なる歌を唱【うた】ひつつ首を落され候。
 カゼリオ。一八九四年八月十六日リヨンに於て執行。犯罪は大統領カルノーを暗殺したるものにして彼も亦アナルキストにござ候。彼は刑場に赴くや戦慄やまず、ギヨチーヌの下に至りし時はほとんど失神の状態に候【さふら】ひき。』(以下略)

 最後の(以下略)は、原文にあったものである。
 この節の前半で、筆者の浜尾四郎は、パリの警視総監アルフレツド・モーランの「執行人銘々伝」を引用しはじめるが、そのモーランは、さらに、Deiblen(jr.)の手紙を引用しはじめる。そして、その両方の引用が(以下略)となって、この節は終わっている。
 この浜尾四郎の記事は、このあとに、「四、執行された人々」、「五、生きてゐる首」、「六、女性とギヨチーヌ」という三節があるが、割愛する。

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