◎西洋は東洋の文明を軽視してきた(佐伯好郎)
佐伯好郎の『支那の景教に就いて』(初出、1931)を紹介している。本日は、その十二回目(最後)。
もう一度元に戻つて申します。景教が第五世紀から第十四五世紀までさういふ風に盛んであつたのが何故に今日殆んど跡方なきまでに葬られて仕舞つたか。そして最近トルコ領にて虐殺されたのが景教徙であり、又たアルメニヤの山の奥の方に五万十万の景教の遺民が散在して居るといふ。けれども僅かこの長安の景教の石碑とか、房山の十字架の彫刻とか花卉の彫刻とかを位しか残つて居ないのである。何故そんな微々たる景教の研究に力を費す必要があるかといふ様な御質問があるかと思ひます。併し、私が最初申しました通りに景教が斯ういふ風になつたことを研究することは我々の大きな義務であると同時に大なる特権であると思ひます。斯く申しますのは、第十九世紀に於てヨーロツパはマキユ・スミラー博士や其他の学者に依つて『印度文明』を理解したのであります。かく欧州諸国が印度文明を理解したことが最近印度の偉人ガンヂーが素つ裸で英国皇帝に謁見が出来るやうになつた一大原因であります。而して第二十世紀に於ては西洋諸国が支那を中心とした『東洋文化』といふものを理解すべき運命に導かれて居るのであると思ふのであります。これが文化史的に見た太平洋問題です。而してその西洋が本当に東洋の文明を了解せんといたします為には、東洋の学術、技芸音楽、美術の外に儒教仏教とか道敎とかと云ふものと共に此のキリスト教と東洋思想といふものがどういふ風に働いたかと云ふ問題を究めねばなりませぬ。キリスト教たる支那の景教が支那を征服したか、キリスト教が支那思想に征服されたかといふことに依つて、現在及び将来の東洋文明に対する観察眼が醒めはしないかと思ふのであります。西洋人は稍〻もすれば東洋人は頭が良い。併しながら東洋人にはキリスト教がない。従つて宗教的にはなつて居ないと申します。彼等は支那日本の文明を軽視し東洋人を一種の『フランケンシユタイン』である。故に東洋人は西洋の学術、技芸、軍事上の知識、科学工業上の技術を西洋人から習つて居る位ひなら序〈ツイデ〉にこの東洋人に西洋のキリスト教を与へないならばヨーロツパはこの恐るベき『フランケンスタイン』の為に安全でなくなると申して居ます。それでどうか支那や日本を大々的『フランケンシユタイン』にしないやうに、おとなしい立派なものにしなければならぬ、それには東洋人にキリスト教を伝へなければならぬといふのが第十九世紀の初めらの大体西洋の識者先覚者の間に行はれて居つた一種の概念であつたのであります。これは故サー、アーネスト、サトウ氏等の報告に在りました。併ながら既に我々東洋文化は千二百年の昔から景教即ちキリスト教を消化していたのです。我が東洋文化の一部にはこの支那で吸収せられたキリスト教が入つて居るのです。この事実を、若し西洋人自身が景教を研究することに依つて悟りましたならば西洋人の東洋人に対する立場が少し『エンライテン』〔enlighten〕されて来やしないかと思ふのです。此の意味に於て東洋人として我々は西洋人の為に西洋人を指導する立埸に立つて景教を研究する必要がありはしないかと思ふのであります。若しそうでありますとすれば景教の為に時間を費しても無駄ではない次第であります。今日はこの程度で御免を蒙ります。余は他日重ねて御清聴を煩はしたいと思ふて居ります。若し御質問がありますならどうぞ御願いいたします。(昭和六年十一月七日外務省文化事業部に於ける講演) 〈附録42~43ページ〉
明日は、話題を変える。
佐伯好郎の『支那の景教に就いて』(初出、1931)を紹介している。本日は、その十二回目(最後)。
もう一度元に戻つて申します。景教が第五世紀から第十四五世紀までさういふ風に盛んであつたのが何故に今日殆んど跡方なきまでに葬られて仕舞つたか。そして最近トルコ領にて虐殺されたのが景教徙であり、又たアルメニヤの山の奥の方に五万十万の景教の遺民が散在して居るといふ。けれども僅かこの長安の景教の石碑とか、房山の十字架の彫刻とか花卉の彫刻とかを位しか残つて居ないのである。何故そんな微々たる景教の研究に力を費す必要があるかといふ様な御質問があるかと思ひます。併し、私が最初申しました通りに景教が斯ういふ風になつたことを研究することは我々の大きな義務であると同時に大なる特権であると思ひます。斯く申しますのは、第十九世紀に於てヨーロツパはマキユ・スミラー博士や其他の学者に依つて『印度文明』を理解したのであります。かく欧州諸国が印度文明を理解したことが最近印度の偉人ガンヂーが素つ裸で英国皇帝に謁見が出来るやうになつた一大原因であります。而して第二十世紀に於ては西洋諸国が支那を中心とした『東洋文化』といふものを理解すべき運命に導かれて居るのであると思ふのであります。これが文化史的に見た太平洋問題です。而してその西洋が本当に東洋の文明を了解せんといたします為には、東洋の学術、技芸音楽、美術の外に儒教仏教とか道敎とかと云ふものと共に此のキリスト教と東洋思想といふものがどういふ風に働いたかと云ふ問題を究めねばなりませぬ。キリスト教たる支那の景教が支那を征服したか、キリスト教が支那思想に征服されたかといふことに依つて、現在及び将来の東洋文明に対する観察眼が醒めはしないかと思ふのであります。西洋人は稍〻もすれば東洋人は頭が良い。併しながら東洋人にはキリスト教がない。従つて宗教的にはなつて居ないと申します。彼等は支那日本の文明を軽視し東洋人を一種の『フランケンシユタイン』である。故に東洋人は西洋の学術、技芸、軍事上の知識、科学工業上の技術を西洋人から習つて居る位ひなら序〈ツイデ〉にこの東洋人に西洋のキリスト教を与へないならばヨーロツパはこの恐るベき『フランケンスタイン』の為に安全でなくなると申して居ます。それでどうか支那や日本を大々的『フランケンシユタイン』にしないやうに、おとなしい立派なものにしなければならぬ、それには東洋人にキリスト教を伝へなければならぬといふのが第十九世紀の初めらの大体西洋の識者先覚者の間に行はれて居つた一種の概念であつたのであります。これは故サー、アーネスト、サトウ氏等の報告に在りました。併ながら既に我々東洋文化は千二百年の昔から景教即ちキリスト教を消化していたのです。我が東洋文化の一部にはこの支那で吸収せられたキリスト教が入つて居るのです。この事実を、若し西洋人自身が景教を研究することに依つて悟りましたならば西洋人の東洋人に対する立場が少し『エンライテン』〔enlighten〕されて来やしないかと思ふのです。此の意味に於て東洋人として我々は西洋人の為に西洋人を指導する立埸に立つて景教を研究する必要がありはしないかと思ふのであります。若しそうでありますとすれば景教の為に時間を費しても無駄ではない次第であります。今日はこの程度で御免を蒙ります。余は他日重ねて御清聴を煩はしたいと思ふて居ります。若し御質問がありますならどうぞ御願いいたします。(昭和六年十一月七日外務省文化事業部に於ける講演) 〈附録42~43ページ〉
明日は、話題を変える。
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